イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

91Days:第11話『すべてはむだごと』感想

復讐苦いかしょっぱいか、口をつけたら飲み干すしかない毒酒の盃、虚無と破滅のラスト一個前。
コルテオの幻影に支えられつつ、己の命すらも道具として使い潰すアヴィリオの虚無が、『ファミリー』を食いつぶしていく話でした。
最高の舞台でガラッシアの頭を潰し、何がどうひっくり返ってもヴァネッティがすり潰されるしかない未来を確定させ、『家族』を奪われた意趣返しをする。
奪って奪われて、殺させて殺して、その先に何があるのか……それはアンジェロが最初から言っていたとおり、なんにもないです。
すべてのむだごとを剥ぎ取った虚無の果てに、二人の兄弟は何に辿り着くんでしょうね。

正直、劇場を舞台にしたクライマックスは最終回に持ってくると思いましたが、ラスト一個前にオペラハウスの虐殺が来ました。
アヴィリオの復讐計画、そしてこのアニメーションが描きたいものが、負のカタルシスを詰め込んだ『皆殺し』の半歩先にあるので、お話としても一手前でカードを切ってきた感じですね。
『みんな死んであースッキリした!! 復讐は虚しいな!!! でも最高にスカッとするな!!!!』というお話にしたいのであれば、あそこまで人間がつながっていく描写は増やさないし、アヴィリオがコルテオ殺しであそこまで壊れることはない。

どんなに空疎でも人間の奥底から溢れてきてしまう情の濃さ、怖さ。
その温もりや条理すら押し流してしまう、『家族』を奪われた事実の取り返しのつかなさ。
考えれば考えるほど虚しくて答えなんて出ないと分かっているのに、それでも考え、思い描くことをやめられない人間のカルマをこそ、このアニメはじっくり時間を使って描いてきました。
その軸にあるのはやはり、復讐の渦の真ん中にいる憎悪の兄弟、ネロとアヴィリオ。
それ以外のキャラクターが次々死のあぎとに噛み砕かれていく今回は、無駄ごとを剥ぎ取って世界をシンプルにしていくお話でもあるのでしょう。


ネロを殺せるタイミングはこれまでも結構あって、そこでアヴィリオが見逃していたのは持ち前の甘さか、はたまた復讐相手全てを取り切れないからか。
これまで何度かそんなことを考えていたわけですが、今回展開された怒涛の計画を見て、全てがしっくり来ました。
ヴィンセントがアンジェロの『家族』を奪った理由は、ガラッシアという大樹に擦り寄ることで『ファミリー』を維持し、なんとか『ファミリー』の名前(それは高名であり虚名でもある)を残すこと。
オペラハウスがヴィンセントの『長年の夢』だったのも、そのこけら落としでガラッシアとの同盟関係を喧伝することで、彼が沢山のものを犠牲にして守ろうとした『名前』を守れるからなわけです。

そんなヴィンセントの夢(それは対立してても同じものを守りたい『ファミリー』の一員であり、理屈関係なしに愛している『家族』でもあるネロの夢でもある)を、最高のタイミングでぶち壊す。
復讐者としてではなく、ヴァネッティの『ファミリー』として外交特使を努めてきたアヴィリオがガラッシアの首を取れば、巧く話をまとめられたロナルド殺しのときとは違い、ヴァネッティとガラッシアの全面抗争は避けられない。
そうなれば、嵐に踏み潰される雑草のごとく、田舎町の木っ端マフィアは消し飛んでしまうということは、これまで何度も強調されてきました。

復讐相手のクソマフィアどもが愛し、守りたいと願った『ファミリー』、『マフィア』という生き方それ自体を、最高の舞台だからこそ演出出来る最高の復讐でぶち壊す。
これを狙っていたからこそ、アヴィリオはヴァネッティに滑り込んで地位を確保し、ガラッシアにヘッドハントされるほど関係を深め、親友を生贄に捧げてまで立場を守ったわけです。
ヴィンセントではなくガラッシアを取る『詰めろ』を成り立たせるためにも、顔を繋いで印象を良くしてきたんだろうなぁ……アヴィリオ、ほんと知略に関しては悪魔のごとしだな。


しかし、そこまでして積み上げた復讐は、アヴィリオにとってもはや『むだごと』でしかない。
アンジェロが本当に欲していた『家族』は自分の手でぶっ殺してしまって、その矛盾に耐えられないから大量のアルコールと、コルテオの幻影に逃げてまで、目標を完遂しようとする。
でも、どれだけ無残な『殺し』を積み上げたとしても『家族』が帰ってくるわけではないし、ネロと新しい『家族』になる道も、『殺し』の道から離れてコルテオと『家族』として生き直す道も、自分で閉ざしてしまった。
アンジェロがアヴィリオになった瞬間から約束されていた虚無が、『復讐まさに為る』というこの瞬間グッと全面に出てきて、仇本人だけではなく『ファミリー』全てを飲み込んでいく今回の展開は、おぞましいほどのカタルシスがありました。

『ファミリー』を守るためには親兄弟でも殺さなきゃいけないし、その後悔を体の中に溜め込んで表には出せない『マフィア』の矛盾。
これはフラテを手に掛けた後のネロも、テスタを消した後のヴィンセントも、そしてコルテを殺した後のネロも苛まれた、情と『殺し』の相反です。
けして癒やされることのないその裂け目を、みんな目の下にくまを作り、酒と空疎な義務感に逃げ込みながら見ないようにしてきたわけですが、魂の深奥まで届く痛みは、最後の最後で牙をむき出しにしてきました。

ネロが真実を言い当てていた(まぁその裏にはネットリした嫉妬があるんだけども)バルベロの提言を受け入れず、結果全ての破滅を呼び込んでしまったのも、アヴィリオという新しい『ファミリー』への情が根底にある。
第4話で同じ釜の飯を食って、生死の境を生き延びた『兄弟』だからこそ、その虚無に気づきつつも『俺がアイツに生きがいを与えてやる』と、あまりに見当違いな優しさも見せてしまう。
しかしアヴィリオの『生きがい』とはネロの死含む復讐であり、『ファミリー』として出会った二人はけして生きて『家族』にはなれない、情が形を結ぶことはない『むだごと』の関係でしかない。
このすれ違いと虚しさはじっくり積み上げてきたものであり、悪人どもがバッタバッタ死ぬオペラハウスの虐殺に、皆殺しのカタルシスを感じつつ虚無感のほうが正しく強いのは、巧く狙った所を射抜ける構成に仕上げたなぁと感じました。

息子と同じ『ファミリー』への情からアンジェロの『家族』を殺し、ガラッシアに娘を差し出してまで『ファミリー』を生き延びさせようと願ったヴィンセントの情も、今回色濃く描かれていました。
病身のヴィンセントが過去を後悔するシーンは、この『マフィア』も他と同じく情の人だったのだという確認と、『今更何言ってやがる……』という虚しさが同時にこみ上げてくる、哀しいシーンでしたね。
あそこで『家族』が同じ気持ちで『殺し』を積み重ねてきたカルマが見えるからこそ、最悪の形で精算を迫れられる後半の展開が、底意地の悪い快楽と虚しさに満ちてるんだろうなぁ。

人殺し共の自業自得でもあり、同時にそこには否定しきれない情もあり、どうにもやりきれねない虚しい味わいこそがこのアニメの醍醐味であり、それはアヴィリオが捧げていた『法無き天国』の兄弟盃に、一番良く顕れているかもしれませんね。
『アイツの虚無を満たしてやりたい』と願ったネロの兄弟盃をはねのけ、幻影と盃を交わすアヴィリオの姿は、コルテオを殺すことで最後の一線を越えてしまったアヴィリオの現在を痛ましく活写していて、鋭い切れ味がありました。
主人公なんだからもうちょっと救いある感じで描いていいのに、まずガンゾ目線で虚無を描いてからアヴィリオの主観で描き直すことで、アンジェロが浸っている温もりがどうしようもないほど幻で、不快感満載の悪い酔いだって叩きつけてくるのは、正しくシビアで素晴らしい。


そんな因縁の子供たちが正面から対峙する状況を作るべく、今週はバッタバッタと人が死にました。
アヴィリオが直接取ったタマは特に濃い感情もないデルトロとガラッシアで、濃厚な因縁のあるバルベロもヴィンセントもガンゾも間接的に死んでいる展開も、いい具合に虚しさを加速させていました。
直接手を下すかどうかが問題になる段階は通り越して、復讐の虚無だけをアヴィリオが受け取る形ですね。

冷静な参謀役の仮面を引剥して、濃厚にヒスった櫻井孝宏を堪能させてくれたバルベロくんは、今週もすンゴイ濃厚な嫉妬マシーンでした。
そういう意味では、彼もまた情の男だったわけだ……徹底してるなぁ。
完全に私情で目が曇ってるんだけど、状況分析自体は非常に的確で、ネロより遥かに真実に近い位置にいたって皮肉、このアニメらしくて好きよ。
ガンゾ叔父貴が獅子身中の虫だってことまで見切れていれば、また別の道もあったんでしょうが……そういうままならなさも引っくるめて、このアニメの味か。

裏でガラッシア革新派と繋がってたガンゾの叔父貴でしたが、手駒にしていたはずのアヴィリオを最後の最後で測り間違い、見事な犬死を遂げました。
描いた絵と実際張り巡らした陰謀を考えると、結構大した人なんだけどな……そういう人が作中一番ゲスい私欲で動いているところも、ツメ間違えてあっさり死ぬところも、作風に合ってて好きです。
叔父貴はアヴィリオをお話に引き込む上でも、彼の危うい綱渡りを私欲込みでアシストして成立させる意味でも、他のキャラの情を際立たせる俗物としても、いい仕事してくれるキャラだった……迷わず地獄に行ってくれ。

バルベロにしてもガラッシアにしてもガンゾにしても、アヴィリオの虚無を測り間違えて死んでる感満載なので、最後の勝者ッ面で擦り寄ってきたストレーガもろくなことにはなんないんじゃねーかなと思います。
親の共存路線をヌルいと切り捨てて、カリスマ性と才気で己を証明しようとギラついているって意味では、正しくネロのシャドウよねこの人。
ネロとアヴィリオの長く続いた因縁が来週収まるわけですが、サクサク人が死んだ中で生き残ったこの人が、終幕のキーマンになるのは間違いないでしょうけども、どう使うのかしら、楽しみだわ。


そんなわけで、そもそも虚しかった『マフィア』と『復讐』の本質が、虚栄の舞台で剥き出しになるエピソードでした。
『復讐は虚しい』『殺しは悪いこと』って題目はみんな見知っているわけですけども、それを上から目線で説教するのではなく、むしろ逆の位置に主人公を据え泥の中を這い回らせることで際立たせる作りは、誠実で倫理的だなぁとつくづく再確認させられました。
ホントねー、凄まじく虚しいんだけれども、その虚しさを確認するために見続けてきた部分あるしなぁ……でも何か『実』みたいなものを手に入れたくもなるし、そんなの望んじゃいけないテーマでもあるし、苦くて甘いいいアニメだ。

『むだごと』を剥ぎ取る過程でバッタバッタと『ファミリー』が死に絶え、舞台に残っているのは復讐の兄弟と、新たなる才気のみ。
この役者たちをどう使って、これまで描いてきた血まみれの酩酊にケリを付けるのか。
91Days最終話、すっげー楽しみです。