イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

バッテリー:第8話『終わりの秋』感想

青春の太陽は暮れてまた登る永遠の運動、秋風寂しい黄昏時のバッテリー第8話であります。
瑞垣がバッテリーに入れた軋みは修復可能なレベルまで広がり、巧と豪は叩きつけられた敗北から立ち直れずにいた。
未だ秘められた可能性を信じる三年生たちは巡り来る春に再戦を望み、切り裂かれた裂け目はなかなか癒えない。
孤独な世界に生きる天才と、その重力に引きつけられ傷ついてき凡人たちの小宇宙が回転するお話でした。

と言うわけで! 天狗のごとくニョキニョキ伸びていた巧の鼻っ柱が見事にへし折られ、クソみたいに周囲の優しさを無碍にして生きてきたツケを払うタイミングが来ました。
周りに合わせずともやってこれた天才をへし折るのが、もう一人の天才・門脇ではなく、天才に強い愛憎を抱きひねくれるしかなかった瑞垣だって所が、皮肉が効いてて好きです。
門脇の重力がある人格を前に、それでも側にいるためにはああいうキャラクター、ああいう戦い方を身につけるしかなかったんだろうなぁ、瑞垣。

二年分の経験値を先に稼いでいるせいか、瑞垣は野球の作り方も、天才とのつきあい方も新田東バッテリーより巧妙です。
門脇と巧が身を置いている『天才同士の孤独な戦い』がたしかに野球の柱なんだけども、そこ一つで集団競技が成り立つわけではなく、足場を崩してしまえば凡人でも天才は殺せる。
第2話で暗示されていた『ピンチになると脆い』という弱点を的確に見抜き、自分から窮地に追い込んで勝ちを作っていく姿勢は、実は後輩にしっかり声をかけ、攻略法を伝習する姿勢と同じです。

野球の才能だけを世界に叩きつけて、それで認めてもらえるような門脇の天才を、瑞垣は持っていません。
それでも、惚れ込んだ男の側にいたいと願った以上、天才と野球をする資格は奸智を磨き上げる以外に凡人にはない。
そうやって鍛えた技は野球チームという共同体に便益をもたらす『良いこと』でもあり、他人の人格を壊すという意味では『悪い』ことでもある。
そういう複雑さの中で巧妙に自分の価値を作っていかなけえば、凡人に居場所はないということを瑞垣はいやというほど理解しています。

なので、瑞垣は言葉を使うことをためらわない。
敵を切り崩す言葉、味方を鼓舞する言葉、己を表現する言葉、己を偽る言葉。
門脇がバットで己の存在を証明しているように、彼は言葉を積み重ねることで己を打ちたて、守っています。
海音寺が何気なく見ぬいた『お前、門脇が嫌いなんか』という問いかけは、真実であるがゆえに言葉の鎧を貫いて、瑞垣の柔らかい部分をえぐる。
あの時の狼狽以外、瑞垣は常に瑞垣俊二を演じ続け、自分にとって都合のいい世界を引き寄せる必死の努力をしています。
その姿は、どこか展西に通じる無様さと真剣さ、不器用さを感じさせます。


そして、その中には否定したくてもしきれない、離れたくても離れられない、巨大すぎる門脇秀悟がいる。
豪に言った『天才に真っ直ぐ向かい合うと壊れる』というのは煽り文句であると同時に、自身の体験から出た苦いアドバイスでもあったのでしょう。
実直な門脇が不得手な言葉の領域から斜めに戦いを仕掛けることでしか、瑞垣は門脇の隣りにいる手段を見つけられなかったし、それは『野球』という共通のレイヤーでは有用な武器でもあった。
ただまっすぐに『野球』することを許されない非才に傷つけられつつ、それでも門脇の側にい続け、高校でついに耐え切れず離れる瑞垣の内面は、非常に複雑かつ単純です。
人間存在の根本にある、愛情と憎悪。
豪にも、匠にも、門脇にも共通するそれこそが、瑞垣の体内で渦を巻き言葉として飛び出す熱なのでしょう。

瑞垣はなぜ、豪と巧を切り崩すような言葉の使い方をしたのか。
そこにはトラウマを植え付けてライバルを機能不全に追い込む勝負師の目線とか、あまりにも自分と門脇に似すぎているバッテリーへの近親憎悪とか、門脇の視界に入っている巧を消して自分を見せたいとか、いろんな側面があると思います。
しかし自分としては、確実に勝って、完璧なようでいて案外脆い門脇秀悟の天才を、守ってやりたい気持ちが大きかったのではないかと、思っています。
バランスの取れた完璧な人格をしているように見えて、門脇もやはり人間で少年です。
負けることへの不安もあるし、不甲斐ないライバルに激高もするし、しかもそれに自分で気づいていない。
巧を評した『こういうタイプは、負けた時信じられないくらい脆い』という言葉は、半分くらい門脇を思いながら呟いたんではないかと、僕は思っています。

海音寺が指摘するとおり、瑞垣は門脇を憎んでいるのでしょう。
短い人生のほとんど、内面に荒れ狂う感情の殆どを吸い上げ、目を背けることも逃げることも許されないほど己を惹きつける門脇を前に、劣等感も不公平さも湧き上がったでしょう。
それでも、例えば巧に対する瑞垣のように暴力的に反発するのではなく、豪のように引き寄せられていくのは、愛情という名前の引力が二人を繋いでいるからだと思います。
あまりにも真っ直ぐで、あまりにも脆い天才を憎みつつ愛した少年が、自分なりのやり方で精一杯出来るラブ・コール。
それが主役二人の関係を一回壊すことになるのは、皮肉でもあるし、必然でもある気がします。


くっそ面倒くさいトリックスターの愛情表現に巻き込まれ、『ピッチャー』としての人格をぶっ壊された巧ですが、思いの外タフにボールを求めていました。
ぶっ壊された直後の球場では門脇の手を、されるがまま受け入れてるのに対し、時間が立った後の公園では後ろから伸びてきた瑞垣の手を跳ね除けているのが、判りやすい表現でしたね。
己の身体に触れる手をはねのけるナイーブさは、これまで幾度も積み重ねられてきた演出で、その防衛機構をぶっ壊すことが出来たのは門脇という同等の天才一人であり、豪にしろ瑞垣にしろ展西にしろ、凡人には出来なかったことです。
凡人が構成する社会に対し開かれる必然性を描きつつも、同時に天才だけが可能な領域をこうして忘れないのは、才と非才を描く上では大事だと思う。

これまでも繊細で身勝手な人格をいくども演出されてきた巧ですが、心をぶっ壊された程度では簡単には変わりません。
あれだけ気にかけ、優しく手当をし、一緒にボールをやり取りした豪を『友達なんかじゃない』と言い切ってしまう冷淡さには、怒り通り越して寂しさを感じる。
『あいつも、友達なんて思ってないよ』と続けるあたり、自分の感情にも豪の感情にも感受性が低い、『野球以外は何にもできない』人間性が良く見えます。
こういう言葉を吐かせつつ、本当に心に何もないわけではなく、心の奥にある感情の表現方法、感覚法に気づいていないだけだと思えるのは、このアニメの感情表現の細やかさが仕事しているところだと思う。
巧の心の無さがその本性ではなく、ギリッギリ『若気の至り』の範疇で収まっているので、変化にも期待が持てるしクソみたいな振る舞いにもギリギリ我慢ができるのよね、僕的には。

そんなゴミクズ人間にも同級の仲間はいて、怒るべきところに優しく怒ってくれて、閉じこもった巧に必要な道を切り開いてもくれます。
野球に愛されていなくても、人間として必要なことをしっかりやってくれる一年達が、俺はありがたくてありがたくて、本当にもうどうしようもなかった。
門脇の怒りと情熱を込めた『手』と、柔らかく頬をなでて人の道を諭す沢口の『手』の対比、凄く良かったです。
こういう人たちがいなければ巧の身勝手な孤高さは成立していないんだけど、成立してしまっているからこそ巧はそのありがたさに無自覚なんだよな……ままならん。

そして豪も、これまで見せていた人格的成熟が一気になりを潜め、己の気持ちをどこにやって良いのか、深い迷いの中にいます。
周囲の期待に答え、身勝手さを制御し続けた『良い子』だからこそ、敗北と屈辱を前に溢れ出してきたエゴイズムをどこにやったら良いのか、自分の中に答えがないんだろうな……。
ボロボロにされても自然とボールを求めた巧より、自力で道を見つけられない豪のほうが『こういうタイプは、負けた時信じられないくらい脆い』という言葉は当てはまるのでしょう。

んでまた、導き支えるべき立場にある戸村が追い打ちかけるんだマジッ!!
このお話の中に完璧な存在なんていなくて、年齢が人格的成熟の指標として機能していないのは理解していますが、それにしたって『辛いぞ? 止めるか?』は、傷ついた少年にかける言葉じゃない。
あれが戸村なりの歩み寄り方で、凡人が天才と向かい合う真実の一面を切り取っていることは、崩れ落ちた豪に差し伸べられた『手』からも判るんだけども、それにしたって豪が可哀想だ。
戸村も巧並の欠陥人間なので、その成長と変化も作品の軸の一つなんだろうなぁ。
年齢関係なく、人格が静止した人間がいないよねこのお話……全員良くも悪くも可塑性があって、影響を受けて変化したことで、別のキャラクターに影響を及ぼして変化させて……というキャッチボールが繰り返されてる。
まぁ『バッテリー』だからな!(上手いこと言った顔)

『良い子』のまま大人の言うことを聞いていても、豪の問題は答えを出せません。
その感情が向かう先は全て巧であり、結局『バッテリー』が向かい合わなければ問題は解決しないのだけれども、『ピッチャー』は『野球以外は何にもできない』欠陥人間だからなぁ……。
巧はボールを握っていれば己の居場所を確認できて、ゆっくり人格も修復されていくんだろうけども、そういう足場がない凡人はどうすれば良いのか。
瑞垣が投げ込んだ波紋は、まだまだ収まる様子を見せません。


同じ凡人たちの真心で、なんとか心が向かい合うマウンドが整った所で次回に続く、という感じでしたね。
長々と人間の情がわからない未熟人間してきた巧は、このチャンスを活かせるのか。
『良い子』というロールモデルを崩された豪は、どんな自分になることを選びとるのか。
少年たちも青春デコボコ道もいよいよ佳境、来週も楽しみです。