イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない:第22話『吉良吉影は静かに暮らしたい』感想

夜空の星が輝く陰でワルの笑いがこだまする現代伝奇ファンタジー、今週は犠牲と決意。
先週は可愛げも見せてた吉良吉影が思う存分魂の邪悪さを発揮し、アタマの足りない中学生を透明な死体に変えて逃げおおせる回でした。
おぞましい殺人をなんとも思わない異常性、一人殺しても満足しない貪欲さ、重ちーを始末するときの狡猾さと貪欲さと、殺人鬼・吉良吉影の全てがよく見えるお話。
"シンデレラ"を前に持ってきた結果、重ちーへの思い入れは強くなるし、ムカデ屋探索のサスペンスを間を置かずに畳み掛けることができるし、上手い構成だなぁ。
ゴミクズ人間がのうのうと街を歩いている状況は恐ろしいしおぞましいわけで、視聴者の無念を巧くエピソードに繋げる、再構築の妙味だと思います。

というわけで、重ちーが死にました。
山口勝平さんの熱演もあって、アニメの重ちーは欲深だけど可愛げがあり、守るために戦う『黄金の魂』を秘めた魅力的なキャラクターに仕上がっていたと思います。
こういう思い入れがあって初めて、無残に奪われる痛みが強化され、キャラクターが死ぬ意味合いも出てくるわけで、愛着と殺害は劇作においては常に背中合わせだなぁと思います。
「パパとママをオラが守るど!」という決意をセリフだけではなく、死んでも残ってしまう机の落書きで強調したのは、痛ましいやら哀しいやら、愛着の深まるいい演出だった。

原作だと登場即退場っていうエピソードの並びなんですが、間に1エピソード挟むことで余韻が生まれ、億泰や仗助が共有していただろう『どーでもいい日常』とその喪失がグッと迫る構成に変わっています。
ここら辺は第4部全般にいえますが、重ちー周りは『どーでもいい日常』の見せ方が非常に巧くて、昼飯にこだわったり、小銭のやり取りをしたり、くだらない話で盛り上がったり、対等な関係の中高生が過ごす気持ちの良い日々が、凄くキラキラと描かれている。
その『日常』の影に潜み、あっという間にどーでもいいけど凄く大事な『日常』を略奪して去っていく吉良吉影という『非日常』への怒りを掻き立てるためにも、やっぱ奪われるものの値段を上げておくのは、凄く大事なわけです。
重ちーとの日々を凄くくだらなくて、だからこそ身近で、『ああ、こいつらと話してみたいな』と思わせる『よきもの』として演出できたのは、アニメ巧くやりやがったなと感心するところです。

重ちーの日常はメタ的には奪われるために積み上げられたわけだけど、しかし当然、それはそれ自体として大切で価値がある人生として演出されていました。
劇作の意図が過剰に漏れると、キャラクターの人生が嘘くさくなりますが、重ちーに関しては非常に細かく気を使って、彼の下らない人生も、血塗れで殺人鬼に抵抗した時間も、価値のある生き様だったと描けていました。
キャラクターはドラマを構成するパーツであり、それを冷静に操作する手腕を持ちつつも、同時に物語世界で必死に生きている一存在としての重さを忘れては、視聴者にとって物語は他人事になってしまいます。
アニメはそこら辺をよく考え、重ちーの人生の様々な側面をまじめに演出し、お話の構成を組み直し、しっかり痛ましい犠牲者であり勇敢な英雄と感じられるよう、お話を仕上げてくれたと思います。


重ちーが愛せるキャラクターであることで、それを奪われる『怒ってればいいのか、悲しめばいいのか解らない』複雑な感情は、億泰や仗助だけではなく視聴者の感情にもなります。
この感情のシンクロこそが、キャラクターに対する共感を強め、視聴者の姿勢を前のめりにさせる、非常に大事なポイントです。
舞台から無残に退場した無念を引き継ぎ、ゴミ以下の殺人鬼に正義の裁きを下してくれ! あいつぶん殴ってくれ!! と強く思えること、主人公が確実にそれを果たしてくれるだろう信頼があることが、今回の物語が視聴者の胸をかき回す上で非常に大きな仕事をしている。
製作者が描きたいものと、視聴者が今見ているものが一致するのは、創作においては非常に強力なことだといえます。

重ちーへの愛着をしっかり生み出せたのは、視聴者だけではなく仗助たちも物語に引き込む、大事な足場です。
"岸辺露伴の冒険"では他人事だった『吉良吉影による殺人事件』は、今回気のおけない友人を死体も残らない無残な殺され方をしたことで、痛みを伴う経験に変わった。
これにより仗助や億泰が、物語のメイン・プロットだる『吉良吉影による殺人事件』により真剣に、自分のこととして取り込むことが可能になったし、その運動は情と痛みがこもってうそ臭くない。
逆に言うと、スーパークールな仗助が作品の軸に真剣にコミットするためには、重ちーとの日常を細やかに描いて、そこから(そして、それが奪われることで)生まれる感情を生々しく見せる必要があるわけです。
物語におけるリアリティとは現実を模倣するためではなく、様々なレイヤーで感覚をシンクロさせ、共感によって創作を経験に変えるため、より面白く熱い物語を体験させるために必要なのだなぁと、つくづく思いました。

ここら辺の運動には巧みな再構成の妙技が関わっていまして、"シンデレラ"で一週間置くことで、視聴者が重ちーのことを忘れる(そしてその裏側で覚えている)時間が生まれます。
映像化されたエピソードはあくまで与えられたものですが、一週間の隙間の間にふと考えた『重ちーたちはどういう生活を送っているのかな』『アイツら、今なにやってんのかな?』という妄想は、視聴者個人から生み出された個別の物語です。
優れたキャラクターは視聴者の脳髄に取り付いて、物語を離れた場所で勝手に動き出すものだと思いますが、そのためには時間的・物語的余韻が必要なのであり、"シンデレラ"を前に持ってくることで生まれる一週間の空白が、個人的な物語を生み出す良い醸造所になったと思いました。
まぁ僕はかなり妄想力と共感性が強い人間なので、勝手に思いいれてキモく共感してるだけなんだけどさ……でも、提出された物語を『自分のものだ』と感じる過程で、物語に直接触れていないけど物語のことを考えている『余韻』の時間って、結構大きな仕事してると思うのね。


構成の話をすると、"シンデレラ"を前に持ってきたことで『吉良吉影による殺人事件』のエピソードが連続し、矢継ぎ早に展開したのは非常に良かったです。
重ちーへの感情をふくらませるのは楽しい経験ですが、クソ殺人鬼がのうのうとのさばるのはイヤな気持ちであり、『とっとと物語を先に進めて、この糞人間を追い詰めてくださいよぉ~!!』という願いを、しっかり叶えてくれる展開だった。
まぁ吉良も名うてのシリアルキラーなんで、簡単には調査させないしその過程で人はバンバン死ぬわけだけどね……アニメになってみるとつくづく、あいつ息するように殺すな……。

ムカデ屋のエピソードはこれまであまり接点がなかった承太郎と康一くんを近づけ鍛えあげる、第16話『「狩り」に行こう!』に近い仕事をするお話といえます。
目の前で人が死んでも感情を動かさず、常に冷静に的確に対応できる承太郎はまさに歴戦の戦士であり、喜んだり悲しんだりの『日常』にどっぷり浸かった康一くんの手本となり、彼をもう一歩『非日常』に踏み込ませるには、うってつけの人選。
逆に言うと、仗助以上のスーパークールである承太郎と、感情の発露が素直な康一くんがふれあうことで、ともすればあまりにも冷たいと捉えられがちな承太郎の秘めたる熱情が増進される効果も期待できるわけで、ナイスコンビだと思います。

康一くんは感情やエゴを豊かに感じつつ、それに流されない勇気や知恵をしっかり持っているキャラクターなので、露伴や承太郎、由花子といった極端なキャラクターと絡ませると、巧く人間的な側面を引き出してくれますね。
おまけに優しいので、どんなトンチキ人間でもパット見で拒絶せず、自発的に心に踏み込んでくれるし……優秀なキャラクターだ。
殺人鬼の二つ目の凶器"シアハートアタック"という厳しい試練を、承太郎とともに乗り越えることでどう成長するのか。
来週が非常に楽しみになる、いいヒキでした。


んで、そんな二人に王手かけられている吉良ですが、まーやりたい放題し放題のクソサイコ殺人鬼っぷりで、憎たらしいったらない。
前回はコメディアン的な振る舞いを重ねて、ちょっと共感できる奴として描かれていたわけですが、今回は重ちーやムカデ屋のおっさん、指輪の女の子といった犠牲者たちを無残に食い殺す様が強調され、本来のおぞましさが前面に出ていました。
視聴者の薄暗い喜びを補填するだけではなく、憎むべき相手を憎み、おぞましい殺人鬼を心底軽蔑する意味でも、殺しは無残でフレッシュに演出されるの大事だな。

吉良の怖さを表現する上で、重ちーにとどめを刺すシーンは非常に印象的でした。
『日常』の扉一枚を隔ててとんでもない殺戮が行なわれているおぞましさも、ギリギリ『日常』に帰還できそうなところでぐっと足を掴んでくる『非日常』の怖さも、巧く演出されていたと思います。
重ちーの死がヒロイックなものではなく、無念と痛みに満ち溢れた目を背けたくなるものだったのも、それを生み出した吉良のキャラクターを理解させる上で、非常に鋭い演出だった。

吉良がこれまでのラスボスと違うのは、その悪びれなさというか、サラッと悪事をこなす気負いのなさだと思います。
彼にとっては殺人は何ら特別なことではなく、思い立ったらぶっ殺し、死体を隠蔽して恥じるところのない『日常』なわけで、思わず「なんでこんなことになっているんだ?」という言葉も出てくる。
その言葉は人を殺すことはとても重たいことで、その負債を取り立てに正義が追いかけてくるという発想自体がないから出てくるわけで、ありふれた会社員の顔をしつつも『日常』の定義自体が異なる彼は、『日常』の仮面をかぶっているからこそおぞましくもあります。

彼のおぞましさは、『日常』を守り維持するシステムから巧みに逃れている部分にも多くを負っています。
"キラー・クイーン"によって殺された被害者の死体は跡形もなく消滅し、扉越しに犯行が行なわれても仗助たちは気づきもしない。
スタンドという『非日常』の力を悪用することで、『日常』を守護する一般的な正義が機能しない危うさは、それこそスタンド殺人鬼・アンジェロと戦ったファースト・エピソードで強調されていたところです。

『日常』に癒着した『非日常』の邪悪を裁けるのは、同じく『非日常』を背負うスタンド使いだけなわけで、全員集合シーンはケレンが効いているだけではなく、お話全体をまとめる象徴性にもあふれていたと思います。
秘められた悪に立ち向かう意志に満ちたシーンであると同時に、仗助とすれ違う吉良を描くことで、立ち向かう敵がどれだけ狡猾で邪悪なのか、その毒牙がいつ主人公たちに振りかかるのか油断できない感じもしっかり示していて、凄く良かったな。
一方的に吉良が情報を握っている現状を見せておいて、そのアドバンテージを無化するべくムカデ屋に向かう展開も含めて、今後に繋がる印象的な見せ場でした。


と言うわけで、杜王町に潜む邪悪が、主役の一人を毒牙にかけるお話でした。
重ちー周りのお話は非常に印象的に演出され、綺麗に視聴者の感情を盛り上げて収まった感じがあって、第4部アニメらしい情熱と冷静さの化学反応を感じました。
キャラへの愛着を盛り上げ、残忍に奪う上げ下げは、作劇の基本だけどよく効くなぁ……。

重ちーの無念を引き継いで、吉良の急所に噛み付いた承太郎&康一コンビですが、やはり相手は油断のならない相手。
不気味に登場した"シアハートアタック"を相手に、どのような戦いをくぐり抜け、どのような『凄み』を学習するのか。
サスペンスと興奮が持続し増幅される展開に、否応なく期待が高まりますね。