イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

フリップフラッパーズ:第2話『ピュアコンバータ』感想

不条理とリビドーを暗喩とポップさに包み込んだ毒入りキャンディアニメーション、今週は掃除機の国のアリス。
例によって夢と現実、条理と不条理の間を高速で行ったり来たりする目眩のアニメだったのですが、『少女と少女が出会い、反目し、危機を乗り越え判り合う』というガール・ミーツ・ガールの骨格がしっかりしていて、酩酊しつつも輪郭がクッキリしているという、なかなか不思議な視聴感でした。
文学からの引用、精神分析、メタファーと変化の快楽といった、このアニメ独自の武器もかなり明瞭になってきて、心地よき快楽に目鼻がついてきたような、相変わらず最高の酩酊を味わえているような、楽しい揺らぎの中で見終わることが出来ました。
やっぱアニメは気持ちがいいなぁ……。

まずお話の大枠を追いかけてみますと、前回衝撃的な出会いを果たしたココナとパピカは、『現実』においても接点を手に入れ、学校という『場』にパピカが侵入してきます。
ピュアイリュージョンでの冒険に心躍りつつも、友達が傷つくのは耐えられない優しいココナちゃんはパピカを表面上拒絶するものの、パピカが連れてくる不可思議な夢の魅力に引きずり込まれるように、うさぎを追って穴に落ちる。
前回は"雪国"とジブリ各種でしたが、今週はモロに"不思議の国のアリス"でしたね……『暗くて狭いところを抜け出し、ひかりの中に飛び出す文学』『出産のメタファーを含む作品』を片っ端から総ざらいしていくつもりなのかしら。
冒険の中で血を流し、相手を思いやる気持ちと冒険に弾む期待感を共有した二人は、お互い向かい合って更に仲良くなりました。
そして暗闇の狭所を抜けて、ココナはパピカが属する『フリップフラップ』に辿り着き、謎めいた大人たちと顔を合わせ、再び夢に吸い込まれて次回に続く、と。
画面で起きていることはサイケデリックな変容とほのめかし、隠喩と動画の快楽に満ち溢れていますが、ストーリーラインとしては非常にシンプルかつ強靭に、ガール・ミーツ・ガールなのですね。

『現実』に属するココナは『幻想』を背負うパピカを『意味がわからないもの』として拒絶していますが、彼女が一番気にしているのは『幻想』そのものではなく、冒険の中でパピカが血を流し、傷つくことです。
むしろパピカが連れてくる『幻想』自体には(僕ら視聴者がそうであるように)猛烈な誘引力があって、それを素直に認めることが、今回のお話におけるココナの落とし所だったりします。
元気で距離感近くて何かと匂いを感じたがるパピカの間合いにココナが歩み寄り、『幻想』の魅力を認めたように、パピカもまたココナの血と傷を感じることで、ココナが冒険をいとう気持ち、大好きな女の子が傷ついて悲しい気持ちに寄り添っていく。
今回の話はすれ違っていた女の子二人が、お互いの立場に接近しその気持を認めあい、入れ替わる(Flip-Flap)という、非常にベーシックでオーソドックスな『出会いの次に来る物語』『第2話』なわけです。

混ざり合う心の象徴として、二人はお互いの髪色を吸収しあって変身します。
非現実的なピンクを吸い取ってココナは超常の存在に変化し、現実的な青みがかったココナの色を自分風味に染め上げて、パピカは夢を支配する女王に姿を変える。
ピュアイリュージョンへの扉が開く鍵が『気持ちが一つになる』ことであるように、活発で不可思議で危険な冒険に勝利するためには、女の子二人はお互いの気持ちを覗き込み、相手が象徴する感情や世界を受け入れ一つになる必要があるわけです。
今回パピカが『学校』というココナの領域に足を運び、ココナがパピカのホームである『フリップフラップ』に足を踏み入れたのは、そういう相互の歩み寄りの一貫なのでしょう。


違いすぎるからこそ反発し、惹かれるからこそ拒絶する。
出会いの引力に引き寄せられる二人の少女の間に挟まるのが、敗北者オーラ出しまくりのオデコ金髪ヤヤカちゃんという『少女』なのが、ガーリィな雰囲気をより高めています。
『現実』から『幻想』へと引き寄せられつつあるココナを、ヤヤカちゃんは『現実』に押し留めたい……というのは題目で、王子様気取りで守ってきたクソ真面目幼なじみ美少女がイノセントな侵入者に略奪されるのが悔しいってところでしょうか。
キーヴィジュアルでヤヤカちゃんも思いっきり変身しているので、彼女もまた『幻想』を背負って二人の前に立ちふさがるんでしょうねぇ。
変化していく主人公に対し、過去にしがみつき押し留めるキャラクターがしっかりいるのも、トンチキな展開に押し流されず、お話を追いかける足場になってくれてありがたいところです。

とは言うものの、ほのめかしや謎、問いかけや隠喩の力をフル活用しているのは、映像面だけではなくストーリーでもそうです。
パピカはなぜ、保健室を前に嘔吐に似た反応を見せたのか。
謎めいた絵画と、意味深に接触してきた『先輩』はどういう存在なのか。
ソルトと『フリップフラップ』の目的は、『ピュアイリュージョンの開放』は何を意味するのか。
わからないことだらけですが、それはおいおい明らかにされるでしょう。
イマジネーションやフィーリングを第一に押し出しつつも、『これはこういう話です』『こういう意味合いです』という外形を届ける技術が思いの外しっかりしているアニメなので、案外投げっぱなしにはしないんじゃないかなぁと思うんですよね。

ヤヤカちゃんが足場にし、ココナを引き留めようとしている『現実』は相変わらず絵画的であり象徴的であり、ピュアイリュージョンとは違う表現の『もう一つの幻想』に思えます。
神殿のように静謐で人の気配がない、放課後の学校。
そこを切り裂くレンブラント光線の白く峻厳なエッジを見ていると、ココナが『幻想』に引き込まれていくのもむしろ当然だよなぁと納得してしまいます。
雪国の暗く白いまぼろしも、掃除機の中のワンダーランドの色合いも、『現実』の体温のない冷たさも、この作品の美術はリアルな世界そのものを切り取るというより、想像力と意味を大量に詰め込んで豊穣な、絵画的な世界を実現しています。
アニメーションそのものが『現実をどう認識し、どう写し取るか』という多様性と可能性のメディアなんですが、『幻想』と反目するはずの『現実』すら、イマジネーションを励起させる絵で作り上げられている所に、このアニメを貫く精神主義・童話主義を感じますね。
非常に好みです。


今回のピュアイリュージョンは、掃除機に吸い込まれる形で『幻想』に食われていました。
埃に満ちた掃除機の『内側』が、自分たちを包む世界の『外側』に転倒(Flip-Flap)してしまう不思議を、ガラッと色彩と美術のトーンを切り替えることで表現しているのは、物語世界に耳まで浸かる快楽を与えてくれて、本当に素晴らしい。
影とくすみの少ないハイトーンな色合いが、場面場面でサイケデリックに入れ替わる気持ちよさが『掃除機の中のワンダーランド』には満ち満ちていて、こういう映像の快楽を基本言語で亜に目を仕上げられるセンスには、まさに脱帽です。

二人が迷い込み飛び回る『掃除機の中のワンダーランド』は、絵本のようにポップで楽しく、しかし死と性に満ちて危険な場所でもあります。
このアニメは全精力を傾けてハイセンスで『軽い』印象を醸し出しているのですが、そこかしこで暴力が発生して少女たちは血を流し、ツルッとしたデザインなのに妙に性的に感じるシーン、性を暗喩するシーンが挟み込まれる。
つまり、この作品の『現実』が『幻想』の美しさを宿しているように、『幻想』にも『現実』の生臭さはちゃんと宿っていて、それを象徴するアイコンとしてセックスと死が幾度も顔を見せる、ということだと思います。
それはただ綺麗でフワフワで楽しいお話としてこのアニメを消化させない、不可思議な異物として機能していて、いい具合の不気味さと違和感を作品に貸し与えていると、僕は感じます。

軽くて清潔なデザインでまとめている割に、この話はエロティックな微熱を常に帯びています。
パピカはいつちゅーするか分かんないくらい距離近いし、匂いは過ぐし、素肌で繋がり合う手と手は妙に強調されるし、スカート丈はいつでも危険領域だし、棒状のものの硬さには拘るし、その固いものを舐めるし齧るし、脱出口はどう見てもヴァジャイナ・デンタータだしで、あらゆる所にエロスの気配が漂っている。
それは性を『幻想』に持ち込んで世界観をザラッと泡立たせると同時に、『年頃の女の子と女の子が出会い、惹かれあう』行為の危うさと透明感を強調し、ストーリーに体温を宿す仕事もしています。
優等生のココナにとって、ワイルドで行動的で欲望に素直なパピカとの出会いがどれだけ特別な運命なのかを、同性愛をほのめかす種々の演出で際立たせるのも、ココナの心音に視聴者のそれを重ね合わせ、物語にのめり込む仕掛けとして有効です。
きれいな女の子たちがゼロ距離戦闘していると、どうしようもなく吹き上がっちまうダメなオタクをフックする餌としても、イヤンなるくらい有効だしね。(喉に引っかかった釣り針を取りつつ)

『性』を強調するのと同じくらい、この話には『死』の影も長く伸びています。
『現実』に時々訪れる無人無音の静けさ、保健室の風景、『幻想』の冒険で幾度も流れる血と傷。
パステル調の美しい酩酊の中に、時々ハッとするような生々しい暴力が感じ取れるのは、エロスの使い方と同じように、不思議な世界に視聴者が飲まれすぎないよう仕込まれた、演出的爆弾なのでしょう。
ココナはパピカの体に傷がつき、血が流れ、つまりは『死』に接近するからこそ『幻想』と冒険を拒絶するわけですが、自分が第1話のパピカの立場になり血を流し『死』に追いかけられたからこそ、それが必ずしも嫌なだけではない、冒険の対価として生の実感を与えてくれる存在だと気づくことが出来る。
生き死にがかからない『夢のような』冒険ならば、ココナは最後素直にその魅力を認め、パピカを受け止める気持ちになったか怪しいところです。
危ういところでほのめかされ、回避させる『性』の描写と同じように、傷をつけつつ致命ではない『死』との戯れもまた、『現実』と『幻想』のあわいを不確かにして、その混交と交流を楽しむこの話において、非常に大事な要素なのでしょう。

原典である"不思議の国のアリス"もポップアイコンとしてかなり脱色・脱臭されてしまった作品ですが、実際に読んでみるとナンセンスと妄想とインテリジェンスに満ち満ちた不思議な本でして、今回の調理の仕方は原作のエッセンスを適度に取り込んだ、綾奈ゆにこらしい運びでした。
緑色のうさぎ……うさぎ?であるユクスキュルが、ピュアイリュージョンの中では『頼れる男性』になるところは、続編である"鏡の国のアリス"の『白騎士≒チャールズ・ラトウィッジ・ドジスン』の造形も視野に入れてんのかなぁ。
『現実』においてはココナのペットであり『被保護者』であるユクスキュルが、『幻想』の中では凛々しい表情とたくましい筋肉を携えた『保護者』に変わるところも、中と外、『幻想』と『現実』が行ったり来たり(Flip-Flap)するこの作品らしい面白さですね。


アニメーションというメディアはその性質上、変質や変容を描くのに向いた作品でして、精神的変容を重視したサイケデリック文化との相性も良い。
今回はグニャグニャと輪郭がとろける、絵が動くことの楽しさに満ちた作画がみっしり詰まっていて、相変わらずの気持ちよさでした。
『掃除機の中のワンダーランド』に落ち込み、埃にまみれてお互いを認識できない状況から『匂い』を頼りにお互いを再形成していくところは、モーフィングの気持ちよさがガッと詰まった良い見せ場で、『ああ、たまにこういうアニメ食えると最高だな……』という気持ちになります。
つーか、今季は"ユーリ"とか"舟を編む"とか、『絵が動く』快楽を全面に押し出したアニメが豊漁過ぎて脳髄がやべぇ。

あそこは『嗅ぐ』『触る』という、視認や言語よりも原始的なコミュニケーションでお互いを認識する、これを隠喩と行ったら詩学はいらないくらいのセクシュアルなシーンでした。
『嗅ぐ』という行為が色んな意味でオープンなパピカに属しているのを事前に見せて、世界そのものが認識できない異常事態に際し、取り澄ましていたココナがパピカの方法論に歩み寄るって流れが、お話全体の相互流入性(Flip-Flappability?)を反映していて、なかなか面白かったです。
抑圧された優等生が口ではギャーギャー言いつつ、運命的に出会ってしまった少女と冒険にドンドンドンドン惹きつけられ、否応なく変質していってしまう姿は、あまりにも変態的で真実の青春であり素晴らしい。
『トンチキな性欲と幻想と衒学に冒険に満ち満ちて、あまりに真っ直ぐな青春の物語』という意味では、植芝理一作品っぽいんだな、このアニメ……ココナ間違いなくドスケベだな……。

世界全体を支配するはずの色彩が、場面や心境の変化でコロッコロコロッコロ変わっていってしまう不安定さは、『精神の形が世界を変容させる』という作品のルールを再度活写していて、良いカロリーの使い方でした。
変身にしてもピュアイリュージョンの開放にしても、二人の心が一つになり、感情のドラマが最高潮に達した時に奇跡が起こっているわけで、やっぱ多分に精神主義の劇作だよね、このアニメ。
それを口で説明するのではなく、むせ返るような生と死を埋め込み、仕上がった作画の驚きで頭を殴りつけて作品世界に飲み込む豪腕は、やっぱすげーなと思います。


というわけで、今週もよく分からないけどよく分かる、理性と本能が手を取り合ってラインダンスするアニメでした。
色々グダグダ描きましたが、目の前で展開する映像とドラマにパワーが有りすぎるので、言語野を黙らせて押し流されても最高に楽しいってのが、アトラクション性に満ちていて凄いパワフルですね。
この『押し流されて楽しい』という感覚はココナが作中で味わう感覚そのものだと思うので、巧く作ってあるなぁ。
ワケのわからないものをワケのわからないまま、楽しく食べさせるためには、様々な手管を駆使して形を整え、同時に夢想の勢いを殺さない加減も必要になるのだ……大変なこっちゃな。

衒学と暗喩とガール・ミーツ・ガールに脳髄まで浸って、すっかりこのアニメに夢中な僕ですが、来週はなんか"マッドマックス"というか"桃太郎"というか……相変わらず先の読めねぇアニメだな! 最高か!!
センス全開天然十割のように思わせておいて、色々考え抜いているアニメだとは思うんですが、そのロジカルな味わいを尊重しつつも、この圧倒的映像/物語体験を大事にしたくもある。
そういうパワーに満ちたアニメだと思います。
おもしれーなマジ、このアニメな!!


・追記
ユクスキュルについて気になって調べた所、動物種固有の知覚世界(環世界)の概念を提唱したヤコープ・フォン・ユクスキュルが出てきた。
個別の世界が持つ個別の『現実』が混じり合い、第二の主観としての共有可能な『幻想』を生み出し、そこでの冒険を主題にしているアニメにおいて、名前を借りるにはピッタリの人物だわな。
こういうのサラッとやるあたり、やっぱ衒学的だと思います。