イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ラブライブ! サンシャイン!!:第11話『友情ヨーソロー』感想

人の心は海より深い混沌、今週は真夏のNO EXIT ORION。
賢く明るい幼なじみライフの裏で積み上げてきた不穏要素を一気に爆発させ、千歌とのこじれた歴史も全て修繕!! ……とはならない、なかなか歯がゆい渡辺曜個人回となりました。
曜ちゃんが気付けば被っていた優等生の仮面を引っぺがすことには成功しているし、最大のわだかまりである『千歌ちゃんに嫌われているかも……』という疑念は晴らせたんだけども、千歌が問題の根本に気づかないまま解決されたので、すべてが終わった感じはしません。
二期を踏まえた上で燃料を残しての応急処置なのか、はたまたこの物分りの良い哀しさが渡辺曜のキャラクター性なのか、なかなか難しいお話でしたね。

今回のお話がモヤッとする最大の要因は、曜ちゃんの気持ちを千歌が直接認識し、解体し、受け止める終わり方ではなかったことでしょう。
曜の本音は鞠莉が聞き出し梨子と共有され、そこで鎧を外されたことで曜ちゃんは物分かりよく自分の本音に納得し、無邪気に歩み寄ってきた千歌に飛びつき抱きしめる。
曜ちゃんが抱えたモヤモヤは『梨子が憎い』でも『千歌と二人だけでいたい』でもなく、『千歌に嫌われていないと確認したい』なので、千歌がわざわざ自転車でやってきて自分を大事にしてくれた時点で、思いは一応収まっています。
しかしモヤモヤを生み出す心のなかの複雑な動きを知っているのは、相談を受けた鞠莉であり梨子であって、千歌は最初から最後まで核心に近づかないまま、曜ちゃんだけがその周りを回って、安定軌道に自分から収まっているわけです。
つまり、曜ちゃんから千歌への気持ちは収まっていても、もう一人の当事者である千歌は問題を認識すらいしていないし、問題解決への根本的な関与からも遠いわけです。

Aqoursのお話はこれまで、悩める当事者が一旦『これでお話は終わり、問題なし』と納めかけた気持ちを、もう一人の当事者が引っぺがし根本的に解決することで進んできました。
第2話における千歌と梨子、第4話における花丸とルビィ、第5話における善子とAqours、第8話における千歌と梨子、第9話における三年生と千歌、第10話における梨子と千歌。(こうして書きだすと、マジちかりこの話だなサンシャイン)
自分一人では物分かりよく終わってしまう物語を、『それは本当のことじゃない! 蓋してごまかさないで、おもいっきり開放しよう!!』と暴露することで、閉じ込めていた本音が開放され共有され、魂がより良い状態に落ち着く。
今回曜ちゃんが千歌に自分の気持を伝えることなくお話が収まってしまうのは、この基本構図に反しているわけで、どうにも徹底されていないモヤモヤを感じてしまいます。


鞠莉や梨子とは共有できる気持ちが、なぜ千歌には投げつけられないのか。
そこには様々な要因が絡んでいますが、一つには曜ちゃんが賢いことがあげられます。
ド素人集団Aqoursの中にあって、曜ちゃんはパフォーマンスの飲み込みも早く、場の雰囲気も読め、ファンからの支持も分厚い才女として描かれてきました。
曜ちゃん自身は『なんでか要領いいって見られることが多い』と首をひねっていましたが、そう思われるだけの視野の広さと頭の回転の速さが、彼女にはあります。

その賢さはAqoursを成り立たせている祝福であると同時に、自分の気持を押し殺す枷でもあります。
思う存分自分の本音を大暴走させ、周りを巻き込んで果南との因縁を決着させた鞠莉が言う『本音をぶつける』解決策が、どういう被害と痛みをもたらすか。
それを想像できてしまうからこそ、自分の意見を押し殺し、場が巧くまとまる形で収めてしまうわけです。
千歌と出会うまで、曜ちゃんの涙が『眼鏡』という枷を出ず描かれているのは、そこら辺の抑圧を巧く絵にしていたと感じましたね。

千歌は逆に、常に浅薄で愚かしい側面があると描かれ続けてきたキャラクターであり、曜ちゃんのイメージの中の千歌が常に困惑した苦笑を浮かべているのも、曜ちゃんが認識する整然として視野の広い世界と、千歌が認識する狭くて個人的で感情的な世界とが、巧く咬み合わないからでしょう。
鞠莉や梨子の助けを受けつつ、自分のほんとうの願いと千歌の無意識の行動をすりあわせ、望むものを手に入れた(と思った)曜ちゃんの抱擁を、千歌は確かに愛情を込めて抱きしめ返してはいるんだけど、しかしそこには困惑がある。
曜ちゃんが何故抱きついたのか、その内面にどのような冒険があり、変化があったのかを千歌は共有していないし、推測できる能力もないし、曜ちゃんもAqoursの現状とか千歌との関係とか(あと残りの尺とか)余計なことをゴジャゴジャ考えて言葉にしないので、その当惑は当然ではあります。
渡辺曜が認識している世界、整理して確認し調整している賢い内的空間が、かなりの部分共有できていない『普通怪獣』の愚かしさが、千歌の苦笑の中に刻み込まれている。
それを乗り越え、どうにかして同じ世界を二人が(曜ちゃんだけではなく!)見なければ、関係の根本的改善はなされないと思いました。


もう一つは、二人の間にある歴史です。
千歌にとって渡辺曜は愛すべき存在であると同時に、己の非才を常に思い知らされるコンプレックスの源泉であり、近づきたい気持ちと離れたい気持ちが同居する、複雑な相手です。
そんな気持ちを察してか、曜ちゃんは『一緒にいるのがいやなのかな』という気持ちを自然発生させ、しかしそれを問いただす勇気も持てず、ずっと幼なじみをしてきました。
共有してきた時間だけが生み出せる暖かさと摩擦は、例えば三年組の重たい関係にも通じる共通のモチーフですが、曜と千歌の間でも複雑怪奇に交錯しています。

曜ちゃんとの関係が時間の檻にとらわれる一方、転校生でありゼロから関係を作っていける梨子との物語は、紆余曲折ありつつもスムーズかつディープに進行していきます。
本当は何を望んでいて、何が辛くて、どうするべきなのかを、心の持ち主よりも正しく理解できるような、深い部分で繋がった関係。
梨子が一度は目を背けたピアノへの愛着を後押しし、笑顔で誤魔化してきた千歌の悔しさを引っ張り出してあげるような、曜ちゃんとは違う関係。
千歌と梨子が出会ってからの半年で一気にそこまで行けたのも、蓄積した時間という呪いがなかったからだと言ってしまうのは、ちょっと残酷すぎる気もしますが。

内浦という狭い世界で、顔を合わせれば愛情と劣等感を刺激され、そこから生まれた苦笑いがまた隔意を加速させつつも、それでも好きという気持ちは消えてなくならない。
二人の関係の根本に千歌の劣等感(『普通怪獣』というセルフイメージ)がある以上、そしてそれを解決するのがおそらくラブライブでの偉業達成である以上、こじれた幼なじみの関係が応急処置的に終わるのも、ある意味しょうがない気はします。
千歌の愚かさや自己評価の低さは、成長することで乗り越えていくべき物語の燃料でもあるので、曜ちゃんとの関係だけで燃やし尽くしてしまって良いものではないのでしょう。
……俺も物分りの良い言い回しをブン投げて言わせてもらえば、そんなの関係なく本物の渡辺曜をぶちまけ受け止めお互い手を伸ばして抱擁すりゃ良いと思ってますよエエ。


複雑怪奇に絡み合った二人の関係ですが、そこに屈折だけではなく真実の愛がしっかりあるのは、とにもかくにも良いことです。
千歌が曜ちゃんを真っ直ぐ見れないのも、好きだからこそ同じ目線に立ちたいと願う気持ちがあり、それが叶えられないから。
曜ちゃんが『嫌われているかも……』と怯えるのも、投げかけた愛情を返して欲しいと思える、心底好きな相手だからこそ。
曜ちゃんが今回自分の気持ちを収めることが出来たのも、色々捻れまくってはいますが、そこにある愛が本当だと確信できたからなのです。
……その温もりが、世界を冷静に分類し的確に整理できる渡辺曜の賢さが生み出した幻想だと思えるほど、俺もニヒリストじゃないし千歌のことをバカにしてる訳でもない。

千歌の愛情に気付く支えを、三角関係の一端を担う梨子がやってくれているのは、複雑でもありありがたくもありました。
『二人が良かった。人数が増えるたびに喜んで、ていうことは千歌ちゃんは私と一緒にいたくないんだ!!』という認知の歪みを、梨子は『そうじゃないよ、千歌ちゃんは『みんな』と一緒にAqoursをやりたいんだよ。『みんな』には千歌ちゃん自身も、曜ちゃんも、私も入っているんだよ』という言葉を与えることで、的確に修正している。
これは曜ちゃんの中に眠っているAqoursへの愛情(これがないなら、第8話で『私は悔しかった』とは言わんでしょう)を確認させ、揺らいでいた心が収まるべきところに収まる、大きな助けになったと思います。
こういう言葉をかけてくれる存在だからこそ、ただ梨子を憎んで排除する方向ではなく、梨子も愛しつつ千歌の特別な愛情が欲しくなる(そして満たされない)より複雑な深度へと、三人の関係が沈み込んじゃうんだろうな。
……現在進行形な分、三年沼より深くて苦しいな、二代目スリーマーメイドは……。

そういう意味では、超感情主義者の鞠莉の助言が、そこまで的確に刺さっていないのは面白いところで。
鞠莉も周囲の状況を理解する知恵は当然持っている(何しろ理事長だし)わけですが、道理や収まりの良さ全てを蹴っ飛ばしてでも、果南とダイヤを取り戻す自分の気持を優先できる人です。
曜ちゃんはそこで周りを見てブレーキを踏んでしまう子なわけで、鞠莉の痛みと被害を恐れずぶつかっていくスタイルと咬み合わないのは、当然というかなんというか……ワシワシしようとしたら一本背負いでカウンターもらうのも、まぁしゃーなしだな!。
それでも鞠莉がちゃんと周囲を見て、当惑している曜に手を差し伸べてくれる女の子だって分かったのは、やっぱ有りがたかったですね。
このタイミングで鞠莉に助言させそれがあまり機能しない描写をはさんだのは、感情を正面から叩きつけ合う『ビンタ&ハグ』式の解決法とは違うやり方が、曜と千歌には必要(もしくは、今回はそれが適応できない)だと確認する意味合いもあったんだろうなあ。


今回の話は曜ちゃんの『意外な側面』を掘り下げ、彼女も弱さと体温のある一人の人間だと印象づける回ですが、それは今回いきなり描かれたわけではなりません。
曜ちゃんが賢く、明るくAqoursを盛り立ててくれる合間に、千歌と梨子が己の物語を展開する影に、優等生が抱えるモヤモヤはしっかり描写されてきました。
本筋をドドンと押し出しつつ、端っこの方で細かくキャラの複雑さを描く演出はサンシャインの十八番ですが、この蓄積が今回活きた印象がありますね。

楽しそうに語らう千歌と梨子を複雑な表情で見つめ、Aqoursが同じ方向を向く中一人馴染み切れていない渡辺曜
本筋からはみ出したそういう表現が積み重なって、今回『ああ、渡辺曜はそういう子だったのだな』という納得が生まれていますし、その背景であり抵抗重量でもある千歌のコンプレックスもしっかり描いていたことも、エピソードを成立するためには重要です。
せっかく複数話数を組み合わせて物語を造れるメディアなので、こういうふうに物語要素の蓄積と活用が機能すると、やっぱ面白いですね。
主題の裏にあったものにクローズアップすることで、『ああ、アレにはこういう意味もあったんだね』という発見の快楽もあるしね。

蓄積で生まれた今回の話しもまた、未来の物語への足場として活用されるわけで、『お揃いのシュシュ』というフェティッシュ、『ピアノ』というパフォーマンスを共有することで物語を巧く集約していた"想いよひとつになれ"は、とても良かったです。
曜ちゃんの千歌への気持ちも、梨子の思いも、スクールアイドルとしてのAqoursの立場もひとつになっているんですが、千歌と曜ちゃんの気持ち/世界認識はひとつになりきれていないのが、なかなか皮肉だ。
しかし一段回上のステージを達成し、Aqoursラブライブを勝ち抜く説得力はしっかり生まれていたので、一期最終盤に向けての布石としては素晴らしかったと思います。
"Saint Snow"の現状をチラッと見せたところといい、サンシャインは勝負論を大事に、競技としてのラブライブも疎かにせず描写している感じがある。


曜ちゃんは千歌と二人きりの閉じた世界を望むと同時に、9人に増えたAqoursだから手に入れられたものも、Aqoursをやっていく内で救われた人達の姿も、その広がりが持つポジティブな意味も、しっかり理解してます。(賢い子だからね)
『開けて風通しが良いほうが、絶対正しいよ』『友達に嫉妬するなんて正しくないよ』という、倫理や社会規範の声も、ただのお題目ではなく感情を伴った実感として理解できる、心の豊かな子供なんだと思います。
しかしそういう子でも、単純な正解が見つからない感情の檻に閉じ込められれば摩耗するし、自分で自分がわからなくなる瞬間は来る。
そういう『優等生の悩みや弱さ』をどう扱い、どう収めていくかというのが、今回展開されたエピソードだった気がします。

成長の余地が判りやすい『出来ない子』千歌の苦悩だけではなく、コンプレックスの対象たる『男でも出来る子』がどういう気持ちなのか、ちゃんと扱うこと。
それは作品の横幅を広げるし、なによりもキャラクターを掘り下げるカメラから見捨てられた子はいないのだという、作品への信頼感を強めてもくれます。
渡辺曜高海千歌の関係をこれ以上掘り下げるためには、千歌のコンプレックスを掘り下げなきゃいけないわけで、残り話数とやるべきことを考えると、それは一旦お預けになるしかないってのは、まぁ理解できる。
おそらくあるであろう二期、物語を先にすすめる制約から解き放たれたその時に、今回曜ちゃんが(そして千歌が)乗り越えられなかった『賢さ』にもう一度対峙してくれることを、強く願っています。
いや実際、曜ちゃんと千歌がお互いの顔を真っ直ぐ見て、赤裸々に己の欲望と情愛を語り合うエピソード来るから……マジ来るから……あと俺、想像以上に曜ちゃんに思い入れてるな……。