イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

うしおととら:第38話『最終局面』感想

長く辛く苦しく、そしてこの上なく輝いて見える戦いの記録もついに最終局面、まだまだ油断ならないラス前一話でございます。
長いトンネルを抜けてようやく勝ちのムードを味方につけたうしとらサイド、数でボッコにするのはヒーロー的によろしくない絵面なので、リングを区切ったうえで殺生石毒ガス作戦で主役以外を追い出し、それぞれの戦場を区切る回でした。
中華料理屋は中華料理屋の、退魔坊主は退魔坊主の、バケモノはバケモノの、人間は人間の、それぞれやれることを必死にやりつつ、去っていった人たちもクライマックスだから助けに来ちゃう大サービス。
ここに至るまで色々あったけど、やっぱこのクライマックスは最高に盛り上がるなぁ……。

最早戦いは強いの弱いのの領域ではなく、どれだけ曇りなく戦いに向き合えるかの勝負に変わりつつあり、白面がサイズ的に小さくなったのも、うしとらが論破攻撃を仕掛けるのも、そういう局面の変化を反映したものといえます。
ここら辺は『恐怖を啜って強くなる』という白面の適性が生きていて、これまでさんざん策略で心を責め、自分を強くした分、メディアのおじさん筆頭に勇気を掲げる人たちの反撃で弱る展開が、すっと入ってくる。
こういうロジックを細かく組んでいるからこそ、精神的な勝利が物理的な勝利に繋がる勢い重視の展開が無理なく、気持ち良く飲み込めるわけです。

『恐怖を啜って強くなる』展開は、狭いリングで行われるうしとらVS白面の戦いだけを最終決戦に限定するのではなく、日本中に戦場を拡大し、武器を取る人も取らない人も、各々の戦いを繰り広げる展開を呼び寄せています。
俺が大好きな麻子の親父さんが代表していますが、ビームや電撃出してバケモノをぶっ倒すのも、暖かいメシを出して腹を満たすのも、おんなじように人生の戦いであり優劣ではないんだとしっかり示してくれるのは、ただのバトルアニメではない深みをしっかり出していて、良いなぁと思います。
その上で非戦闘員を安全圏に置くのではなく、黒炎に横殴りさせて戦闘担当キャラの見せ場を作り、戦いの真剣さも維持してるところが、緩みがなくて非常にグッドですね。
がんばって~って祈りを捧げる展開も悪くはないんだが、皆当事者として色んな戦いを戦う状況は、安全圏がない分必死さがより強く感じますね。

二話前くらいまでは絶望に支配されていた決戦も、潮が戻り、槍が戻り、とらが力を取り戻した今、前向きな戦いに姿を変えています。
これはもちろん死闘に身を投じた全員の努力の結果なんだけど、同時に迷いなく戦えている事実が己を肯定する原因にもなっているように思う。
かつて囚われていた伝承者への妄念を振り払い、ありのままの自分を肯定しながら戦う日輪を見てるとそういう気持ちは強くなります。


思い返してみるとこのアニメの登場人物は、超常の力を持っていても普通で当たり前の幸せを何処かで求めていて、『正義』に凝り固まっているように見えて実は、身近に実感できる自分らしさにたどり着きたい人が多かったように思います。
十郎や流のように本当の自分に辿りつけず去っていった人もいるし、日輪やキリオのように望む場所に行き着いた人もいるけど、潮という本音の塊とぶつかることで、自分が本当に欲しいものに向かい合い、より暖かい方向へ足を向ける人が、とても多い。
だからこそ、みんなで戦っているこの決戦は『太陽と一緒に戦っている』ってことなのかなぁ、と思います。

異能の力を持っていても、もしくは持って『普通』であることから隔たってしまったからこそ、みんなが求める『普通』の幸せ。
それは常に、『血を流すなら心も痛いだろう』『バケモノの青い血でも、血は血だろう』という優しい目線に支えられた、性善説的なものの見方だと思います。
そこら辺を一番鮮烈に表現しているのは、ただのおとーちゃんから復讐鬼になり、死の間際で守れなかったものを守り切ってただのおとーちゃんに戻ったヒョウさんの生き様と死に方でしょう。
どれだけ苛烈な退魔の生き様に身を落としていても、求めていたのは小さな幸せで、しかもそれは奪われて戻ってこない。
八方塞がりの暗い人生の中で、潮という真っ直ぐな少年と出会い、紅蓮を倒して己を焼く憤怒に決着をつけ、あの時守れなかった子供と女を守って死んでいったあの人が、最後に帰っていた場所は『故郷』だった。
復讐鬼の人生を描き切ったあの筆と、今回描かれた麻子の親父さんの誰も殺さない奮闘は実は背中合わせで、この2つの描写がしっかりと入ることで、血が流れる戦場という非日常と、上手いチャーハンを食って幸せな日常が実は地続きなのだということが、実感を伴って理解できた気がするのです。
……そういやふたりとも親父か……ジュビロ作品の親父はいい味出すなぁホント。

親父といえば、ヒロインズのピンチに思わず地獄から身を乗り出したお父さんSのパワーも、なかなか面白かったです。
TV版ではいろいろ省略されたとはいえ、これまで出てきたキャラクター全蔵出しの見せ場ラッシュは、やっぱり面白い。
潮が戻ってきてからの最終決戦はずーっとそんな感じであり、あまりのテンションに軽く頭痛するくらいの高まり加減ですね。


そんな全曲面的な戦いを描写しつつ、メイン敵の白面は主役だけを相手にする絞った展開。
2つの尻尾を相手に血が噴き出る緊迫の物理線であり、これまで圧倒的な暴力と知略で自分の理屈を押し付けてきた白面に、劣勢を叩き付けて思いっきり言い返す論理戦闘でもあります。
白面の歪みを正さず殴り勝っちゃうと、『力それ自体は人を不幸にするので、力をどう使うかという精神性がとても大事』と何度も言ってきた作品のテーマ自体を裏切っちゃうからね、大事だね。

うしとらが白面とやりあう前に、クソダサアーマーとして頑張ってきた字伏達が最後の奮闘を見せ、2つの尻尾をぶち破ります。
かつて潮と同じように槍を使い、とらと同じような怪物になった彼らは、最終的に憎しみに囚われ白面と同じような怪物になる。
これまでの下げパートで『敵と同じ負の感情が、実は主役たちにもあった』ということを確認したように、倒すべき最大の敵と同じ要素が味方にもあったと確認する展開です。
字伏達が白面になるということは、同胞であるうしとらもまた白面になる危険性を抱えているということであり、力と怒りに飲み込まれて怪物になる恐怖、それを制御できる心の大切さを、ケレン味のある展開とビジュアルで具現化しています。

良い物語ってのはキャラクターの間に共通点を見出し、それを強調するのが上手いと思うのですが、うしとらもまたその分に漏れません。
戦士としてのとらと流や、母を失った子どもとしての潮とキリオのように、敵を己の鏡として己自身を見つめ返す展開は、主役たちを特別キレイな存在として飾り立てず、憎むべき敵になるかもしれない危うさを生み出してきました。
それは同時に『なぜ主人公たちは善悪の一線を越えないのか。もしくは、一線を越えたとしても戻ってきてこれるのか』という問いにもつながっており、親和性が逆に差異性を強調するという、物語の不可思議な作用が生きています。

今回うしとらが対峙するのは、白面への憎悪に取り憑かれ、恐怖に追い込まれていた時には見えなかった真実の姿です。
思いのほか小さくて、潮のやりととらの雷を恐れればこそ真似し、常に槍を睨めつける下からの視線を宿した、誰かを妬み恨む存在。
その負の感情を潮もまた有しているというのは、遠野を舞台にした暴走を見ても、もしくは母にぶたれてからのやけっぱちを見ても納得がいくところです。
とらもまた、人食いの怪物として物語に登場し、潮に槍で止められつつ、人間が持っている強さに親しんでいった。
そういう二人と白面の親和性と、しかし二人が白面にはならない決定的な理由を指摘して、字伏たちは退場していきました。

『我らにも、お前らのような存在がいれば……』と悔いながら白面になった字伏の言葉は、一人では危うすぎるニンゲン/バケモノのあり方を指摘し、なぜこの物語が『うしおととら』なのかを実感させてくれたと思います。
寂しさや、妬みや、思い上がりや、怒りや、暴力的な衝動が心を支配する瞬間は必ずあって、それ自体は否定出来ない。
だからこそ、それに支配されかかった時により暖かい側に心を止めてくれる存在がいることが、とても大事なのだ。
言葉にしてしまえば陳腐なそれを、この物語はずっと積み上げてきて、この最終局面で頼るべき最強の力として誇示する。
キレイ事をキレイ事のまま本気で心に届けるには、こういうことをやらなきゃならんのだなぁと思うと頭がクラクラしますけども、しっかりやってくれるのが有り難くてしょうがねぇですね。

『無知が恐怖を生む。恐怖が白面の力になる』というロジックはなにも日本全国の顔のない戦士たちだけに適応されるわけではなく、主役もまたその範囲内にいます。
母に見捨てられたと思い込み、怒りで突っ走って槍を壊された潮も、怒りと守護という己の起源を描かれたとらも、戦いの中で白面への無知を埋め、恐怖を埋めてその力を削いできました。
今回白面が隠してきた嫉妬や羨望にうしとらが気付けたのも、白面が象徴する感情に接近し、過去存在した白面への因縁が暴かれ、ある意味白面に親しみつつ、白面にはならない素地を作ってきたからでしょう。
色んなバケモノやニンゲンと戦いつつ、そこに自分の姿を見て歩み寄ろうとした少年と怪物は、白面という大妖怪にすら(望むと望まざると)近づいて、自分と似ている部分、自分とは決定的に異なる部分を、しっかり理解したわけです。
こういう精神的な勝利が物理的な勝利に繋がる筋道を立てれる辺り、『無知が恐怖を生む。恐怖が白面の力になる』っていう設定はほんと良く出来てるな……。


と言うわけで、日本国中万人が己の人生に立ち向かう戦闘と、話を背負ってきた主人公たちが己の歪んだ鏡像を理解し、完璧に恐怖を乗り越えるエピソードでした。
三期最終決戦は本当にじっくり時間をかけて白面戦をやって、うしとらアニメが何をやって来たか確認しながら進んでくれるのでありがたい……これを生み出すために修羅のカット乱舞があったと思えば報われる……嘘やっぱカットされた話まじ見てぇ……でも最終局面マジおもしれぇ……(二律背反の潮目にとらわれて消滅)
果たされない妄念はさておき、ホント最終決戦は始まってからテンション上がりまくり血管切れまくりの最高の展開で、ありがたいとしか言いようがねぇ……。

そんな幸せな時間も来週で終わってしまうわけで、もったいないやらありがたいやら、やっぱ二律背反の潮目にとらわれて消滅しそうです。
色々あったけどやっぱ最高に楽しく走ってきたうしとらアニメが、どういう最高のエンディングを迎えるのか。
心を弾ませながら待ちたいと思います。