イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ラブライブ! サンシャイン!!:第8話『くやしくないの?』感想

尊い思いが集って奇跡を起こす黄金の時代が行きすぎ、厳密な競技主義が舞台を支配する新世紀のスクールアイドル伝説、今週はStep! ZERO to ONE。
Saint Snowのハイレベルなステージに圧倒され、得票数ゼロぶっちぎりの最下位という現実を思い知らされたAqoursは、複雑な感情を抱えたまま内浦へと戻る。
同じく現実の壁にぶち当たり挫折した三年生の過去に触れつつも、笑顔の仮面で涙を押し殺す千歌だったが、秘めていた悔しさを開放し、それを受け止めた仲間たちとゼロからのスタートを決意する。
一方過去の傷から一歩も踏み出せない果南と、変質してしまった過去を取り戻すためにすべてを捧げる覚悟の鞠莉は、涙のような飛沫に濡れながらすれ違う。
先週定位したAqoursの現在を激しく叩きつけ、その衝撃に傷ついた姿、立ち直る姿をじっくりと移した、五話遅れの『完敗からのスタート』でした。


と言うわけで、東京前後編の後編にあたる今回は、内浦から出たAqoursがどのように評価されるかを、はっきりと突きつける展開となりました。
地縁と血縁に支えられた(もしくは癒着した)Aqoursの強さは、あくまで内浦というホームタウンでしか通用しないモノでしかなく、スクールアイドル界全体から見れば、これまでのAqoursの努力は結果に結びつかないもの。
厳しい結論ですが、当初千歌は魂に受けた傷を表には出さず、必死に無傷の道化を演じます。

第3話での段階では『でも、やりたいから!』という自分の気持最優先で動いていた千歌ですが、今回はAqours発案者であり、センターであり、リーダーであり、モチベーターでもある自分の立場を鑑み、仲間が受けている傷を癒やすかのように、元気な『普通怪獣』を演じる。
その姿は痛ましいと同時にひどく尊いもので、凹んでいる仲間の様子を確認してアイスを持ってくる姿など、初見では耐え切れずに一時停止してしまったほどです。
己の痛みではなく、誰かを守り支えるために嘘をつくのは、やっぱ優しくて強いことだよ。
立派なことだよ。

先週じっくりと見せたように、Aqoursはμ'sの起こした奇跡に吹き上がるミーハー集団であると同時に、ステージに敬意を持ち、観客に爪痕を残そうと真剣に向かい合う、真面目なグループでもあります。
投票数ゼロに終わったステージも、けしてナメてかかったわけではなく、『今の自分達に出来る、最高のステージ』だったのはおそらく本当のことでしょう。
本気でやっていればこそ評価されなかったこと、期待に答えられなかったことは身を切るほど悔しいわけですが、仲間の傷を軽くするため、Aqoursの中心である千歌は本心を隠し、信じてもいない慰めの言葉を口にする。

それは自分のプライドを守る言葉であると同時に優しい嘘でもあって、だからこそ、千歌は曜ちゃんの「やめる?」という問いかけに、以前のように「やめない!」とは即答できないのです。
『でも、やりたいから!』という個人的な感情から始まったAqoursの物語は、ピアノに挫折した転校生を、可能性を感じた後輩たちを、温かい地域の人達を巻き込み、千歌個人の物語ではもはや無くなってしまっている。
痛ましい必死さでバカを演じる今回の千歌には、変わってしまった状況や今の自分の立場を客観的に見つめる知性が宿っており、それはAqoursの活動が彼女に与えたものなのでしょう。
たとえ客観的な評価がゼロだったとしても、Aqoursとして活動した日々はなんにもない『普通怪獣』にプライドと知性を与え、確かな成長を生み出していたわけです。


健気にバカを演じるリーダーの本心は、Aqoursメンバーにはちゃんと伝わっています。
だから曜ちゃんも千歌から仮面を引き剥がすべく『悔しくないの?』と聞くし、梨子も『やっと素直になれたね』と、抜身の千歌を抱きしめる。
Aqoursの要である千歌一人に負荷をかけるのではなく、その悔しさや涙を受け止め、みんなで共有する真心が見えたのは、グループとしてのAqoursをより強くする、大事なイニシエーションだったと思います。
第1話で一人海に沈もうとした梨子が、今回は千歌を抱きしめ返す構図になっていたのは、恩義の暖かな応酬を感じられて、心がほっこりする演出でした。
仲間のために仮面を被って、仲間が受け止めてくれるからこそ仮面を外せる。
人間が出会い、心を一つにするというのは、一括りに判断できない複雑な尊さを宿しているものです。

サンシャインにおける海は哀しみの象徴として描かれることが多くて、今回果南と鞠莉がわざわざ波でずぶ濡れになっていたのも、今回六人が同じ海に入っていくのも、哀しみとの対処法を象徴的に描くためだと思います。
過去の挫折に頭まで浸かって出てこない果南が常時濡れているのも、瞳から涙を流す代理としての表現でしょうし、一人では聞こえなかった『海の音』が二年三人で潜ることで聞こえてくるのも、梨子の挫折を二年生で背負う関係性が、あの海の中で共有されたからです。
千歌が隠していた悔しさと哀しみは海の中で初めて表面化し、梨子を初めとしたメンバーも、涙でできた海に入ることで気持ちを同じくする。
ここら辺は、常に一人で海に潜り、鞠莉を濡らしている涙を抱きしめようとしない果南と、対比的に描かれていると思います。

基本的に健気なリーダーを見守り、同じ方向を向いていると描写されているAqoursメンバーですが、曜だけ少々毛色が違ったのは気になりました。
スポーツエリートとして幼少期から『期待』を背負い、勝った負けたで評価される環境に慣れ親しんでいた彼女は、『頑張ったんだから偉い』という千歌の防壁に、唯一まっすぐ切り込んでいきます。
期待された経験が薄い千歌が初めて経験する『悔しさ』は、おそらく曜にとって馴染みの感情であり、その苦味を飲み下すことで彼女は『期待』に答えてきた。
幼馴染の間に横たわっている、『普通怪獣』と『期待される天才』という差異を鮮烈に描きつつも、千歌とのツーショット写真しか貼られていないボードを見せ、千歌の仮面を剥がすきっかけを担当する特別さも切り取っていて、今回は曜の描写がかなり切れていたように思いました。
善子回で行なわれた『普通談義』で一人別の方向を見てたことからも、曜ちゃんの天才性がどっかで炸裂する瞬間がある気がするけど、これからやるべきことのたて込みっぷりを考えると二期かもなぁ……。

ゼロの屈辱を『こいつら全員ぶっ倒すリスト』として刻みこみ、同じ場所から歩幅を合わして歩き出す今回のラストシーンは、前回序盤のうわっ付いたお上りさん描写と、面白い対象をなしていると思います。
行きたい場所も見ている願いもバラバラな六人が、気持ちをまとめて挑んだステージが通用せず、笑顔の仮面を剥がして涙の海に一緒に飛び込むことで、競技集団として必要な結束を強める。
μ'sが一期三話で手に入れた『完敗からのスタート』を、Aqoursが八話目にして手に入れる形となった今回は、グループの内側と外側、内浦と東京、集団と個人、様々な位置からAqoursの現状を描写し、そこからどこに踏み出していけるのかというポテンシャルを見せる前後編だったと思います。


涙の海に分け入って挫折を皆で受け入れ、0からのスタートを切ったAqoursに対し、三年生たちはとんでもない湿度のメロウなドラマを展開し、どこにもいけないままでした。
鞠莉と果南、果南とダイヤの対話シーンを挟みこむことで、三年生同士のぶつかり合いではほつれた感情の糸はもはやどうにもならず、外部(=Aqours)の介入が必要であると、しっかり見せる回でしたね。
これまでネタとしてイジってきた『スリーマーメイド』が、果南ちゃんの挫折が語られることで『歌えなかった三人の人魚姫』というシリアスなテーマと結びつき、一気に意味合いを変えているところとかエグくて良い。
三年生は過去の経験を活かしメンターとして加入するかと思っていたんですが、同じ経験を乗り越えたAqoursが三年を水底から引っ張り上げる形になりそうで、なかなか面白い変奏だと思います。

Aqoursの活動を物分かりよく後押ししているように見えた鞠莉が、ハグを拒絶されたことで魂の地金を見せ、『かつての黄金時代をそのまま取り戻す』という歪んだ望みをかけていたことが、今回わかりました。
もちろんすべてがエゴイズムの産物ではないんでしょうが、Aqoursのアイドル活動(そしてそこに込められたみんなの『でも、やりたいから!』という純粋な気持ち)を、時を巻き戻して過去をそのまま手に入れようとする、無茶な望みに利用している形には、なってしまっている気がします。
家の力も理事長の椅子も後輩の願いも、エセ外人のおどけた仮面も、使えるもの全てを利用して綺麗なたった一つを望む余裕の無さは、僕は凄く好きです。

失敗した過去が明らかになった結果、二年の時間が過ぎても(もしくは過ぎてしまったからこそ)果南ちゃんを苛む屈辱と痛みも、視聴者に公開されました。
大舞台のプレッシャーに負けたという意味では梨子と似た立場なんだけど、二年間学校を離れていた鞠莉は、哀しみの海に沈む果南を抱きとめられなかったし、果南も涙に濡れている鞠莉を抱きしめられはしないわけだな。
痛みと哀しみに時間を止めてしまった果南ちゃんは、かつて輝いていた時代が本当にあったことも忘れてしまっているし、あの時感じた『でも、やりたいから!』という気持ちにもフタをしてしまっている。
歪な状況が動き出すためには、旧世代の思惑を離れて動き出したAqoursが介入するしかなさそうです。

過去にとらわれた二人に比べると、妹の本気を認めて痛みを伴う道に送り出し、傷ついて帰ってきたルビィを優しく抱きとめたダイヤさんは、バランスよく現在を見つめている気がします。
三年生の事情を話す役が彼女だったのも、三年生の中で唯一時間を止めず、自分なりに痛みと向き合って進んできたからこそ可能な配役なのでしょう。
歌えなかったのが誰なのか具体的に言わなかったり、三年のある意味『恥』を公開するのに果南の許可をとっていたり、直接Aqoursに見せる思いやりだけではなく、傷ついた果南のプライドを守ろうとする優しさもあって、ダイヤ株はストップ高ですね。
仲間のために仮面を被った千歌と同じく、傷ついた内面を極力隠して妹を受け止め、冷静に真実を伝える仕事を全うしていたのは、とても立派でした。
あれだけ優しく現実も見えている人がなぜAqoursに入らないかといえば、時間を止めてしまった果南と、時間を巻き戻そうとする鞠莉への心残りが、杭となってダイヤを縛り付けているからでしょう。
この杭も三年生では抜けないので、Aqoursが頑張って抜くしかなさそうです。


三年生が独力ではどこへもいけなくなってしまったのは、皆が嘘を付いているからです。
『誰も傷つけたくないから』とスクールアイドル活動を拒む果南ちゃんは、その実自分がいちばん傷ついているし、その痛みをだれとも共有しようとしない。
鞠莉は時を巻き戻そうとするけれど、一瞬描かれた二年前の三年生は今とはぜんぜん違うキャラクターで、痛みを知ってしまった今無邪気な時代に戻ることは出来ない。
ダイヤだって、誰よりも好きだったスクールアイドルへの気持ちを押し殺して、『融通の木かない先輩』という仮面をかぶっていた。
それがどんなに他人を思いやるものであっても、本心を笑顔で隠し、孤独に涙の海に沈んでいるだけでは状況は良くならないというのは、今回強く語られたテーマでもあります。
そういう中で、ダイヤさんがこれまでAqoursに厳しくあたっていた真意を語り、過去の真実を公開したのは、物事が解決に向かうだろう良いきっかけになると思います。

笑顔の仮面を引き剥がして、哀しみを皆で共有し、屈辱をしっかり受け止めれば新しい場所に行けるというのは、今回Aqours全員が共有し証明している物語。
一二年生の物語と重ねあわせて、かつて一年だった三人の物語と、そこで止まってしまった三年生の物語が語られたのは、現状確認であると同時に未来の暗示でもあると、僕は思います。
三年生が選び取れなかったゼロからの出発を果たした六人が、哀しみの海にどう踏み込んでいくのかが、今後大きな焦点になるのでしょう。

三年の不自然で不自由な状況は、綺麗で尊く温かいものを大事にするがゆえに生まれてしまっているのは、悲劇でもあり希望でもあります。
鞠莉はなぜ、かつての果南をなぞるようにハグ魔というパーソナリティを演じ続け、最初は拒絶していたスクールアイドルに三年で唯一しがみつき続けるのか。
後輩をおもいやり妹を抱きしめる優しさを持ったダイヤは、なぜスクールアイドルへの情熱を開放せず、果南が悲しむだろう願いを押さえ込んでいるのか。
果南が美しかった過去に背中を向け、鞠莉を抱きしめないのも、愛ゆえに受けた傷が重たすぎて、一歩も動けないからでしょう。
そこにはやっぱり、捻れてしまっても確かな愛があり、愛があればこそ絡まった気持ちが解けないのでしょう。

今は背中を向け合う三年生たちですが、そこにはやっぱりお互いを思いやる気持ち、スクールアイドルへの情熱と愛情が秘められていて、正しい場所に戻るのを待っているように思います。
今の姿とはぜんぜん違う、お互い支え合い笑い合う姿を回想で見せたのも、『この子たちは、この笑顔を取り戻すために、有る基なおさなければダメなんだ』と視聴者に教える意味合いがあったのでしょう。
そのきっかけは同じ痛みを乗り越えたAqoursが作ってくれるし、根っこには愛があるんだから、動き出せば多分大丈夫。
今回のエピソードを見ていて、僕はつくづくそう思えたのです。


今回のエピソードはAqoursの現在を定位するだけではなく、μ's以後のスクールアイドル業界も定位するお話でした。
5年前の10倍以上に参加者が増え、ハイレベル化が進んだ現在のスクールアイドルは、千歌が慰めに使っていたような『頑張ったから立派だよ』というアマチュアリズムを拒絶する、修験な競技に変わっています。
無印は高坂穂乃果という強力なモチベーターをエンジンにして、『輝きたい!』『でも、やりたい!』という自分の気持に素直になりさえすれば結果がついてくる文法で動いていたわけですが、ダイヤさんが言う通り、今のスクールアイドル業界で結果を残したければ、それだけではダメになったわけです。

テクニックやパフォーマンスの切れ味、明快なコンセプトや知名度などなど、いろいろな戦術が必要となったスクールアイドルですが、同時にあくまで学生の自己表現であり、『でも、やりたいから!』という心の輝きこそが核となるのは、変わっていない気がします。
だからこそ、千歌が本音を吐露する時、スクールアイドル業界の変化は『関係ない』と言い切るし、Saint Snowもちょっと無礼に思えるほど感情をむき出しにする。
ここで勝つための小手先のテクニックに走るのは初期衝動を見失った迷走ですし、むしろ負けたことで『それでも、やりたいから!』という気持ちを新たに出来たのは、ゼロからトップを目指すAqoursにとって良いことだったと思います。
気持ちだけでは結果をもぎ取れないとわかった以上、気持ちを燃料に結果に近づいていく努力が必要になるわけですが、そこら辺どう表現してくるのか、結構楽しみです。
ステージアクティングを説得力を持ってアニメで描くのは、いつでも難しいからなぁ……。

世間全体でAqoursがどういう位置にいて、世間自体がどこにあるのかという遠近法を描く上で、Saint Snowというライバルは大事な位置にいると思います。
正直な感想を言うと、アバンで見せられた"SELF CONTROL!!"はそこまで圧倒的には見えなかったわけですが、彼女たち自身も上を目指す挑戦者である以上、高い完成度でまとまっている感じを出さないのは、むしろ狙い通りなのかしら。
つーか、神田明神で見せた身体能力は見せ場として使うんじゃないんかい!
普段の立ち回りもあんま余裕が無い感じで、善子の言うとおり『そんな言い方しなくっても……』という感想だったけども、ラブライブガチ勢としては内浦という揺り籠で守られてきたAqoursは、厳しさに向かい合っていない印象になるのかしら。
今回決意を新たにしたことで、Saint Snowが背負っていた『今のスクールアイドル業界』をAqoursは共有したと思うので、二回目の邂逅はまた別の展開になるんでしょうね。

Saint Snowは(かつてのA-RISEのように)上から引っ張る立場というよりも、Aqoursと視聴者にμ's以降のラブライブを見せ、意識改革を迫る刺激的なアウトサイダーに近い気がします。
身近なライバルとして配置された、Aqoursを圧倒したSain Snowですら、余裕のない態度で必死に頑張らなければいけないほど、スクールアイドル業界は様相を変えたし、そこで展開されるサンシャインの物語も、無印とは大きく異なった勝負論を展開する。
そういうメッセージを背負った彼女たちですが、正直余裕がなさすぎて不要に攻撃的になっちゃってるのは哀しいことなので、彼女たちが何故戦うのか、なぜ追い詰められているか、その内面を早く知りたいところです。
人情噺の一つも見せれば俺もソッコーチョロ蔵になる準備は万端なんだがなぁ……Aqoursが気持ちを入れ替える上で、厳しさ以外の側面を見せるのは早いってことかねぇ。


寄せられた期待に浮かれ、ステージへの真剣さを取り戻して舞台に向かい合った前編を受けての後編は、現実の洗礼に歯噛みしつつ、偽りの笑顔を引剥して悔しさを共有し、ゼロからの出発を誓うリスタートとなりました。
千歌とAqoursの仲間たちだけではなく、同じような経験をして動き出せない三年の面倒くささ、μ's時代とは様相を大きく変えたスクールアイドル業界の姿もクリアに見える話でした。
これからAqoursがどこに行くのか、どこに行けばいいのかを指し示しつつ、少女たちの濃厚な『今』をちゃんと切り取ってくれているのが、見ていて辛く楽しく素晴らしい。

負けた悔しさを皆で共有し、ダイヤさんが優しく歩み寄ってくれたおかげで、此処から先の物語で何をすればいいのかは、だいたい見えています。
しかしそれは、別格の湿り気を持った面倒くさい金髪と面倒くさい黒髪を過去から開放し、痛みに寄り添い、一度は諦めた夢に立ち向かわせる難儀な道です。
しかし凡人主人公も一歩ずつ知恵と成長を積み重ね、仲間を惹きつける輝きも強くなっています。
青春の輝きは、捻じくれてしまった愛と時間を取り戻せるのか。
ますます輝きを増す少女たちの青春が、本当に楽しみです。