イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

3月のライオン:第3話『晴信&夜空のむこう』感想

一手一手に魂込めて、駒の形の人生を盤上に張っていくアニメーション、今週はライバルと送り盆。
同年代のライバルにして親友、俺の二海堂晴信との切羽詰まった対局と、それを終えての川本家の景色の二本立てでした。
文字通り命を削りながら零くんに食らいついてくる二海堂との不可思議な絆、悲しみを確認する儀式の果てに流れた涙を共有できるひなちゃんとの関係性。
喜怒哀楽、様々な感情を取り込んで純粋な零くんの世界が、また堀を深める話でした。

というわけで、先週までだと陽気なピザデブだった二海堂が、実は相当なものを抱えて将棋盤に向かい合っていると分かる話でした。
別に体にハンディがあるから偉いとかそういう話ではなく、棋士は皆何かを抉り取りながら指している物語であり、二海堂においてはそれが健康とプライドであると、まぁそういう感じなのですが。
何かと人間関係を希薄に保ち、ナイーブな自分を守りたい零くんにとって、傷つきながら噛み付いてくる二海堂がいてくれることは、なんとも救いなのだなと思うような対局でした。

同世代である彼らの因縁は長く重たいもので、将棋を指さない子供たちがのんきに楽しんでいる屋上でも、灼熱地獄に身を焼かれながらお互いの魂を削り、勝ち負けの刃を突きつけ合いながら生きることを選んでここまで来ました。
将棋の神様に幸か不幸か選ばれた子供は、家族との談笑からも、楽しい乗り物からも遠ざけられて、赤と青の風船のように高く高く登っていくしか無い。
かたや病、かたや死別という重たい宿命を背負いつつ駒を取るしかなかった少年たちが、かつてどういう場所にいたのかを見せる上で、ズシリとした違和感を活かした今回の演出、非常に良かったと思います。


何度目になるかわからない二海堂との対局は、拳で殴りつけるような義父との対局とも、少し息を抜いた一砂との対局とも、また違う色合いで描かれていました。
同じ年頃の選ばれた子供だからこそ、脂汗を絞り出すような全力の対局を積み重ね、打ち負かされれば絞り出すように『負けました』と宣言しなければならない、しかし奇妙に爽やかで野太い絆を感じさせる、本気の打ち合い。
傲慢な思い上がりを抜きに本気で倒しに行けばこそ繋がりあえる、真剣勝負が結ぶ友情が篭った対局は、零くんにとっても二海堂にとっても特別なものです。

しかし零くんは二海堂の業病に気づいていないので、二人の関係性は結構アンバランスで、プライドを込めて『陽気なピザデブ』を演じている二海堂のほうが、人格的成熟度としては上な感じよね。
零くんは『何度も』この対戦があり得ると感じて(願って?)いるけども、リムジンに引っ込むなりぶっ倒れる二海堂には死の影が濃厚に忍び寄っていて、いつまで零くんのライバルでいられるか定かではない。
だからこそ、二海堂は一局一局必死に粘りながら打つし、零くんは無意識にその思いを軽んじかけては思い直し、背筋を伸ばし直して向かい合う。
この不平等があってこそ、零くんが二海堂から学んで成長する物語も成立するし、なにより二海堂がそういう不平等を正されることを望んでいないので、こういうアンフェアもありかな、と思います。
相手を無意識のうちに侮る傲慢も、生まれ持った才覚故に生まれてくるもんだろうしね。

まだ若い二人なのに、零くんは家族の死、二海堂自分自身の死と、お互い『死』に片足取られながらの友情であり、ライバル関係なのは、なかなか面白いなぁと思います。
川本家もまた『死』の長い影が落ちている家であり、零くんの深い部分に切り込んでいくためには、『死』という通行手形が必要なのかと疑うほどです。
しかし『死』の絶望にとどまらず、それをくぐり抜けて『生』の充実感を共有する間柄もまた、今回の対局では描かれていたわけで、作品が人生の明闇を捉える深い視線がよく出たエピソードだったと思います。


零くんに生の充足感を与えてくれる川本家も、今回は送り盆のしっとりとした空気に沈んで、『死』と向かい合っていました。
それは零くんが言うように『余計に思い出して、悲しくなるための儀式』ではあるんですが、しかし零くんのように『悲しいから考えないようにして、頭から追い出し』てしまえば消えてなくなるのかと言えば、そういうことはない。
そこに待っているのは無機質なマンションであり、唐揚げを挟んだパンだけの寂しい食事であり、『死』と向かい合う儀式を適切に執り行わなければ、『生』にもまた向かい合えないわけです。
そういう意味では、日々『死』に向かい合いながら将棋を指し、『次は絶対に負けない』と決意を新たにできる二海堂は、強制的に儀式を執り行っているみたいなもんなんだな。

いつものように美味しい食事を取って、穏やかに『死』を思い向かい合う。
そういう静かな態度の奥には、ひなちゃんが川を見つめながら月に慟哭するような、魂の出血が隠されています。
家族の死、義理の家族の不和と自分なりに立ち向かった結果、全てを切り捨てる方向に行きかけた零くんだけども、その奥にはとんでもなく濃厚な感情が流れていて、本心ではひなちゃんと同じように、母のない寄る辺なさを慟哭したい。
だからこそ、自分の代わりに泣きじゃくるひなに寄り添い、しかし密着は出来ない距離を保ちながら、零くんは月を見上げたのだと思います。
それもまた、零くんが『死』と向かい合う一つの儀礼だったのでしょう。

夜の帳が落ちた川沿いの町の落ち着いた雰囲気を、巧く宿した静かな前半から、一瞬の沈黙を経てひなたの号泣に至るボリュームの調整は、非常に見事な演出でした。
花澤さんの泣き芝居もいいんですが、孫娘と不思議な少年、二人の若人の心の傷を見て取り、必要な邂逅を生み出すべく背中を押してくれるおじいさん役千葉繁の、頼りがいのある演技が素晴らしかったですね。
『死』に満ちた世知辛い世界にキャラクターを置くからこそ、おじいさんのような優しさと賢さを兼ね備えた『いい人』がいてくれると、ありがたみがじわっと湧いてきます。

他にも『死』の気配を感じて年相応にグズるももちゃん(形になるセリフ、今回一回もなし!)や、体中からママンのオーラを立ち上らせるあかりさんなど、各員いい空気をしっとりと立ち上らせ、魂の削り合いから帰還した零くんがどういう『家』で休むのか、よく感じ取れました。
六月町や将棋会館のシャープな美術と、三月町を表現する時の水彩めいた柔らかな筆致が巧くムードを切り分けていて、空気にメリハリを産んでいるのは非常に良いですよね。
二つの世界はなかなか交わらないけども、生き残るためには両方が必要であり、違っているからこそお互いがお互いを相支える事ができる。

死に瀕しながら駒を握る二海堂、迎え盆に漂う『生/死』と同じように、違えばこそ混じり合うことが出来るという矛盾(もしくは不可思議)が、今回二つのお話を貫通していたように、僕は感じました。
泣くことも出来ないまま、『死』の記憶に蓋をして戦い続けるしかなかった零くんと、一人きり川沿いで号泣することが出来るひなちゃんも、違えばこそ隣り合い、一人ではないとお互い確認するような、人間の不可思議を背負う間柄。
そこから何かが生まれつつある未来もしっかり視野に入れつつ、その可能性に怯えてもいる零くんの姿を、今回よく描けていたと思います。

AパートとBパートにもう一つ、共通するものがあるとしたら、ライバルに業病を悟らせない二海堂と、家族の前では涙を流さないひなちゃんのプライドだと思います。
大切な相手だからこそ、自分の弱さを受け止めてもらえると確信していればこそ、己独りで立ち、脆い姿は密やかに露わにする誇りを、この作品の子どもたちは持っています。
そして零くんにしろ花岡にしろ、人間なら必ず持っている弱さと誇りを受け止めてくれる人々が周囲にはいて、だからこそ一人で立つことも出来る。
人が生きていれば必ず出会う『死』や苦痛、哀しみに立ち向かう人の姿を、この作品がどう切り取り支えるのかが、しっかり見えるテーマだったかなと思います。


というわけで、生病老死の宿命に巻き込まれ傷を負いつつ、それでも歯を食いしばり生き延びる存在の、『今』にまつわるエピソードでした。
僕は二海堂晴信というキャラクターが一等好きなので、彼のプライドや痛みや誇りをどうアニメにしてくれるか、不安に思いつつ期待もしていましたが、しっかり答えてくれました。
ひなちゃんの号泣も良い演出で見せてくれて、ホントありがたみが天井を突破しそう。

零くんを中心にして、人生の色んな表情を掘り下げているこのアニメ、来週もまた色々起きそうです。
とーりあえず高橋くんのイケメンっぷりと、モモちゃんと二海堂のファーストコンタクトをどう描いてくれるか、むっちゃ楽しみだなぁ。
アニメにしか出来ない表現を使いこなし、原作のエッセンスを映像に変換してくれるアニメ化、ありがたすぎて思わず高望みしちまいますが、それに答えてくれる信頼感も生まれつつあります。
ああ、来週も楽しみだなぁ、本当に……。