イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ラブライブ! サンシャイン!!:第6話『PVをつくろう!』感想

今日これからはじまるわたし達のアイドル伝説、今週は大迷走内浦魅力探訪記。
降って湧いた廃校の危機にワイワイドタバタ騒いだり、落ち着いて本当に大切なモノを見なおしてみたり、ハンドメイド感覚あふれる神曲で勝負をかけてみたり、色々騒がしいお話でした。
舞台となる場所の魅力や地域性にアクセスしていく話としては、前作一期第6話『センターは誰だ?』というより第9話『ワンダーゾーン』に近い話だったかも……と言うよりは、内浦とAqours独自の魅力を発見する、二回目のスタートラインを引く回かな。

今回のお話しは廃校素子の第一歩として、内浦の魅力をアピールするPVを作りつつ、高海千歌という少女の個性をスケッチし、未だ加入ならざる三年生に切り込んでいくという、三本柱のお話でした。
凡人である千歌の右往左往を真ん中に据えて、軽薄で愚かな場所から始まっていつしか本当に大事なものにたどり着く主人公性を描き、部外者である梨子の視点から『緊密な地域社会の繋がり』という美点を再発見させる。
その旅の過程で、Aqoursを構成するメンバーの砕けた関係性だとか、適切な助言を投げかける三年生だとか、色んなモノを拾い上げる展開でしたね。


高海千歌が天才的直感力も、先頭になってユニットを引っ張るカリスマもない凡人だというのは、これまでのお話でも徹底して描かれたところです。
今回も廃校というネガティブな出来事を、『μ'sとおんなじだ!』というミーハーな理由でポジティブに捉え、浮かれてPVを作ろうとするところから、物語が始まります。
μ's(というか高坂穂乃果)が第1話から手に入れていた公益性は千歌には程遠いもので、いつもの様に『面白そうだから』という浅はかな理由で歩き出し、周りは呆れつつ彼女を支えるために一緒に進みはじめる。

しかし愚かで軽薄なままではい続けないリカバリーの速さも、これまでの物語の中で描かれた千歌の個性であり、ミーハーな憧れでしかなかった『廃校』は悪アメンバーとドタバタ騒ぎ合う中で、『自分の問題』として捉えられ直される。
『自分の問題』だからこそ鞠莉の答えを鵜呑みにするのではなく、自分たちで自分たちだけの答えを探そうと考えなおすし、『自分たちの答え』だからこそ、屋上で千歌が語るAqoursの目的には説得力が宿り、センターとしてメンバーを惹きつけていく。
愚かさを装いつつ最初から真実が見えているタイプのモチベーターだった穂乃果と、不真面目さを個性として背負いつつ、一歩一歩真実に近づいてどうにかもぎ取る千歌との違いが、今回の物語にはよく現れていたと思います。
その差異はつまり、秋葉原ではなく内浦を舞台に選び、μ'sではなくAqoursが伝説の当事者として選び取られたサンシャインの独自性、そのものでしょう。

『不真面目で利己的ところから入って、姿勢を正して真実にたどり着く』千歌の運動は、梨子をAqoursに引き入れたり、ファーストライブに向い合ったり、善子をメンバーに迎い入れたりした時も語られた、サンシャイン共通の構図です。
一つの人格を持つキャラクターが物語を背負う以上、早々簡単に人間の根っこは変わらないわけで、同じ構図で別の問題を解決していく一貫性があることは、キャラクターの、そして千歌が主役である以上物語の一貫性を担保することにも繋がります。
どんな問題を前にしても、最初は間違いから入り、己の襟を正して一歩ずつ正解に近づき、自分だけの答えを武器に人を引きつけていく。
繰り返される『真実の再獲得』の描写は、お調子者の凡人という千歌のキャラクター性を維持しつつも、物語にとって一番大事な核を見落とさず、一歩ずつ誠実にお話を引っ張ってくれる、主人公としての信頼感を千歌に与えてくれています。
高海千歌の物語はこれからもそうやって語られ、今回もそのように展開し、おそらくこれからあるだろう物語においても、そのように動くと思われます。

千歌の凡人性は、問題解決のためのヒントを自発的に手に入れるだけではなく、他者から譲ってもらうシーンが多いことからも分かります。
天才的直感性を持たない末っ子リーダー・高海千歌は全ての答えに一人でたどり着けるわけではないけど、『普通怪獣』の限界を知っているだけに他人の意見をよく聴き、自分なりに咀嚼して答えを出そうとする。
その誠実な姿勢は鞠莉が差し伸べた楽な答えをあえて払い、自分たちの答えを見つけようという『正解』に繋がり、もしくは東京からの転校生、内浦のアウトサイダーだからこそ地域に宿った独特の魅力を発見できた梨子の言葉を聞き逃さず、Aqoursの存在意義を的確な言葉でまとめ上げるラストシーンに直結しています。
『助けてラブライブ!』という最初期のキャッチを踏まえつつ、その先に出ていく千歌の決意表明は、サンシャインがどこを目指して走っていくのかが強く明確になる、立派な二度目のスタートダッシュだったと思います。

それは自己評価の低い『普通怪獣』が実は、けして普通ではありえない『普通で特別な女の子』でもあるという、立派な証明になっています。
愚かさに迷いながら一歩ずつ進み、見落としていた真実を借り物ではない自分だけの答えとして手に入れ、それを世界に突きつけることで現実を改良していく。
Aqoursのファーストライブでも、一年生たちをメンバーに迎い入れ、より正しい自己実現に導いた時も、千歌はいわば『泥臭くて遅咲きのカリスマ性』のようなものを見せて、Aqoursの舵を取ってきました。
普段は愚かな『普通怪獣』だけど、本当にコアな一大事ではきっちり真ん中を務める事ができる、不思議なカリスマ。
そんな千歌の魅力が引き出される今回は、形式をなぞるのではなくより深いテーマ性を引き継ぐ意味で、確かに『センターは誰だ?』の変奏曲だったと言えるでしょう。


このように浮き彫りにされる高見千歌の主人公性と、内浦のローカルな強みが見事に一致することで、屋上での『夢で夜空を照らしたい』は説得力のあるPVとして話をまとめ上げていました。
第3話のファーストライブでダイヤが釘を差したように、『地域の人々の善意』に支えられ、地域の公益性を背負うと同時に、そこに体重を預け協力してもらうことで、Aqoursと内浦の魅力両方をアピールしていくという千歌の結論は、天灯で描かれた『Aqours』を空に昇らせていく幻想的な光景に集約されることで、言外の圧力を分厚く手に入れています。
抜けるような青から赤紫の夕暮れ、オレンジの灯りが映える夜空へと移り変わる色合いを流し込んだ衣装も、背伸びし過ぎない感じで良かったし、歌詞もストレートに地域への愛情と未来への希望を乗せたパワフルなものでした。
サンシャインが歌舞音曲を扱う以上、ステージの説得力は万言よりも強力にストーリーを支えもし、同時に物語をぶち壊しにもすると思いますが、今回のPVはAqoursが伝説を打ち立てる(だろう)展開を視聴者が納得できるような、豊かな詩情に満ちていたと思います。

地域を背負って走るのではなく、ある意味地域に全面降伏し緊密に協力してもらいながら、地域と一緒に大きくなっていくAqoursのやり方は、最終的にはスクールアイドル全体の浮沈まで背負ったμ'sとは、大きく異なるものです。
そもそも出だしからして『廃校』という公益性から出発し、一期後半ではその喪失をメインテーマとして扱った無印に対し、サンシャインはあくまで千歌の個人的興味から出発して、迷い路を辿って公益性を『自分の問題』として背負い直す道筋をたどっています。
結果として『廃校阻止』という公益性を原動力にするのは同じなのですが、スタートポイントが真逆ならその背負い方も大きく異るあたり、やはりこの物語は『μ'sの物語の続き』ではなく『Aqoursの物語』なのだという意識を強くします。
学校内部で完結するのではなく、地域社会が学校内部に入り込む形でアクティングが完成する物語はAqours二回のステージング(第3話のファーストライブ、今回のPV)両方で共通であり、千歌の主人公性描写と同じように、作品全体の一貫性を生み出す構図になっていますね。
こうなると、三年が加入した時あるだろう三回目のステージングをどういう形で描いてくるかが、個人的には気になるところです。

表面的で物理的な良さに惑わされ続けるAqoursメンバーを、より善くより正しい結論に導いたのが主人公・千歌ではなく梨子であるというのも、非常にサンシャインらしい展開だったと思います。
末っ子リーダー・千歌は必ずしも真実の全てを自力で掴まなくてもいいし、濃厚で綿密な人間の繋がりという美点を発見するのは、幼馴染としてそこに慣れ親しんだ内浦/沼津住人ではなく、アウトサイダーである梨子である。
千歌の浅はかさが物語全体をくるんでしまうコメディ・シーンを枕にして、千歌と梨子だけが場面に残ってしっとりとした本音を語り合うシーンに繋げる一連の流れを見ても、梨子はメンバーの中でも特別な役割を担う、第二の主人公的キャラクターといえるかもしれません。

……どんどん親しく遠慮がなくなっていく二人を見てると、幼馴染という親しいポジションを取りつつも、『普通怪獣』ではない千歌を受け止めるシーンからは慎重に隔離されている曜の危うさが、より目立つんだけどね。
今回のカメラを見ててもわかるように、曜は千歌にない知的で客観的な視点を担当しつつも、目線は常に千歌に引き寄せられている。
作中の描写は『なんでも出来る天才曜ちゃん』を維持しつつも、PV作成で駆け回っていても唯一息も切らさない才能、善子の過子を聞くときの距離感を切り取ってもいて、なんとなーく不安になってきます。
千歌は浅薄なバカだからなぁ……東京から来た美少女とか年下の新メンバーとかに夢中で、一番側で手助けしてくれてる女の子の大切さ、うっかり忘れちゃってるんじゃなかろうか。
ここら辺は意図的に埋めてる地雷だと思うので、どういう形で炸裂するかが楽しみでもあり、不安でもありますな。


主人公とAqoursの描写、そこに隣接する内浦の地域性(ゲニウス・ロキ)だけではなく、今回は三年生の描写も濃厚でした。
関係性の底流を為す濃厚な愛憎をしっかり切り取りつつ、その細かい事情まではけして切り取らない焦らし加減が非常に見事で、思わず『早く三年の話し見せて!』と叫んでしまう飢餓感の煽り方、巧すぎると思います。
意味深なカットをちゃんと意味深に届けるタイミングを、良く見計らって演出してんだろうなぁ。

今回かなり踏み込んだのはダイヤお姉ちゃんでして、これまでも顕著だった『スクールアイドル好きすぎて頭おかしい人』『スクールアイドル問題に関しては、絶対に間違えない人』という属性を加速しつつ、三年トリオの濃厚な感情だとか、ルビィとの姉妹愛だとか、自分を保ちつつ他者を尊重する懐の広さだとか、色々見えてきました。
生徒会室で扉越しにルビィと語り合うシーンは、スクールアイドルにダイヤが持っている思いがただのコメディではなく、青春の柔らかな痛みと慈しみを孕んだシリアスなものだと感じられる、非常に良いシーンでした。
おどけたエセ外人から一気にシリアスに語る鞠莉といい、キャラ記号を振り回すコメディと真剣さを秘めたシーンの温度差を有効活用するのが、サンシャインは巧いよね。
ああいうシーンを効果的に使うことで、『このきゃrカウターたちは、お前らを楽しませる記号論的コメディエンヌであると同時に、一人一人個別の感情を持った青春モンスターでもあるんだぞ!!』と的確に示すことができるので、演出において落差は強さって感じだ。

メインをはらずとも、時にAqoursの道を正し時に妹への愛情を見せるダイヤの『いい人』っぷりは巧く演出できて、千歌が仲間に誘う行動にも納得は行く。
しかし彼女は優しいお姉ちゃんであると同時に、過去の因縁にとらわれ本来の自分を発揮できない迷い人でもあるわけで、過去の事情が公開されていない現状では、千歌≒視聴者の望む物語は引き寄せられません。
ここら辺は第4話で『マルの物語はここでおしまい』となった時の『おいおい、終わってねーわよ! 終わっちゃ困るわよ!!』という感覚を、話数またぎで作ってる感じかな。
視聴者のやって欲しい行動を主人公に取らせつつ、真実へのアプローチをあえて失敗させることで期待感を煽り、未来のカタルシスを高めていく物語捌きは本当に凄い。

体育館でもやり取りも、ステージ上と観客席を入れ替えた第3話ラストカットの再演っぽくて、同じ構図を繰り返すことで変化を強調できる良い見せ方でした。
あの時はダイヤが観客席から真実を問いかける側だったんだけど、今回は千歌がダイヤを引き寄せようと頑張る側で、まだ三年の真実が明らかになっていない以上、あの時とは違ってステージからは正しい答えが帰ってこない。
しかしステージにダイヤが立っていることからも、望ましい未来がやってくることは暗示されていて、それを受け止めるAqoursの仲間も数を増やしている。
過去と未来が交錯し、作品内部でのリフレインが上手く機能した、叙情性のあるシーンでした。

そんなダイヤが好きすぎて頭おかしいっぽい鞠莉も、かなり踏み込んだ描写が挿入されていました。
三人が一年の時にスクールアイドをしていたこと、その舞台でなにかがあり道を違えたことは、回想シーンの描写から間違いなさそうです。
一見いかにもな学園コメディに見える鞠莉の理事長設定ですが、今回廃校問題が表に出てくることで、むちゃくちゃな横車を押してでも望む未来をもぎ取りに来た必死さが明らかになり、ちょっと様相が変わってきた印象もあります。
ダイヤが鞠莉の手も千歌の手も取らず孤立を選んでいるのに対し、鞠莉はAqoursが起こすだろう奇跡に強く期待し、なりふり構わない復帰工作もかけています。
道化師の仮面をかぶりつつ、自分の望みと幼馴染への愛ゆえに走り回っている鞠莉の姿は、やっぱ僕好きだなぁ……余裕を装いつつ、その実メンバーで一番余裕が無いのが凄く良い。
ええ、前作で特に好きなのは希と矢澤ですが何か!(好みバレバレマン)

そんな鞠莉にハグ癖つけた元凶だということが分かった果南ちゃんは、海からのビショビショエントリーを成功させ、淡島ホテルへの営業妨害を敢行していた。
果南ちゃんはあんま出番ないけれども、鞠莉の濃厚な好意を憎悪とも哀しさともつかない複雑な表情で切り落とすシーンが印象的で、『ああ……すげー面倒くさい何かが秘められてる……見たい……全部見たい!』という気持ちに、自然になる。
確実に三年組だけ重力も湿度も桁が違うからな、現状。

どう考えてもあの三人がお互い好き合いすぎて頭おかしくなってるのは間違いないわけで、早く大好きはもう隠さない状態に突入し感情を溢れさせる三人が見たいのに、なかなか状況が変わらないもどかしさが続いていますね。
誰もが本来あるべき幸せな姿にたどり着きたいと願っているのに、様々な理由がこじれて真実に辿りつけないもどかしさは、それが開放されるまでの困難と、それが開放された時のカタルシスに繋がるわけで、三年の描写は非常に上手く飢餓感を煽っていると思います。
当事者である三年がどれだけこじらせているか何度も描写することで、千歌を筆頭としたAqoursが問題に介入して、より良い結論を引き寄せられる理由付けにもなっているし。
『自分一人では抱え込んだ問題を解決できず、他者と交流することで初めて突破口が見えてくる』って話づくりは、千歌含めたAqoursメンバー全員に共通だな……『みんなで作る物語』っぽくて、凄く良いと思います。
一年がスムーズかつ劇的にAqoursに加入して、そこで肩肘張らずに青春を楽しんでいる姿が今回強く描写されたので、お話のダイナミズムの源泉は今後、三年組の因縁に移っていくでしょう。
はー、マジ三年エピ早くこねーかな……マジあいつら面倒くせぇからなぁ……。(くっそ面倒くさい女の子がエゴを暴走させ、他者と触れ合うことでより良い結論に近づいていくお話し大好きマン)


と言うわけで、『廃校阻止』というμ'sのスタートポイントを共有しつつ、Aqoursだけの答えを探しだす物語でした。
結論としては同じように、『自分の問題』として公益性にアプローチしていくんだけど、その過程も原動力も大きく異るとしっかり見せることで、Aqoursの独自性と魅力を強くアピールできたのは、エピソードとして非常に強いと思います。
千歌を筆頭にAqoursメンバー、そして未来のメンバーたる三年生の掘り下げもしっかりやれて、エピソード単位での満足感を与えつつ、この先の展開に期待が高まる見事な手綱さばきでした。

詩情豊かで実感のこもったステージを作り上げ、高見千歌だけの答えを綺麗に彫り上げた今回の物語。
それに続くのはトンチキ衣装で大暴れする、オバカ女子高生集団の絵面ですが……一体どんな話になるのだろう。
非常にいい意味でμ'sの物語の後追いから脱し、Aqours独自の物語を語り始めたサンシャイン、先はなかなか読めません。
来週の『TOKYO』が一体どんな物語なのか、期待しつつ待ちたいと思います。