イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

バッテリー:第7話『対決の時』感想

研ぎ澄まされた残忍が思春期の心に癒えない傷を残すアニメ、今週は一球の波紋と試合と。
巧の天才性に刺激された門脇が三年生らしい政治力を発揮し、立場が関係ない試合の場をつくり上げる中、巧と豪のバッテリーはどこまでもギクシャクと心を軋ませる。
シニカルな門脇の相棒、瑞垣が心理戦をしかける中、試合は淡々と進み、破綻の気配が迫りつつあった……という回。
運命の打席で優等生が殻を破り、それに嫉妬した策士がいろいろ仕掛ける中、主人公はふてくされた余裕面を崩す余裕もないという、いろんな人の青春が絡みあう展開となりました。
いざ試合が始まっても淡々としている辺り、ほんっっとめんどくさいなこの主人公……。

今回のお話を先に進めてくれたのは、主人公である巧ではもちろんなく、彼のボールに惚れ込んだ門脇くんでした。
仲間をその気にさせ、小賢しい策を考え、他校の生徒である海音寺ともパイプを持つ門脇は、巧と同じく野球の天才を持ちつつも、巧ほど人間関係が破綻していない、バランスの良い優等生です。
しかしそんな彼が何かに感動し、自分から動くようなことがこれまで少なかったことは、相棒である瑞垣の反応からも見て取れます。
優等生の『枠』の中に収まっていた門脇が、大人の言うことに逆らってまで試合を仕上げ、対峙してみたくなる才能が、巧にはあるということでしょう。

瑞垣が何かと挑発的な態度を取り、バッテリーを盤外戦で崩そうと企むのも、門脇という天才に惚れ込んでいるが故。
存在するだけで人を惹きつけ、プラスにしろマイナスにしろ無視できない存在の重力を持っているからこそ、門脇は巧に引きつけられ、門脇に惚れ込んだ瑞垣にはそれが気に食わない。
巧を切り崩し試すような言動は、彼にとって無視できない『天才』門脇を惹きつける男がどの程度のものか試し、あるいは夢中になるほど大したやつではないと思い知らせたい、捻れた嫉妬の現れでしょう。
露骨にほのめかされるホモ・セクシュアルな関係性とは、しかし少しずれた場所にある『天才に俺を認めさせたい』という欲望の磁力は、少年たちの間を危うく繋いでいます。


そして誰よりも巧の天才に引きつけられ、『俺を認めさせたい』と願っているのが、二人目の優等生である豪です。
これまで見せてきた器の大きさ、包容力の強さは今回鳴りを潜め、豪はとにかく余裕も気配りもなく、剥き出しで巧に向かっていきます。
本来味方であり、お互い相補いあうような関係であるはずの『バッテリー』はそこでは内破し、拳も出れば本音も飛び出す、青春の熱量が剥き出しの間柄に変化している。
親の言うことをよく聞く優等生は巧と出会い、彼に憐れまれることで屈辱を知り、『巧に勝つ』というエゴをむき出しにして走り始めた。
やはりあの打席は、様々な少年たちの運命を狂わせるのに十分な圧力を持った、特別な打席だったのでしょう。

門脇が巧から受けた刺激を的確に制御し、社会的にポジティブな行動に結びつけているのに対し、豪は思いを上手く制御できているようには思えません。
大事な『ピッチャー』の顔面はおもいっきり殴り飛ばすし、『キャッチャー』としての技量は思うように上がらないし、『バッテリー』間のコミュニケーションは冷えきっているし、何もかもが空回りをしている。
それはやっぱり、この作品が思春期の心の変化が持つ、様々な側面を捉えようとしているからだと思います。

周囲から求められるがままの『いい子』であることをやめて、自分の欲望に素直になるということは、必ずしもプラスの結果を生むわけでもないし、本来の自分を発揮するということでもない。
もちろん他人の言いなりになれば本当の自分とやらに出会えるわけでもなく、全てはモヤモヤした感情をマグマのように溜めこんだ危険な時期の少年達が、本気で取っ組み合って結果を出さなければいけない事柄なわけです。
クソみたいに面倒くさい自意識や劣等感や焦りや怒りや無関心や、言葉にならなさすぎて拳に乗っけるしか無い激情が、どこに行くのか。
門脇のように適切に制御できるものも、瑞垣のように狡猾な賢さで乗りこなしたふりをし続けるものも、『いい子』のレールから外れて感情を持て余す豪のような存在も、皆同じ季節にいて、影響を及ぼし合うのです。
その捻れて熱い空間それ自体がこのお話の主役である以上、少年たちの気持ちは不快で都合の悪い方向にも発露するし、むしろそういう物語的な都合の悪さこそが、ジュブナイルの地力だとも言えるのではないか。
今回見ていて、そういう気持ちを強くしました。


そんな少年たちの気持ちを受け止める巧は、彼らが秘めた熱とは対象的な冷たさを見せていました。
豪に殴られていても、慕情に似た感情を門脇に寄せられても、そこに捻れた瑞垣の嫉妬を絡められても、巧は表情を変えることなく、淡々と『ピッチャー』であろうとし続ける。
それが一種の防衛本能であり、そもそもこの少年が感情を表現し共感を獲得することにあまりに非才であるということは、これまで見てきた僕らには当然分かっているのですが、それにしたって冷たい反応でした。
本来見せ場として機能しそうな試合シーンが非常に淡々としていたのは、巧の熱の無さを反映し、熱を手に入れた後の巧をより際立たせるための前フリかなぁ……とか思った。
それにしたって、もうちょっと熱量入れて野球のこと描写してもいいかもとは思うが……アニメでは、とにかく関係性重点の描き方をしたいってことなのかね。

この作品は思春期が秘めた感情の迸り、その多様さに目を見開いているように、感情を激発させることが出来ない存在にも、しっかり目線を向けています。
巧と対決した時の高揚感を的確に表現し、部活の仲間を巻き込んだ門脇のようには、巧は気持ちを表現できない。
豪に殴られてもその場しのぎで言い返すだけで、同じように強い気持ちを返すわけでも、自分の身勝手を謝るわけでもない。
巧は天才であるがゆえに、豪に対してそうであるように自分を受け止められない他人に期待するのを止め、心を揺れ動かして『枠』からはみ出ることに消極的になっているわけです。

しかし巧も納得してそういう存在でい続けているのではなく、むしろ他者や環境の変化に心を揺さぶられつつも、それをどう扱って良いのかさっぱりわからないからこそ、無感動な天才を演じ続けるしか無い。
豪が降りた後の車内で戸村に見せた、なんとも言えない嫌な表情の奥には、沢山の『言いたいこと』や『伝えたい気持ち』が隠されているのでしょう。
しかし巧は適切に感情を表現し、それを他者と共有して関係を作ることがあまりにも苦手で、黙りこむ以外に方法を知らない。
そんな彼の真実を唯一、エスパーじみた共感性で受け止めているのが幼い青波だってのは、ありがたいやら面白いやらですね。

気持ちを外に出さず、ただ球を投げる機械としての『ピッチャー』が巧く機能しないのは、その球を受ける『キャッチャー』に殴られた経緯を見ても、瑞垣の心理戦で崩されつつある現状を見ても、良く分かるところです。
不器用な巧が自衛手段として選びとった『ピッチャー』としての生き方は、中学校という段階に引っ張りあげられてついに破綻寸前の所まで来ているわけです。
人間としても野球選手としても、そこから先に行きたければ何らかの変化を経験しなければいけないわけで、人間の土台を揺さぶってくる瑞垣の攻め方は、厳しいが有効なイニシエーションと言えます。

巧が進む道が、門脇のようなバランスの取れた『天才』となることなのか、豪の激情と向かい合い『バッテリー』としてお互いを認めていく道なのか、はたまた『ピッチャー』としての孤独と才能を極めていくことなのかは、これから先見えてくることです。
どっちにしても、爬虫類のような覚めた目をして、才能でいろんな人を狂わせておいて自分は反応を返さない不公平が事態を良くしていかないというのは、今回の抑えた見せ方からも伝わってきました。
瑞垣が巧を挑発しまくるのも、その不公平に憤る感覚が根っこにあるんだろうなぁ……展西と同じだ。
巧はとにかく誠実さを知らない子供だよね……その不遜を許してくれるほど圧倒的な天才ってわけじゃないのは、展西や門脇がもう証明しているわけだけども、その事実に素直になれるほど強いわけでも賢いわけでもないっていう、やっぱめんどくせー主人公だなこいつ。


と言うわけで、マウンド勝負から事態が動き始め試合が始まっても、主人公が動かない回でした。
変わる奴、変わらない奴、巧く乗りこなす奴、暴走する奴、好意的なやつ、敵意むき出しな奴。
いろんな奴がゴツゴツとぶつかり合い、それぞれの青春の軌跡を変化させ、それが新たな衝突と変化を生む出会いの季節。
今回切り取られた四人の少年の肖像画は、青春という季節が個人的なものであり、一つとして同じ表情を持っていない事実を、じっくり掘り下げていたように思います。

しかし主人公の温度が低いままだと、やっぱ物語としては閉塞感が強く息苦しい。
けして思う方向には走ってくれない感情というボールが、試合の中でどこに転がりどこに収まっていくのか。
来週はまた新しい変化が見えるんでしょうが、ぶっちゃけそろそろ巧にポジティブな方向性を見せないと、息苦しすぎて窒息死しそうだ……その重苦しさが好きでもあるんだけどさ。

つーか、他人である瑞垣と門脇は一旦横に置くとして、女房役でありお前を切に求めている豪には向かい合い、報いて欲しいもんだと、喜ばしくも哀しくも己の思春期を一応通りすぎてしまったオッサンとしては願う。
この願いが叶うのか叶わないのか、原作既読である以上知っているとも言えるし、アニメが別のメディアである以上知らないとも言えるけども、ともかく先が楽しみです。
『地獄に落ち込もうと、天国に飛び上がろうと、全部ひっくるめてキャラクターの物語なんだよ』というあさの先生のタフな視点を、しっかり苦くアニメにしてくれるのは、やっぱ良いやね。