イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

3月のライオン:第1話『桐山零&河沿いの街で』感想

棋士という職業を武器に、己と青春と世界とに戦いを挑む主人公と、彼を包む暖かく厳しい人々の物語、ついにアニメ化です。
新房昭之監督ということで『ハイハイ、どーっせいつものシャフト、いつもの手癖でしょ』と鼻ほじりながら見てましたが、アヴァンギャルドな演出技法を適切、かつ印象的に使いこなし、原作の空気を原作以上に鮮烈に描ききった、見事にアニメでした。
17歳の少年が勝負の世界にを置く残忍さと孤独、彷徨う彼を受け止め養ってくれる三姉妹の温もり。
孤独と情愛の間にある対比と接点を心地よく描ききる、見事なスタートだったと思います。

お話を見通してまず目につくのは、緊張と弛緩の明瞭な対比です。
何しろ主人公が一言呟くまで九分二十三秒かかるという異常な構成でして、己を表現する言葉を将棋以外には持っていない零くんの乾いた状況が、これでもかとまず叩きつけられる。
ペットボトルの水、月島の川、中央線沿いの川と画面は『水』で埋め尽くされているのに、零くんは一切潤されることはないし、沢山人がいる場所を通り過ぎても孤独に感じる。
ただ欠乏を写すのではなく、むしろ過剰を周辺に配置すればこそ欠乏を目立つ演出は、世界を張りつめた空気で埋めることに成功しています。

色彩も冷たく鋭く、人間性を拒絶するような真剣な手触りに満ちています。
その冷たさ、温もりの中こそが棋士・桐山零が今身を置く世界なのであり、そこから世界の色合いが変質していくことこそがこの物語のダイナミズムなのだから、目に見え手触りのある形で冷たさを表現できているのは、凄く良いと思います。
それが不快で攻撃的なだけではなく、真剣さや清潔感を孕んでいるのは、ただただ『人間性』だけを評価する甘えたお話から距離を感じさせ、期待を高めてくれるポイントですね。

水底に沈められたかのような息苦しい感じの奥には、生々しい痛みと絶叫、マグマのように熱くうねる感情がある。
これを表現するのにいい仕事をしているのが、シャフト得意のアヴァンギャルドな演出でして、『普通』のアニメでは見られないような表現技法やレイアウト、アングル、カメラの使い方などが適切に使用され、静謐の奥にある激しい音を伝えてきます。
零くんが背負う、この段階では語られない重たい歴史が、目に見えないだけでしっかりそこに存在していること、それこそが静謐な緊張を生み出す母体だということを、美しいノイズのように混ざる異質な映像が、的確に表現してきます。

『普通と違う』ということは『武器』でもあり『凶器』でもあると、僕は思います。
一視聴者として無責任な感想を垂れ流しにさせてもらうと、新房昭之アヴァンギャルドなセンスは人目を引きつける『武器』であると同時に、それを過剰に振り回しあらゆる作品を一色に塗りつぶしてしまう『凶器』にもなりかけていたと、しばらく感じていました。
しかし今回、新房昭之の映像表現は適切に抑え込まれ、『普通』にやるポイントと『普通と違う』ポイントには的確な一線が引かれている。
心象を埋め込むときの尖った筆と、零くんを取り巻く世界を非常にリアルに具象的に描くときの筆は、明瞭な意図を持って使い分けられています。
簡単に言えば、メリハリがあるわけです。

原作が持つ勝負の世界の厳しさ、真剣さ、清潔さ、凶悪さを真っ正面から捉えるための『武器』として演出の首根っこを捕まえ、使いこなしてくれる感じは、正直新房昭之と『シャフト作品』にナメた感情を抱いていた僕には、大きな衝撃でした。
原作のテイストを活かし拡大させるために、『いつものシャフト』を半歩踏み出しつつ、強みを活かす方向で世界を演出してくれるのであれば、マンネリズムと過剰演出という『凶器』は視聴者をノック・アウトする『武器』に変わる。
そういう期待と翻心を抱かせるのに十分な、エッジの効いた前半でした。


勝負の世界の緊張感は、その世界の身を切るような厳しさを表現するだけではなく、後半零くんが流れ着く川本家の暖かさを強調しもします。
対局を終えて『家』に変えるまでが『緊張の中の躍動、躍動を前提とした緊張』を表しているとしたら、水彩画のような暖かな色彩の美術が移り変わり、BGMが躍動し演出もコメディチックになっていく『家』の中の空気は、ただただ『弛緩と安心』を描いている。
……と言いたいところなんですが、零くんが本質的に棋士であり戦士であることは忘れられていなくて、ニュースから侵入する『父殺し』の記憶が『弛緩の中の緊張』を唐突に呼び覚ましたりもする。
今後川本家がただの『零君の還るべき家』ではなく、それぞれ個別の『緊張と躍動』を秘めた戦場であると示されることを考えると、甘さの中に苦さを忘れず込めて使ってきたのは、メリハリ聞いて良かったと思います。

とは言うものの、アレだけ辛そうな九分強の窒息を体験させられた身としては、可愛い女の子が明るくて暖かい家で待っていてくれるあの瞬間が、とんでもなくありがたいのは事実。
その気持は零くんが作中で感じているものと同じなわけで、画面のすべてを駆使して水の中に視聴者を沈没させたのも、川本家という盲亀の浮木のありがたみを追体験させて、主人公とのシンクロ率を上げる狙いがあったと思います。
きっちりメリハリを付けることで視聴者の意識を揺らし、強制的に画面に引き寄せ没入させる意味合いでも、前半の冷たさと後半の暖かさの落差は、いい仕事をしています。

零くんが将棋で殴り合う戦場から『家』へと変わり、それをありがたく感じていると解らせる仕事の大きな部分を、食事が担っていました。
みんなでちゃぶ台を囲んで温かいカレーを口に入れる行為は、『親殺し』で凍りついた零君の魂を解凍し、『人間』として必要不可欠な温もりと栄養を補給する、大事な儀式なわけです。
零くんはカレーを全部は食べきれないけども、一度は断ろうとした食事の誘いを『買い出し』という自分の仕事を割り振られることで受諾し、手土産を手に『家』に帰還/侵入する気持ちを持っている。
まぁ僕は原作読者で零くん大好きガイなんで色々欲目はつきますが、しかしあれだけ冷たい場所にいた少年が温もりを完全には拒絶せず、不器用に、しかし自分なりに咀嚼しようとあがいている姿には、万人の胸を打つパワーがやっぱあると思います。

『家』たる川本家の稼業は和菓子屋だし、あかりさんはホステスとしてバイトする時に独自の食事を振る舞うし、元々『食』という行為に大きな意味合いを持たせている作品ではあるんですが、カレーのシーンはその意図を汲んでより強く表現し直す、アニメの醍醐味を味わえる場面でした。
既に去ってしまった川本家の女のために、カレーを掛けてお膳を備えるシーンが、また僕は好きですね。
それは一般的ではないかもしれないけれども、非常に敬意と愛情に満ちた弔いでして、ちょっと風変わりながら人間のいちばん大事なところを射抜いて、桐山少年の人間性をガンガン回復させてくれる川本家らしさが、凄くよく出ていると思うからです。


こっからキャラ萌え語りしますけど、声優さんの演技、動画の芝居、作品の空気感の再現全部ひっくるめで、全体的に文句なしッ!! って感じでした。
『そーいえばお話始まったときの零くん、マジ孤独なナイフだったなぁ』とか、『あかりさんマジ菩薩っすなぁ』とか、『ひなたちゃん天使っすなぁ』とか、『モモちゃんマジ幼児っすなぁ……久野さんスゲーなぁ……』とか、好きなキャラが動いて声がつく幸福感に脳みそ痛くなったマジ。
あかりさんの豊かなおっぱいが強調され気味なのが、性欲にギラついた目を引き寄せるってだけではなく、『お母さん』としてのあかりさんの役割をうまく切り取る窓になっていて、非常に良かったですね。
『お母さん』を演じることの無理と矜持にもきっちり切り込んでくれる所、キャラクターを単機能な『天使』にしないところも引っくるめて、強調するべきところをしっかり強調してくれていて、信頼が置けました。
あとモモちゃんまじ可愛い、仕草の細かい幼児力が溢れ出ててゴッド過ぎた。

今回は二階堂の登場で意味深に引きましたが、今回のキャラの料理の見事さを見ると、マイ・ボーイも素敵に描いてくれそうで非常に嬉しいです。
ニカはマジ最高だからなぁ……序盤の零くんってマジ人生しんどそうな顔してんだけども、川本家だけじゃなくニカが無遠慮に踏み込み明るく振る舞ってくれるからこそ、ギリギリ維持できてる感じあるもんな。
キッツイ状況の主人公を支えてくれるありがたみだけではなく、棋士として、ハンディキャップパーソンとしてのプライドを支えに誇り高く立つ二階堂の姿が僕はマジで好きなので、目立つだろう次回が本気楽しみです。
岡本さんの演技もバッチだったなぁ……マジ良かったわぁ……。


というわけで、『新房監督申し訳ありませんでした、ありがとうございます』と頭を地面に擦り付けざるを得ない、素晴らしい第一話でした。
原作の空気感とテイストを的確に再現するだけではなく、そこに込められたエッセンスをしっかり把握し、エッジな演出に乗せて視聴者に届けるパワーに溢れていて、ズガンと撃ち抜かれました。
今後も尖った部分と普通な部分、緊張と弛緩の見事なバランスを維持して、心を揺さぶってくれると嬉しいなぁと思います。

次回以降も将棋という戦場の厳しさ、還るべき『家』の温もり、ままならない人間の業をたっぷりと含んで、話しは豊かに進んでいくでしょう。
俺の二階堂が最高に輝くことを期待しつつ、来週の放送をずっしり楽しみにしたいと思います。
いやー良かった……マジ良かった……。