イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

機動戦士ガンダムUC RE:0096:第21話『世界の果てへ』感想

サイコフレームの光がついに時間すら超越しだしたオカルト宇宙世紀、決戦フル=フロンタルな第21話。
やり過ぎ感満載の超巨大MA・ネオジオングとの最終決戦ですが、ガエルさんが叙情死しかけたり、ユニコーンが呼べば飛び出す愉快な仲間と化したり、原理は不明だけど飛び道具が全部吹っ飛んで殴り合い宇宙が展開されたり、バナージを男と見込んだフルが時間旅行の連れ合いに選んだり、若人の希望を見せられて亡霊共が浄化されたり、その結果フルが砂になって溶けたり、色々ありました。
こうやって書き出すと、サイコフレームマジなんでもありだな……そら封印技術にするわ。

内蔵兵装満載のネオ・ジオングは『悪の巨大メカ』的ハッタリが満載で楽しいデザインでしたが、真正面からドンパチして命の取り合いで決着をつけるのではなく、悪霊を成仏させたら戦いにも勝っちゃった感じがやや拍子抜けでした。
実際、ガエルさんを散々なぶった後は『バナージくん、僕のもとに来ないかね?』と言わんばかりの武装解除だしな……思い返せばネェル・アーガマから脱出するあたりから、露骨にバナージ殺さないよう殺さないよう立ちまわっていたもんな。
ラスボスに至るまで、バナージという新世代の希望に擦り切れたオッサンが過剰な期待を乗せ、『それでも』若者は光を夢見続けてオッサンも浄化されるという構図は変わらなかったね。

その流れでガエルさんもまた満足して死んでいきそうだったけども、ユニコーンを手足のように扱えるようになったバナージの活躍により死亡は回避。
ぶっちゃけ描写の少ない人なので生き死に自体はどっちでも良いんだが、いい加減オッサンが自己満足しながら蒸発する姿には辟易しているというか、誰が主役だか分かんなくなるというか。
フルを『空っぽの器』と非難するお話が展開され続けてきたわけだけど、終りが見えてみるとバナージこそオッサンが現実に負けてしまった悲しみを投影され、それを打ち破れる『かつての自分』の夢を投影された『空っぽの器』なのではないかという疑問は、あながち無理筋ではないと思う。

この感覚を強くする描写が今回2つほどあって、一つはフルの魂を略奪していった亡霊三人。
『シャアの亡霊の依代』ってのは比喩表現じゃなくてガチかよ、という驚きもあったんですが、これまで直接的なつながりがないアムロララァの亡霊がひょっこり出てきて、話を綺麗に終わらせて(≒バナージに手を汚させないで)決着させる姿は、バナージを殺人から保護しているようで、彼自身の物語が決着する余地を奪ってしまった気がした。
そこで決着しているのはモニターの外側にいる(僕含めた)こじらせたガノタの幻想であって、バナージ・リンクスの物語ではない。
そして、アムロとシャアとララァの巡りあいから始まった宇宙世紀を総括するにしては、あの亡霊たちの登場は唐突かつ具体的に過ぎるし、象徴性と説得力に欠ける気がした……まんますぎるでしょ、アレ。

ネオ・ジオング武装解除を食らってなお『アイツぜってー殺す!!』とばかりにMSカラテで襲いかかってきたバナージには、未来の為に手を汚す覚悟というものがあったと思う。
ここら辺の『手を汚させず、綺麗でいさせ続けよう』という意念は、エコーズの人が部下を撃てない(そしてロニさんの時と同じくリディが代わりに手を汚す。リディは殺人に便利なお手軽ナプキンじゃないぞ)描写からも感じ取れた。
戦場の矛盾にキャラクターを投げ込み、そこから何かを学び取ってきた以上、『殺す』ことは怨念返しの繰り返しということなのかもしれないが、戦場全てを否定する大きな答えにこの物語が辿りつけない以上、誰かを殺して悪意を止める矛盾は、今後も幾度も繰り返される。
そこで『殺し』からキャラクターを遠ざけるのではなく、『殺し』に別の意味を持たせる答えを描いてくれたらより良かったのだが、どうも別の方向に落ち着いてしまった印象を受けた。


フルは強化された能力ゆえか、憑依したシャアの意志か、拡大した知覚能力で世界のルールと歴史の行く末を見てしまい、その重さに押し潰された存在だった。
結局はすべてが無為に終わる熱力学第二法則(もしくは一切皆苦の原則)を克服する方法を、フルは結局思いつかなかったし、人の温かな光とやらを信じきれもしないまま、ただ詰め込まれる他人の望みを無批判に実現し、シャアの仮面を被って象徴で在り続けた。
それは確かに空疎な愚行なのだが、同時に結果だけでも他者の願い(ミネバの言葉を逆手に取っていいなら『善意』)を叶えてもいて、人間にも神様にも器にもなりきれなかった男の哀しさは、一体どこに行くのだろうという気分にもなる。

フルがあれほどバナージに執着したのは、卓越したニュータイプ能力を持つ同志として自分が見た『時の果て』を共有して欲しかった寂しさ故であり、ならば彼は完璧な器などではなく、ただの寂しい人間だったんじゃないかと思えば、『それでも』と言ってくれたバナージの可能性に満足し成仏していく終わり方には、結構納得がいく。
バナージは『敵』としてフルを否定するだけで、そこに込められた絶望も痛みも個人的な歴史も共有はしてくれないが、近い立場にいる『袖付き』は『忠義面して世界をめちゃくちゃにした戦争屋ども』か、一方的なあこがれを叩きつけるだけの俗人か、怨念返しに取り憑かれたテロ屋か、理想主義が高じて人間の顔を見ない小娘しかいないわけで、最後の最後に現れた『同席者』(会話の少なさから言って、『理解者』とはいえないでしょう)に願いの残滓を託し消えていくのは、ある意味必然というか。
ここら辺の落とし方も、リディと同じくバナージに極端にリソースを寄せた結果というか、必然というかだが。

バナージはフルと歩んだ不思議な旅路と、そこに込められた絶望をどう受け止めるのだろうか。
『袖付き』を狂気のテロ集団に変えてしまった狂人の寝言として受け取るのか、己が信じる光と切り離せない歴史の闇を見せてくれた導師として感じいるのか、はたまた特に魂に刻みこむべき何かはなく、戦場の一エピソードとして受け流すのか。
ロニやダグザやマリーダには、彼らと戦いその死を受け止めた後の反応が描かれていたけども、フルには特になかったので、こうして彼が退場してみると思いの外好きだったことに気づいた身としては、少し寂しい。
人間個人が持つ可能性を見せてくれる人、『それでも』と言い続ける人生を教えてくれる人はたくさんいたが、そういう個々人の努力や感情すら飲み込んでしまう歴史の無常さと大きさ、圧倒的な熱的平衡の冷たさを教えてくれたのは、フルだけだったのではないかな、と感じるので、バナージがフルをどう思ったのかは、物語が閉じる前に知りたいところだ。
まぁそんな尺はないだろうけどね。


バナージの『それでも』が立ち向かわなければならないのは、人類存在への巨大なニヒリズムであり、フルの強大な知覚はそれをキャラクターレベルに凝集するための一種の装置だ。
フルを乗り越えれば、彼が支配されているニヒリズムにも勝利できるというロジックは一応判るものの、『それでも』の先がないバナージの反抗には、どうやっても限界がある。
闇を前に『それでも』と言える暖かさは確かにフルを癒やし、彼に取り付いたシャア(に魂を惹かれた一部のファン)を落としたかもしれないが、生きている以上バナージは『それでも』の先に行かなければならない。
一瞬の狂熱として忘れ去られることを生まれる前から約束された『箱』の条文をどうにかして有効に使い、幾度もただのブームとして使い捨てられた『ニュータイプ』の可能性を探り、ユニコーンと一緒に歩いた旅で鍛えられた『私』を足場に、より広い『公』の試練に挑まなければいけない。

だが残り一話、その結末がどこに至るか語っている時間はないし、そもそもこの物語が完成された年表の隙間に強引にねじ込まれたお話である以上、『それでも』の先を語るわけにはいかないのだろう。
現実(もしくはガンダムというコンテンツ)に疲弊しきったオッサンからバトンを託された、バナージやミネバといった若人が輝ける変化を手に入れてしまったら、"閃光のハサウェイ"や"Vガンダム"に繋がる確定した未来はやってこないのだ。
この限界点は、ミネバがサイアムのジジイと会話する中で貼られている予備線でもある。
あのシーン、クソテロリストでクソ陰謀家のクソジジイの最後の懺悔を、ちと高く買い過ぎな気もするが……まぁミネバは綺麗なものが好きだからね、しょうがないね。

年若く可能性に満ちた少年たちは、現実に擦りきれて夢や希望を諦めてしまったオッサン達の『それでも』の欠片を受け取って、現実に負けずに希望の種子にたどり着いてくれた。(後一週あるけど、この状態でみんなビームで蒸発して終わるは、流石にないだろう)
しかし様々な制約が『それでも』の先、オッサン達の希望の先にある少年たち自身の物語を語ることを許さないのは、ガンダムUCにかせられた最大の呪いであり、作中展開される主人公たちの行動に空いた最大の穴だと思う。
バナージ・リンクスは当然、己自身の人生を物語の中で歩き、それを真ん中に据えてUCは展開しているのだが、カーディアス・ビストからフル・フロンタルに至るまで、他人から背負わされた荷物を自分のモノとして背負い、希望の場所に引き渡すまでの物語からはみ出すことがなかったように、僕には感じられた。

激情の量や発生するイベント自体は劇的で、主役たる資格を十分以上に手に入れそれを表現しつつも、バナージ個人にはどうしようもない、作品を超えた場所にある欲望と形式の壁が、作品が一作品として最大限パワーを発揮することを拘束してしまっている懸念を、僕はどうしても拭えない。
『UCは結局オッサンの消費物なんだから、オッサンが喜ぶように作るのが作品/商品として当然だ』という意見には一理も二理もあるし、僕自身もその意見が見据えるオッサン以外の何物でもないのだけれども、『それでも』バナージ個人が何者かとして世界に己を突き立てる物語か、それが描写されないまでも現実に負けずに『それでも』を貫けると信じられる足場を、確固たるものとして打ち立てて欲しかった。
無い物ねだりなのは分かっているし、後1話残ってるのだからそこですべてを収める逆転ホームランが打たれるかもしれない。
しかしまぁ、一応物語最大の『敵』が去っていったこのタイミングで僕が正直に感じるのは、こういう気持ちだ。


フルがジオン系の最終障害とするなら、連邦系の最終障害は『システム』斉射。
『大を活かすために小を殺す』『子供のために汚れた現実を飲み込め』というリディパパの言葉が、スイッチ押した後に自分に帰ってくる展開は、アルベルト良いタイミングで刺したなぁと思いました。
まぁ事前にいっとくとまたグダグダして、最後の障害が主人公たちを試すタイミングを逸するからね、言うならスイッチ押した後だよね。

権益と我欲に捻れまくった『公』を守るべく、色々迷った末に『システム』を使うことを決断したマーセナス議員だけど、リディが己の振りかざした論理の犠牲になると分かった瞬間、脆くて弱い『私』の顔を見せる。
ここら辺の『公/私』のブレ方はUCを見る時の僕の足場とも共通する所で、力の入った表情作画とともに見応えがありました。
世界への復讐を望むマーサはさておき、マーセナス議員は『善意』で行動していて、それが息子を殺すという皮肉も含めて、いい具合にミネバが担当する場所の補完になってたな。

アルベルトが指弾するマーサの矛盾に関しては、『母』のイメージを最悪の方向に使ってマリーダさんを追い詰めたシーン、ミネバを『女』の共感で説得しようとして失敗するシーンと共通する描写でした。
アルベルトを引き込んだ時もそうだったんだろうけど、『女』が効く時は都合よく利用しつつ、政治と経済の世界で生き残るために基本的には『男』のロジックで動く小ずるさというのは、マーサを描く時徹底されていたと思う。
アルベルトが実子ではなく甥であることも、その延長線上にあるのかなぁ……『女』の社会実現を謳いつつ、『母』であることの上澄みだけ啜っている感じというか。
この小器用さは最高に感じ悪いので、アルベルトが噛み付いてくれて嬉しかったし、しかるべき裁きを受けもするのだろう……そのためにブライトさんが司令所に配置されてんだろうしな。


そんなわけで、フル=フロンタルとの長い因縁に決着がつく話でした。
オカルトバリバリであること自体は、ガンダムの最終決戦自体だいたいそんな感じだからOKなんだけれども、フルをバナージがどう受け止めたかに関してはあと少しだけ描写がほしい。
来週そこをやっている余裕があるのか、黒白手を取り合ってガンダムマーブルスクリューをぶっ放すのに忙しいか、どうなるんだろうね。
今までの傾向から言って、おそらく後者だろうね。

こうして一区切り付いてみると、僕は(キツイ言い回しになるけど)『ガンダムの公式同人誌』ではなく『ガンダムユニコーン』を望んでいたのだな、と分かった。
ファンサービスや過去の遺産の整理、オッサンの擦り切れた希望を託される(悪しざまに言えば押し付けられる?)時間よりも、バナージの影としてのリディやアンジェロ、ロニに時間を使って、青年たちが『今、ここで、ほかでもない彼らとして』何を感じ、価値観と行動をどう変化させ、お互い影響を及ぼし合うかを、徹底的に描いて欲しかったのだと思う。
リディ周りの強引な話運びに納得出来ないのも、バナージ以外の若者に回す尺が薄く感じるのも、そこら辺が原因なのだろう。

それはUCの根本的な作り方に起因するものだから、残り一話で一気にひっくり返るものではないと思います。
そういう作り方が最高に刺さる人も当然いて、それが支持されたからこそこれだけ愛され続けてもいるのだろうしね。
だからこれは、ガンダムという囲いに巧く入れなかった面倒くさいオタクが、今更6年前のアニメを斜から見て唸っている歯ぎしりの一つなのだ。
無論歯ぎしりしか出来ない僕にとって、それは当然かくあるべき正直な感想、作中の言葉を借りれば『たったひとつの望み』でもあるのだけれども、完全に同調するには立場も好みも会いきれなかった感じは残る。
最後まで見ないと確言は出来ないけれども、やっぱ僕はフルという存在が正直シャアより好きで、そんな彼が退場した今がやっぱ、自分の中でUCが終わったタイミングなのだな。

不当にもロスタイム扱いされているVSコロニーレーザーですが、スパっと奇跡を起こして腐った連中の目論見、砕いて欲しいです。
さんざん株を下げたリディ少尉、汚名返上最後の機会でもあるので、気持ち良く終わらせてほしい。
ミネバの《天罰》(《暴露》相当)も炸裂するんだろうが、こっちも『公』を引き受ける主人公として最後の見せ場になるだろうから、しっかりやって欲しいところです。
長かったUC0096もついに幕引き、さてはてどう収めるか。
やっぱり楽しみだし、楽しいんだよね、このアニメ。