イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ:第30話『出世の引き金』感想

火星の土は理想の残骸で赤く濡れているアニメ、宇宙ヤクザ野望篇な第30話。
三つ巴の戦役を抜け出して大将首を取ったものの、周囲からのやっかみは衰えることもなく、『家族』以外は即座に殺す苛烈な同族主義も相変わらず。
全うでも順当でもない鉄火団の道行き、その運命共同体たるクーデリアやマクギリスの未来も不安に揺らぐお話でした。

というわけで、前回から引っ張った三つ巴バトルは混乱を巧く抜け出し、鉄華団がポイントを稼ぐ形に。
もうちっとアリアンロッドとバチバチするかと思っていたんですが、それは未来の話に取っておいて、鉄火団の不安定な現状を描くことを重視した感じでしたね。
即席にしては巧く動いていた石動・三日月コンビと、仲良く喧嘩し続けるジュリエッタ・イオクコンビの対比はなかなか面白かったです。
ジュリエッタが想像以上に野性的というか、わりかし本能剥き出しで暴れまわるタイプだとはわかったので、今後衝突する時が楽しくなりそうでした。

今回はサンドバルの首を取ってバンザイ! という話ではなく、稼いだポイントをどう使うかとか、それがどこに繋がっているのかとか、オルガが事件を収めるやり方とか、ドンパチの外側の描写が重視されていました。
『嫉心』から起こった今回の事件ですが、例えばバリストン親分のように賢く利益を配分したり、ノブリスのように冷徹に不利益を切り捨てるわけでもなく、オルガは『家族』を取られた落とし前をアリウムの『血』で贖う。
暴力稼業はナメられたらおしまいとはいえ、名瀬の兄貴が心配している『利益を上げるほどに、それ以上の敵を作る』生き方そのままであり、先行きに大きな不安が残る始末でした。

鉄華団は『家族』であるという狂信は、一期ラストの窮地を跳ね返す力にもなり、薄汚い銭を適切に回して味方を増やす『大人』のやり口にどうしても馴染めず、鉄火団を孤立させる原因にもなる。
『家族』への絆がそのまま『家族』以外への冷淡さに変わるという図式も、一期を通じて描かれたものであり、時々『新しい血』を入れつつも、鉄華団は世界に見捨てられた孤児として『大人』を受け入れはしません。
暴力に関しては相当な才能を持つものの、現実と折り合わず、自分の生きざまを貫いて一旗揚げようとするオルガの人格が、そのまま組織の特質として反映されている感じです。


凶暴な純血主義を維持する鉄華団ですが、組織として社会に存在している以上、他者と関わることは避けられません。
今回は警察権力や上部組織との繋がり方を描いて、彼らの尖った孤立が実は他の組織との利益で後押しされ、許容されている矛盾が強調されていました。
私刑まがいの『落とし前』、『家族の血は家族以外の血で贖う』という鉄華団の閉じたルールは、タービンズ直参という看板、ハーフメタル鉱山が代表する利権、法の介入を遠ざける法治組織との癒着でぎりぎり成り立つ、危ういものなわけです。

すでに野望スゴロクを先上がりしている名瀬のように、己の信念を守りつつ組織を運営し、『嫉心』に足を取られることなく利益を配分して、鉄華団が生き残ることが出来るのか。
今回アリウムを私刑したやり口を見ていると、そこら辺はどうにも怪しく見えてきます。
子供を食い物にする社会構造に反発しつつも、その社会構造に保護することでしか『筋』を通せないところとか、理念最優先でとりあえずぶっ殺しちゃって、絞れるだけ絞る小狡い発想がないところとか、とにかく危うい。
そういう危うさが(途中たくさんの犠牲を生みつつ)野望の達成に利してきた物語ではあるんですが、いつ出世の階段を転がり落ちるかわからない不安定さは、組織が大きくなってもそのまま……というか、大きくなったからこそ強まっています。

現実に押しつぶされた薄汚い大人のサンプルはこのアニメ山ほどあるので、オルガもそういう方向に進んで生き延びるという危うさも一応ありますが、これまで強調されているのはやはり理念を現実よりも優先する尖った危うさであり、豚として生きるより狼として死ぬ未来のほうが、色濃く見えます。
理想に燃料を継ぎ足す三日月の視線も健在なので、いざ状況が悪化して世界が今のままの鉄華団を認めてくれなくなった時、汚れて生き残るより『家族』全員一緒に死ぬ方を選ぶだろうなと言う思いを、今回は強くしてくれました。
むしろそういう未来を予感させるために、アリウムの『落とし前』を賢い方向には進めなかった、と言えるかな。


破滅の未来を際だたせるためには、叶わない希望をキラキラと輝かせるのは大事なわけで、アトラとクーデリアの会話は愛おしくも切ない、あまりに綺麗な夢でした。
血まみれのヤクザ稼業で銭稼いでる現状から遠いと言うだけではなく、アトラが言う『世界を変える』という夢がどれだけ大変なのか、クーデリアがシビアに認識している落差がどうにも哀しいのよね。
同時にアトラすらも『まぁ、世界なんて変わらないし、クズはクズとして死ぬしか無いよね……』と言い出したらお話全体沈むしかないわけで、無邪気できれいな夢が叶わないとしても、それを言う役は大事だなとも思います。

『識字』という、クーデリアが切っ掛けで発生した小さな幸福。
それを鉄華団内部だけではなく、彼らを取り囲む世界全体に拡大していくためには、私刑も殺人も許容し、『革命の乙女』のブランドイメージを下げないために鉄華団に手を汚してもらう必要がある。
神ならぬ人の身に降りかかる矛盾にクーデリアは自覚的で、そこから抜け出すすべを探しているという意味では、『家族』理念に凝り固まったオルガよりもまだ抜け道があるように感じます。
世界の誰よりも守るべきだった『家族』は、クーデリアの場合もう死んじゃってるからな……そこに拘る必要はないし、血縁がそれの代わりになるわけでもないと。

オルガが危うい理念を引っ込めることなく旗を掲げ続けるためには、クーデリアの理想が社会を変革し、ガキを食い物にする世界を過去のものにしないといけない。
それは今回示されたように細く遠い道のりですが、同時に完全な闇でもありません。
あまりに遠くに霞んで見えるゴールに彼らがたどり着けるのか、はたまたそこかしこに開いている破滅の落とし穴にハマるのか。
似ているようで違うオルガとクーデリアの道がいつか別れるかも含めて、鉄華団の現状を巧くまとめたエピソードだと思いました。


破滅の落とし穴というわけでは、マクギリスと共闘関係を選んだオルガの選択はあまりにもヤバすぎて、同時に利益共同体としては必然の選択で、なかなかに苦い味がしました。
妾の子から身を立て、親を殺して立場を手に入れ、『嫉心』に塗れつつ現実と戦い、歪んだ理想を実現する道の途中。
よく考えてみると、マクギリスもまたオルガと似た立場にいて、そんな二人が利益を通じて手を結ぶのはまぁ納得の行くところというか、地獄というか。
マクギリスに『友人』はもはやいないし、オルガが彼を『家族』と認めるわけもないので、利益以外で通じ合う気配が一切ないのが、特にヤバイですな。

状況の真実を見抜く眼力がある三日月が、久々にあったマクギリスを『疲れてるね』と評したのは、結構意外でもあり、納得行くセリフでもありました。
親友殺しが響いているかは判りませんが、マクギリスがギャラルホルンの中で孤立無援であるのは二期で強調されているし、組織内部に頼れる相手もいないしで、そら『疲れる』だろうとは思う。
一期では無敵の謀略マシーンとして一人勝ち状態だったマクギリスが、人間らしい『疲れ』を見せているのは、未来に待ち受ける破滅の予兆なのか、はたまたまた別の物語が展開する足場何か、気になるところです。
まぁ『マッキー陰謀大勝利!』でも、『悪事の報いを受けて死ね!』でも少し捻りが少なく感じるので、今回見せた『疲れ』を活かして面白く料理してほしい感じです。

ギャラルホルンの改革を歌いつつ、火星支部に影響力をズブズブに行使し、クソヤクザが商売敵を私刑する腐敗構造に油を継ぎ足している描写は、マクギリスが『大人』であることを巧く見せていました。
そらまー、自分を好いてる幼馴染も唯一の親友も陰謀の薪にできんだから、ちょっとぐらい理想と異なる手筋を取るくらい、余裕のよっちゃんってことなんだろうけども。
オルガが『家族』の血をあまりにも真っ直ぐ取り立てたのと、改革のために目の前の腐敗を飲み込み、鉄華団に利益を先渡しする賢さの対比は、クーデリアとオルガのコントラスト以上に鮮明でしたね。


というわけで、一つの出来事の終わりとその始末を描くことで、無邪気な子供時代から抜け出しつつある青年たちの肖像を、鮮明に掘り下げるエピソードでした。
大善のために小悪を飲み込んでるのは誰も同じなわけだけど、摂取している泥の濃さはそれぞれ違っていて、そのことがどういう結末をもたらすのか、不安にも楽しみにも思えてくる。
現実と寝ても地獄、理想に操を立てても地獄という行き場の無さが巧く漂っていて、非常にオルフェンズらしい話だったと思います。


『家族』主義の若きマフィアと、新進気鋭の社会改革家と、権力構造に埋め込まれた悪辣なる爆弾。
それぞれが片手だけ繋いだ関係の危うさが描かれた後でも、お話は止まらず、鉄華団は命を盤上に張ってのヤクザ稼業を続けます。
それがどの岸に行き着くのか。
俺は苦しみつつ、ひどく楽しみです。