イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

orange:第9話感想

総天然色の青春と灰色の主観が相争うモノトーン・カラフル戦争、今週は体育祭。
手紙連合の絆を確かめ、わざとらしくすらあるトス上げを多数貰い、色々アプローチしつつもどーにも一線を越えられない翔と菜穂。
笑顔の仮面に閉じこもり本心をさらけ出さない翔の、砂を噛むような現状認識が全面に出たお話となりました。
展開自体は相変わらずナイーブで面白いので、もうちょっと作画は頑張れ……頑張って……。

菜穂が典型的鈍感ラブコメ主人公の枠から出ることなく、自分の臆病さを言い訳しながら半端な距離にとどまっているのに対し、翔の抗鬱症状は結構ハードコアでした。
部屋に一人でいれば母との思い出に沈み込み、友達と笑い合えば距離を感じ、家族のふれあいを目にしては喪失に苦しむ。
完全に適切なグリーフケアを受けられなかった遺族そのものであり、しかもなまじっか責任感が強い『いい子』なので、感情を全開にして他人に自分を預けることも出来ないという、うつが悪化するしか無いループに閉じ込められています。
この二重生活をずーっと続けていたら、そら自死っていう選択も視野に入ってくるわな。

ぶっちゃけ良い医者付けてしっかりケアした方がいいドツボ具合ですが、それをやると時空青春SFからメンタル系医療サスペンスにジャンルと主役が変わってしまうので、翔の孤独と苦痛は友人たちがケアしてあげなければいけない問題です。
しかし今回わかったのは、体育祭という一大イベントを一切楽しめない翔のメンタリティと、それをなかなか想像できない普通の高校生たちとの乖離でした。
菜穂やあずちゃん達が一喜一憂する、体育祭や恋バナや友情が全ての高校生生活を翔は表面上共有しているのだけども、翔の気持ちは『母の自殺』というあまりに重たい事実に完全に支配されていて、出口のない罪悪感に完全に支配されていまっている。

翔が生きている灰色の世界と、菜穂たちが楽しむ天然色の世界は形は似通っているけど別の世界で、翔は灰色の世界から出てくるつもりも友人を入り込ませる勇気もないし、菜穂たちはそういう世界が存在していることを本気で実感できるほど、不幸せには生きていません。
唯一須和くんが、卓越した知性と共感能力で踏み込むキーを持っている状況かな。
反発をいい傾向と捉えるのは、翔の小器用な現実適応能力と、それが殻になって出口を奪っている感情のヤバさに薄々気づいているからだろうし。


しかしあくまでお話の主人公は菜穂だし、『恋人』という(結婚・出産まで視野に入れれば、家族の再構築も可能な)特別な関係になれるのも菜穂だけです。
両親が健在で家庭環境に問題が少なく、『死』の手触りもほぼ無い菜穂にとっては、翔の灰色の世界はなんだかんだ対岸のことなんだと思います。
むしろ翔の自死によって『死』を実感することで、世界には自分の想像もつかない多様性があって、落とし穴のように不幸が襲いかかってくることもあるのだと実感したんじゃなかろうか……『未来の菜穂』にとっては体験した時にはもう遅くて、後悔しかない状況になったけど。

ここら辺の想像力のなさは、今回あずちゃんが告白していたことだし、序盤で菜穂が見せたものでもある、普通の高校生なら皆抱えている特徴だと思います。
人間痛みを伴わない他人事には、結局気合の入らないヌルい対応しか出来ないもんですが、しかし今回の場合はそういうことを言っていれば翔は確実に死ぬ。
家族も健在、自責の念もないカラフルな世界から、息をするだけで苦しくて、何もかもが楽しめない灰色の世界をどうにか想像し、そこをぶち破って『生』の方向に翔を引っ張り上げる努力をしなければ、手紙に込められた願いはかなわないわけです。

そこら辺の『どうにかしなきゃいけない』と『どうにもならない』の描き方が、今回はバランス良かった気がします。
『どうにもならない』の部分は、翔が転校生であることが強く関係している気がします。
翔は松城のローカルな関係性に突然飛び込んできた転校生であり、家庭や個人史を他の友人達と共有していない、孤立しがちな立場にいるってことが、体育祭の描写の中で見て取れました。
どんなに温かい家族や土着性が目の前にさらけ出されていても、それは翔にとっては他人事だし、共有するために必要な足場は東京においてきたまま母の自殺で押し流されてしまった。
翔を支配している悲嘆をケアするためには、まず母親の死や現在の感情にどっぷり腰まで浸かり、それを吐き出し共有してもらうことが必要なんだけど、翔にはそれが可能な人間がいないのだな。
おばあちゃんも悪い人ではないようだけど、『優等生なシャイガイ』を演じている翔に本音を吐かせるにはほんの少し人間力が足らない感じだ。

誰の手も取らず、哀しみや怒りや罪悪感といった感情を押し殺し、『気の良いクラスメイト』を演じてしまえることが翔の悲劇とも言えますが、そういう障壁を思い切って飛び越え、てまるごと翔という人間を受け止める以外、方法はない。
『死』が支配する灰色の世界に色を付けるためには、『生』と『死』、『自分』と『他人』の間にある深くて暗い裂け目を超越しなきゃいけなくて、典型的高校生の枠を出られない現状の菜穂にはそれは難しいってのが、体育祭を通して見えた現状か。
翔が面倒くさすぎるのもあるし、翔が抱え込んだ『死』と『家庭』がそれだけ複雑でナイーブな問題でもあるのだろう。
何しろ須和くんの人間力を持ってしても、灰色の世界からはなかなか出てこないもんなぁ……あれだけの聖人でも救えないのだから、人間はややこしい。


と言うわけで、一見賑やかで楽しいイベントの中でこそ、『死』に包囲された少年の孤独が見えて来る回となりました。
世界のすべてが遠くに感じられる離人性とか、気づくとぼーっとしている集中力の欠如とか、楽しくて明るい振る舞いをしてくれればくれるほど距離を感じてしまうドツボっぷりとか、鬱のしんどい所をよく切り取った描写で、正直つらかった。
でもそういうナイーブな描写を時間かけてしっかりやればこそ、翔の面倒くささ(それはお話が攻略しなければいけない試練の面倒くささでもある)を納得できるのだから、大事な描写でもあると思います。

むせ返るほどリア充しているだけでは、『死』に引き寄せられる繊細な少年を繋ぎ止められないと、今回で見えてきました。
自分が恵まれていることすら疑問に思わない、世界で最も愛されている少年少女たちにとって、灰色の世界は勝手が違いすぎる異世界で、なかなか有効打は打てないのかもしれません。
しかしそれでも、分からないなりに翔の灰色の世界を理解しようとあがく彼らの真心は、どっかで報われて欲しいとも思います。
何がどう転がっても善人であるしかない少年たちが、『死』の陰りをどう理解し克服するのか。(もしくは理解できないまま克服するのか)
時空SFと青春物語というギャップとはまた別の側面がクローズアップされてきて、更に面白くなってきました。