イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ふらいんぐうぃっち:第11話『くじら、空を飛ぶ』感想

ラストは一時間スペシャルな青森不可思議世界、前半は空飛ぶクジラとパンケーキ。
『空飛ぶクジラ、しかも先史人類の遺跡』というスーパーファンシーなネタもいつものようにサラッと流しつつ、コンクルシオの看板娘とパンケーキ食って仲良くなる話でした。
多分アニメ史上、最も凝った『パンケーキが膨らむ作画』と『はちみつとバターがとろけて混ざる作画』が見れるエピソードだったな……。

変な話なんですが、今回のエピソードは構成自体が結構好きで。
普通のアニメなら、圧倒的なファンタジー力を誇る『空飛ぶクジラ遺跡』は30分まるまる引っ張れる大ネタなんだけど、それは前半で切り上げて、後半はダラーッとみんなでパンケーキを食べる日常が展開される。
魔女の不可思議な世界もまた日常の一部であり、しかしそれは退屈な灰色の世界ではなくて、発見と驚きに満ちた輝く日々であるというスタンスが、時間配分に現れているような気がするわけです。
んで、この肩肘張らないワンダーの使い方と見つけ方が、俺は凄く好きなのね。

クジラのスケール感やふわっとした浮遊感は3DCGを巧く使ってパワフルに表現されていて、そこに込められた驚異ってのはよく伝わってくる。
しかしそれと同じくらい、パンケーキが膨らみはちみつとバターがとろける作画にも力が入っていて、そういう意味でも不思議と日常は等価に尊いわけです。
それは日常的な風景でありながら、キャラクターも視聴者も胸を躍らせる驚異に満ちていて、なんとなく過ごしている『日常』の中の『魔法』を再発掘する説得力がしっかりある。
その考古学的視点はこのアニメ自体が『日常』を捕らえる視点であり、絵の中に『このお話をどうして行きたいのか』という欲求が強くあることは、やっぱり鋭いことだ。

コンクルシオの描写もそうなんですけど、クジラの『ガチでファンタジー勝負出来る力』はやっぱ凄くて。
『日常』の中の『魔法』、『魔法』が『日常』である時間の相互侵犯性に説得力をのせるためには、ゆるーっと流せるライトな魔法描写も、今回のようなヘヴィで説得力のある描写も、両方できるのが大事なんだなと。
しかしヘヴィにやり過ぎて『魔法』が『日常』より上に来てしまっては、作品全体のトーンも壊れてしまうわけで、脅威を感じさせつつ体温のある演出に仕上げるのはやっぱ凄いね。


クジラとパンケーキ、『魔法』と『日常』に共通しているのは四人の女の子が出会い、話し、時間と不思議を共有するという体験であり、人がいて初めてクジラもパンケーキも意味を持つ。
非常に率直で洗練された意味合いでのヒューマニズムがこのアニメにはあって、それが『人間中心主義』にならないよう、クジラや猫やふくろうといった不思議な隣人たちも、人間と等価にキャラクター性を持っているわけだ。
綺麗なモノをただ綺麗なモノとして描くフェティッシュな筆を持ちつつ、そこに何とも言えない人間たちの可笑しみをセンスよく混ぜてくれていることが、このお話に静けさと温かみを同居させてんだなぁと、つくづく感じ入りました。

人間パートは色々面白い所多いんですけど、居候の立場を完全に忘れて『私の家』に杏を招待する木幡姉妹とか、早速『杏子おねえちゃん』呼びの千夏とか、垣根のない人間関係がやっぱり良い。
エピソードヒロインである杏子もゆるーっと優しく、礼儀正しく、非常に良いバランスの人間関係を保っていました。
このアニメの人間描写ってすごく清潔なんだけど、圭くんの『パンケーキ焼きマシーン』みたいな軽いユーモアが巧く人間味を付けて、清潔になり過ぎない所が好きなの。
あとどんどん千夏のおねーちゃんが増えるところな! それマジな!!


と言うわけで、盛大な驚異となんて事ない日常の間を行き来する、弘前の魔女たちのお話でした。
『魔法』と『日常』の間にも、キャラクター同士の関係にも垣根がなく自然で、それでいて輝いている自然さという、このアニメの強みを再確認させてくれるいい話だったなぁ。
肩肘張った感じが全然ないのは、本当に良い。

次回は最終回ですが、何か大きなイベントが起きるのか、それともまったり流すのか。
どっちでもこのアニメらしい終わりになりそうで、製作者が見せてくれるものをドドンと受け止めたい気持ちでいっぱいです。
『ここまでの映像見てりゃ、美味しいものが出てくるだろう』という信頼感込めて最終話を待てるのは、やっぱ良いなぁ。