イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない:第24話『シアーハートアタック その2』感想

殺意も虚栄も飲み込んで続く、眠らない街への鎮魂歌、VS吉良吉影後半戦であります。
恐るべき先触れ"シアーハートアタック"の動きを止めたものの、思いがけず吉良本体との邂逅を果たした康一くん。
クソ人間のクソみたいな鬱憤をメガヴァイオレンスの形で叩きつけられるものの、サディスティックな愉悦の隙を突く形で顔と名前を控え、無敵の"スタープラチナ"も起き抜けのドララーをぶち込んでさて勝った! 第四部完ッ!!
とはならず、辻彩のスタンド能力で犠牲者の顔と立場を盗み、街の喧騒の中へ無事逃げ切られる形に。
吉良の陰湿で邪悪な側面を全面に押し出しつつ、追いつ追われつ、癒しつつ殺しつつの追撃戦(Chase)が展開され、おぞましさと緊迫感のあるエピソードでした。

今週はとにかくよく血が出る話で、追い込む側の康一&承太郎も、追い込まれる側の吉良吉影も、赤黒く重たい血を流し続けます。
それはお互いの意地と生き様を賭けた真剣勝負であり、流れる血はその対価。
途中参戦の仗助&億泰が一滴も血を流していないのは、結果として吉良吉影大勝利で終わる今回の第一遭遇戦において、彼らが本格参戦していない証明と言えるでしょう。

しかし戦士と殺人鬼が流す血は、見た目は似ていても全く異なるものです。
クソサディストが己の心に溜まったクソをなすりつけた結果として流れる康一の血と、正当な反撃の結果として流される吉良の血は、その高潔さに於いて天地ほどの違いがある。
どんなに『静かに暮らしたい』と口では言っていても、吉良は受けた屈辱は暴力で晴らすサディスト殺人鬼であり、康一に襲いかかる陰惨で執拗な暴力描写は、その内面を見事に描写しています。

第21話で、もしくは靴下の下りで見せていたような人間存在の根本的なおかしさを持ちつつも、『楽しき隣人』として受け入れるわけにはいかない邪悪さが根本にある公共の敵・吉良吉影
康一相手に暴力を楽しみ、赤い血を流すことで存分に喜びを感じる今回の彼は、同じ街に住まわせてはいけないラスボスとしての存在理由を、これでもかと見せつけてきました。
ああいう胸糞悪い暴力を迷わずふるい、それを隠蔽して逃げ延びる狡猾さがあればこそ、同じ『非日常』の代表としてスタンド使いが奴を止めなければいけない。
康一くんの痛みが生々しく伝わってくる暴力描写は、同時に吉良を最終標的として定めたお話の構図もリアルに伝え、納得させられる仕上がりでした。

逃亡のために自ら手を切り落とす『覚悟』は、ジョジョのラスボスを張るのに大事なものですが、よりにもよって『手』というのが、それをトロフィーにしているクソ殺人鬼には良い皮肉でした。
ジョジョ世界は気持ちの強さが結果を連れてくる、ある意味スポ根的な側面があるわけですが、己を犠牲者と同じ場所まで貶めることで死中に活を求めた吉良は、邪悪なれどもタフな心を持った、油断ならぬ敵なわけです。
構図としては、康一くんが『覚悟』を見せて時間を作ったのと、吉良が手を切り落として逃げ切ったのはほぼ同じなんだな。


今回の描写は吉良の暴力性だけではなく、その異様さ(もしくは異様な状況でもこびりつく、奇妙な日常性)も際立っていました。
時間制限があると自分で口にしておきながら、ストレス解消のために康一をボロ雑巾にしないと気がすまない性。
これから爆弾に変えて消し飛ばす相手の、裏表になった靴下を直さなければ安心できない、吉良吉影の異常な日常。
その後"クレイジーダイヤモンド"が正当な意味で『治す』シーンが来ることで、あそこで靴下を『直す』吉良の異常性(が『穏やかな日常』になってしまっている、奇っ怪な転倒)は、より強く印象付けられます。

血を前に渇きを抑えられない野獣性と、見事に追跡を振りきって顔を変え、『日常』の海に逃げ切った狡猾さ。
人間臭いコメディアンとしての顔と、吐き気を催す暴力主義者としての側面。
吉良吉影には様々な表情があって、それが相矛盾することなく吉良吉影という人格を形成していることが、キャラクターとしての楽しさでもある。
そんなことを確認できる回だったと思います。
スタンドルールの例外として、一人で複数の能力を持つのも、人格的複雑さの顕れなのかねぇ。


クソゴミ殺人鬼に対峙するスタンド使いたちですが、それぞれ見せ場を作りつつも、最後の最後で新たな犠牲者を出し、吉良追跡の手がかりも失ってしまうという結果に終わりました。
吉良の凶猛さと狡猾さが前面に出て、『やっぱこのゴミクズ人間、とっととぶっ倒さないとダメだよ~! 安心して眠れないのはこっちだよのセリフだよ~!!』という気持ちになった分、あの華麗なる脱出は悔しい……絢さん死んでるし。
まぁまだ1クールあるからね……決戦には速いよね……。

康一くんは殴り合いには負けたものの、調子こいてるサディストの足元を救い、世界が無力な犠牲者だけで出来ているわけではないと、殺人鬼に教えていました。
あそこで反撃して時間を稼いだからこそ、承太郎が復活してドララーしたり、仗助が間に合って命が助かったり、何より『日常』が『非日常』に良いようにされたままじゃないと矜持を見せれたわけで、正に万夫不当の戦働きであった。
アニメで通してみてみると、康一くんは仗助に守られる立場から独力で戦い抜く存在へとじわじわ成長を続けていて、今回吉良に噛みつき闘いぬいたことで、その階段を登り切った感じもありますね。
こういうキャラクターの蓄積を確認しながら楽しめるのも、アニメでリメイクしてもらう大きな楽しみだなぁ。

そんな康一くんの男気にドキュン惚れ込んだ承太郎は、積み上げた『凄み』の差で思う存分ドララーしてた。
ぶっちゃけ後出しジャンケンのインチキ攻撃なんだけども、『まぁ承太郎だし、康一の見せ場は作ってたし、良いんじゃねぇの?』と思えてしまうのがずるい。
ジョジョボスが必ずやる『貫通腹パンチ』を康一くんも食らってたけど、花京院をぶっ殺したDIOを思い出して『二度はやらせねぇ!』となったんじゃないかな、承太郎は……あの時時止め能力覚醒してないから、貫通腹パンを確認はしていないか。

仗助&億泰はおっとり刀といいますか、正面切っての殴り合いは次回以降に持ち越しとなりました。
主人公が強力なヒーラーだと、絶対死ぬようなダメージもある程度気楽にぶっ込めて、絵面が派手になるなぁと、吉良に貫通させられた康一を見ていて思った。
そこら辺を封じて殺しきるためにも、"キラークイーン"は微塵も残さぬ爆殺能力持ってるんだろうね。

『手』を治すことで居場所を突き止める仗助と、『削り取る』能力を皆を守るために使った億泰の対比は、見てて『オッっ』と思いました
"ザ・ハンド"はそのまま使うと殺しにしか使いようがない能力なんだけども、億泰は色々工夫して『守る』力として活用している。
これは"レッド・ホット・チリ・ペッパー"との戦いでも見られた描写で、殺しの能力をとにかく殺しに使い潰す吉良と、面白い対象をなしていると思います。
"ザ・ハンド"と"キラークイーン"の描写の違いは、『どのように生まれてくるかではなく、どのように生きるかが大事。そして生き方は変えられる』というメッセージが込められていて、ジョジョらしい面白さだなぁと思います。
まぁ俺が億泰だーいすきなので、彼が良い事すると目につくってのもあるんだろうがね……ホントとっさの所で仲間を守るべく、『削り取る』能力を活用している億泰を見てると、形兆兄貴も無駄に死んだわけじゃあないなという気持ちにされる。


と言うわけで、流血の追撃戦は悪魔に軍配が上がる結末でした。
康一くんを執拗になぶることで、吉良の『コイツ……生かしておいちゃいけねぇ!』ゲージもモリモリ溜まっていたわけで、中々に悔しい結末。
しかし『日常』に隠れる『非日常』の悪意をテーマにしている以上、一度はやっておかなきゃいけない展開でもあるんだよなぁ……悩ましく、そして巧い。
モノトーンの屠殺場と化したエステ・シンデレラを抜け、なんでもない『日常』が煙幕として機能してしまう雑踏に繋がるラストカットは、作品全体を見事に凝縮していて、見応えのある演出でした。

しかし己の体に傷を刻み込まれ、街を愛する誇りを汚された『日常』の防衛者たちは、この程度では諦めません。
期せずして仕切り直しとなった追撃戦は、来週また別の角度から吉良吉影に迫っていきます。
『原子心母』ならぬ"アトム・ハート・ファーザー"の異常な愛情を、アニメがどう描いてくれるのか。
あらたなる戦いの予感に、胸がドギュンと高鳴りますね。