イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

少年メイド:第7話『学問は一日にしてならず』感想

賢い子供の哀しみが世界を覆い尽くすアニメーション、今週は授業参観。
特別なイベントを背景にして、自分の状況を客観視する千尋の賢さとか、円の面倒くさい気後れとか、家事労働で繋がる不自然な二人の関係とか、そこを一歩飛び越えてより良くなっていく好ましさとか、色々描かれてました。
家庭単位で閉じるのではなく、名も無き先生が千尋をしっかり気遣っている様子がサラッと挿入されていて、このアニメが賢さの哀しみだけではなく、それを包み込んでくれる思いやりを内包していると再確認できて凄く良かったです。

半ズボンはいた美少年メイドが、ダメ大人とちょっとインモラルにドタバタ日常コメディ!
そういうポップな看板を張りつつも、この作品の内部に流れる感情の血液は、ひどく知的で冷静なところがあります。
子どもとしてより書かれる母親を略奪され、どう生きていけば当惑しつつもどうにか生きて行けてしまう千尋の賢さは、『親』代わりである円との不自然な関係を当然把握してしまっている。
『美青年と傷ついた少年が、一つ屋根の下』というアモラルな物語状況を生み出すべく構築されたギブ&テイクの関係が、『普通の家庭』には収まらず、社会から指弾される可能性を常に理解している。
それは作品が置かれているポルノ含みの文脈と、そのアクターが本来持っていてしかるべき人間性との乖離、不自然さに作品自体が自覚的である証拠でもあります。

親子のようで親子ではない不自然な関係に千尋は戸惑い、一度は授業参観のお知らせをグシャグシャにしてしまうのだけど、彼は自分でその躊躇いを飛び越えて円に『ワガママ』を言う。
周囲からの助けがなくてもエゴの暴走を自力で収められる身だしなみの良さは、千尋くんを好ましい主人公に押し上げる大事なパワーだし、彼が物分りが良いことでお話は不要な衝突をウマず優しい世界は維持される。
でも彼は『子供』で、エゴを暴走させることで自分の大きさを知るという無体が許される年頃でもある。

序盤の円と桂一郎の会話を見れば分かるように、鷹取家の『大人』は千尋の過剰な賢さを喜びつつも危ぶみ、『子供』としてエゴをはみ出させる瞬間、自分たちがそれを受け止める瞬間があって欲しいと望んでいる。
しかし千尋の性格や円に残る『子供』らしさ、時間を共有していないことの脆さ、千代の死に際して円が手を差し伸べなかった事実などなど、様々な要因が咬み合って、本物の『親子』のようにエゴを押し付け、受け止める関係には簡単にはなれないわけです。
円が家事労働のギブ&テイクという、ひどく不自然で長く影を伸ばす関係を提案したのは、もちろん『少年メイドにおさんどんさせたいんじゃあああ!!』という製作者のリビドーもあるけど、そういう不自然な形でしか繋がれない叔父-甥の関係、『父』として千尋の全てを受け止めるには成熟しきっていない円の人格、そして母を失って傷ついた千尋のように、姉を喪って当惑する円の心が影響してんだろうなぁ。


ともあれ、様々な要因が咬み合って生まれた不自然な関係を前にして、千尋も円も周囲の人も立ちすくむことはない。
そこから一歩踏み出し家を飛び出し、『授業参観』という形で円と千尋の現在を社会が公認する場所へ、ゆっくりと近づいていく。
不自然でも不自由でも奇妙でも、今みんなで一緒に暮らしているという現実を肯定すること。
そこに潜んでいる不自由さをゆっくり、でも着実に取り除きながら、より良い形に近づけるよう努力をすること。
冷静な視座から不自由な関係を捉えつつも、それが前に進むダイナミズムや健全さを信じてお話を転がしていくこのあに目のスタンスが、やっぱ僕は好きです。

お話しのメインエンジンは千尋と円ですし、彼ら二人の健全で隠微な関係こそがこの物語のメイン燃料(の一つ)だとは思いますが、それを大事にしつつ必ず横から風を入れるのも、小のあに目の目の良さです。
母を失い長年交流のなかった叔父に引き取られるという状況の危うさを、名前もない先生はしっかり認識してさり気なく手を差し伸べているし、実際に二人と顔を合わせて『今』彼らがどういう間柄なのかを確認し、受け入れてもいる。
ひどく魅力的な閉じた関係で足を止めるのではなく、千尋を気にかけ愛する存在をしっかり浮かび上がらせてさり気なく描写する手腕がこの話の風通しを良くしているのは、間違いないと思います。
千尋の賢さを気にかけて、円にメールをくれる日野くんとかな……ホンマあの子ええ子やで……。


今回は現在を肯定するだけではなく、愛され満たされた今の先にある夢についても語っていました。
家事という自分の強みをどう発露し、より良い未来をどう描いていくのか。
すでにデザイナーという自分の夢にたどり着き、今まさに夢を生きている真っ最中の先輩として、円がちょっと『大人』っぽく振る舞う姿が、なんだか僕には凄く嬉しかったです。
円の子供っぽさは、夢を見るという子供の特権(として受け取られがちな事象)を子供世代に限定させず、巧く大人サイドに引き寄せる足場になってて面白いね。
ちゃらんぽらんなようでいろいろ考えてる大人サイドをしっかり描くことで、未来への飛躍は健やかな今があってこそという認識もよく伝わってきて、丁寧に今の人間関係をケアする描写の意味を深まる作りになってたなぁ。
そういう意味で、千尋の個性が『家事労働』というホスピタリティとケアーに強く関係するジャンルなのは、なかなか面白い……仗助と並ぶヒーラー系主人公やねちーちゃん。

千尋が夢について語ったことは、母が死んでからの環境の変化に少しは慣れ、未来を見つめる余裕が出てきたことも意味しています。
『子供』なんだから、無責任に夢を見て未来に希望を抱き、そこに向かうためのパワーを愛され蓄えていけば良い。
そういう理想を信じつつも、そうは出来ない状況に追い込まれてしまった千尋が無責任さに踏み出すお話として、円と無邪気に笑い合う今回はすごく良かった。
『お金持ちになりたい』で一回笑いを取っておいて、『お金持ちになれば、お母さんと一緒にいられるから』という切なすぎる話に繋げる展開巧かったなぁ……どんだけ賢く哀しい子供やねんちーちゃん……。

僕は好きなお話は過剰に読み込んでしまう質なんですが、強度のあるテーマを芯に含みつつも、それを声高に振り回すのではなく、笑いとなんかじんわり温かい視聴感でコーティングして、楽に飲み込ませる努力をしてくれているのも、このあに目のすごいところだなぁと思います。
ドタバタワーギャーやってるみんなの生活や、千尋と円の凸凹したコメディはしっかり面白いし、感情の変化がちゃんと絵で切り取られているので、理性で腑分けしなくても彼らの体温は伝わってくる。
物語は理解するものであると同時に体感するものだと僕は思っているので、テーマを大事にしつつ表現を怠けないストイックな両立をこのアニメが達成しているのは、やっぱ尊敬に値するね。


不自然で不自由で、でも愛に満ちて前向きな彼らの今と、その先にある夢について語るお話でした。
24分間を分割せず使いきり、どっしりお話を運んだ結果、今二人が置かれている状況と、これまでのお話が二人の間に果たした影響がしっかり見えて、パワーの有るエピソードだったと思います。
倒すべき魔王が出てくるわけでもないし、勝たなきゃいけない試合があるわけでもない。
それでもゆっくり、着実に人生を前に進んでいくこのお話にふさわしい、未来向きの今確認回だったんじゃないでしょうか。
んー、しみじみと良いアニメだなぁ、少年メイド