イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

プリパラ:第105話『ガァルル、目覚めるでちゅーっ!!』感想

すべてを受け入れ輝かせる理想郷の神話、今週は醜きものたちに捧げる讃歌。
先週あろまが最高に盛り上げた勢いを殺すことなく、というかさらに増幅してとんでもなく大きなものを語り切る、凄まじいエピソードでした。
ボーカロイドの宿命、生まれついて背負ったハンディキャップ、それを乗り越える信頼と友情、我が子の生を望む親の妄念。
濃厚な感情をたっぷり盛り込みつつ、あくまで夢と希望のファンタジーとして綺麗にまとめ上げ、過去のエピソードへの言及を大量にこなすことで、完成度をさらに上げてしまう。
間違いなく三期ベストエピソード候補に上げられる、見事な物語だったと思います。

色んな要素が詰まったお話ですが、まずは主役として自分の人生を見事に走り切ったガァルルから。
今回のエピソードは、挫折と怨嗟の集合体として生まれ、最初はまともに言葉も喋れなかったガァルルがプリパラに触れ、トモダチに触れ、自分の生き方を変えてきた系譜の最先端に位置しています。
話数で言えば第58話、第59話、第80話、第82話、第96話、第104話あたりと響き合う話であり、彼女が歩いてきた道をしっかり踏まえた、骨の太い物語でした。

プリパラが嫌いで、他人に噛みつくことしか知らなかったガァルルは、第59話でそふぃに『私もあなたと同じなのよ』と受け止めてもらったことから、段々とプリパラを好きになっていきます。
何度転んでも必死にステージをやり切ったり、アロマゲドンという年の近いトモダチを手に入れたり、いろんな事を経験しながら自分の生まれを一歩ずつ克服してきたガァルルですが、『プリチケをパキれば死んでしまうボーカルドール』という生まれ、『プリパラを憎む心から生まれたから、アイドル活動はあまり上手くない』というハンディキャップは、完全に消えてなくなるわけではありません。
結果として奇跡は起きたわけですが、それを引き寄せるために必要なのが何なのか、徹底的に掘り下げることがガァルルの成長を見せる今回の話には絶対必要であり、そこは妥協なく描かれ切ったと思います。


今回の話しの大きな核として、ガァルルの抱えたハンディキャップと、それにガァルルが抱く感情があります。
負の感情から生まれたボーカルドールであり、アイドルがうまく出来ないハンディを生来背負ったガァルルにとって、『普通ではない』ことは大きなコンプレックスです。
自分が無能だから迷惑をかける、孤独になることにガァルルはひどく怯えているし、それはガァルマゲドンや他のアイドルに仲間として認められた現在でも、けして消えていない。
ガァルルが世界で一番好きなアイドルが、なかなかうまく出来ないという劣等感は、アイドルへの憎悪という出自やそこから生まれた身体に強く刻み込まれたものであり、早々簡単になくなるものでもないわけです。

そこを都合悪く、何度も何度も描いていたのは、凄く誠実なことでした。
良いことが起きても、克服したと思っても墓場から蘇ってきて心を塗りつぶすからこそ、体験と身体性に基づいた劣等感というのは厄介なもので、視聴者ほとんどがいろんな場所で苛まれてきた経験を持つ、普遍的な体験だと思うから。
絵空事なんだかあろみかの愛情に包まれて、一発で忘れ去ってしまえばいいことなんだけど、まるで生身の人間のように負の感情に足を取られ、それと戦いながら前に進む様子を描き続けると決めて、ただネガティブなだけではなくそれを乗り越える覚悟と根性込みで描くことで、ガァルルのお話しは綺麗事ではない、俺達の話にしっかりなった気がするわけです。
そふぃだけが『私もあなたと同じなのよ』と思うのではなく、『俺達もガァルルなんだ』と心底感じられる話運びは、ネガティブな感情を切り捨てず、正面からがっぷり四つ相撲を取りに行く姿勢から生まれているのでしょう。

ガァルルの物語はガァルル個人のものであり、何かの象徴としてだけ描かれているわけではありません。
レオナが生気のない『セクシャル・マイノリティのアイコン』ではなく、一アイドルとして輝いているのと同じように、ガァルルは『ハンディキャップを抱えた存在』の象徴ではなく、ガァルル個人の起源と身体と感情を持ち、自分一人の痛みと苦しみを背負って必死に走る、自分の物語を歩いている。
そして視聴者を惹きつける個人の物語をしっかり描いているからこそ、『ガァルルは『普通』になった』『あろまもみかんも『普通じゃない』ガァルルと一緒に遊んでくれた』という台詞は、受け流されずに刺さる。
現実に存在する問題を視界に捉えつつも、アイドルコメディという物語の枠をないがしろにはせず、そこで必要とされる笑いと感動を徹底的に追求することで、普遍性と現実性に向かって突き抜けてしまう姿勢は、お題目を大上段から振り下ろすより遥かに強いし有効な、プリパラが持つ強力な武器だと思います。

そして、『普通ではない』ガァルルが、チーム登録やグランプリ出場という社会的承認を必死にもぎ取ったのは、『みんなトモダチ、みんなアイドル』をモットーに進んできたプリパラにとって、凄く意味があることだと思います。
お情けで認めてやるのではなく、死にものぐるいの暴走と努力を積み重ねてようやく『普通ではない』子どもがプリパラに公式に受け入れられたことで、プリパラのいう『みんな』の定義は凄く強くなりました。
能力でも肩書でもなく、『みんな』の存在それ自体に強い価値があって、それを認めることで多様な社会を構築していく。
二期でひびきを敵役にして描こうとし、そしておそらく描ききれなかった理念を、今回ガァルルの奮戦が一気に掬いあげてくれた感じすらあり、色んな意味で強い話だなと思いました。


振り払っても迫ってくるガァルルの劣等感を、あろまとみかんは最初言葉で説明しようとし、その後は暴走とも取れる行動で受け止める。
『パキれば死ぬ』という道理は小学生でもわきまえていて、しかしそれでも、親友の心の底に思いが届かないなら、一緒に走って一緒に苦しんで、体ごと受け止めてやるしかないと思ったからこそ、あろまもみかんも走りだしたんだと思います。
山での追いかけっこはそこら辺の切迫感を強める演出なわけですが、『みかんは身体能力が低い』という設定を巧く使って、ガァルルのために限界を超える演出をしっかり入れていたのは、過去エピソード活かしたなぁッて感じだ。
儀式の場所に気づくのが、一番最初にガァルルを受け止めたそふぃだったりするところとか、今回はとにかく過去話の財産をフルに活かしていました。

『死』というシビアでリアルな問題に対し、ガァルルの自信は裏付けがなさすぎるし、小学生でしかないあろまとみかんの対応は無邪気に過ぎます。
結果として奇跡は起こるわけだけど、普段はコメディエンヌしつつ根っこは良識ある大人たる猫姉さんが、『現実ナメてんじゃねぇぞ』と怒るのは当然と言える。
二年分のエピソードを背負い、ジュルルという赤子まで世話してしまっているメイン六人も、小学生と一緒に駆け出す訳にはいかない。(らぁらが『大人側』なのは、彼女が主人公としてどういう立場にいるのか、『子ども側』代表としてアロマゲドンを作った理由が再確認できて、なかなか面白い)
『死』を避けようと本気で止めるキャラを見ることで、プリパラで一番刺さるエピソードである『ファルルの死』を見てきた視聴者としては、『大人側』の主張はよくわかるし、『子ども側』の痛みと熱意も理解できる、楽しい板挟み状態に持っていかれるわけです。

そして、ガァルマゲドンの幼い真心を至近距離で見続けることで、猫姉さんは儀式を支持する決断をする。
ガァルルの劣等感が言葉ではなく、一緒に行動し痛みを共有することでしか受け止められなかったように、それがどれだけ愚かで楽しいコメディだったとしても、真心のこもった行動を身近で見ることでしか、『死』を避けようとする大人の良識を子どもが変えることは出来ないわけです。
猫姉さんのかたくなな、しかし理にかなった行動をしっかり描写することで、それを変えるガァルマゲドンの熱意とまごころもしっかり描写できているのは、非常にしっかりした造りだなと思います。
子供の理由のない大暴走だけが肯定されては、あまりにも都合が良い印象を受けていただろうし、ラストに起こる奇跡にも必然性を感じなかっただろうから、ちゃんと納得できる描写が大人側にあって、それが変わる過程を逃さず切り取ったのは、非常に大きい。

猫姉さんはガァルマゲドンのマネージャーという『身内』の立場からガァルルの挑戦を認めるわけですが、らぁらたちは『アイドル』という立場からガァルルに共感していました。
プリチケパキったから手に入れた、かけがえのない経験が(それこそ二年分)あって、仲間でありライバルでもあるガァルルをそこから締め出すのは正しくないと思えばこそ、らぁらは本気モードで突っ込んでくるユニコンに立ちふさがったのでしょう。(今回のらぁらの見せ場はほぼあそこだけなんですが、ピンポイントで主役するところは流石)
プリチケが繋いだ物語がどれだけ心を動かすのか、視聴者もたっぷり経験してきたわけで、『アイドル』たちがガァルマゲドンの決断に近づいていく姿にも頷けるのは、さらに共感の足場を増やしていて強いところだ。


その上で、何がどうあっても譲らない『大人側』としてユニコンがいた事も、お話の堅牢さに拍車をかけていました。
ニコンはボーカルドールを身近に世話する『親』であり、一度ファルルの『死』を止められなかった経験を持つ『当事者』でもあるので、『同じ過ちを二度繰り返す訳にはいかない』という強い気持ちも当然な理由があります。
猫姉さんやアイドルたちが儀式を認めるのと同じように、ユニコンのかたくなな態度もガァルルへの愛情から生まれているってのも、ガミガミ反対意見を言い続けるユニコンを否定しきれない、大事な足場になっています。
僕らもユニコンと同じように『死』を見ているわけで、子供の情にほだされず徹底した安全策を取らせたいユニコンの気持ちが、どうしても解ってしまう。
パキりたいガァルルと、パキらせたくないユニコン
相反する気持ちが同じ重たさを持って視聴者に届くことで、今回扱う問題が簡単には正解を出せない、人生の問題なんだということがよく伝わる気がします。

ファルルを育てている時もそうなんですが、ユニコンは娘がかわいいあまり、自分が考える合理的な成長を押し付けてしまう傾向があります。
プリパラで様々な経験をして『ガァルルは普通になった、出来る!』という自信を手に入れても、『ガァルルは普通の女の子でも、普通のボーカルドールでもないから、みんながやっていることはやっちゃいけません!』という、理屈の枷をはめてしまう。
それもまた、娘を痛みから遠ざけたいと願う愛情ゆえなんですが、ガァルルが抱え込んだ劣等感を突破するためにはリスクに飛び込み、ガァルマゲドンという繋がりを社会的に承認させ、神アイドルグランプリという成功の場所に挑むしかないところまで、娘は追いつめられてしまっている。
今回のお話しは『親』がその立場ゆえに踏み込めない部分に、『トモダチ』が踏み込んでいく構図になっていて、『ガァルルの親離れ・ユニコンの子離れ』をドラマチックかつ肯定的に描いた話でもあったのかな、と見てて思いました。

結果として奇跡は起きて、ガァルルはボーカルドールの宿命を乗り越え、全ては大団円に終わります。
経験を積んで理性的に考える大人の理屈を、ガァルルは自力の努力と根性で乗り越えてみせたわけで、『親の想像の埒外に出る』という意味でも、ガァルルはユニコンの庇護から半歩はみ出してみせた。
結局最後まで情にほだされず『親』で在り続けたユニコンを見ていると、ガァルルが『死』を自力の奇跡で乗り越えたことで、ユニコンもまたファルルの『死』のトラウマ、強い自責の念から解き放たれたのかもしれないと思います。
親が子供を守ってきたように、子供が親を変えることもあるのだなぁ。


ボーカルドールの宿命を乗り越える奇跡は、なぜ起きたのか。
奇跡なんだから説明はいらないのかもしれませんが、『生まれた時から感情を持ったドールだから』『ガァルルは普通の子になったから』『トモダチになったから』と、いろいろ説明していました。
これは物語展開に都合が良い奇跡(都合悪く死なれても『俺の気持ちは何処に行くんだ!』って感じで困りますが)を、視聴者にスムーズに飲み込ませる一種のいいわけであると同時に、色々理屈を提示することで、可能性を考える材料にもなっています。

ガァルルの強い劣等感を、あろまとみかんが受け止め、真実心が通じあったこと。
ガァルマゲドンの強い気持ちが大人たちに伝わり、彼らの気持ちを変えたこと。
『死』の宿命を乗り越えたこと。
色んな奇跡が今回起きたわけだけど、その理由は一つではないし、一つに確定できるものでもない、幸福な曖昧さの中にあります。
それは多分、生きる上でとても大切なものを一つに絞らない、凄く横幅の広い見方につながってもいます。
それは今回の物語を体験した視聴者一人ひとりが決めて良い問題で、製作者は考えるヒントは潤沢に提示しても、それを明言して可能性を切り捨ててはいけないんだという姿勢を、僕は奇跡の曖昧な理由から感じました。
そういうのって、やっぱ凄く豊かだなと思います。


ガァルルの奮戦を通じて、『子ども』と『大人』の違い、『みんなトモダチ、みんなアイドル』というモットー、プリパラにおける『死』など、色々なものを一気に描ききるエピソードでした。
テーマ性の重さに潰されるのではなく、とにかくガァルル個人の感情に深く分け入り、それを受け止める人々の姿もちゃんと描くことで、個人の物語として圧倒的な熱を宿していたことが、非常に良かった。
ガァルルを支えたり反対したりする色んなキャラクターの立場や感情も、一つも切り捨てることなくしっかり描けていて、多様な見方が自然と可能になるエピソードになっていました。
待望のガァルル3Dモデルを活かし、新曲新衣装で魅せたステージも素晴らしかった。
積み上げてきた物語的燃料を完全に燃やしきり、とんでもない高さまでぶち上げる名エピソードだったと思います。

そして、これ以上ないほど高まった感情を殺さずに『ガァルマゲドンは解散です!』と繋げてしまう、シリーズ全体の捌き方が上手すぎる。
『グランプリ中止』ってイベントは、メタ的に見れば『乗り越えるために用意されている障害』なんだけど、今回圧倒的に主役を張ったガァルマゲドンを巻き込むことで、前のめりに視聴者を反発させることが出来るわけで。
そらー今回のお話し見ちゃったら、『解散!』言われたら『なんで!?』って心底思うわなぁ。
二年以上続けても『驚愕の新展開』に驚愕できるプリパラ、ホントスゲェな。