イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

少年メイド:第8話『来年を言えば鬼が笑う』感想

◇はじめに
優しさと感謝がこもった日々が積み重なって明日に届く希望のアニメーション、今回はゆく年くる年。
ぎこちなく同じ屋根に暮らし始めた千尋と円たちが、過ぎゆく季節のなかで何を手に入れたのか、じっくり確認していく話となりました。
健気に頑張ってるちーちゃんにちゃんと報いようとする大人たちも、そいつら飛び越して最善手を打つ日野も、みんな良いヤツら過ぎて、しみじみとありがたすぎた……。
"みんなとね、見つけた景色に感謝をしてDAY by DAY"って感じだ。(『目の前を過ぎゆく景色と、それを共有する奇妙な仲間たちの当たり前さをしっかり感謝する姿勢が、ファンタジスタドールに似てんじゃねぇのこのアニメ。ファンタ好きな俺が好きになるの必然だったんじゃねぇの』という発見)


◇『少年メイド』の後ろめたさ
クリスマスから元旦にかけての時間を切り取った今回は、いつもの穏やかな日々とはまた違った景色が描かれていました。
千尋の領分である『掃除』にみんなで分け入って、彼の苦労を共有する大掃除。
千尋の労をねぎらおうとして、結局『おかん』としての千尋に落ち着いてしまう正月。
両方に共有しているのは、『家事』という千尋の得意分野を取り上げるのではなく、それを尊重したまま負荷を減らそうという、歩み寄りの姿勢です。

千尋が家事にしがみつくのは、無力な少年として母のいない世界でツッパっていくためには、自分が無力ではないと確認する手段が必要だから、というのがあると思います。
少年メイド』として家事労働に従事することは、ただただしんどくて辛いことではなく、自分の能力を存分に発揮できる仕事でもあり、ただただ楽しい趣味でもある。
対価を提出することで、親ではない存在に庇護してもらう不自然さを少しでも軽減する、フェアーな報酬のやり取りでもある。

そんなふうに多様性を持って描かれる『家事』ですが、同時に子供が背負う重荷では無いことも確かで、掃除機を『クリスマスプレゼント』という『子供らしさ』の象徴に送りつけることに悩む円たちも、別荘に『くつろぎ』に来た千尋から『家事』を取り上げようとするのも、周囲の大人が健全かつ賢明に感じている後ろめたさの証明だと思います。
少年メイド』という題材/タイトルは、常に『子供がただ愛される立場ではなく、家事労働という対価でもって居場所を確保する』ことへの後ろめたさを孕んでいるわけで、これを『この話はそういう話だから』で流すのではなく、しっかり作中のキャラクターに名言・行動させることは、物語の風通しを確保する上でとても大事です。
ちーちゃんが掃除して、ご飯作って、『家』を維持しくれる都合の良さに寄りかかってない感じ、とでもいうのかな。


◇家族写真を取るための冴えたやり方
しかしながら千尋にとって『家事』はけして重荷ではなく、彼らしさを発露する大事な足場です。
『頼ってやることで千尋は千尋らしくいられる。だからオカンで良いんだ』という見切りを、年長者に先んじてやりきる日野くんは、付き合いの長さを感じさせて凄く良かったです。
物語が始まる前からつながりのあった『ちーちゃんベテラン』日野くんが颯爽と解決することで、円たち物語が始まった時につながりが生まれた『ちーちゃんルーキー』である円たちのぎこちなさが強調されるのも素晴らしい。
どう足掻いたって他人が一緒に暮らす以上、中々解決しないしこりや無理解ってのはあるわけで、努力して思いやってそれを乗り越えていくからこそ、尊さも出てくるわけで。
少年メイド』というファンタジーを描きつつも、人間と人間の間にある距離を冷静に見つめ作品に入れ込むことで、一種の真摯さを手に入れようとしているのは、このアニメのスタンスでもとても良いポイントです。

日野くんは大掃除に美耶子を呼んで、彼女が持つ朗らかな暖かさをシーンに取り入れる見事なアシストもしてました。
出来無いなりに努力し、前向きで真摯で優しい美耶子の柔らかい態度は見てて気持ちが和むし、せっかく大きなイベントなんだから家族みんな集まったほうが仲間はずれにされてる感じもないしね。
桂一郎に精一杯のアタックを仕掛け、すげなく鈍感バリアで弾かれるシーンは健気で凄く可愛くて、『おう、ネーチャン頑張れや……頑張れや!!』っていう気持ちになった。

大掃除にしても別荘の過ごし方にしても、円たちは『千尋らしさ』を上から否定するのでもなく、確かに空いてしまっている心の距離を一足飛びに踏み越えるのでもなく、自分から腰をかがめて『千尋らしさ』の傘の中に入っていきます。
友人たちが『エプロンとブリム』という鷹取家のスタイルにためらいを覚えつつ、結局着ちゃうところとかは、この作品が持っている『歩み寄りの姿勢』が良く分かるシーンでしょう。
思えばこのアニメのキャラクターはミンナ、『自分らしさ』を保ちつつも他者の『自分らしさ』を否定せず、むしろ楽しみながらそこに飛び込んでいく勇気を、しっかり持った人々ばかりな気がします。

状況を正確に把握し、そのズレに違和感を覚えつつも、現状を優しく肯定してお互い歩み寄っていく。
今回のエピソードで描かれていた運動は、これまで千尋と円、彼らを支える人々が歩んできた道程そのものであり、今回の物語はこのアニメがどのような物語を切り取ってきたのか確認する、記念写真だったと、ラストシーンを見て思いました。
そこに切り取られているのは彼らが人生を泳ぐ、靭やかで優しい方法論であり、ぎこちなく誠実な一歩を積み重ねてようやくたどり着いた、どうしようもなく偽物でかぎりなく本物のファミリー・ポートレイトだったと思います。
そこに至るまでの道筋を丁寧に描いてきたからこそ、来年の正月もまた、同じ写真が取れるに違いないという希望を持てるのは、凄く良いことですね。


◇まとめ
というわけで、千尋と彼を取り巻く世界がどんなもので、どこまでやって来たのかを確認する回でした。
ただただ主役たちの素晴らしさを称揚するのではなく、その合間に真剣にならない程度に作品世界の歪さを確認して、巧妙に物語に風穴を開けているのが上手いなぁと思います。
その上で『少年メイド』という、フェティッシュで優しい物語の素晴らしさをしっかり信じて、
綺麗で楽しい話にまとめてる所がとっても良い。
自分たちが作ってる物語を信頼する姿勢は、見てる側にも伝わる気がします。(当然、僕が読みたい物語を勝手に読み取っているだけでもあるんだけど、作者との真心の交流があるって信じるのは前向きだし、何よりそっちの方が不可知論より楽しいと僕は思います)