イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

くまみこ:第10話『それってアイドル!?』感想

隠しても隠しても人間の嫌な部分がにじみ出る、人間性じっとり裏日本系アニメーション、今週は携帯電話とアイドルで、まちちゃんを振り回す回。
子供扱いされても仕方がない無知で無力なまちと、それを自分の都合にいいように利用するクマ&よしおの邪悪さが目立った話でした。
アイドルのステージもその後の言い争いも全部クソだし、可愛さの奥に大量のヤダ味が潜む、くまみこらしい話だったなぁ。

まちは無知で無力なりに色々考えて、今回は携帯電話を足がかりに見聞を広め、都会に出ていこうとしていました。
まぁあの人間的耐久力じゃ刺激の多い所無理だし、それを危ぶんでナツが手元に置きたがるのも分かるんだけど、まちが自分なりに成長の芽を出そうとしているのは事実。
しかしそれに対するナツのリアクションは、携帯電話がメディアツールとしての機能を果たさないのを重々承知で、『情報を収集し、自発性を育てる』という機能と機会を略奪するために携帯電話(の形をした着メロ再生装置)を渡してしまう。

この『形式だけ整えば、実態に一切目を向けない愚かさ』は熊手村に共通の描写で、それを指差して『田舎者はバカだなぁ~』と嘲笑する気持ちよさがこのアニメのコメディなんですが、まちを除く主役たちはこの愚かさから逃れてるんですよね。
ナツとよしおはスカイプを使いこなすことで携帯電話の機能をタブレットで実現しているし、ひびきちゃんはよしおとまちの児ポ案件がどういう状況で生まれているのか、しっかり理解している。
つまり彼らは愚かさから脱出する足場を持っているのに、あるいは圧倒的な共感能力のなさから、あるいは母親にして娘を自分の手のひらで包み続けたい欲望から、あるいは粗暴な性格からそれぞれ覆い隠し、まちが無力で無知なままでいるよう仕向けているわけです。
そうすることでしか保護できないまちの弱さも同時に描写されているので、彼らを完全に否定しきれないのがうまい作りよな。

この作品はブラックなコメディであり、無知や無力は必ずしも健全に克服・成長される必要はありません。
むしろおもいっきり目立たせてあざ笑い、可愛さのコーティングを塗りたくることで『可愛い』と胸をときめかせる視聴者自体を刺すような、狂って尖った凶暴さが笑いを生んだりもする。
映像になってみると痛ましさが倍増するまちのステージと、そこに飛びつくドルヲタの生々しさは、『まちは可愛いなぁ……』と彼女の悲惨を楽しんで見る視聴者の、非常に悪趣味な鏡として機能しています。

笑いは根本的に残忍なものであり、主役も脇役も視聴者も製作者も、全てを悪趣味に笑い飛ばすシニカルさはやっぱり、このアニメが萌え萌えコメディとして成立する根本なんだなぁと思いました。
まちの決意を効いてるふりして、ピカピカ光る素敵なおもちゃで目をそらそうとするナツのクソ親っぷりも最悪だし、まちが持つ歳相応の羞恥心を踏み潰して一切答えないよしおのサイコっぷりも最悪だし、そんな状況に流され結局飲み込んじゃうまちのダメっぷりも刺さるし、みんな最低で最悪だよ!
その最低さをことさら作中で言語化せず、『このアニメ萌えるけど、よくよく考えると最低最悪だな』と視聴者が受け取る手順を挟む所が、多分一番知的なんだろうな。
自分で考えさせることで、この悪趣味を望んで受け入れてる自分を相対視する手順が自動的に発生して、他人事として楽しんでいたはずの悪どさが自分側にハネを飛ばしてくるからな。

もちろん『ちょっとズレた所もあるけど、支え合うクマと巫女と市職員とヤンキーのハートウォーミングコメディ』と受け取り消費しても良いんだけど、そう飲み込むにはこのアニメの演出と間合いには大量の棘が埋め込まれている。
ゲラゲラ笑いつつ萌えているうちに、なんか喉に引っかかって気持ち悪い感覚を覚えるよう、巧妙に計算されて作られている。
上手いとこ視聴者を引き付けつつ、気づけばまちを田舎の檻に閉じ込め愛玩する後ろめたさに巻き込んで、その後ろめたさすら笑いの材料にしてしまうエグい構図が、今回は生きていたと思います。
いやー、性格悪いアニメだね。最高だね。