イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

劇場版アイカツスターズ! 感想

アイカツスターズ! 最初の劇場版を見てきたので感想を書きます。
バリッとネタバレしますので、未見の方はご注意を。
ネタバレにならない範囲で感想を言いますと、これから人生の物語を走っていくスターズの少女たちにふさわしい、濃厚な感情のドラマでした。
スターズに可能性を感じている視聴者はもちろん、未だスターズに踏み出せない旧作ファンも、同時上映作を呼び水にぜひ飛び込んでいただきたいと思える作品です。
なお、同時上映策であるアイカツ!の方の感想とクロスする部分が多々あるので、そちら(劇場版アイカツ! ねらわれた魔法のアイカツ!カード感想 - イマワノキワ)を先に見ることをおすすめします。


というわけでスターズ映画、アイドル一年生としてこれからステージに魂を焼き付けなければいけない虹野ゆめと、その運命の相手である桜庭ローラの、濃厚な感情が埋め込まれた映画となりました。
運命とともに出会い、相手を思いやればこそ衝突する、剥き出しの魂のドラマが濃厚に展開されつつ、限られた席を奪い合うシビアな競争社会の影、アイドルが何のためにステージに立つのかという答えもしっかり捉えた、かなり横幅の広い話に仕上がっています。
ネガティブな感情もあれば、仲良しこよしではいられない厳しい掟も存在している『普通』の世界を舞台にするスターズの強さを、最大強度で振り回した映画だったと思います。

話の軸になっているのはとにもかくにもゆめとローラの感情の熱とすれ違い、痛みと愛情でして、その描き方は完璧に恋愛映画の文法をなぞっていました。
お互い惹かれ合いつつも、相手を思えばこそ身を引き、誤解が生まれ、周囲の助力により自分のほんとうの願いに気付き、強くお互いを求め合って正解にたどり着く。
ゆめとローラの感情の流れは凄く恋に似ているし、それを表現する筆もまた、波乱万丈のラブ・ロマンスジャンルの力を最大限利用した、ロマンチックでエロティックなパワーに満ちていました。

今回の話しをぶっとく貫くロラゆめは、まさしく真実の愛の物語でして、それを支える細やかな手や目の芝居も完璧でした。
ぶつかり合う身体、ちぎれるネックレス、絡みあう髪の毛、友達とするより遥かに強く結ばれた手と手。
濃い目の芝居がいい具合にテーマに温度を付けていて、危ういくらいの熱が二人の間に放電しているのを強く感じられました。
片耳ずつ共有するイヤホンや、まごころが詰まったネックレスとその破壊、関係性の再生としてのブレスレットなど、感情を写しとるフェティッシュの扱いも完璧で、絵の説得力がとにかく分厚かったです。


自分が目指すべき場所や、手に入れなければいけない真実に自発的に気づけるアイカツのアイドルたちと違い、スターズの少女たちは愚かで、不器用で、心を制御しきれない、人間的な完成度の低いアイドルです。
しかし、常に最適解を引き続ける女の子たちだけが成し得た物語の終わりとして、今回の楽しい30分のドラマがあるように、『普通』に間違えぶつかり合う女の子だけが語りうる物語が、世界にはある。
ゆめの未来を思えばこそ学園長の横槍を受け入れるローラと、その真意に気づかないまま衝突してしまうゆめの姿は、無印ではけして語り得なかった生臭さと、過ちを乗り越えて書き換えることで前に進んでいく、泥まみれの力強さを持っていたと思います。

この二作の間にあるのは優劣ではなくあくまで差異であり、お互いがお互いの表現方法で、お互いが語るべきものを語っているからこそ、一つの方法論を選びとった結果、このような対象が生まれたと僕は思っています。
優れたものは醜いものがあればこそ輝くわけではなく、優れたものを徹底して語り続けたからこそ、『アイカツアイカツ』としか言いようがない分厚いオリジナリティを手に入れ、それを貫通させたことは、三年半の物語が自ずから語る所です。
その続編として、それとは違う物語を語る義務と権利を持ったスターズが選んだのは、善意だけではなく悪意の存在をも肯定し、そこから一歩ずつ始めていく『普通』の物語形式だったわけです。

ここら辺の視座の違いは、今回同時上映された二つの映画の視点の違いにも現れています。
常に上と前を見続けて進む無印映画に比べ、スターズ映画はゆめが身をおいているバックステージを水平に捉え、オフショットを大量に描き出し、ステージで輝く表向きのアイドルだけではなく、舞台裏で苦悩し成長する個人的アイドルにもカメラを向けます。
そこには当然既に終わってしまった物語と、これから続かなければいけない物語の立場の違いが反映されているのだけれども、泥臭くジットリと、地面を歩き続けるアイドル一年生の『普通』を狙えばこそ、そういうシーンが増えてきもするわけです。

そして、悪意を肯定するスターズの劇作は、この映画においてその強みを最大限発揮している。
ゆめとローラは仲良くアイドル一年生に挑んでいるところから始まり、学園長の横槍を受けて関係が拗れ、これを解すことでより強く結ばれていきます。
正しい関係にあった二人が、最初の正しさをさらに飛び越えた緊密な関係にたどり着くためには、意図的に正しくない状況を捏造する学園長という存在がいなければいけないわけで、電話がつながってから花畑の岬で出会う二人の圧倒的な温度は、厳しい障害があってこそ生まれています。
考えてみればオーソドックスで基本的な物語構成を使いこなすことで、ローラとゆめがこれからアイドル活動を加速させ、より大きく正しい場所へとたどり着く説得力が生まれている以上、『普通』の物語を選んだスターズの方法論は、少なくとも間違ってはいないと僕は思うのです。

(とは言うものの、この映画での学園長の使い方は、悪意の具現化と言い切るにはなかなかに曖昧で、終わっていない物語特有の難しさを感じます。
ゆめに試練を用意する学園長の動機が何なのかは、スターズ全体を引っ張る大きなミステリとして今だ謎に覆われていて、簡単にその真実を見せてはくれません。
学園長が何を考え、どんな真実ゆえにこのような行動に出ているかが見え切らない以上、彼を簡単に『悪意』と言い切ることも出来ないわけですが、少なくとも機能としては『悪意の壁』ではある。
有効に機能している分、機能面が見えすぎていてキャラクターというより舞台装置に近くなってしまっているのは、ちょっと悩ましいところですね)


人間性の光と影を織り交ぜつつ、二人の少女がお互いを求め合う物語としてだけではなく、この話は様々に横幅の広い物語になっています。
まずゆめが目指さなければいけない『アイドル』という存在が何を求めるのか、しっかりと語り尽くしているところ、そこに強く他者が介在していることが、非常に良いのです。
マオリの双子のおばあちゃんは『アイドル』の力によって一つの偉業をなした先輩であり、彼女たちが悩めるゆめに『アイドルはみんなの笑顔のために、みんなの笑顔はあなたの笑顔から』という真実を示すことで、物語は収束していく。
ローラも真昼という『ゆめじゃない女』にすがり、当の真昼に『お前が一番欲しているのはゆめだ』という言葉を叩きつけられることで、本当の望みに立ち返る。
『普通』の少女である彼女たちが自分一人では軌道修正できない以上、正しい結論に話が落ち着くためには他者の介入が絶対に必要であり、混乱に陥る愚かさと同時に、助言を素直に聞き入れ姿勢を正す賢さも、女の子たちはちゃんと持っているわけです。

ゆめはまだ数は少ないけれども真摯に向かい合ってくれるファンの代表としてマオリに出会い、その縁が伝説のドレスと先輩の助言を連れて来て、『今自分に出来ることを精一杯やり切る』『そのために、自分の気持に素直になって、悔いのない選択をする』という答えにたどり着く。
今回の映画において、『ゆめを求めるローラ』『ローラを求めるゆめ』という個人的な関係は、『二人なら最強のアイドルになって、みんなを笑顔にできる』というファン向きの結論に直結していて、お互いを否定するものではないわけです。。
このバランスの取れた結論は、ともすれば個人的な手触りのないキレイ事で終わってしまうものなんですが、濃厚にゆめとローラの関係性を描いた結果、『私の充実あっての公』という結論は、魂の血を流しながらゆめが手に入れた非常に個人的な真実になり得ています。
それはゆめがローラのことだけを考えていてはけして手に入れられなかった真実であり、ゆめが未熟ながらアイドルに真摯に向かい合ったからこそ手に入れた結論でもある。
色んなモノを内包する正しい言葉を、ちゃんと体温を宿して語りきれている今回の映画は、ドラマの熱量とスマートなテーマ性を共存させていて、非常に鋭いと思うわけです。

スターズの公的な目線は、個人的な感情を溢れさせたゆめとローラの仲違いが、あっという間にニュースになることからも見て取れます。
『アイドル』は感情の揺れを持った個人であると同時に、あらゆる場所でファンとメディアからみはられる公人でもあり、その優しさも厳しさも、同時に少女たちに襲い掛かってくる。
個人的な気持ちに落ちることを許してくれず、裏方のスタッフとして、ステージパフォーマーとして常に社会に利益を還元することを求められるのは、アイカツ!らしい開かれたスタンスと言えます。
これが刃にもなりえるのがスターズで、基本的に後押しになるのが無印って感じでしょうか。

さらに言えば、ミーハーで夢見がちなゆめが『アイドル』を目指す理由、『S4になる』という空疎なあこがれのその先を探る意味でも、今回の物語は重要でしょう。
『私の笑顔が大事』という結論は、TV版第17話であこがたどり着いた答えなのですが、今回のお話はその先、『私の笑顔を大事にすることで、みんなの笑顔が輝く』という真実を己のものとしています。
これは『アイドル』が常に誰かに向けた表現である以上凄まじく強い答えだし、人を引き付ける華も、『アイドル』への強い覚悟も持たないまま自分の物語を始めたゆめにとって、今後の物語を戦う大きな武器になるものです。
喧嘩して、抱きしめ合って、南の島で作り上げたローラとの思い出とあわせて、まだまだ続くゆめのアイドル活動に大きな説得力を宿す展開が今回の映画にあったことは、今後のスターズにとってとても良いことだと思います。


ファンとの関わりあいという意味では、名前も顔もない彼らが老若男女、あらゆる属性を背負って描かれていたのも、とても良かったと思います。
観客席やバス旅行の客をよく見ると、見目麗しい女性や少女だけではなく、ジイイもババアも結構います。
様々なものがある世界の中で、様々な存在にアプローチできる『アイドル』の強さがこういう形で描写されればこそ、『私の笑顔が、みんなの笑顔になる』というこの映画の結論も、強い意味合いを持ってきます。
その上で、『もうお前しかいない』という激烈な感情を軽んじず、公益性から程遠い個人的な関係をとにかく濃厚に描ききっていることが、分厚い魅力に繋がっているわけです。

双子のおばあちゃん→ゆめ→マオリと続くアイドルの系譜は、無印でいくども描かれていた『繋ぐバトン』を思わせる世代の物語でもありました。
無印では顔のあるアイドルどうしのバトンタッチとしてメインカメラで描かれていた世代間の受け渡しが、映画版という特別なカメラで例外的に描かれるのも、スターズ独特の視座かなと思います。
ただでさえ描くものが多いのに、ゆめからひめの憧れ以外の世代間の物語を積むのは過積載すぎて、あえてメインカメラから外した部分だとは思うんですが、やっぱ受け継がれるバトンというのはその正しさからも、物語的強さからも語るべきではある。
なので、映画というタイミングで語れたのは良かったなぁと思います。

(劇場版アイカツで"輝きのエチュード"が成立する過程は、個人を特定しない公的な曲が巧く真実を掴めず、いちごから美月への『恋みたいな』私的感情を入れこむことでまとまっていく、という流れを経由しています。
今回展開したゆめの物語がローラへの私的感情から、おばあちゃんたちへの他者性、そしてアイドルとしての公的存在意義につながっていくのとは綺麗に逆の流れをたどっていて、しかも両方辿り着く場所は『公私の区別定まらぬ、あまりにも情熱的で豊かなステージ』だというのが、なんだかとても面白くて豊かです。
結局同じものを捉えつつ、その画角を大きく切り替えている無印とスターズは、やっぱアイカツの名前を共有するのにふさわしい作品なんでしょうね)


アイドルとファンの関係だけではなく、アイドルたちの描写もなかなかに幅の広いものでした。
持ち前のホスピタリティを全開にして、あことコンビでアイカツし続ける小春の姿が見れたのも良かったし、登場時の棘を収めて持ち前の優しさを明らかにした真昼も、とても魅力的だった。
自分から椅子を明け渡す辛い立場を勝って出た真昼を、姉である夜空が理解し、慈しみに来るシーンがちゃんと入っているところとか、心配りが行き届きすぎてありがたい所でした。
あと一円五人組がとにかく仲良く、とにかく楽しく騒ぎ続けているハッピー・ハードコアな描写が多かったのも、多幸感が脳味噌を揺さぶる快楽に満ち溢れていて最高でした。

S4はあまり個人の内面に踏み込む描写はなかったですが、ファンとどのようにふれあい愛されているか、彼女たちの『格』がどのようなものなのかはっきりと見えるいい演出に仕上がっていて、非常に良かったです。
無言で展開するスペシャルライブのオープニングアクトにはいい意味での圧力があって、S4がトップアイドルである所以をアクティングで示す、良い演出だったと思います。
そこから繋がる"エピソード・ソロ"のステージングも広さと完成度を強く感じさせ、ややこじんまりとして親密な”POPCORN DREAMING♪”と綺麗な対比を為していました。

S4がバッチンバッチンウィンクしまくって、『みんなが見上げるアイドル』としての自意識を完全に制御している『凄み』の表現、まじ良かった。
狭いライブハウス調のステージがスペシャルアピールとともの爆発し、オープンエアの舞台に繋がる演出は、ゆめとローラがアイドルとして一つの壁を超えたことを感じさせて、いい仕事してたな。

濃厚なゆめロラに押されて、M4は賑やかし程度の出番でしたが、すばるだけは相変わらず優秀なメンターとして働いていました。
軽い態度を取りつつも、アイドルの先輩としてすばるは非常に優秀で、今回ゆめがたどり着いた『みんなの笑顔』という結論を先取りし、幾度も注意してくれる存在です。
今回もゆめが状況を脱出するヒントは『目の前の出来ることを、一つづつやれ』というすばるのアドバイスなわけで、恋の匂いを感じさせつつも『アイドル』の戦友としての側面を、現状は強く感じます。
今後の展開の中で、この映画で示されたローラとゆめの繋がり以上の温度をすばるが宿しうるのか。
なかなか難しいところだとは思いますが、実現できたら非常に面白いとも思いますので、ぜひ頑張って欲しいところです。


ローラとの絆という『私的』な武器、『私の笑顔が、みんなの笑顔』という『公的』な武器を手に入れた今回の映画ですが、今後に繋がる危うさもまた同時に描写されています。
『S4じゃなくてS6』を夢見るゆめは、『普通』の世界が非常にシビアな椅子取りゲームのロジックで動いていて、組を同じくするローラとはいつか相争う宿命にあることに、まだ気づいていません。
親友の心のために、姉とのユニットステージで己が感じた『正しさ』のために椅子を譲った真昼の寂しさと犠牲がちゃんと描かれていることからも、このアニメはそこを蔑ろにしているわけではない。
むしろあまりにも強く結ばれた二人の絆を強調することで、おそらく訪れるだろう試練を強調する効果をも狙っているような気にもなってしまいます。

他にも学園長の影、S4という存在の大きさ、『アイドル』が目指すべき場所の高さなど、今後の展開に繋がる部分が多数、しっかりと描かれていたのも、未だ終わらざる物語としてのスターズに強く寄与するものでしょう。
そういう未来への目配せと同時に、少女たちの感情のドラマを一切妥協せず描ききり、60分の映像としての温度を極限的に高めて走りきっていることが、何よりもこの映画の強みだといえます。
まだまだ続くスターズの『未来向きの今』がどちらを向いているのか、しっかりと刻みつける見事な作品でした。
スターズはまだ終わらざる過渡期の物語、さて、次の曲へ……と言えるのは、なんて幸せなんだろうなぁ。

 

・追記
ローラとゆめの間に流れる感情が友情なのか恋なのか、僕含めた一部の人には気になるところだと思います。
今回の映画はセックスを含めた恋の文法で描かれているので、不健全さを排除する政治的仕草として『友情』と断じてしまうのは逆に不誠実だと思いますが、んじゃああの二人が同性愛的関係なのかというと、僕はちょっと首をひねる。
彼女たちが繋いだ手はベットではなくステージに向かうものであり、セックスよりも熱い行為として己を世界に問う(問わなければならない)『アイドル』である以上、あの二人の関係は性や恋や友情といった、一般的な温度のレイヤーとはまた違った昂ぶりを秘めている気がするわけです。
二人の気持ちがつながった結果、彼女たちはオーディション合格という一つの成果を手に入れてしまっているわけで、見返りのない友情とも、燃え上がる恋の色ともまた違う、アクターとしてのカルマが彼女たちの間には横たわっているのではないかと、僕は思っています。

同時に、セックスの文法を借りなければ彼女たちの気持ちの昂ぶりを表現しきれなかったという判断が、製作者の中にあったからこそああいうフィルムになっていて、同時にそういう身体性のある表現を借りたからこそ、二人の間に漂うあまりにも太く強い友情が表現しきれたとも言えるでしょう。
彼女たちは学生でありレズビアンでありもしくはヘテロセクシュアルである以前に/と同時に『アイドル』なのであり、プライベートで私的な恋/友情の領域と公衆に見られ判断される『アイドル』の領域が隣接し影響を及ぼし合うってことも、作中で明言されていました。
どちらにしても、今回彼女たちが見せた性愛にも似た激情が『アイドル』である上で強力な武器となったのは事実であり、ここで手に入れた温度をどう活かし、どう加速していくかの方に、個人的な興味は強くあります。
今回の映画というアウトロに込められた非常に濃厚な関係性を受けて、どのようなイントロが始まるのか。
どのような曲調で奏でられるにせよ、それを僕は、楽しみに待っているのです。