イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

フリップフラッパーズ:第3話『ピュアXLR』感想

極彩色の悪夢をあなたに!
見る幻覚剤、聞くアムリタ、今週は東映オマージュてんこ盛りでお送りします!!
『世界』そのものと戦っていた第1話・第2話に比べて、顔が見えて話が聞こえる相手と殴り合うお話でした。
オマージュ元が判りやすいのでパロディ色が濃いですが、思春期少女が手に手を取った、爆発力に満ちた深層心理の不安定さと殴り合う方向性自体は変化なし。
額に『負け犬』と烙印された"YAYAの系譜"ヤヤカちゃんも双子を引き連れて、魔法少女イリュージョン闘争に参戦し、酩酊はまだまだこれから盛り上がるという塩梅でした。

"北斗の拳""セーラームーン""ドラゴンボールZ""ふたりはプリキュア"……東映諸作品へのオマージュが山盛りだった今回ですが、万華鏡のように複雑な顔を持つ思春期の心理に、アプローチを変えながら潜っていくという方向性は、これまでのお話と変わりがありません。
むしろウィルウィッチアという、言葉が通じて触れることが出来る障害が出てきて、色々煽ってくれる分、ココナが何と向かい合っているかは見えやすかったかもしれません。
セックスとヴァイオレンスを支配する幼い女王・ウィルウィッチアは非常に判りやすい『心の闇』であり、彼女に煽られる形でココナはパピカへの暴力性を発露させ、それを経験することで更にお互いを愛するようになる。
このアニメで繰り広げられる極彩色の冒険がどのような性質を持ち、その核に何が配置されているかを確認する上で、『現実』を舞台にしたシーンがほぼ無い今回のお話は、より物理的で判りやすい話だった気もします。

やりたい放題画面上に立方体を飛ばし、いい感じの組手作画を暴れさせているだけのように見えて、細くて強い象徴のラインがエピソードを貫いてもいるのが、非常にこの作品らしい。
今回あらゆる場所で顔を出してくるのは『水』と『仮面』でして、これを強調するための砂漠の物語なのかなぁ、と疑うくらいです。
冒頭パピカが口にする『水』は優しさや潤いが凝縮したものであり、これを与えられることでパピカは力を取り戻すし、仮面ココナは井戸を蔑ろにし、ウィルウィッチアはカクテルグラスを投げ捨てます。
『水』はあの世界ではあるべき場所にはないので、本来海を泳ぐはずのガレー船も空を飛ぶ。
本来の姿(元ネタである奇想天外と、怪物化したウィルウィッチアはよく似てますね)を露わにした『敵』を倒すのも、『水』を弾丸に込めた合体バズーカなわけで、乾きから命を守ってくれる『水』を己のモノにする運動は、今回何度も繰り返されます。

もう一つは『仮面』でして、パピカを助けてくれたサンドピープルも、案外人間味があったモヒカン軍団・アイアンボーイズも、ウィルウィッチアが支配するエロティックな少女たちも、皆『仮面』の奥に表情を隠し、匿名の奥に隠れています。
メインキャラクターに姓がなく、役名も"先輩""おばあちゃん"だったりするこのアニメの匿名性はそもそも高いのですが、ピュアイリュージョンを舞台に初めて交流可能な人々が出てきた今回、個人を判別不能な『仮面』にエキストラ達が顔を隠しているのは、なかなか面白いところです。
ココナが暴力性に支配されるのも、『仮面』(ジャギなのか二代目麻宮サキなのか)を付けられるからだしね。
そういう意味では、ウィルウィッチアが『水』と『仮面』を付けた少女、両方を弄んで軽んじていたのは、『悪役という立ち位置』で何をするべきかよく把握した、的確な振る舞いでもあるのでしょう。

顔が見えないからと言って無名の人々は冷たいわけではなく、むしろ水をくれたり芋をくれたり、少女たちに優しくしてくれます。
むしろ顔が見えて『何者である』かがハッキリした後のほうが、ウィルウィッチアは悪役としての牙をむき出しに大暴れしてくる。
ウィルウィッチアが突っついていたように、ココナが『何者でもない』自分自身、『仮面』を付け特別ではない存在になり、冒険から遠ざかって目鼻がつく『成長』に怯えているとしても、『仮面』を付けた世界は早々悪いものでもないわけです。
冒険や夢を主題に選びつつも、『特別』な二人をもり立てるために顔のないエキストラを無能力に描くつもりがないことは、結構誠実で真面目な捉え方だなと思いました。
ピュアイリュージョンでの冒険を大事にしつつ、同時に思春期が生み出した一時の夢でしかないことに強く自覚的であり、『水』に溺れるのではなく飲み干し糧に変えることを大事にしている感じというか。


タイトルのとおり、美術設定やコンセプトを話数ごとに入れ替え(フリップ・フラップ)しながら進んでいるこの話、今回もアプローチを変えてお話を紡いできました。
暴力表現が人間サイズの殴り合いになったり、変身シーンが露骨に裸だったり、オマージュ元がサブカルチャー軸になってたり、全体的に判りやすく、荒々しい感じかなと。
いかにも女児アニって感じの変身バンクを仕上げつつ、謎の光や抽象化でフィルターかけず、ナマの肌色と股間を押し付けてくるのが、非常にフリフラらしい。
これまでだってオマージュと幻想の綴れ織りで話を作ってきたし、サンドピープルの村に見える幻想感は一話・二話と地続きなので、『別角度から光を当ててみた』といった方が良いのかもしれませんけどね。

第1話・第2話を思い返すと、ココナとパピカが超常的な力に目覚める理由『あの子を助けたい』という気持ちでした。
つまり友愛や助力というプラスの引力故に二人は惹かれ合い、冒険に立ち向かうパワーを引き出していたわけですが、ウィルウィッチアの誘導もあって、今回二人は殴り合います。
相手を突き放し、『大っ嫌いだ!』という気持ちを載せた拳を叩きつけ合うマイナスの引力も、二人の間にはちゃんと存在している。
ウィルウィッチアが乱雑にそれを切開し、顕在化させ、衝突させることで、二人はより親しく気の置けない関係を作りなおす。
『敵』すらもお互いの真実を見つける一種のセラピーとして用意されている所が、このアニメを貫く物語主義・精神主義を感じさせて、面白いところです。

『ワケの分からない闖入者』として出会い反発した二人が、危機を通じて混じり合い、お互いを惹きつけ合う過程を描いた第1話・第2話をしっかり引き受け、くっついた二人をバラバラにして反発を埋め込み、暴力と本音を叩きつけ合うことでより強く融和する物語を描く。
お話しの流れにアクセントを加え飽きさせないという意味でも、関係性を別角度から掘り下げるという意味でも、なかなか面白い舵の切り方をした第三話だと思います。
『現実』しかなかった世界ではココナを守る騎士役だったはずのヤヤカちゃんが、二人が幻想同盟を結んだ今となっては『ワケの分からない闖入者』でしかないというのも、なかなか皮肉だなぁ……。


方向性を変えてきたのは『現実』も同じで、今回はCパート以外殆どがピュアイリュージョンで進行する、テンション高めのアクション回でした。
そういう高熱があればこそ、夢から醒めて『塾をサボった』という非常に卑近で生々しい問題と向き合わなければいけないCパートの低温が、頭を殴られるようなコントラストを作っていました。
ココナが置かれている世界を説明する意味合いもあって、第1話・第2話は幻想的な『現実』を長く写し視聴者に食わせるシーンが長かったわけだけども、今回『現実』が顔を見せるのは、薄暗いココナの家とおばあちゃんの言葉だけ。
しかし時間的には短いからこそ、砂漠の熱狂がスッと覚めるような冷たさがあのシーンにはあって、いくら『幻想』の中で夢に浸っていても、『現実』では何者でもない自分に向き合わなければならないココナの目覚めのショックが、巧く追体験できる作りでした。

三話まで見てみて、僕はこの作品を非常にオーソドックスなビルディング・ロマンスだと捉えています。
とてもつまらない、何者でもない自分が運命と出会い、冒険に飛び込み、危機の中で己の価値を把握し直して、少し大きくなってあるべき場所に帰ってくる、ありふれた青春の物語。
イマジネーションとオマージュの奔流それ自体を楽しみつつも、ココナという危うく優しい少女が青春を前にして震える姿、その背中を抱きしめてくれるパピカの優しさがちゃんと描かれているから、この話がとても楽しいんだと、僕は思っています。
むしろありふれた青春の物語を思いっきり掘り返し、そこに何が詰まっているのか再確認するためにも、自由で活力に満ちた奇想、それをヴィジュアライズするアニメーション力を使いこなしていると、現状感じています。

この物語が『幻想』と『現実』、物質と心理の間を行き来(フリップ・フラップ)しながら進む以上、ピュアイリュージョンがもたらす酩酊に深く入り込むと同時に、何者でもなく何者かにならなければならない年頃のココナの世界をちゃんと描くのは、すごく大事だと思います。
そういう意味で、テンション高く突っ走った『幻想』を一気に冷やし、学生としてひどくつまらない『現実』に帰還させたCパートの簡勁な使い方は、お話を引き締める上で相当大事なんじゃないかなぁと思います。
『現実』が冷えて面白くないから、『幻想』での冒険やパピカとの出会いに逃避し耽溺するのか、はたまた『幻想』のエネルギーを『現実』を切り開く糧にできるのか。
ココナはピュアイリュージョンとの界面だけではなく、そういう青春の分水嶺にも直面しているのであり、それこそがこの幻想譚に物語的な歯ごたえを与える重要な『水辺』なのではないか。
『幻想』の色合いを一気に収め、冷たさと味気なさを強調してきたCパートの『現実』描写を見ると、そういう気持ちが強くなりました。


このお話はパピカという運命と出会ってしまったココナの『内面』の変化を、ピュアイリュージョンという『外界』に拡大しながら追いかけていくのが主筋だと思います。
とは言うものの、ピュアイリュージョンはココナとパピカの共通幻想であると同時に、他者が侵入し介入可能な『世界』でもある。
純粋幻想の客観性に分け入ってくる『外部』を担当するのが、超カッコよく登場を果たしたヤヤカちゃんと双子なのかな、とか思ったりした。

ピュアイリュージョンという異界、そこに隠された"ミミの欠片(もしくはアモルファス)"というパワー、それを狙う謎の組織達。
核心は一切不明ですが、ココナたちの冒険を取り巻く『外部』もこのお話は結構描写していて、巧く視聴者の興味を誘うことに成功してもいると思います。
一切説明がないんだけども、それでいて動画とイマジネーションのパワーで強引に引っ張られているから、『外部』がどういう形しているかも知りたくなるんだよね。

ヤヤカちゃんがなぜピュアイリュージョンで暴れまわっているかも、双子が『現実』においてどういう存在であるかも、このアニメらしいほのめかしと腕力に満ちて、まだ謎のままです。
ここら辺を掘り下げていくと、ヤヤカちゃんがどんだけ面倒くさいデコ出しナイト気取り負け犬幼馴染レズなのかも分かってくると思うのですが、まぁじっくりやるよね、このアニメだと。
トンチキな映像表現で楽しませつつ、キャラクターの細かい感情描写が巧いアニメでもあるので、『外部』から侵入してきた三人が何を考えているのかは、しっかり見たい部分です。
それをちゃんと描くことで、それに応対するヤヤカの気持ち、そこから生まれる『幻想』と『現実』も説得力を増していくんだろうしね。


というわけで、暴力の支配する砂漠を舞台に、ハードコアな暴力衝動治療行為が執り行われるお話でした。
パピカとココナが三話にして、殴り合っても大好きで、傷つけあっても笑い合える強い関係を作ってしまっているのは、二人が好きな視聴者としては嬉しいことですね。
こんだけ太いラインが伸びちゃってると、ヤヤカちゃんはなかなか切り込めないとは思うけども……頑張れ負けるな、百合コンテンツにおいて"YAYA"の名前は呪いでしか無いがな!!(ストパニの夜々とか、ハナヤマタのややちゃんとか)

次回予告を見てもさっぱり何が起こるのかわからないアニメですが、ともあれ来週は南の島常夏の島。
このアニメがタダの水着で肌色パラダイスを流すわけがないので、どういう幻想爆弾を投げつけてきて、二人の青春にどういう変化をもたらすのか、非常に楽しみです。
四話でもまたアプローチ角度変えてくるんだろうなぁ……ストーリーラインが一応骨太にあるけど、エピソードごとに別ジャンルって意味では"カウボーイビバップ"の系譜なのか、フリフラ。