イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

12歳。:第9話『トモダチ』感想

お前の中の獣を起こせ!!
幼さの鎖を断ち切って自我が暴れ始めるお年ごろ、今週の12歳は可愛いすれ違い。
胸きゅんのステッキーな恋を追いかけ続けてきたこのアニメですが、今回は軽くファンタジー路線に背中を向け、闇っぽい領域に目を向けていました。
幼く綺麗なままではいられないけど、自分の中のマイナスの感情を制御しきれない、大人でも子供でもない年頃。
そういう場所に触りつつ、大事故には繋がらないよういろいろ塩梅を加減する進め方が12歳。っぽいなぁと思いました。

花日が『子供』で結衣が『大人』という関係性は、これまでもたっぷり描かれてきた所でして、今回の衝突は自分を制御しきれない『子供』として結衣に寄りかかっていた花日の重たさに、実は『子供』である結衣が耐え切れないことから生まれてきます。
結衣が相当無理して『大人っぽい子供』を演じているのは彼氏たる桧山くんが正確に見抜き、その支えになろうと頑張っているところですが、『子供』という役割に甘んじる特権を幸運にももぎ取っている花日には、そういうアンビバレンツは分からない。
物語が始まった段階では、花日から結衣へのイメージは『大人で、なんでも出来て、けして傷つかない少女』という、表面的なものです。

『けして傷つかない少女』という結衣のイメージは、学校という場所で結衣自身が選びとった役割(『嫌な男子にもビシっと言ってくれる子』という有用性)でもあるし、母親不在の環境で自分を支えるための仮面でもあると思います。
花日は無邪気に毛布にくるまって『お母さんアイスー』といえる立場ですが、結衣ちゃんはやりたくてももうそれは出来ない。
サラッと流されてましたが、『花日のこと羨ましく思うこともある』という言葉の中には、当たり前のように両親が揃っている環境への、どれだけ妬んでも解決できないくらい感情が込められていると思うわけです。

『けして傷つかない少女』というセルフイメージは、毛布のような母親の庇護を失い、素裸で世の中に放り出されてしまった結衣の自己防衛手段でもあるのでしょう。
ピアノ教室の子たちが結衣を『ウザい』と感じたのも、彼女の利他的な態度が実は脆い自分を防衛するエゴイズムから出ている(部分もある)と、感じ取ったゆえなんじゃないかなと思います。
同時に彼女の『お節介』は子供っぽい花日の純朴さを守り、世界をより良くしている側面もしっかりあって、この物語は利他性と利己性の間にある闇を掘り下げるよりも、前向きな光に落着していくわけですが。

『私は強い、強いから傷つかない』『私は優しい、優しいから笑える』という自己イメージがあればこそ彼女は色んな世知辛さに耐えているわけですが、『大人でも子供でもない』ということは『大人のように見えるが、子供でもある』ということとイコールです。
演じている優しさを『ウザい』と切り捨てられれば哀しいし、そこから自分を守るためにピアノ教室をやめたりする、子供(というか人間)として当然のとても柔らかい部分があり、花日の『お節介!』という言葉はそこに触ってしまったからこそ衝突が生まれる。
今回のお話は『けして傷つかない少女』という結衣のパブリック/セルフイメージの裏側に踏み込み、『早く大人っぽくなりたいと願う子供』である花日だけではなく、実は彼女も『大人であることを自己規定し傷ついている子供』なのだという両面性を描くエピソードだったと言えます。
……『けして傷つかない少女』という自己イメージで自分を守ってる結衣が、最も身近で不可避的な出血である『生理(≒性成熟)』と結びついて描写されていること、そういうセルフイメージの殻が必要ない花日にとって『生理』が未だ遠いものであるのは、個人的には面白い。


このアニメは夢みたいに綺麗な恋愛を軸に据えているわけですが、ただただファンタジーを投擲して楽しむだけではなく、12歳。という年齢の不安定さをしっかり練りこんで作られています。
今回で言えば、花日が自分の中の暗い感情とどう付き合い、マイナスの印象を持ってしまった結衣との関係をどう修復していくかという部分に、かなり重点が置かれていました。
成長するということは人格の複雑性が増していき、かつては一つの印象しか受けなかった事象に全く反対の印象を『同時に』感じ取ることを含んでいます。
母親や姉のように世話を焼いてくれる結衣への愛情や感謝を持ちつつも、『いつまでも子供ではない』と自己を認識している花日の気持ちはそれに反発し、『お節介』『ウザい』と感じる心の摩擦も当然生まれてくる。

そういうマイナスの気持ちがそのまま発露してしまえば、結衣をピアノ教室から追い出したような社会的圧力へと変わるわけですが、花日は周囲のアシストも受けつつ自分の中に生まれた複雑な感情を、丁寧に処理していく。
いつもの様に頼れる高尾先生に導かれたり、多面的な感情の裏側を覗きこんだりしつつ、彼女は大人(というか人間)なら当然感じるマイナスの衝動をしっかり乗りこなし、傷ついた結衣を守りかばい受け入れる結末にたどり着くわけです。
人を害する感情は人間が人間である以上当然あるし、それもまた(結が『けして傷つかない少女』)
物語の始まりでは『子供』として『大人』の結衣に守られるだけだった花日が、実は結衣も「子供』であり傷つき守ってほしいのだと築いて、『子供』の聖域から一歩踏み出して敵対者の前に立つ展開は、中々綺麗に『大人』『子供』の役割交代と、花日の成長を描いていたと思います。

花日を見守り人格的成長をさせた高尾先生ですが、最初は花日を『子供』のまま守ろうとする、あんま褒められない保護者っぷりを発揮してました。
不器用ながら純情ボーイ、好きな女のためならかっこ悪くなるのを躊躇わない桧山ボーイの『ガキっぽい』意見をぶつけられ、花日にマイナスの感情を乗りこなせる方向に舵を切り直すのは、この話に埋め込まれたもう一つの役割交代だと思います。
高尾先生はあまりにも無敵すぎて中々揺れることがないので、今回桧山にガツン!ともらってたのは好きな描写だった……それにしたって余裕ある状態で『まぁ認めてやってもいい』って感じなんだけどさ。
あと『悲しい顔させたままなんて、男じゃないよな』は良いセリフなんだけど、『男』じゃなくてもタフに振る舞って良いのよ……そこら辺は花日が立ち上がってるから問題ねぇか。


高尾先生が崩れず揺るがず成長もしない、完成された存在なのは、お話が望まぬ方向に転がっていかないためのコントローラーとして、キャラクターのヒエラルキー最上位に君臨し続けなければいけないからでしょう。
傷ついた結衣を守るべく立ちふさがった花日だけど、あの河原のにらみ合いは、掘り下げていけばすげー面倒な言い合いが続いて話が収まらない危険性を持っています。
花日は自己の内面にあるマイナスの感情とは付き合い方を覚えたけど、自分が直接的には操作できない他者の悪感情とどう向かい合い、それをどう乗り越えたり交わしたり叩き潰したりするのかという問題を背負うには、未成熟にすぎる。
あそこで必要なのは花日が『子供』という役割から出てくることであり、顔を出したら世界の悪意を原液で叩き付けられ、回復不可能なくらいに凹まされることは計算の外側にあるわけです。

なので、デウス・エキス・マキナよろしくタイミングよく自転車で通りがかった高尾先生を見て、ピアノ教室の女の子たちは『ファンデしてない』と言いながら、ギャグっぽく退場していく。
『今回のお話はここまで!』という一種の都合を『まぁ……高尾ならしょうがねぇなぁ』と飲み込める強度がキャラクターにあるのは、あくまでコメディとして過度のシリアスさを避けつつ、必要なだけの真剣さで思春期に向かい合うこのアニメには、ありがたいことだと思います。
それを『逃げ』って取ることも出来るだろうけど、12歳。の強さはオールド・スクールな話運びと演出全部をひっくるめたパッケージングの巧さ、『この話はこういう話だから!』というメッセージを分かりやすくに伝えられてる部分にあるわけで。
あそこで殴り合いのメガバイオレンスに発展するような『リアル』は逆に、このお話しの良さを殺してしまうと思いますので、高尾はいい仕事したなぁと思います。

高尾が白馬の王子様よろしく場を収めたことに、手のひらの上でお姫様を躍らせる王子様の高慢を感じなくもないですが、今回提示された問題は実は、花日がピアノ教室の女の子たちに立ちふさがった瞬間にだいたい解決している。
自分の負の感情と向かい合い、為すべきことを見つけてしっかりそれを実行する勇気はあくまで花日のもので、高尾はそのための助力者の立場をギリギリのラインで超えていません。(いや、優秀すぎるサポーターだとは思うよ。解決のための方法をいろいろ見繕うところまで余裕が有るのは、マジで小学生じゃない)
花日のキャラクター性である『子供っぽさ』を完全に崩壊させないまま、一歩『大人』に近づく勇気(とそれを証明する具体的な行動)を獲得させ、元の鞘……から半歩先に進んだ関係に花日と結衣を進ませたのは、とても良かったなぁと思います。
花日だけではなく結衣も、自分の中の『子供』を花日にもたれかからせる形で成長しているのが、非常にグッドだ。
背負いすぎてぶっ壊れちゃうのは、良い『大人』(というか人間)とは言えないもんな。


と言うわけで、不安と衝突、その先にある発見と成長をしっかり描いた、優秀なお話でした。
あくまで女の子たちの魂の勝負に焦点を合わせつつ、彼氏達が良いアシストを欠かさなかったのは、胸キュンストーリーたるこのアニメらしい塩梅でしたね。
花日と結衣には、今回見つけた発見を今後の人生で活かして欲しいところなんですが……このお話、最初のフレームが上手く切れすぎていて、そこからはみ出すような成長はなかったことにされることが時々あるんだよな。
第1話で生理生理囃し立てて反省してたのに、今回もノーデリカシーで煽り立てるモブ男子の脳みそ揮発っぷりは異常……なんだけど、あそこでギャーギャー言わないと結衣ちゃんが失策しなくて、衝突も起きないんで難しいところよ。

そんな感じでキャラクター間の階層構造が中々崩れないこのアニメ、来週は敵対者にして道化たる心愛ちゃんのエピソード。
時に話が転がるために必要な壁として立ちふさがり、時に無様な敗北者として笑いを届けてくれる彼女が、自分の役割をはみ出すのか、はみ出さないのか。
今回『子供』『大人』という役割を的確にはみ出すことで成長を達成していたので、そういう細やかなコントロールでストライクを取って欲しいと、色々願ってしまいますね。