イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

プリパラ:第114話『急げ!神アイドルグランプリ!』感想

新世代も台頭してきて新たなる風の気配を感じるデジタルアイドル伝説、しかし今週は宴の始末。
第108話、第111話(さらに言えば一期・二期も)と蓄積されてきたトリコロールの物語的燃料を完全燃焼させ、メンバーのみならずマネージャーまで動員して、弱さや醜さまで引っくるめてキャラを描き切るエピソードとなりました。
トラウマから素直になれないひびきだけを『治療』し『克服』させる展開ではなく、傷も含めて今のひびきを認めた上で、チーム全員で前に進んでいく意思を共有する展開が、本当に素晴らしかった。
ふわりが持っているある種の頑なさや、女神の欠片として自分を押し殺しすぎるファルルの優しさもしっかり問い直され、三人の少女の再出発として最高の仕上がりでした。

『みんなトモダチ』という文言は一種の呪いでもあって、身近な人に裏切られ、その裏切りを何事もなかったかのように勝手に関係を直されてしまったひびきには、とても受け入れられない言葉です。
しかしその言葉を言えなければ、トリコロールは結成されず、神コーデは手に入らず、ふわりの『アイドルの頂点に立ちたい』という願いや、ファルルの『ボーカルドールとして生まれた本懐を達成したい』という望みは叶わない。
傷ついてしまった今の自分と、色々ツンツンしつつも愛おしい仲間たち、そして『王者になりたい』というひびき自身の願いを、どう両立させるのか。
このジレンマを追いかけて、三期におけるトリコロールのお話はあったし、二期が語るべき到達点もそこにあったのでしょう。

これはひびき個人の性格的問題なだけではなく、チームを構成する三人の譲れない個性の問題であり、それを失ってしまえばもはや己ではないような、非常に頑なな資質の問題でもあります。
ふわりが途中まで推し進めるような、ひびき一人が『変わって』『元気になって』『頑張れば』解決する話ではない以上、今回の話はひびき一人の心ではなく、マネージャーのトリコまで含んだ『トリコーロール』に分け入る話にならざるをえない。
そして実際、三人と一匹の個性と立場に踏み込んだ結果、ひびきは『みんなトモダチ』は信じられなくても、自分を思って身を削ってくれる個別の友人たちは信じられるという、自分なりの境涯に辿り着きます。
それを『プリパラ』というより大きなシステムが是認し、『ジュルル=ジュリー』という神が祝福したことも引っくるめて、非常に良いまとめ方をしたなと思いました。


プリパラにおいては性格の悪さは個性の一つ(ドロシー見れば一発で分る)なので、ひびきの素直になれなさやふわりの過剰な正しさ・強さは、自分ひとりではけして改善されません。
しかしそこを譲って己の至らなさを認め、現状を変えていかない限り、チームは結成されないし神コーデは手に入れられないし、『負け犬』の烙印を押されたひびきは本来のノーブルな個性を発揮も出来ない。
譲れないものをどう譲り、変えられないものをどう変えていくかという関係性の闘争こそが、今回のエピソードの中心にあるわけです。

歪んだ個性は他人に無理を強いるし、無条件に認めるべきものでもないという社会的公平性からの視点は、今回ユニコンが巧く担当していました。
大谷育江の声優力を活かしたコミカルな出番でしたが、『ファルルの親』であるユニコンが『お前いいかげんにしろよ』と指弾し、コメディチックな膜で覆われた『ツノる』という暴力を叩きつけることで、視聴者がひびきに感じる苛立ちは代弁され、彼女が対峙するべき問題も明確になる。
ついでに言えば、ユニコンが叩きつける過剰な『正しさ』はふわりが対峙するべき個性であり、事前に『正義の間違った使用法』をユニコンが見せておくことで、後の解決がスムーズになる仕事もしてます。

ニコンが叩きつけてる『正しさ』はたしかに過激ですが、同時にひびきの『弱さ』が生み出す害悪を的確に指摘していて、アイドルに言わせる訳にはいかない正論をギャグキャラに言わせることで、当たりの強さを減らす巧さを感じます。
これを言っておかないと、『なぜひびきは変わらなければいけないのか』『なぜ『正しくある』必要があるのか』という前提がボヤけて、変化の物語の必然性が薄れるしね。
正義の代弁者としての仕事が終わった途端、ガァルマゲドンのステージを挟んで、『ガァルルの親』でもあるユニコンをスムーズに退場させる手腕も含めて、今回はサブキャラクターの使い方が非常に上手かったです。
……出てくると確実に時間を食われ、終わる話も終わらないんでソッコー監禁されたあじみ含めてな!!

今回のお話が当事者以外を締め出した密室で行われるのは、トリコロールが抱え込んだ矛盾と愛情が非常に繊細で、ともすれば『難しすぎる』要素であることを、如実に表しています。
ラスボスとして物語全体を背負い、物語に関係する全てのキャラクターと正面から対峙するしかなかった二期のひびきには、この密室性が必要だったのかなぁと、今になっては思います。
そうやってディープで複雑な関係を共有するには、主人公らぁらは幼さ過ぎるし、彼女が幼さを失う時はプリパラが終わるときなので、どうやっても難しくはあったんでしょうけども。
ラスボスという立場から解き放たれて、二人の女と密室で向かい合うプライバシーが許された三期のひびきだからこそ、こういう決着にたどり着けた感じはありますね。


一人では変えられない己を変えるための方策として、今回は『他人の中の己』を見出し代弁する行為が、多数用いられていました。
他人の中に自分を見つけるためには、『他人を見つめたい』と思える気持ち(それを愛って呼んでも良いと思いますが)が必要だし、そうして見つけた『自分の延長線上にいる他者』を足場にすることで、他人の問題を自分のモノとして受け止めることも出来る。
しかしそれは自分ひとりではなかなか見つけられないものだし、公開するには勇気ときっかけが居るものだし、距離を離した他人のほうが見えることでもある。
なので今回は、自分の真実を他人に言ってもらうシーンが、幾重にも積み重なることになります。

ふわりが彼女の個性である『正しさ』にこだわりながら、ひびきのために己の使命と望みを押し殺し、『無理しなくていいよ』という状況に怒るのも、ふわりがファルルの為を思っての行為です。
そこには確かに、他人の弱さや矛盾には踏み込めず、過剰な『正しさ』を暴力的に振り回してしまう緑風ふわりのエゴイズムがあるんだけども、同時に否定しようのない優しさと共感、歪んだ状況を友達のためにどうにかしなければいけないという『優しさ』がある。
ファルルがひびきを庇う行動も、トラウマに苛まれ行動できない今のひびきを守りたいという『優しさ』から生まれているのだけれども、そのためにファルルの望みが二の次にされてしまうのは、けして『正しい』とは言えないし、三人にとってベストの選択肢でもない。
もちろん、己の『強さ』に過剰にこだわり、そこから出る方法を模索しつつも見つけられないひびきも、『正しい』状況にあるとはいえません。
ひびきなりの不器用な『優しさ』で、自分が憧れ自分を救ってくれた友に報いようというあがいているとしても、です。

それぞれが特性として抱え込んだ『正しさ』『優しさ』『強さ』のトリコロールは、そのままではけして混じり合うこと無く、状況が変わることはありません。
関係性の中に潜むこのような矛盾をえぐり出すためには、ふわりの過剰な『正しさ』が必要なのであり、同時にその過剰さと暴力性に彼女が気づかないのも、また『正しく』はない状況です。
『正しさ』の体現者であるふわりはひびきの弱さと努力には歩み寄れないので、第五の代弁者であるトリコがここで全面に出て、ひびきの弱さを本人の代わりにふわりに伝える。
自分の『弱さ』を仲間に見せるほど『強い』存在ではないひびきの『優しさ』『正しくあろうとする意思』を、生まれたときから『弱い』トリコが代弁することで、ひびきの中にある『正しさ(ふわりの属性)』や『優しさ(ファルルの属性)』が共有され、矛盾が止揚され状況が変化していくわけです。

揺るがない『強さ』を己自身と定めているひびきにとって、トラウマを克服しようと努力し失敗する『弱さ』や『優しさ』は、口にしてしまえば己が崩れるような認めたくない個性なのですが、それこそがふわりやファルルがひびきの中に『他人の中の己』を認め、己を崩して歩み寄るための足場になります。
トリコロールの当事者三人ではけして手に入らなかっただろう解決へ、『弱さ』の体現者であるトリコが触媒となることで導いていく今回の展開は、マネージャーという仕事の価値を高める意味も含めて、非常に良かったです。
ガァルマゲドンにおけるネコ姉さんもそうなんだが、三期はマネジに良い仕事させるなぁ……安藤も一応マネジ枠か、そういや。

トリコがひびきの『弱さ』を代弁してくれたおかげで、ふわりは過剰な『正しさ』でひびきを追い詰めていた己の歪みに気付くし、『他人の痛みをなくしたい』という己の中の『優しさ』(そういえば、プリパラナースの一人でしたねふわり)に立ち返ることも出来ます。
ファルルもふわりの『優しさ』に気づいていればこそ、「私のために言ってくれたんだよね」という言葉をかけて、ふわりの『正しさ』が暴力的なだけではなく、必要なものでもあると認める。
そんな二人とマネージャーの姿を見つめることで、ひびきは『強さ』だけではなく『弱さ』もひっくるめた今の自分を素直に認め、自分なりの形で『トモダチ』の言葉を口にすることが出来るわけです。
そうしてチームが結成された結果、『頂点に立ちたい』という『強さ』は適切に出口を見つけ、"Mon chouchou"のステージ、神コーデの入手、神GPへの参戦というキャリアメイクにつながっていく。
今回のお話は、トリコロールが混じり合えない原因たるそれぞれの個性を、メンバーそれぞれが実は己の中にしっかり育てていて、そういう共通点があればこそ三人は出会い、『トモダチ』になれたのだと確認するための、デコボコした道だったと思います。


今回のお話がすごいのは、密室で個人的な問題を解決しただけで終わりにせず、チーム結成の儀式やステージという公共性にアクセスするところまで、一つのエピソードに収めたところです。
『他人の中の己』を見つけることでより『己』らしくなれた子供たちは、それを適切な場所、適切な形で発露することでより望ましい状況にたどり着けると考えていればこそ、プリパラは『みんなトモダチ、みんなアイドル』というコピーに『みんな』の文字を入れているのでしょう。
だからチーム結成の場にはらぁらやジュルル、メガ兄やユニコンが立ち会うし、トリコロールのステージを待ちわびていた大衆によって、その新生はあっという間に拡散される。
あそこに大神田校長がいたのは、母親代わりにふわりを世話してた過去が報われる一瞬で、ありがたい演出でした。

ひびきがたどり着いた『みんながトモダチだとは思えないけど、目の前で自分のために『優しく』『正しく』なってくれたふわりとファルルのことは、トモダチだと思える』という宣言を、システムが受け入れたこと。
これはひびきが勝者としてのアイデンティティを取り戻し、健全に自己実現する上で絶対に必要な行為ですが、同時にプリパラ全体、そしてそれを体現するらぁらとジュルルにとっても、豊かで良いことだったと思います。
トリコロールの物語を追いかける内に、『みんな』という言葉の持つ過剰な『正しさ』と暴力性も照射されていった感じがあるわけですが、『みんな』から弾き出されてしまったひびきが自分なりの『トモダチ』を見つけることで、いい具合に過剰さを削ることが出来たかなと。

ひびきの限定的に過ぎる『トモダチ』は、しかし彼女自身が『まだ』と言っていたように、いつか『みんな』になる可能性を秘めた定義です。
『みんな』には色んな存在があって、らぁらのように陰り無く『みんな』を受け入れられる存在もいれば、ひびきのように己を傷つける『みんな』は受け入れられない人もいる。
そういうひびきでも、己を思ってくれる人たちの気持ちを肌で感じて、自分なりの『トモダチ』をスタートさせることが出来るということ、そんな不器用なゼロから一への変化をシステムが認めたことで、プリパラ自体からも過剰さが取り払われた印象を受けました。

第111話で楽しくお世話してくれたひびきを、あえてあのタイミングでは祝福せず、トリコロール三人の問題が解決した今回神コーデを与えたのは、ジュルルの成長描写としても面白かったです。
神コーデを与えなかったジュルルの判断が、赤ん坊らしい気まぐれなのか、はたまたプリパラの神に必要な『正しさ』が発露しているからには、赤ん坊語しか喋んないジュルルを見ていても、なかなか判別つかないところです。
しかし両手を叩いて喜ぶジュルルのアップを見て、祝福を受けたひびきが例外的に呟いた『お疲れ様』の言葉を聞くと、『まほちゃんは楽しく自分をお世話してくれたけど、ここで神コーデを与えても幸せになれない。それを追いかけることで、周りの人ももっと幸せになれる』という判断をしてコーデを与えなかったのかもと、思ってしまいます。
ここら辺の描写は、トリコロール復帰戦になる次回、もうちょっとヒントが出るかもしれませんね。

ひびきが己の弱さを認め、チームがはらんだ矛盾を止揚し、持ち前の不敵さと才能を取り戻したことは、勝負事としてのプリパラにもいい影響を与えていると思います。
プリパラが『みんなトモダチ』の物語である以上、勝負に必要なある種の敵意というのは必然的に薄れていって、馴れ合いとも言える友情がキャラの間には漂い始めます。
この気だるい霧を、勝ちを求める『強さ』とそれを支える『才能』を併せ持ったトリコロールが加わることで、いい具合にふっ飛ばしてくれているかなと、闘志をたぎらせるのんチリや次回予告を見ていて思いました。

なにしろまほちゃんはそうそう簡単に『トモダチ』にはなれない、面倒くさい女の子なわけで、彼女が挑発的な言動を繰り返し、それを支えるだけの実力を見せてくれることで、『友達を作る場』であり『楽しむ場』であると同時に、『競い合う場』でもあるプリパラは、より自分らしい姿を取り戻せるのではないか。
スーパーアイドル・真中らぁらを強く追い求める若獅子二人を、三期の主役級に配置したのも、闘争の場に相応しい空気を取り戻すための仕掛けなのではないか。
"Mon chouchou"に挑むトライアングルの気迫と、それが生み出した熱狂を見ていると、製作者側のそういう気概を勝手に感じ取り、こちらも楽しくなってきます。
あれだけ闘志剥き出しの『強い』曲なのに、タイトルは『アタシのベイビーちゃん』くらいの甘すぎる意味なの、面白いなぁ……。


というわけで、長い迷い路を歩いてたどり着いた、最高のトリコロール結成式でした。
一番厄介なひびきだけではなく、ふわりやファルル、トリコやユニコンといった当事者全員の個性や問題点を洗い出し、そこからどうすれば前に進めるのかしっかり考えながら感情をやり取りしていくエピソードで、非常に素晴らしかった。
各キャラクターが自分らしさにこだわる頑なさの、良い面と悪い面両方きっちり掘ったの、すげー良かったなぁ。

『強さ』『正しさ』『優しさ』が長所としてだけではなく、問題をせき止める短所としても機能していること。
それを認めた上で、お互いの個性が実は己の中にも存在していて、そういう共通点があればこそ『トモダチ』になりえたのだと再確認すること。
自分たちなりのやり方で己を作り直し、より広い場所に繋がっていくこと。
明晰さとキャラクターへの思い入れを存分に発揮して、幅広いものを描ききるという、プリパラらしさが最大限発揮されたエピソードでした。

これを受けての神GPですが、さてはてどうなるのでしょうか。
話の勢いとしてはトリコロールが取る展開なんだけども、まほちゃん復活効果でいい具合にギラギラしてきて、ブック破りもありそうと思える。
こういう油断の出来なさが戻ってきてくれたことも含めて、プリパラ三年目、今まさに熱いアニメです。