イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ユーリ!!! on ICE:第2話『2人のユーリ!? ゆ~とぴあの乱』感想

美しきものたちについて語る氷上の詩学、ユーリ来日&対決決定! な第2話。
第1話でヴィクトルが代表する『神の領域』と勇利が足場を置く『人間の領域』との気が遠くなるほどの距離をしっかり描いた後で、『人間の領域』まで降りてきたヴィクトル、そして彼に引き寄せられる二人のユーリの様々な表情を、丁寧に追いかける話でした。
キャラクター描写を的確にまとめ上げつつ、『温泉 ON ICE』という決戦場をあっという間に用意して、ドラマが盛り上がる水路をしっかり整えているのは、クレバーな手綱さばきを感じさせます。
二人の対決に期待が高まるのも、そういう段取りをしっかり整えつつ、彼らがなぜ踊るのか、どう踊るのかを今回ちゃんと掘り下げたから。
エモーショナルな部分とロジカルな部分を非常に良いバランスで、過剰にならずにみっしりと詰め込んだエピソードであり、食べごたえがありました。


お話全体のテーマ性に強くアプローチした第一話に対し、ヴィクトルが天真爛漫に長谷津を走り回る今回は、彼を中心にした世界をじっくり描くお話だった気がします。
勇利が憧れ追いかけ続けてきた『美』の象徴であり、『神の領域』に君臨し続けた美しい人間は、一体どんな人物なのか。
今回見えたのは、案外フレンドリーで情熱的で、しかし同時にトップレベルの『美』の体現者であることを許される強靭で残忍な、ヴィクトルの人間味でした。

彼は世界トップクラスだからといって他人を拒絶することはなく、むしろ積極的に挨拶をして、気取らず過ごしています。
そんなチャーミングな振る舞いに長谷津の人々も、二人のユーリもすっかり魅了され、無条件に彼を愛してしまう。
彼のスケーティングが『観客を驚かせる』という他者への眼差しに支えられていることから考えても、彼は他者や世界との距離を(本能的にか、はたまた計算してかはまだ描写されていませんが)適切に測り、自分以外の存在を強く愛し愛されることの出来る、バランスの良い存在です。

しかし彼にエゴイズムがないか問えば、トップクラスの競技者である以上当然そんなことはなく、ヤコフコーチの言うとおり『自分が一番だと思ってる』強い感情の持ち主なわけです。
身勝手に佐賀くんだりまでやってきて、大量の荷物を送りつけて宴会場を自分色のシャレオツな部屋に改造したり、勇利のあこがれを理解した上で振り回したり、ユーリの人生を変えるほどの約束をカラッと忘れていたり。
世界中に愛される特権を当然と受け止める傲慢が、彼の行動にはにじみ出ていて、しかもその認識は頭でっかちな独善というわけではなく、GPファイナル五連覇という実績で証明されている、ただの事実だったりもします。
自分を愛し、世界を愛し、世界に愛され、自分を愛する。
『美』から生み出され『美』の報酬として受け取られる愛情を、彼は世界最高峰のレベルで適切に制御しているわけです。


ここら辺のバランスの良さは、長谷津の街がヴィクトルの来訪を切っ掛けとして活気づき、輝きだしている描写からも感じ取れます。
彼自身は一切そんな気なしに振る舞っていても、彼の『華』と名声は衆目を集め、人を惹きつけ、くすんだ色合いの街に活気を取り戻させていく。
結果として彼のエゴイズムは地域復興という公益につながってしまうわけで、身勝手なエロスと無辜なるアガペのバランスを自動的に取れてしまうヴィクトルの天才性は、こういう所でも発露しています。

ここら辺を強調するべく、ユーリが訪れた長谷津商店街をくすんだ色合いで表現し、シャッターが目立つしょぼくれた場所として描いていたのは、相変わらず美術の使い方が上手いところですね。
灰色の世界も『美の神』であるヴィクトルが踊れば色合いを取り戻すし、二人のユーリもそういう存在になれるかもしれないわけです。
美と表現にスポーツを通じて向かいあう物語、二人の青年と一人の男の感情の物語だけではなく、彼らを包む地域復活の物語をも内包しているのは、スケールが大きくて、見ていて心躍る部分です。

今回、勇利が独白の中で幾度も疑問に思い、視聴者も気になっている『なぜヴィクトルは勇利を選んだのか?』という疑問は、正面から答えが出ることはありません。
他人を思いやるアガペだけが彼を長谷津に運んできたわけではないのは、何の気なしにぶっ刺さる毒舌とか、天然を装いつつ周囲を見つめる視線の鋭さからも、強く感じ取ることが出来る。
『他人を驚かせる』ことと『自分のやりたいこと』が強烈に結びついている天性のスケーターにとって、勇利と接する行為もまた、エゴイズムと利他主義、エロスとアガペをわざわざ区別する必要のない、自然で天才的な行為なのかもしれません。

勇利との接触を通して、失ってしまった自分のためにイマジネーションを取り戻すこと。
コーチングはヴィクトルにしか利益がない身勝手な行為なのでしょうが、それを通じて勇利が成長し、スケーターとして人間として何か大きなことを成し遂げるかもしれない、非常に利他的な行為でもあります。
ヴィクトルの特別さはあくまで、彼がトップスケーターとして『神の領域』に居続けていることから生まれているのだとしたら、そこに立つ資格をストイックに、エゴイスティックに探し求めことは、身勝手であると同時に世界の期待に答える公益的行動でもある。
かのように、独善と利他は常に背中合わせであり、そういう複雑さをあまりにもチャーミングでセクシーな身体にまとめ上げているのが、ヴィクトル・ニキフォロフという男なのでしょう。


『自分』を強く表現することで『世界』を驚嘆たらしめる天才を、世界の頂点で常に体現してきたヴィクトルにとって、スケーティングとは他人の真似事でもただ滑る行為でもなく、自己の発露として存在しています。
かなりセクシーな色合いを使って、勇利の中にいる『自分』を知ろうとアプローチしていく姿を追いかけるのが、今回沢山ある話の軸の一つ。
しかしよく言えば利他的で控えめ、悪く言えば内気で自己表現に乏しい勇利は、ヴィクトルに出会えた憧れを素直に叩きつけることも出来ず、自分がどんな気持ちでスケートを滑っているのかも言葉に出来ないまま、孤独に体を絞り上げていきます。
『自分がどんな人間で、何がしたいか』を答えに出来てしまえば、勇利の迷いと敗北から始まったこの物語自体が終わってしまうので、早々簡単に言語化は出来ない部分ですけども。

勝生勇利を語る言語の乏しさを、最初は悪魔的な誘惑で乗り越えていこうとしたヴィクトルですが、途中からはアプローチを変え、勇利を取り巻く人々の言葉を収集することで、輪郭から彼の内面を素描していきます。
自意識や感情と向かい合う必要がない分、周囲の人々のほうが個人のエゴをよく理解できているというのはよくある話で、『なぜ勝生勇利は、特別強化選手まで上り詰めることが出来た』というスポーツのロジックを説明する意味合いも含めて、彼自身が知らない勝生勇利を巧くスケッチする展開でした。

『スポーツのロジック』という意味では、プロ・アスリートらしい妥協のない追い込みでしっかり体を絞り、ストイックに『表現する身体』を作り上げる描写の積み重ねは、勇利が只のオドオドメガネではないと雄弁に語っていました。
ボテッとした情けない体のキレのなさを動画でしっかり表現できていたからこそ、絞り直した後のスマートな体捌きが印象的になるし、そうなるよう方向づけたヴィクトルのコーチとしての腕も説得力を持つのでしょう。


控えめで多くを望まないように見えて、スケートに強い執着を抱き、『勝ち』や『美』にしがみ付くエゴイズムを、勇利は強く持っています。
それはヴィクトルとの関係性にも強く見ることが出来て、自信なさげに距離を取っているものの、『俺は選ばれたんだ』という恋にも似た独占欲が、言動の端々に顔を出す。
幼いエゴイズム全開でぶつかってくるユーリを、色々ありつつも23歳まで歳を重ねてきた余裕でサラッといなした時、彼の表情には凄く良くない形での思い上がりが浮かんでいます。
『神様に選ばれたのは勇利であって、選ばれなかったのがユーリだよ』という、勝者の余裕。
草食系に見えて、一応世界で六番目までのし上がったスポーツエリートとしての高慢と偏見が、勇利にもちゃんとあるわけです。

しかしその思い上がりは、常に弱く脆く美しくない『人間』勝生勇利と背中合わせであり、ヴィクトルが自分には見せない笑顔をユーリに見せ、共有してきた時間を自分が持っていないことを感じさせ、『勇利じゃなくて、ユーリが選ばれる』という不安に接近するたびに、勇利は天国から地獄に突き落とされる。
ここら辺の描き方が完全に恋愛文法であり、『どうしよう……あの人取られちゃう……取られちゃうよ……』みたいな胸のDOKI☆DOKI☆が繊細に描写されているのは、恋よりも崇拝よりも濃厚な感情をヴィクトルに抱いている勇利の内面が感じ取れ、好きな描写です。

重要なのは、これらの感情はあくまで表情や仕草で表現され、明確な論理を伴い言語化出来る感情としては、勇利に認識されていないということです。
ヴィクトルが(少なくとも外見上は)ナチュラルに己のエゴイズムを飼いならし、善い結果を生み出しているのとは好対照に、勇利は己の中にあるエゴイズムの腐敗を認識しないまま、自己評価を下げつつ他人を見下すという、あまりよろしくない位置に座り込んでしまっています。
自分への自信の無さへの顕れとしての利他性と、内面で腐敗し続け表現に繋がらない独善。
ヴィクトルがアガペとエロスのバランスを最適に取っているのに対し、勇利は己の感情や個性に名前をつけることも、それと向かい合う足場を固めることも出来ず、ただただヴィクトルの周辺を憧れの翼で跳ね回っているだけです。

この翼に方向付けをしより善い形で発露させることで、競技としてのスケートがより良く表現され、それを受け取った人々の中に善なるものを育むことが出来るという流れは、今回『美の神』ヴィクトルが身を以て体現した部分です。
表現者にとっては内面的昇華はただ個人の問題ではなく、それによって豊かになった感情をスケートで表現して他人を惹きつける、社会的行動でもあるわけですね。
そして勇利がラストシーンで『何度も勝って、何回もカツ丼食べたいです! だからエロスやります、全力でエロスぶちかまします!!』と宣言したのは、勇利がヴィクトルと向かい合い己を表現した初めての行為です。
だからヴィクトルはとても嬉しそうな表情でそれを肯定した。(それがより大きな社会的利益に繋がるアガペだからか、はたまた己の欲望に正直になったエロスだからかは、あんま判別する必要が無いでしょう)
自分のやりたいこと、溢れる感情とエゴイズムを的確に捉え、己が何者であるかを知ること無しには、勝生勇利は『人間の領域』を飛び越え、ヴィクトルがいる『神の領域』には入ってこれないからです。

ユーリとせめぎ合いながら己を高め、活力や生命力の意味合いもある『エロス』を表現課題として乗りこなすことで、勇利は己を萎縮させるだけの悪しき『アガペ』を乗り越え、よりバランスの良い表現者(そのロール・モデルがヴィクトルであることは、言わずもがなでしょう)に近づいていくわけです。
他者との間に存在する自分、自分を中心に広がっていく世界を的確に、複雑に捉えることで、それと向かい合い表現にまとめ上げていくスケーターの物語に分厚さと奥行きをつけていく。
『この話は『美』を徹底的にやる』というテーマ性で、猛烈に頭を殴りつけてきた第一話に続くお話として、主人公の複雑な内面と問題点(つまりは可能性)を見せる物語として、非常に良く出来たエピソードでした。


もう一人の主人公である15歳のユーリも、23歳の勇利に負けず劣らず複雑な内面を持っていると、今回のエピソードで魅せてくれました。
ユーリの成長を気遣って四回転を禁止するヤコフの言葉に、思いっきり鼻水ぶっかけているシーンは、彼がエゴイズムを肥大化させ他人を顧みない、身勝手な十五歳であることを強調しています。
しかし同時に、彼はどうしようもないほど運命的にヴィクトルに出会い、純粋に彼に焦がれる『無償の愛』の男でもあるわけです。
美の天上から救いの手を伸ばしたヴィクトルと、地上から手を伸ばす幼いユーリとの残忍で決定的な距離は、非常に印象的でした。
長谷津商店街のくすんだ色合いと、思い出の中のスケートリンクのパキッとした色彩が好対照をなしていて、『美』の輪郭が非常に明瞭に切り取られているのは、やっぱ凄いね。

背中合わせの独善と利他に思い悩んだり、『あまりに美しいものに出会い、運命を変えられてしまった』というオリジンを持っていたり、日ロのユーリには共通するポイントが多いです。
お互いがお互い『ヴィクトルには俺が選ばれたんだ。俺が選ばれるんだ』という恋にも似た独占欲を強く抱き、メラメラと燃え盛りながら神に近づこうと足掻いている姿も、まるで兄弟のようによく似ています。
そういう感情を抱く相手としてふさわしく、ヴィクトルを圧倒的に尊大に美しくかけていればこそ、ヴィクトルを頂点にした三角形が説得力を込めて存在できるんだろうね。

同時に自分を無造作に押し出してオラオラで進んでいくユーリ少年と、自分を押し隠して控えめに進んでいく勇利青年は、アガペとエロスの顕れにおいては好対照です。
ユーリの攻撃的態度、精神的防壁のフェティッシュとして『威圧的なファッション』という記号を巧く使って、むしろ親しみやすいネタポイントに書き換えているのは凄いなぁと思います。
正反対に見える相手だからこそ、己に足りない部分を見て学び、刺激を与えあって長い道のりを走り抜けることも可能なのでしょう。
ライバルの造形として、その年齢差・精神的成熟の差を印象的に描いたこと含めて、なかなかいい描き方をしてきたと思います。
即座に噛み付くユーリの『ガキっぽさ』をいなす、勇利の『オトナな対応』が必ずしも善いものとして描かれていない所とか、非常に面白い。

年も性格も外見も態度もまるで違う二人は、しかしその真実においてはかなり親しい場所にいるし、そんな二人が競い合い、向かい合い、見つめ合うことで秘められているアガペとエロスは顕在化し、対立は対比へと変わる。
そういう未来をヴィクトルが思い描いているかはさておき、流石五連覇の天才、物事の真実を見抜き適切な方向性を与え表現することに関しては、凄まじい的確さを持っています。
高い場所から救いの手を伸ばす『神』の掌の上で踊る青年たちは、そのうち『神』が持っている『人間』としての悩みや苦悩にたどり着き、向かい合い、乗り越えることも出来るんでしょうかね。
『人間』としてのヴィクトルも非常にチャーミングなので、超然として間違えない『神』としての側面以外にも、今回見せた表現力で切り込んでいってほしいものです。


お話はスケーター三人の三角形が主軸となって引っ張っていますが、サブ・キャラクターの使い方も非常に的確かつリスペクトがあって、見ていて気持ちが良いものとなっています。
オラオラしたユーリの態度に怯えることなく、異物をしっかり受け止めて愛してくれる長谷津の人々と風景は、世界の優しさを巧く体現してくれていると思います。
ママンが出してくれたカツ丼をヴィクトルもユーリもちゃんと食べ、色々言いつつ風呂に入って裸にもなる当たり、『ああ、この人達根本的にはいい人なんだな』と感じ取れる描写で、やっぱフィクションにおける食の取扱って大事だなと思う。
考えてみると、ヴィクトルのシャレオツな部屋とか、ユーリのタイガー衣装とか、プリケツ晒してくれる風呂とか、衣食住全域に渡って表現力が高いね、このアニメ。

ミナコさんとヤコフコーチという、二人のメンターの描写にリスペクトがあったのも、凄く良いなと思いました。
ヴィクトルとの出会いに舞い上がっている勇利には気づけない真実を的確に言語化して指摘し、スケーターとして勇利が持つアドヴァンテージを明瞭に認識している当たり、ミナコさんは頭いいんだなと思いました。
あとヤコフコーチは選手のことをしっかり考え、しっかり叱ってくれるいい人なのに、教え子がエゴ暴走させてどんどん去っていってしまってかわいそうだった……そのうち、ちゃんと報われて欲しいですね。

西部夫妻も勇利をよく見てその背中を期待で後押しする、非常に善いファン代表してくれてました。
しかし物語的には娘達の働きがあまりに大きくて、ヴィクトルを長谷津に引っ張り込むのも、『温泉 ON ICE』という場を整え話が盛り上がるポイントを作るのも、全部彼女らの軽薄な行動が生み出している。
いい仕事するなぁ、CV矢島晶子……デフォルメ具合からしても結構特権的なTRICKSTERだと思うので、今後もガンガンかき回しガンガン盛り上げて欲しいですね。
あと情報があっという間にSNSで拡散し、物語の進行が早いのは2016年のアニメだなって感じですね。


そんなわけで、背中合わせのエロスとアガペーを通じて、男たちの複雑な表情を切り取るお話でした。
勇利が思いの外エゴイストで、ただオドオドしている弱腰ボーイではないと感じ取れたのは、彼を好きになる上で凄くプラスだったなぁ。
スケート競技のトップクラスでバチバチする話なんだから、競争に押しつぶされない芯の強さがちゃんとあったほうが、お話にもあってるよね。
ヴィクトルのお茶目な可愛げと超然とした冷静さ、刺々しい態度の奥にあるユーリの純愛も見て取れて、彼らがもっとよく判り、もっと好きになれるエピソードだったと思います。

自分を表現する言葉と強さを持たない青年と、ただ無軌道に己を叩きつける以外の方法を知らない少年。
二人がアガペとエロスに向かい合い、何かを手に入れ競い合う舞台は、来週見れるようです。
3話にして早速スケート対決で盛り上げてくれるソツのなさと、人間の持つ複雑なきらめきを切り取る繊細な筆。
既に作品としてのオリジナルな強みを存分に発揮しているこのアニメが、来週何を見せてくれるのか。
非常に楽しみです。