イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ユーリ!! on ICE:第3話『僕がエロスでエロスが僕で!? 対決!温泉 on ICE』感想

スケートリンクが溶けるほど熱い情熱を、美の化身に捧げる日々のダイアリー、今週はついに対決。
ヴィクトルというトロフィーを巡る勝ち負けのドラマはもちろん、フィギュアという表現の可能性、勇利とユーリが持つ選手としての特性、トロフィーであるヴィクトルの圧倒的存在感、彼らを取り巻く人々の表情などなど。
ぶっとい芯を持ちつついろんなものを切り取ってくれるお話で、非常に面白かったです。
スケートの作画力も相変わらず有効に使われていて、ややアニメーションに寄せたダイナミックな表現力が心地よかったなぁ……いいアニメだ、本当に。

今回も色んな所が面白いアニメですが、単純に二人の男が競い合うドラマが冴えていた……とは一概にいえないのが、このアニメらしいスクリュー。
『23歳で世界トップクラスのスケーター』という主人公の設定を活かし、スポ根定番の展開をことごとく外しつつ盛り上がりを作るのが、非常に新鮮でした。
自分に何が足りていないかも、演技の中にどういうストーリーが込められているかも、GPファイナリストである勇利には当然のこととして把握できていて、その上でどういう努力を積み重ね、発見を演技に込めていくかを突き詰めていく展開が、すげー面白かったですね。
白紙の地図に真新しい経験を描いてく時代ってのは勇利にとっては終わってて、既に書き込んである程度充実している世界を変えていくことが、彼の物語なのだなぁ。

一方15歳の若きモンスター・ロシアの方のユーリはまさに白紙の物語でして、優しい人妻に心揺れたり、刺々しさが共同生活の中でどんどん抜けていったり、滝行とともにインスピレーションを受けたり、全体的に初々しく可愛らしいストーリーを背負っていました。
最初キツめの当たり方をした分、ユーリが心の障壁をどんどん下げて長谷津に馴染んでいく様子は見ていて楽しく、嫌がっていた風呂で素裸を晒したり、気づけば悪態がなくなって汗を一緒に流していたり、素直な部分が見えてくるのが非常に良かった。
まるで兄弟のように、柔らかに四回転の指導をしている姿は『俺……俺このボーイたちを好きになっちまうよッッ!!!』って感じで、トロフィーであるヴィクトルが来たら『反目しているフリ』を急いで捏造するところも含めて、非常にキュートだった。
登場人物に自然に可愛げを背負わせられるお話は、やっぱ良いな。

勝負論としてみても、ジュニアからシニアに戦場を変え、精神的にも肉体的にもタフさにかけるユーリの『弱さ』と、23歳の経験を活かし、男から女へ生まれ変わることを恐れない勇利の『強さ』を対比し決着を付けた流れには、強い説得力がありました。
滝の中で祖父の思い出と出会い、『アガペ』の手触りを掴みながら『こなすのが精一杯』だったユーリの若さと、『衣装』から受けたインスピレーションを的確な指導の後押しで形にし、自分なりの『エロス』として表現しきった勇利の老練さは、キャラを最大限に活かした対比よな。
ユーリの『弱さ』が悪しきものではなく、素直さや無辜の愛といった美点にちゃんと繋がって、今後の発展を期待させる要素になっているのも、凄く良いですね。


二人のユーリがとにかくガムシャラに体を追い込み、演技を作っていく過程をテンポよく見せ、それが二人の心をつなげていく過程を自然に描けたのは、身体表現をテーマに据えたアニメとしてとても良かったと思います。
たとえセリフで説明しなくても、トップアスリートとして肩を並べ、同じ釜の飯を食い、スケートにかける情熱を肌で感じていれば、距離や敵愾心はなくなっていってしまう。
そういう非言語的なコミュニケーションの強さがスケートというスポーツにはあって、それもまたスケートの大きな魅力なのだと、ドラマに重ね合わせて心地よく表現できていたのは見事でした。
気持ちのいい奴らが必死になって、心を通じあわせていく様子ってのは、凄くシンプルで楽しいもんな、見ている側としては。

体を動かしていくうちに余計な感情が脱落していくのは、練習だけではなく勝負でも同じでした。
アレだけ棘棘していたユーリは、勇利の演技がヴィクトルの心を奪った瞬間をその才能ゆえに見抜いてしまい、結果を告げられるまでもなくロシアへと帰っていく。
この素直さでさらにユーリを好きになっちまうわけですが、こういうイノセントな結末が出会った当時即座に出てきたかと言えば、ユーリとしても視聴者としてもノーでしょう。
そういう素直さは、長谷津の美しい風景の中で『アガペ』というテーマに向かい合い、ライバルの気持ちを肌で感じ、体を追い込んだからこそ生まれてくる、輝く結晶。
勝ち負けを追いかけて始まったエピソードが、勝ち負けを超越した価値に辿り着き敗者にも恵みを与える収め方含めて、いい展開したなぁと思います。

アスリートの鍛錬を支える人々も生き生きとかけていて、練習を支える西部夫妻にしても、『女性性』というエッセンスを勇利に与えて勝ちに近づけたミナコ先生にしても、気持ちの良い人々として描けていました。
ただ口を出し応援するだけではなく、汗を流す現場に居合わせ身近な距離で支えてくれる姿を見せられると、主人公たちの苦労を共有してくれるありがたみが出てきて、凄くキャラを好きになれます。
勝生ファミリーもそうなんだけども、サブキャラクターの描き方・使い方うまいよなぁ。

彼らは勇利達がどれだけ素晴らしい演技をしているかを、視聴者に判りやすく伝えるスピーカーとしても機能していました。
このアニメのスケート作画はとにかくクオリティが高くて、ただ叩きつけるだけで凄みを感じられる素晴らしいものなのですが、それだけに頼るのではなく、ちゃんと言葉と表情を使って『凄さ』を見せているのは、作品を見る時の体温を上げてくれて非常にグッドです。
そのくせ、細かくてダルい技術解説はすっ飛ばして、スケートを見る『体験』自体をを巧く物語化してんだよなぁ……面白い。


真っ直ぐにスケートに情熱を注ぐ中で、逆に勇利やヴィクトルの影の部分が際立って見えたのも、今回面白いところで。
例えば初めてコリオを見る時勇利は『僕のための振り付け』と自惚れるわけだけど、そもそも"愛について"はヴィクトルが選手として自分のために用意した演目であり、勇利への『アガペ』ではなくヴィクトル自身の『エロス』の産物のはずです。
しかしあくまで『自分は特別に選ばれたんだ』と思いたい勇利としては、その曲は自分のためのスペシャルな芸術であると思い込みたいし、その自惚れがあればこそ、勇利はコメディチックな『カツ丼』を超えて『ヴィクトルを求める女』というセルフ・イメージに辿り着いてもいる。
影が日向になり、光が闇に繋がっている複雑な陰影は、まっすぐな話運びに巧く深みを付け加えていて、見事な捌き方だと思います。

もう一つ目立ったのはヴィクトルのエゴイズムで、ユーリの演技に『今まで見た中"では"一番良かったよ!』という真実を叩きつけてたり、勇利に基本練習を強いたり、柔弱な見た目には似合わないエグい人格が、結構目立ってました。
これも明暗相通じるところで、世界中の期待を集めて怯えることのない強い自我があればこそ、彼は『美の神』として存在できているわけだし、揺るがない自分を持っているからこそ、迷える勇利やユーリが気づかない『本当の自分』を見抜いて、コーチとして適切な指導ができもする。
結局は自分第一という『エロス』は許容量を超えていればこそ、他人を幸せにできる『アガペ』にも通じてしまう不条理こそが、ヴィクトルの天才を証明している、というところでしょうか。

ここら辺の相転移は勇利でも起きていて、ヴィクトルに猛烈で個人的な情愛を注ぐ『エロス』の踊りは、かつて無いほどに観客をひきつけ喜ばせる、公益に対してアプローチできる『アガペ』の踊りにもなっている。
抽象的なテーマとして『エロス』と『アガペ』を扱いつつも、実際のスケート表現を圧倒的な密度で描ききること、人格がぶつかりあうドラマの中でそれがどう対立/融和するかを見せることで、説得力を込めて視聴者に届けられているのは、非常に強いところです。
元々アニーションは身体性を取り込みにくいメディアだと思うのですが、極限的に作画のカロリーを上げてそれを宿してしまうのは、やっぱ凄まじいなぁ……それだけに甘えず、ドラマや説明も丁寧に乗っけて加速させてるしね。

今回のスケート表現は背景と人物の同期が外れていて、しかしそれがフィギュアの浮遊感を巧く出していて面白かったです。
全体的な表現も強調と省略を巧みに使いこなしたアニメ的なもので、特にユーリの長い手足が流れ、跳ね、踊る動きの心地よさが凄かった。
ロトスコープを使った『現実のトレース』という段階を一歩踏み込んで、アニメーションならではの表現として『動く絵』の快楽が感じ取れるのは、やっぱ最高に気持ちいいですね。


勇利からヴィクトルへの感情、二人の関係を描く筆は確実にロマンスの領域を意識しています。
んじゃあ二人はホモセクシュアルでしか繋がっていないのかというと、彼らは性器を持つ人間出る以前にフィギュアスケートという表現、『美』に奉仕する競技者なわけで、恋愛に似た強い愛情も、男女の領域を飛び越えて『女』になる変化も、全てはより良いスケートのためにある。
勇利のヴィクトルへの思いが同性愛者としての恋慕を含むにしても、含まないにしても、ヴィクトルはただ憧れて見上げる『美の化身』から、いつか捕まえて乗り越える『競争相手』、食い殺してやる『獲物』になりつつあるわけです。
気弱な童顔の奥にこういうギラギラしたエゴイズムを秘めているところは、勇利とヴィクトルは似たもの師弟なんでしょうね。

勇利がヴィクトルに向ける崇拝の視線と、ヴィクトルが勇利を抱きしめる冷静な目線がすれ違っているのは、滑走前の抱擁を見てもわかります。
『世界で一番モテる男』にとって勇利はまだ、自分に憧れの視線を向けてくる有象無象の一人でもあり、その視線全てを独占できるような圧倒的存在感を手に入れてはいない。
五連覇敵なしのヴィクトルが求めているのはもしかしたら、己と同じだけの質量を持った『敵』であり、勇利にその萌芽を認めたからこそ彼は長谷津に来て、未だ望むものが手にはいらないからこそ、あそこの抱擁であまりにドン・ファン的な対応をしたのかなぁと、少し思いました。

勇利とヴィクトルの間にある『憧れ』という長い距離が小さく、しかし確実に縮まっているのも事実で、練習のときはヴィクトルだけが歩み寄った抱擁は、滑走のときは勇利から進み出て歩み寄る形に変化していく。
あの2つのステップの対比は、こういう距離感の変化、関係性の変容こそがこのアニメの根本なのだとよく教えてくれて、非常にいいシーンでしたね。
勇利はいつか、気まぐれな『美の神様』『勝利の化身』を心底夢中にさせて、その求愛を華麗にかわすようなドン・ファンになれるんでしょうかね……まぁ似合わないか。
どういう形に落ち着くにせよ、勇利が勇利らしく己を見つけ、ヴィクトルと対峙する足場を手に入れていくことはお話を見る上で大事な要素っぽいですな。

惹かれあう男と男を描く上で、危ういホモセクシュアル的挑発を入れてくるのはむしろ誠実だと僕は思うし、性愛を含めた性差を超越してしまうような表現力をフィギュアが持っていると示す上でも、なかなかいい手筋だと感じます。
セックスに接近しつつ描写をしないステップの踏み方は、『そーいう領域をまるごと飲み込んで、男だ女だの区別すら融解させて、あるべき『美』をより峻厳に美麗に表現できてしまう超越性があるから、スケートは凄いんだよ』というメッセージを、勝手に受信してしまいます。
ホモかホモじゃないかで足踏みしているよりも、そういうところを含みつつ飛び越えて表現の餌にしてしまう貪欲さを楽しみたいのが、僕個人のスタンスかなって感じですね。

勇利はヴィクトルへの憧れから初めて、GPファイナルという場所に立つほどに表現を研ぎすませてきたわけで、ヴィクトルが代表する『美』への想い、それを背負うものとしての自負は、今表に出ているより遥かに誠実で苛烈だと思ってます。
それをヴィクトル個人への『エロス』だけに押し込めてみてしまうのは、スケートというより大きなもの(そしてそれを表現することで繋がる他者)への『アガペ』を切り捨てる行為で、どうにも勿体ねぇなぁと感じもする。
無論スケートの神への『アガペ』をより誠実に表現するためには、ヴィクトルへの濃厚な『エロス』を突き詰めていく必要もあるわけで、これもまた明暗相通じる部分なのでしょう。
勇利の秘めたる『エロス』を表現するためには、当然同性愛的な妖しさに接近していくのも非常に有効だと思うので、巧く手綱を握って欲しいし、現状握れているんじゃないかと思います。


そんなわけで、勝者である勇利はもちろん、敗者であるユーリも、トロフィーであるヴィクトルも、彼らを取り巻く人々もキラキラと輝く、素晴らしい対決でした。
身体性を込めた滑走や練習の表現、人間通しが向かい合う瞬間の魂の火花、スケートにまっすぐに向かい合う時の汗。
熱量と誠実さを感じる表現がエピソードの中に満ちていて、見ていて楽しかったし、清々しかったし、さらにこのアニメを好きになれるお話でした。
良いなぁ……凄く良い。

ユーリは惜しまれつつ長谷津を去り、ヴィクトルを一応独占出来る体制が整った勇利ですが、『美』に向かい合うにはまだまだタフさが足りません。
美しく優しいエゴイストに振り回されつつ、23歳の青年はどのような自分を見つけ直すのか。
そこからどのような滑走が生まれ、我々をどのように驚かせてくれるのか。
個人の内部にある情熱をしっかりと描きつつ、それがより広い場所で爆発する快楽も大事にしてくれるこのアニメの今後、一切見逃せませんよ。
マジおもしれぇから、このアニメマジ。