イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない:第21話『吉良吉影は静かに暮らしたい その1』感想

明るく楽しいゆるふわ異能力学生バトルコメディも21話め、ついにラスボス降臨でございます。
これまでもチラホラ顔を見せていた杜王町最悪の殺人鬼、吉良吉影がその姿を表し、間抜けで迂闊で可愛げもあって、しかしそれ故におぞましい邪悪さを存分に発揮。
いつものようにバカガキどもがキャッキャする裏でとぼけた手首回収劇は無事終了……と思ったら、運命は交錯し楽しい『日常』が凶猛な牙で生け贄にかぶりついた……って言うところでTo be Continued。
吉良の持っている小市民的な生々しさをコメディの中で見せつつ、喉まで出かかった笑いを『死人の手』という異物で押しとどめてくる、奇っ怪な迫力のある回でした。

と言うわけで、これまでの凄みのある演出で細かく顔を見せていた『杜王町の失踪率が高い理由』『杉本鈴美の仇』吉良吉影が、コメディの主役を張る今回の展開。
ノリとしてはカツサンドだの幕の内弁当だの、身近なアイテムを印象的に使ったテンポの良いコメディであり、吉良もバカでマヌケで迂闊な部分をこれでもかと見せてくれます。
ジョジョらしいおかしみに満ちた展開なんだけども、いつもの様に笑おうとする度画面に映る白すぎる腕が、異物として笑いを押しとどめてくる作りになってました。
その異物感は、バカでマヌケな愛すべき小市民であると同時に(もしくは小市民を演じる?)、最悪の殺人鬼でもあることを強調してきます。

コメディーを担当してくれる楽しい人間だからと言って、女の子をぶっ殺して手首が腐るまで身近においていく所業を、やらないわけではない。
連続殺人という大罪を犯しつつ、ラップを突き破ったカツサンドを放って新しいのを買うセコい悪事も、それこそ1000円を中学生にねだるような日常的で人間的なズルもやる。
吉良吉影は同僚が早口で称していたような普通の人間として『日常』に溶け込みつつ、というか殺人という『非日常』を『日常』として謳歌しつつ生き延びている、どこにでもいる人間なわけです。


そういう人間が、一見それとはわからない偽装を施し、何食わぬ顔でカツサンドを買っている恐ろしさ、おぞましさ。
今回展開されている面白い、しかし笑えないコメディによって、吉良吉影という巨大な悪がどんな顔をしているのか、彼を不倶戴天の敵として設定している四部がどういうお話なのかが、よく見えたと思います。
吉良はそれなりにそつなく殺人をこなす知恵ものであり、しかし完璧に事件を隠蔽できる超天才という『非日常』的存在ではない。

セコいズルもするし、バカなミスもする吉良のコメディ性≒『日常』性は、息をするように『死人の手』が出てくる異常な『非日常』とも、殺す相手を利害で選ぶ計算高さとも、区別がないわけです。
しげちーを殺すか、殺さずやり過ごすかという判断はあくまで『日常』的な利害計算に則っているもので、サイコ殺人鬼の孤高な価値観とか、異質だが誇り高い異形の判断とか、『日常』から切り離された特殊なものではけしてない。
吉良にとって『殺す/殺さない』という判断は、『ラップが破れたカツサンドは買わない』というつまらないズルと同レベルのものだし、トンチキで面白い回収コメディの裏側には常に死体が転がっている。
そういう『日常』に癒着した『非日常』のおぞましさを、今回のドタバタした展開は巧く演出していました。

吉良を『非日常』に浸りきった異物として描いてしまえば、彼を倒して排除すれば杜王町≒『日常』に平和は戻り、殺人は起こらず、正義が世界を支配する素晴らしい世界がやってくる。
でも悪というものはひどくありふれたもので、いつ誰が被害者/加害者として足を踏み入れるかわからない身近なものです。
吉良は我々から遠く離れた殺人鬼的人格ではなく、自分大好きで、迂闊で、紳士ぶってはいるが最悪のサイコ野郎で、油断と人間味をみせはしても『殺し』を15年続けてきた手練でもある、凡庸な存在です。
『街』を舞台にした第4部は、そういう悪の凡庸さと連続性に正義は立ち向かえるのかということが、大きなテーマになっている気がします。

なので、吉良吉影の登場エピソードはコメディになる。
彼は笑いを切り離したシリアスで迫力のある大物ではなく、くだらなく面白い隣人として描かれ、『死体の手』さえなければ付き合いの悪い同僚として受け入れられる存在として描かれる。
しかし生者とは一線を画す色合いの『死体の手』は、吉良に笑いという共感をよせた視聴者に不意打ちで叩きつけられ、彼が持っている『非日常』の象徴として機能し続ける。
笑いとショックが渾然一体となった今回の視聴感は、そのまま吉良吉影という存在の複雑さ、彼を内包する杜王町の複雑さ、そこを舞台とする第4部の複雑さに、そのまま繋がっている気がするのです。


いわば『悪しきコメディ』として描かれる吉良の回収劇と並列して、今回はバカ高校生と重ちーの『良きコメディ』が展開します。
そこでは『死人の手』はなくて、まぁ先々週のような根性ドブゲロの銭ゲバをしたりもするけど、基本的には健全で微笑ましいボーイズライフが演じられている。
衝突もするけども基本的にはお互いを思いやっている友人関係は、楽しく輝かしく美しいものです。

しかしそれは、吉良が演じる死体の『悪しきコメディ』と隣り合わせであり、しかも『良きコメディ』の出演者は隣で演じられている物語に気付くことはない。
あまりにも広い『日常』の中に溶け込む(もしくは『死体の手』が既に『日常』である)吉良の犯罪は、時折危うく露出しかかるもののあくまで『悪しきコメディ』の内部で展開し、平和で幸せな『良きコメディ』と衝突はしない。
殺人鬼の世界と少年たちの世界は交わることなく、死人の数は積み上がり、『街』の『日常』は維持される。

とは行かないのが、ジョジョが『正義』の物語である理由でしょう。
スタンドという『非日常』を手に入れた少年たちはあるいは利己から、あるいは正義感からそれを使いこなし、普通人には踏み越えられない境界線を超えて、『非日常』の悪を正す権利を手に入れています。
吉良が『日常』と『非日常』を一体化させ殺人を続けているように、スタンド能力を一種のパスポートにして、少年たちは望むと望まざると『非日常』に踏み込んでしまう。

それが闇に潜む悪を正すチャンスであると同時に、あまりに危険な存在と退治する危機でもあるということは"キラー・クイーン"を発現した吉良から漂う『凄み』でよく分かります。
重ちーは別に犯罪捜査の結果吉良に行き着いたわけではなく、いつもの様に欲の皮の突っ張ったバカガキとして生きてたら、目の前に『死人の手』が転がってきた状況です。
吉良吉影はそういう形で『日常』に滑り込んでいるし、様々な被害者が彼に殺される前の状況も、同じような不意打ちだったのでしょう。

『悪しきコメディ』と『良きコメディ』の境界線はおそらく僕らが考えるより薄く、身勝手な邪悪は欲望のままにその境界線を超えてきます。
スタンドはその一線を越えさせるパスポートであると同時に、邪悪に立ち向かう力を与える武器でもあるわけで、これから展開するのはコメディの奥にあるシリアスな戦いになります。
それは正義が勝つとは限らない、危険で命がけのバトルであり、『良きコメディ』と『悪しきコメディ』、『日常』と『非日常』が接触した時には必ず飛び散る、血の色をした火花なのでしょう。


マヌケで楽しいコメディを二本並列して描くことで、吉良吉影が持っている『日常』性、そしてそこからはみ出る『非日常』性を強調する回でした。
『街』に溶け込んだ悪がどういう表情をしていて、どんな飯を食っているのかが、笑いとおぞましさの絶妙なブレンドでしっかり伝わってきて、なかなか良いキャラ紹介だったと思います。
親しみが持てる部分はちゃんとあるんだが、それにしたって(もしくはそれだからこそ)やってることが極悪すぎて拒絶するしかない、小市民系殺人鬼。
それが吉良吉影だッ!!! って感じですね。

2つのコメディはスタンド能力を媒についに衝突し、重ちーマジ大ピンチって感じで次回に引きましたが、さてこの戦いの結末どうなるのか。
いやまぁ、俺は原作読んでるんで知っているんですが、時間を使って落差を作ってくれたおかげで、結構新鮮な気持ちで来週の展開を待てます。
メディアが切り替わることで語り口が新たになり、作品の持っている魅力を新規に感じ直すことが出来る。
最も幸福な意味でのアニメ化の恩恵を、第4部アニメでは強く感じますね。
来週もどう魅せてくれるのか、待ちきれない心持ちです。