イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

クロムクロ:第23話『雪に唄う蛙』感想

地球撃滅艦隊がワープゲートの向こうに迫る決戦前夜の黒部、でもゾンビと野球はします! というクロムクロ第23話。
『平和な現代』と『戦場』という2つの日常がお互い排除しつつ融和していく姿を描いてきたアニメらしく、決戦直前で最後の日常をじっくりと描きに来ました。
学校が『戦場』に蚕食されても、授業も進路相談も転校生もランチも映画撮影も、これまでなんとなく、しかしかけがえなく描写されてきた『平和な現代』を無理くり取り戻し、自分たちが戦う意味を確認する。
ムエッタが『平和な現代』に馴染み、剣之介がムエッタと自分の中の雪姫に決着を付け、バカなことしつつ感情導線としては結構劇的なことが起きてんですけど、その筆致はあくまで穏やか。
とてもクロムクロらしい、おそらく最後の日常回だったと思います。

『戦場』のルールに支配されたサムライが一人『平和な現代』に叩きこまれ、混乱したり暴れたり、カレー食ったりラブコメしたり学園生活満喫したり戦ったり、色々しながら自分の居場所を探していく。
剣之介を真ん中に据えてこのアニメを思い返すと、やはり『異質なもの同士の融和』がこのアニメの根源であると思い知らされます。
これをひっくり返すと由希奈の軌跡になり、『戦場』からやってきた異人と『平和な現代』に埋もれた高校生、二人の主人公がお互い歩み寄り、お互いを認めていく過程に、とにかく深く静かに潜り込んでいくことこそが、23話続いたこのアニメが捉えてきたものです。

フィドルグ母艦の強襲により、黒部は雪に包まれ、『平和な現代』の象徴たる学校も、避難所兼野戦司令室に変わってしまいました。
今回のエピソードも『戦場』が食い込み生徒が随分減ってしまった『平和な現代』から始まって、しかし『戦場』が必ずしも『平和な現代』に対し優越していないという、このアニメがずっと描いてきた認識を再度描いていきます。
人が死に、あっという間に慣れ親しんだ風景を変えてしまう『戦場』の激烈さは確かに強烈なものだけども、しかし『平和な現代』の穏やかさは無条件でその犠牲者になるわけではなく、『戦場』すら包み込んで変化させていく。
『平和な現代』の一見ヌルい衣食住の楽しさは、他者を守る気持ちを奪い、ただ人を殺す機械に貶そうと企む『戦場』の誘惑から、人間を引っ張り上げる強靭さを持っている。
みょーに食いもんと服と寝るところにこだわった描写を積み重ねながら、剣之介と由希奈を通じてこのアニメが描いてきたのはまぁおそらくそういうことで、今回展開するのはその最終確認といったところです。


剣之介は既に『武士の魂』たる刀をバットに持ち変えるほど『平和な現代』に馴染んでいますので、その価値を切り取っていくためには、『平和な現代』に染まっていないキャラクターがいります。
その仕事を担うのがムエッタで、彼女は制服を着、オムライスを食べ、学び舎を同じくすることで、剣之介がじっくり馴染んでいった世界に、今回一気に踏み込んでいきます。
『四角い石ころのようなもの』しか食べたことがなかった彼女が『オムライス』に驚く姿はそのまま、『戦場』以外の価値観を切り捨てたエフィドルグから『平和な現在』に足場を乗り換えて行く運動なわけです。

フィドルグの欺瞞性を知り、さりとて『平和な現在』を受け入れるにも抵抗があるムエッタにとって、一番心が近いのは剣之介……ではなく、実は由希奈です。
学食で『カレー』ではなく『オムライス』食べていることからも見えますが、文字通り肌が触れ合うほど近い距離で、同じ涙を見て、体温を感じた相手は由希奈なわけで、彼女に導かれる形でムエッタは学校に来る。
由希奈自身も、剣之介に対してそうであったように、異人を排斥することなく受け入れ、開きすぎた胸元を注意したり、戸惑うムエッタを教室に引きこんだりしています。

厳しい『戦場』が身近に迫っても、むしろ迫っているからこそ『平和な現在』を頑張って維持し続ける人々に接することで、ムエッタはその体温を感じ、由希奈以外にもシンパシーを感じていきます。
今回繰り広げられるくだらねー学園描写は、茂住さんの命を奪った『戦場』に何故向かい合うのか、その理由を確認すると同時に、エフィドルグの価値観しか知らないムエッタに『平和な現在』を体感してもらうために展開されるわけです。


ムエッタの無垢なる瞳を通じて『平和な現在』の強さと意味を確認するのと平行して、剣之介の魂迷い旅もいい具合に最終局面に差し掛かっていきます。
先週の時点で『雪姫』ではなく『ムエッタ』と呼称していることからも、ある程度気持ちに整理は付いてきているんでしょうが、450年の時を押し流された異邦人としては、最後の人教がほしい所。
ここで由希奈ではなく武隈先生が『進路相談』を引き受けてきたのは、『教師』という仕事、『学園』という舞台の意味を最後に思い出させる展開で、非常に良かったです。
由希奈は確かに頼れる主人公で優しいやつなんだけど、彼女だけで物語世界が成り立っているわけではないので、ちゃんと仕事を分割してキャラクターの存在意義を出していくのは、非常に良い。

思えば第1話、由希奈の現状を視聴者に見せたのも武隈先生との『進路相談』だったわけで、お話が始まったところに戻ってきた感慨もありますが、とまれ寄る辺ない剣之介の混乱を受け止め、道を強制するのではなく、道を選ぶための整理整頓を適切に手伝う姿は、非常に力強かった。
『戦場』から迷い込んだ剣之介の出自を否定せず、彼が『平和な現在』で手に入れてきた大切なモノを思い出させながら進んでいく『進路相談』は、剣之介という愛すべきキャラクターと一緒に、僕ら視聴者が何を見て、何を楽しいと感じてきたのかも思い返せるような、優れて鋭いシーンでした。
こういう蓄積を活かしたシーンがガツンとぶっこまれると、『ああ、お話も終盤なのだなぁ』と思ってしまいますね。

色ボケぼやぼやな部分ばっかが目立っていた茉莉那ちゃんが、ムエッタ相手にカウンセラーの本分を発揮していたのも、とても良かったです。
記憶という足場を失い、アイデンティティと価値観の危機にあるムエッタにとって、方法論的懐疑を自己確認に応用する茉莉那メソッドは、確かに有効なアドバイスだったと思います。
あそこで自分と向かい合う足場を手に入れたからこそ、後に待ち構える剣之介との対話、剣之介が背負う『異人として現在を生きる希望』を受け入れる準備が、しっかり整ったわけで。
どれだけ『戦場』に踏みにじられても、『学園』が『学び舎』としての己を忘れず授業やら祝祭やらが展開された回にふさわしく、『教師』も自分らしさを思い切り発揮した回でしたね。
『平和な現在』をなんとなーく体感する『語らない』シーンと、どっしり腰を下ろしてテーマをセリフで『語る』シーン、両方をバランスよく使えるのは、このアニメの強みだね、やっぱ。

『教師』以外にも子供の成長を見守ってくれる大人たちは沢山いて、『みっともない遊びはしない』グラハム司令も、『みっともない上等』なボーデンさん&シェンミィさんも、最後の日常の中で輝いていました。
バカがバカ騒ぎする乱入シーンはとても楽しかったんですが、ふと『セバスチャンさんが生きてれば、絶対混ざったよなぁ……』とか考えてしまい、『あ、俺こんなに茂住さんの事好きだったんだ……』としみじみ感じ入ったりもした。
『戦場』のシビアさに屈服しない代わりに、『平和な現在』の優しさだけを描かず、死ぬときゃあっさり殺すのはこのアニメの優れたバランス感覚なんだけど、寂しいもんは寂しいな、クソッ……。


こうしてお互いの気持を整えた上で、剣之介とムエッタは真正面から相対します。
ムエッタと語り合うことで、剣之介は『雪姫に似ているが、雪姫ではない女』をそのまま受け止め、『戦場から迷い込んでしまった異人』である己自身も認める。
ムエッタもまた、『偽物の記憶を抱えた自分自身』から開放され、『戦場から迷い込んでしまった異人』としての今の自分を、あるべきところに落ち着ける。
第13話で腹ぶっ刺されて以来長く続いてきた『異人』達の漂流が、ここでしっかりと収まったのは非常に気持良く、カタルシスのある展開でした。

こうして見てみると、クロムムクロは主人公二人のお話だったなと思います。
第1クールは由希奈を中心に、何者でもない己自身と己を捨てた父を相手に葛藤し、逃げ出し、迷い、成長する物語が展開されていました。
第2クールは剣之介を中心に、二度と戻らない過去に執着し、異人として流れ着いた『平和な現在』で生きる意味を探す物語が進んできました。
悩める二人の若人が己の真実を探し求め、惑い、試練を区切り抜けて成長する。
それは凄くありふれた物語の形であり、だからこそ真ん中に据えて物語を支える柱として、存分に機能していると、二人目の主人公の迷妄に決着がついた今回、強く思います。

二人の主人公は大きな存在であるけれども、けして孤立しているわけでも、独善的なわけでもありません。
むしろ『人間が己を確立するためには、絶対に誰かの手助けが必要なのだ』というメッセージがこの作品には満ち溢れていて、彼らが己を探す旅路には本当にたくさんの人が関わり、影響し合い、同じ場所、同じ食事を共有して歩み寄ってきた。
お互いの物語を共有しつつ変化していく、群像劇としての最高の楽しさがあればこそ、主人公二人の成長はよりスムーズに視聴者に理解され、体温のある物語として消化されていった。

逆に言えば主人公二人の成長がスムーズだからこそ、それに巻き込まれ変化していく人々の表情もクリアに理解出来たわけです。
凡俗であることに悩みながら『敵味方関係なく、命は命だ』という健全なヒロイズムに辿り着いた赤城。
青春の鬱屈に悩みつつ、自分のやりたいことをやりたいようにやり切る境地を、不格好に実現したカルロス。
ロボットに乗る人も乗らない人も、楽しい『平和な現在』と苦しい『戦場』を一緒に行き来しながら、何かを学び己を変えてきたわけで、その行きつく先として今回の最後の日常、非常に良かったです。
……茅原は相変わらずのレコーディング・モンスターだが、まぁそれはそれでいいやと思えるくらいに、俺はこのお話と茅原が好きになってきてる。


他のキャラクターを巻き込み、骨太に支えた主人公たちの描写は、ムエッタのキャラクターも(というかムエッタこそ)浮かび上がらせます。
剣之助に似た『異人』であり、由希奈に似た顔をしたムエッタは主人公たちの要素を濃厚に受け継ぐ、対立者であり相似者でもあるシャドウとして物語にいるわけで、そら主人公たちが濃く描けてれいば、ムエッタ自身もしっかり描けるわ、という立場です。
そのうえで、主人公二人が持ち得ない『エフィドルグ/敵』という属性を背負い、そこから出発して主人公の側によってくることで、武力で制圧するだけではなく、精神や文化でも敵を乗り越える象徴としての仕事も、ムエッタはしています。
『雪姫』という剣之助のトラウマを押し付けられることで、剣之介の内的混乱を象徴するキャラクターもであったかな。

『進路相談』とこれまでの経験で得た知見をまとめ上げ、己を、世界を、世界の中の己を自分の言葉で語る剣之介が、すれ違いを重ねてきた『敵』であり『雪姫』でもあるムエッタと正面から向かい合い、分かり合う。
第2クールを貫く剣之介の迷い路の終着点としても、エフィドルグからはじき出されたムエッタの新たな出発としても、異人同士の語らいは本当に素晴らしかったと思います。
他人には優しいくせに自分のこととなると『知らん!』で済ましてた剣ちゃんが、実感のこもった語り口で状況と心を整理し、ムエッタに伝わるように言葉を使ってくれたことが、俺は凄く嬉しかったなぁ。
『戦場』のルールである刀と暴力だけではなくて、『平和な現在』の技術でもなくて、人間の根本的なルールである『言葉と思いやり』を使いこなすところに、この青年は辿り着いてくれたんだ、という感慨を、勝手に受け取ってしまった。

しかし未来の話を戦場ですれば死神は忍び寄ってくるもんで、希望は絶望の親類でもあります。
『『白くてフワフワしたもの』ってつまり『雪』であって、春の日差しが戻れば、もしくはエフィドルグの人工氷河期が去れば儚く溶けていくってことじゃん!! ムエッタ死ぬじゃん!!』と興奮したりもしたが、まぁ落ち着け先のことは分からん。
茂住さんを見ても殺すときはさっくり殺すアニメだし、特にムエッタは咎なき研究員を首コキャしてるんで、ある程度覚悟はしておくつもりですが……そういうキャラクターがポンコツ可愛い所しっかり見せるの、マジ卑怯だって。
剣ちゃんも安心はできない立場だからなぁ……この現在で生き延びる決意と覚悟が決まった分、それが叶わない時の哀切はより強くなるからね。

後あれだな、ムエッタを仲間に引き入れるのが、剣ちゃんと一番最初に仲良くなった妹ちゃんだったのも、お話が運命的に巡り巡っている感じが強くあって素晴らしかった。
いや俺が妹ちゃん好きだってのは当然あるし、あの場でムエッタの手を取る『べき』なのは一番イノセントな妹ちゃんだって作劇の定番もようよう承知しているのだが、それを踏まえてもなお、なんかにじみ出る感慨があのシーンにはあった。
徹頭徹尾日常担当な妹ちゃんが可愛いことで、『あの笑顔を守るために、みんな命張ってんだなぁ』と強く実感できるのは、キャラが記号や役割をはみ出していきいきと動き、最高に仕事してる証拠だと思う。


というわけで、『戦場』の中の日常をもう一度追いかけることで、二人の異人の心をあるべき場所に定める、穏やかな決着でした。
ロボがドンパチドンパチする派手さだけに重きを置くのではなく、その背後に必ず存在する日常や感情を大事に進めてきたこのアニメらしい、優れたエピソードだったと思います。
これまでの蓄積があって初めて刺さるシーンがてんこ盛りで、お話全体が収束しつつあるこのタイミングでしか出来ない、感慨深いお話だったなぁ。

迷えるムエッタもついにその刃の行く先を定め、つうかバッタバッタ人が倒れてるしワープゲートも開いちゃうし、決戦待ったなしの黒部。
今回これ以上ないほどしっかりと『戦場』の背後にあるもの、戦う理由を確認したのもあって、激戦に飛び込む準備はまさに万端であります。
ロボアニメの新境地を切り開いた(と僕は思っています)このアニメが、どのような最終決戦を描き、そこでどんな感情の色を見せてくれるのか。
いや実際たまらん醍醐味だね、2クール付き合った物語がこういう盛り上がりをするのは、さ。