イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

少年メイド:第6話『袖振り合うも多生の縁』感想

美しさと穏やかさが喪失の傷を優しく腐らせていくアニメーション、カーブを回る第6話。
EDの知らないアイドルとか、ハマーン声の美麗なお祖母様とか、これまで円の周囲で展開していた千尋の世界が、少し広がるお話でした。
『アイドルやデザイナー、少年メイド』という女性的な要素を引き受ける男性の自意識、常に与えられ守られる子供の立場に納得出来ない千尋の心など、ナイーブな問題にも結構切り込んでいたな。
全11話としてちょうど真ん中に当たる話数で、世界の潮目を穏やかに変えるエピソードをぶっ込む。
ほのぼのゆったり平穏ライフアニメではあるんですが、穏やかさを維持したまま変化を持ち込もうとする意欲も感じられ、非常にグッドでした。

今週はAパートが有頂天ボーイズとの邂逅、Bパートが円の誕生日準備という構成でした。
Aパートでメインを担当した竜児は、千尋の血縁でも学友でもない『他人』で、そんな彼がポジティブに千尋と関係を作っていく要素は、このアニメらしい前向きさと優しさに満ちていた。
千尋の食事にしても円の衣服にしても、徹底して褒めまくる陽性に満ち溢れていて、初手から好感度高いのよね竜児くん。

そんな彼は16歳の短パンボーイで、千尋よりは『大人』で円よりは『子供』という、マージナルな存在です。
大人らしさに憧れつつ居心地の悪さを感じているのは、Bパートで愛されることの不安を吐露していた円と面白い対照をなしていて、良いキャラクターだなぁと思う。
千尋もまた家政を牛耳り周囲の状況をよく見る『大人』を演じつつ、その実社会的・経済的には円の庇護下にある『子供』でもあって、お互い世界に居心地悪さを感じてるんだよね。
ここら辺は胸を張ってダメダメ『大人』を楽しみ、自分の中の『子供』らしさをデザイナーという職能と上手くすりあわせている円と、綺麗な対比を成しているところだ。


竜児が感じている居心地の悪さはもう一つあって、女性性を演じるが故に女性に愛され、社会的な役割を達成できる『アイドル』という仕事。
肌を露わに観客を(ある意味性的に)興奮させることで、己が愛される資格を手に入れるという、ある意味歪んだ形で『女性性=性において搾取者ではなく、奉仕者として受け止められることが悲しいかな一般化してしまっている性の特徴』を取り込んだ職業。
本当にひどい言い方をすれば一種の『男娼』としての顔を持ち、それは長い影を『非保護者として、保護者の望む衣服を装うことで守られる資格を得ている』千尋に伸ばしている。
今回のエピソードは、親≒観客の望まれる存在でいる間だけ愛される、物分りの良い子供の反抗期なのです。

今回竜児が拘った短パンには、フェティシズムと大人への憧れだけではなく、偶像として男と女の境界線で危ういダンスを踊らなければいけない不安が、巧く象徴化されていたように感じました。
有頂天ボーイズの中でも特に『短パンの似合う少年』というロールを望まれている竜児は、『男のくせに』と言われるのが一番嫌だ、と今回吐露しています。
千尋に投げた言葉が無遠慮だったと反省できるのは、彼自身がそれを叩き付けられ傷ついた経験を持つ、何よりの証拠でしょう。

竜児が感じている居心地の悪さは、『少年=男性』と『メイド=女性』を融合させたこのアニメにおいて、全登場人物が関わる問題だと思います。
フリフリでピラピラで可愛い衣装を着て、家事を己の居場所と定めて『女』を装う主人公。
デザイナーという職業につき、うわっついたお飾りの仕事に本気で立ち向かう保護者。
『』付きの『男らしさ』を男性に押し付けず、繊細な感受性やホスピタリティの高さ、優しさや傷つきやすさといった『』付きの『女らしさ』を取り込んでいく戦術を、このアニメの男たちは選択しています。

その上で、このアニメの男たちはあくまで『女の装いを取り入れた男』であり、『女の代返物としての男』もしくは『女の腐ったような男』ではない。
全てを押し流すような無遠慮なマチズモを振り回さないにしても、短パンからスラっと伸びた脚の見事さを軽やかに肯定し、若干(?)のフェティシズムを交えつつ『少年』であることを称揚している。
『大人』と『子供』、『男』と『女』の境界線で揺らぎつつも、あくまで『少年=子供の男』であることをアイデンティティとして認め、その魅力を己のものに変えている男の子を、このアニメはとても肯定的に描いているように思うわけです。

そういう視線に支えられて、竜児は押し付けだと思っていた短パンに自分の個性を見つけ出し、納得もする。
いつもは『子供』のような身勝手さを見せている円も、己の食分故に一歩も引かず、他者の気づいていない魅力を引き出すデザイナーとしてのプライドを覗かせる。
柔弱な印象とは真逆に、クレバーでスマートな決断力をこのアニメの登場人物は持っているのですが、そういう鋭さもよく生きたお話でした。

マージナルで不安定なあり方を『不自然』とは描かず(なぜなら、『自然』の強要、『男のくせに』という言説は暴力的に過ぎるから)、一つのあり方として肯定し続け、主人公が物語で展開する人生にしっかり覆いかぶせること。
それが主人公一人のテーマではなく、同じく境界線の上で悩み少し暴走するアイドルやら、すでに『女らしさ』を己の武器として使いこなしている保護者にも延長しながら、新しい出会いを魅力的に描くこと。
賑やかで楽しく、美しいエンターテイメントとしてしっかり視聴者を楽しませつつ、もしくは楽しませるために、そういう細かい配慮を使いこなしているのは、やっぱりとても強いことだと思うのです。


Bパートは円の誕生日を祝うべく、美耶子と一緒に千尋が頑張るお話。
料理でしなやかに繋がった二人が円のために真心を積み上げつつ、ただ愛されるだけの『子供』でいることに安心できない千尋の気持ちを、美耶子が優しく受け止めていました。
千尋は賢すぎ優しすぎる子供で、そのもの分かりの良さを好ましく思いつつも、僕はその危うさを恐れながらこのアニメを見ています。
そういう目線からすると、千尋が己の中の恐れを吐き出し、受け止めてもらえる相手がちゃんといることは、とても安心できることだった。

家事労働を完ぺきにこなし、誰かを養い癒やし受け止める『母』の役割を背負いつつも、千尋はあくまで『少年』です。
経済的に自立できない自分や、未だ他人でもある円との距離感に苛まれることもあるし、むしろその傷こそが、彼が己を完全に閉じず、健全に成長し多様性を獲得するためにとても大事なものでもある。
『鷹取家のおかーさん』という魅力的な立場に千尋を置いてけぼりにせず、弱さや脆さをしっかり描き、しかも美耶子という『年上の女』にそれを受け止めさせる体制を作ったこと、甘えることへのためらいを今回千尋に飛び越えさせたのは、凄くいいなと思いました。

猫々誕生日というアイデアはお祖母様から受け取ったものであり、Aパートの有頂天ボーイズとの交流がそうであるように、異質なものに出会うことで世界を広げる行為です。
これを示すかのように、鳳家での対話シーンは非常に広々として風通しがよく、壁を取っ払った空間構築が徹底されていました。
鷹取家の閉じた美しさ、千尋が『家事労働』という己の職分を達成しているが故の美麗さは常に描かれており、そこは安心感と蓄積されていく時間を象徴しています。
メインストーリーが展開する『家庭という箱』の美しさは否定せず(Bパート冒頭、桂一郎と相談しているシーンの細やかな美術!)、同時に千尋が出会ったものの掛け替えなさを、ヴィジュアル的な美しさで立証する。
麗しい鳳家庭園の風景を見ながら、映像表現でしかできないことをちゃんとやってるこのアニメは、やっぱり良いアニメだなぁと痛感しました。


と言うわけで、千尋が新しい何かと出会うお話でした。
今回出会った様々なもの、吐露した気持ちが美しく見えるのはやっぱり、作品のオーソドックスとなる部分を丁寧に見せてきたからだと思います。
千尋の心情吐露が刺さるのは円との共同生活を丁寧に描いてきたからだし、二話の広さが目に眩しいのは、家の静けさとやすらぎを届けてこれた証拠である。
今回の有頂天ボーイズの登場が喜ばしくなるよう、存在感のあるEDで焦らしてきたまである。
Aパートでは"ずっと Only You"のOFFボーカルが印象的に使われてて、演出の蓄積を巧く活かしていたし、結構狙いすました登場だったんだろうなぁ。

穏やかで何も変わらないように見えて、じっくりと変化し豊かになっていく『少年』の世界。
そんな彼を見守り育みつつ、その豊かさを受け取って己を育てていく『大人』の世界。
説教臭さを抜きにして楽しみつつ、繊細な意識で操られる『男らしさ』と『女らしさ』。
このアニメが踊っている複雑なワルツが、どんな拍子で作られているのか。
その一端が垣間見れるような、良いエピソードでした。