イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ジョーカー・ゲーム:第12話『XX ダブルクロス』感想

人生という劇場で間諜という役割を演じる怪物たちの物語、ついに最終回ッ!!
スパイになりきれない軍人で始まったこのお話ですが、最終話もまたスパイになりきれない軍人の物語でした。
さんざんさすDのスタイリッシュさで推しておいて、第1エピソードで強調されていた違和感と疑問に立ち返ってくるのは良い構成だなぁと思います。
すなわち『私欲と感情を完全に殺したスーパースパイは、果たして共感対象足りえるのか?』
答えとしては『スーパースパイのスーパーな活躍を楽しませつつ、凡人の足場になる要素を巧妙に盛り込んでいるので可能』でした。

常に状況を支配し負けることがないD機関は、凡俗なる僕らからは遠いスーパースターです。
その圧倒的な活躍を楽しみつつも、心を殺し勝ち続ける彼らを見ていると時々『違う』という感覚が湧いてくる。
D機関を特別視しすぎてその当然の違和感を無視するのではなく、むしろ話の出だしとシメに据えて展開させる目の良さは、非常にこのお話らしいなぁと思いました。

今回の話は非常に佐久間さんの物語と似通っていて、情や信念を捨てきれない元軍人がD機関を体験し、ミッションを無事果たし終えた末にそこを去っていくという、出会いと別れの物語です。
エピソード単体の往復運動、第1話と最終話の間での響きあい、そしてD機関の様々な冒険に(ちょっとの違和感を感じつつも)最高に胸踊られた僕たちと去っていく彼らとの共鳴。
様々なレイヤーでの共鳴が埋め込まれた、非常にテクニカルなエピソードであり、同時に『感情』をテーマにしている以上直接的に胸を叩く何かも強くある。
ウェットさとドライさを最良のバランスで維持したこの話は、まさに最終話に来るべくしてきたエピソードと言えます。

第1エピソードと最終話の呼応関係は、もちろん『ゆきて帰りし物語』という強力な物語類型を強く意識したものでしょう。
それだけではなく、シリーズを通して最も印象的で『強い』エピソードだった佐久間さんの物語を背景に置くことで、この話に奥行きが生まれ、あの話の『強さ』を引用する狙いもあった気がします。
このお話が最終回である以上、その『強さ』はシリーズ全体に敷衍されていくわけで、自分が作ったお話を信頼した、素晴らしい構成だと思います。


演出も非常にキレていて、闇の片隅ですれ違いながら小田切に声をかけてくるDボーイズの姿は、見事に『D機関』がどのような存在であり、彼らがどういう関係にあるのか絵で示してくれました。
厳しい謀略の世界に身を置く以上、一切の情を許さない乾いた距離感を保ちつつも、それでもD機関という場所で一瞬結びつき、乾ききった砂漠の一滴の潤いのような繋がりを持つスパイたち。
止まらず歩き続ける彼らの姿はこれまでの個別エピソードで活写されてきたわけですが、最終話に相応しいスター勢ぞろいとなった今回、スパイとスパイがどういう距離感なのかしっかり見えるシーンがあったのは、非常に良かったです。

『花』と『舞台』も印象的に使われていて、トラックの荷台に載せられて去っていく花達に、このお話を最後に僕たちの前から消えていくDボーイズを重ねあわせてしまいました。
スパイという役割を演じ続け、それでもねえやへの感情を殺せずに死地満州へと赴く小田切はいわば『失敗した役者』であり、その姿は佐久間さんや舞台上で泣き崩れた女優にも響きあう。
時系列的にはこの話真ん中に位置するので、小田切が舞台を去った後もDボーイズは謀略の舞台の上で悲喜劇を演じ続けます。
印象的なメタファーが、エピソード単位のみならずシリーズ全体を引き締め、象徴する仕事をきっちり果たしていました。

キャラクターの方も最終話らしいメンバー総出演ですが、正直会議室で雁首揃えているシーンは見分けがつきませんでした。
でも、それこそがこのアニメの成功なのかなぁとも思いました。
世界最高の消耗品として陰謀の渦中に踊り続けるスパイ、それ自体がこのお話の主役なのであって、個別の人格は作品としても作中の価値観としても大した存在ではない。
佐久間さんにしても小田切にしても、『情』や『人間らしさ』を出してキャラがたったものは、無表情な仮面劇からは退場するのがルールなわけです。
その上で、消耗していくパーツたちには個別の差異が実はあって、まるで蜃気楼のように微かな『スパイの人情』を捉えたこともまた、この繊細なアニメの美点です。
だから、あくまでD機関を構成するパーツとして見分けがつかず、それでも奇妙な愛着と懐かしさ、別れる寂しさを感じるボーイズたちの登場は、とてもこのアニメらしかった。

この話で一番キャラが立っていたのは当然、D機関のボスにして最強のスーパースパイ結城中佐です。
『死ぬな、殺すな』を世界のルールとして定め、感情を殺した完璧なスパイ以外を容赦なく切り捨ててきた彼ですが、狂言回しにして管理者という役回り上、色んな話に出て色んな過去、色んな顔を見せてきました。
今回も最後に『死ぬなよ』という感情を滲ませていますが、彼はこれまでどおりそれに縛られることなく、世界最強のスーパースパイとして揺るがず活動し続ける。
去っていくものに好意を持ちつつも、己の世界を守るために黙って見送る姿もまた、第1エピソードと呼応するものでした。
思い返すと、通しで出てくる結城中佐が仮面の隙間から感情をにじませるシーンがあるから、クールで超常的なD機関の活躍に、毛筋ほどのぬくもりを感じて楽しく見ることが出来たんだろうなぁ。


というわけで、ジョーカー・ゲームのアニメも一区切りです。
抜群の雰囲気の良さ、『死ぬな、殺すな、人間になるな』という作中ルールの徹底、時間軸と空間軸の幅広さ。
色んな面白さがあるお話でした。

やはり絵としての美麗さ、醸し出す雰囲気は特筆すべきであり、IG得意のダークで落ち着いた色使いを基本としつつ、時々ぱっと光を当てる緩急が気持ちよかった。
漠然と弛緩した画面を運営するシーンが殆ど無くて、どんなシーンであっても濃厚な演出意図を感じるきちっとしたレイアウトは、スパイという厳しい世界の折り目正しさをしっかり伝えてくれました。
絵にパワーの有るアニメは、見ているだけで心躍るからなぁ、やっぱ。

作りこまれた世界で展開される物語は、D機関の優秀さをショウアップしつつ、色んな場所とシチュエーションが盛り込まれた、バラエティ豊かなものでした。
戦前・戦中の歴史に興味があるモノとしては、色んな場所を行き来する展開自体が面白かったし、語り口や事件の転がし方も毎回凝っていて、とても楽しかった。
基本軸をしっかり抑えつつ、毎回違った物語が飛び出してくる楽しみってのは、オムニバス形式の醍醐味ですね。

色彩豊かな物語が巡る中心軸になっていたのは、『スパイという存在、戦争という時代』そのものだった気がします。
キャラクターを過剰に立てず、事件とそれに巻き込まれる人々の生き様自体を主役にする狙いは、Dボーイズが主役にならない話が多々あったことからも感じ取れます。
映像が醸し出す雰囲気も相まって、個人よりも大きなものに奉仕し散っていくスパイの世界は、非常に印象的に描けていました。
全体的に『何を描いて、何を見せるのか』という狙いがはっきりしていて、それを実現できていた作品だと感じました。

D機関はあまりに無敵で、それは楽しいものであると同時に少し強すぎるものでもあるんですが、時間軸を開戦前後に置くことで、巧くバランスをとっていたと思います。
どれだけD機関が優秀でも、戦争突入という『敗北』を回避し得ない未来が確定していて、それは作中でも何度も言明される。
スーパースタイリッシュなD機関個人の戦いは、その優秀さ故に日本というより巨大な組織から疎んじされ、クリティカルな影響を及ぼせないという皮肉。
ともすれば俺TUEEEEEだけで終わってしまいそうな活躍に、言外でカウンターを当て続けることでバランスをとる劇作感覚は、作品を引き締めていました。

安定感があり、遊び心があり、クレバーでクールな目線が全てをコントロールしている。
そして男たちの色気があり、あの時代の空気が肌で感じられる。
ジョーカー・ゲーム、とても楽しい、良いアニメでした。
クールに一つは、隅々まで気の利いてしっかり仕上がったこういうアニメ、楽しみたいものですよね。