イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

コンクリートレボルティオ ~超人幻想~ THE LAST SONG:第18話『セイタカアワダチソウ』感想

百億の顔をした正義と暴力が衝突し生まれる新世紀、今週はニンゲンマンのいるところ。
半径5mの幸せを守ろうとあがくサラリーマン超人を中心に、神化47年の超人たちが一堂に会し、各々の正義をぶつけ合うお話でした。
二期になってから安定しているように見えた爾郎サイドも相当ガッタガタだったり、同じ岸にいても同じ正義を共有しているわけではなかったり、新宿擾乱以降の超人行政がまとめて見れたり、色々複雑ながら面白い回でした。

今回はとにかくアクターが多い回で、しかも誰一人同じ価値基準で動いていません。
ざっとまとめますと

・愛しい我がこの笑顔のために、家族の平和のために戦うニンゲンマン
・善でも悪でも、超人というものを守りたい人吉爾郎
・機械神の直感裁判で善悪を分類するアースちゃん
・国家の腐敗を糾弾するべく、テロリズムすらも辞さない鋼鉄探偵ライト
・アースちゃん大好き国家大嫌いなのは判るが、細かい価値基準は未だ見えないジュダス
・超人≒怪人となってしまった社会の変化に対応できず、バスジャックで自己表現しちゃうジャックフラッシュ
・かつては世直しとかしてたけど、世間が受け入れてくれなくなったので私欲で銀行強盗とかするサブライ&ノーネーム
・今回はデウス・エキス・マキナのようにお話を収めたけど、この後民族虐殺の復讐のために立ち上がる未来が確定してるカムペ
という『反国家=私的』サイドと、

・超人課の活動は建前、爾郎先輩LOVEな輝子
・時々全部ぶっ壊れればいいと考えてるけど、妖怪代表として頑張る笑美
・経済と治安がすくい上げない超人の受け皿として超人課にこだわるジャガーさん
・カネになる超人こそがいつでも正義な経済主義、里見顧問&東崎倫子
・法秩序こそが正義であり、その枠からはみ出したら即悪な大鉄くん
・日本国家の公共保安のためなら、立ち向かう全てが悪に変わる赤光
という『親国家=公的』サイドが、グッチャグッチャに絡みあうお話しでした。

一応サイド分けしては見たものの、例えば公共保安隊と超人警備保障と超人課は別組織であり、組織内部の意見統一もされていない感じですし、国家サイドに対抗するように思えた反国家サイドでも、色々と意見が別れていることが確認できました。


第13話で描かれた『新宿擾乱』を一つの契機として、日本は超人にとって、とても生きにくい社会になりました。
超人=悪として法に(もしくは今回示されたように、公共衛生に)則った弾圧活動を行いつつも、圧倒的な暴力を持つ超人を弾圧するためには超人課や公共保安隊のような『政治的に正しい』超人を認めるしかない。
圧倒的な経済力と政治力を背景に、帝都広告社の利益になる超人は国家的弾圧から逃れ、むしろ『経済的に正しい超人』としてプロパガンダ機構に組み込まれている。
神化47年の超人行政は論理だった理想によってではなく、現実的な利害と思惑によって、不徹底な状況で遂行されています。
その矛盾自体は第一期でも同じように存在していたわけですが、爾郎がその矛盾に耐えかねて超人課を離脱した『新宿擾乱』が分水嶺となり、日本国家は超人課を用いた水面下の作戦から、公共保安隊と超人警備保障による表立った活動に切り替えたわけです。

しかし国家秩序を担うべき『正しい超人』たちもけして一枚岩ではなく、各々の思惑と欲望を抱え、いわば成り行きで国家側に身を置いているに過ぎない。
敵味方でも爾郎に会いたいと願う輝子が一番わかり易いですが、現実を受け入れた上で国家からはじき出される超人を保護しようとするジャガーさんと、『法=正義』という堅牢な信念で動く大鉄くんとでは、価値観も理想も大きく異る。
だからこそ先週のエピソードでは超人課と爾郎が共闘して公共保安隊に立ち向かうという構図が描けたりもしたんですが、知っての通り一個人の不確かな正義で力を行使する爾郎は、もはや超人課に戻ることはありません。
『公』的立場に身を置いたとしても、最終的には『私』的感情や価値判断が個人の行動を決定するという視点は、世界を単純な二分法で切り分けないこのアニメらしい見方だと思います。
『現状日本では秩序のための超人と、経済に役立つ超人以外ははじき出される。そいつらを保護するべく、弾圧という現実の中で出来ることをしていく』というジャガーさんの発想はなかなかバランスが良いと思うんですけど、超人課構成員である輝子が直々に『受け売り』って言っちゃってるのが、哀しいというかなんというか……星の子は卑しいなぁ!


国家による不正義を糾弾するべく立ち上がったり、変化した時代についていけず犯罪者扱いを受けている超人もまた、立場を完全に同じくするわけではありません。
『善悪区別なく、超人なら何でも守る』という爾郎の正義は、犯罪者や私欲まで肯定してしまう危うさを曝け出していたし、相変わらずアースちゃんは融通効かない機械の正義で全てをぶった切るし、ライトは過激な方向で開放してその後のフォローは何も考えてないしで、彼らもまた成り行きで同じ岸に立っている状態です。
つうか、人間的で恣意的な正義の適応を現場現場でやってる爾郎と、機械神にだけ備わる正義受信装置で善悪を絶対的に分類できるアースちゃんは、救出・復活させた恩義があろうとなかろうと、そら対立するよな……。
あと久々に見た動くアースちゃんはやっぱ可愛かったなぁ……脇目もふらず真っ直ぐ突進する様子が良いのかなぁ……。(ジュダスと同じ目)

今回『子供の味方をすることが超人だ』という初期衝動に立ち返った爾郎先輩ですが、法正義を代表する大鉄くんからすれば法に楯突く基準を手に入れ、『クズ』から『立派なクズ』になっただけです。
恐ろしいことに『子供であることは、無条件に正しくも清らかでもない』という事実は第2話で、『国家権力は子どもや動物の無垢な願いすら、いくらでも踏みにじれる』という事実は第5話で、それぞれ既にメインテーマとして展開されています。
今回爾郎先輩が選びとった正義の足場は、この段階で既に危ういわけですが……決意とともに選びとったそれを、最後まで貫けることを僕は願っています。

『国家の超人弾圧に協力する/反対する』という一点で結びついてはいても、それぞれの価値判断基準は個人でバラバラであり、『味方』と争いもすれば『敵』と協力することもある。
まこと神化世界の正義は現実と同じく複雑怪奇であり、"正義は味方じゃない 僕の絶対は僕だけだから"という、一期OPの歌詞がよく似合う状況を再確認するエピソードでした。
何がヒドいって、今回まるで神のように場を平らにして去っていったカムペすら、民族を虐殺された個人的憎悪に押し流され、色んな人を不幸にするのが確定しているっつーね……。


そんな混乱した正義の中で、『正義はどうでも良いから、娘と一緒に平和でいたい』と言い切るニンゲンマンは、ある意味『強い』存在です。
超人公害の被害者でもある彼は、超人をめぐる社会的な軋轢に巻き込まれたこともなく、自分の力をどう使うことが正しいのか悩むこともない。
半径5メートルの価値観に従い、娘の望むように力を使い、人間のままでは得られない娘の笑顔を維持するために力を維持しようと願う。
彼の欲求は利己的であり、それ故機械の正義神であるアースちゃんは彼を『悪』と断じる。
かつてクロードが打ち立てた『正義/自由/平和』の三すくみに超人たちは支配されているわけですが、第14話で正義を蹴っ飛ばし愛に走ったアラクネさんと同じように、今回のニンゲンマンも別角度からカウンターを入れてきました。

ニンゲンマンが超人であることにこだわったのは、ニンゲン・若村一勇ではどうしても上手く行かない娘との関係を、超人・ニンゲンマンであれば解決できるからです。
冴えないサラリーマンではなく、筋骨隆々とした優しい怪物に変わることができれば、娘に胸を晴れる一端のニンゲンでいられる。
仮面をつけている間は、男やもめの寂しい素顔を捨てて、娘が望み愛するようなスーパーヒーローになれる。
ニンゲンマンの個人的でコンパクトな親しみやすさだけではなく、エゴイスティックな変身願望もちゃんと描いていたのは、とても良かったと思います。

ニンゲンマンの苦悩は個人的な人間関係に由来するので、超人の力がなくても娘と良い関係を築けるのであれば、二度とニンゲンマンにならなくても問題はありません。
それは一個人が『超人』との関係に一つの答えを出した喜ばしい結末であると同時に、そんな些事とは一切関係なく、超人公害は日本中に広がり、否応なく国家に繋がる生き方を選んだ超人たちの事件は終わらない。
個人的な物語の結末を大事にしつつも、そことは無関係に、もしくは弾圧を加えてくる大きな世界の物語を無視しないのは、このアニメらしい終わり方だなと思いました。

太陽の塔の仮面を被った白いハルクが求める、利己的でコンパクトな正義。
それは若村一勇個人の問題であると同時に、そのパワーソースが超人病という公害に結びついてしまった結果、公的な問題に拡大していきます。
彼個人は家族の笑顔を守りたいだけで行動したとしても、既に『公共衛生』を盾に超人弾圧を始めている国家はその個人的な事情を斟酌しないし、広い世界の中で超人行政に関わる他の超人も、基本的には彼の正義を認めはしない。

その上で、かつて天弓ナイトに救われ憧れた『子供』である爾郎は、ニンゲンマンを『子供の味方』として受け入れ、守る。
ロジカルな答えではないけれども、初期衝動に背中を向けない爾郎の解答は、超人をめぐるシステムが巨大化し複雑化した二期において、シンプルな力強さを持ってはいます。
そのシンプルさが何を取りこぼすかとか、その結果どういう具体的な行動が引き起こされるかとかは、根本的に意地の悪いこのアニメにおいてはまた別の話ですが。


特定外来種の強制焼き払い、三種ワクチンに説明なく混交される超人抑制剤。
超人弾圧と公共衛生が危険な共犯関係を見せる今回は、例えば防疫給水本部という看板を掲げていた731部隊とか、『民族の純潔』をスローガンにして展開したショアーだとか、アメリカにおける『汚い黒人』を排除する諸運動であるとか、近代以降における衛生と差別の関係を思わせます。
この前最高裁で異例の謝罪が出たハンセン病の隔離政策のように、公衆衛生が時代や無知の結果弾圧を押し付けることもあれば、弾圧の看板として公衆衛生が使われた事実も、歴史の教科書の中にたっぷり例示されています。
僕らの歴史でそうであったように、あたかも客観的事実として『(国家の意図にそぐわない)超人は汚い』と公共衛生を喧伝し、特定の政治・経済的意図を持った『冷静な科学的判断に基づく、公平な事実認識』を押し付ける後押しをしているのだと思うと、なんともやるせない気持ちになります。
私企業である帝告が公共政策を左右してしまっている状況は、水俣病チッソの関係も覆い焼きされているのでしょう。

あんま素顔を見せないキャラなので元ネタまで含めて考えると、里見は『公』が持つ暴力性をいかに操り、的確に自分の敵を叩き潰すかのスペシャリストであり、同時に『私』が持つ自由を盾に、果たすべき責任から逃亡する達人でもある。
今回『公共衛生』がテーマ化し、その裏に里見がいたのは、なかなか根が深い問題だと思います。
メディアを抑えてる里見は、言論面でも『私』的意図で『公』をほしいままにできる立場か……『公』の強権に伴う責任を回避しつつ、その結果だけを掠め取る理不尽を味方につけている辺り、ホント厄介な男だ。
今回のエピソードは『公/私の対立』が大きな軸になってましたが、あらゆる超人が少なからず巻き込まれるこの対立から、里見は唯一距離をおいて自分の望みのままに行動しているように見える。
このアニメにおいて単純で一方的な立場には必ず裏があったので、里見もまた何かを抱え込んでいると思うわけですが……最大の実力者である彼の事情がわかるときは、お話に一つの決着が付く時かなぁ。


と言うわけで、ごく私的な欲望から超人であり続けようとした男が、私的な問題に決着をつけて超人をやめるお話でした。
超人公害によって突発的に超人になった男を鏡にすることで、超人と国家の問題に深く関わり過ぎた面々が、なぜ降りる訳にはいかないかを説明するエピソードでもあったな。
ニンゲンマンに強盗を持ちかけたサブライ&ノーネームは、国家戦略の転換がなければ『正義のヒーロー』のままあり続けることが出来たかもしれない。
一瞬の出番でそういうことまで考えれるこのアニメが僕はやはり好きだし、豊かだなぁと思いもします。
来週は凍結された古い正義が迷走するお話のようで、これまた楽しみですね。