イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ユーリ!!! on ICE:第4話『自分を好きになって…完成!!フリープログラム』感想

美しく見えるリンクは魂の血で赤く染まっている、美麗なるド根性スポーツアニメ、今週は静かなる休符。
パワーと勢いでグッと視聴者を掴んだこれまでの三話からトーンダウンし、主人公の魂の歴編、コーチと選手の距離感、グランプリとスケートに込められた意味を、じっくりと掘り下げる回となりました。
静かに内面に切り込んでいく穏やかな筆致と、身体の美しさを追求する麗しいスケート作画が共存し、森然としつつも静かな熱を感じる、良いGP直前回となりました。

ここまでのお話は『動』の作りであり、どん底に落ちた主人公が『美』と運命的な出会いを果たし、ライバルがオラオラしながら挑戦状を叩きつけ、切磋琢磨の果てに文句なしの勝利を果たすまで、短距離走のように走りきりました。
これは熱と迫力のこもった見事な劇作なのですが、『動』の話作りではどうしてもすくいきれない部分が残り、試合を遠目に見つつ実際の滑走がない『静』の今回は、そこを掘り下げていく展開になります。
『静』といっても完全に止まってしまうわけではなく、これから始まる熱く激しいGPという『動』のための一時休止であり、勝負の熱に説得力を持たせるために絶対書いておかなければいけないモノを積み上げる準備ですね。
いわゆるタメ回でありながら、華のある作画でしっかり心を弾ませたり、丁寧な表現力でキャラクターの内面にしっとりと感じ入れたり、『静』の積み上げの果てに決意を込めてタイトルを背負う展開に満足感があったり、みっしりと詰まった濃い話なのが素晴らしかったです。


毎回いろんなものを幅広く描くアニメなんですが、今回メインになっているのはタイトル通り『自分を好きになる』ということ。
ユーリとの対決を終え、ヴィクトルを自分だけのものにした勇利は周囲の状況に対応するフェイズを終え、演技を深める意味でも、物語の主体に必要な堅牢さを手に入れる意味でも、自分と向かい合う時間がやってきます。
ユーリに突っ返された最初の曲のように、花がなく失敗ばかりで孤独である……と勇利が捉えている過去の自分を、ヴィクトルとの精神的追いかけっこを交えつつじっくり見つめ、『僕の愛』がこもった曲として受け入れ直すまでのお話。
心に踏み込んでくるヴィクトルに戸惑いつつ、その抱擁に値する勝生勇利を再発見し、コーチ(でありアイススケートそのものでもあり、身体が触れ合うことのできる仲間でもある存在)とより力強い関係性を作り直すこと。
それがユーリ第4話の背骨だと思います。

自分とは常に他者との対照の中にしか存在しないので、勇利が己について考えることは、彼にとって最大の他者であるヴィクトルとの関係について考えることを意味します。
あまりにも巨大で、憧れで、真っ直ぐ見れずに逃げてしまう『美(もしくは勝利)』
コーチでもあるヴィクトルと向かい合うことは、すなわち己のスケートと向かい合うことでもあり、今回勇利はヴィクトルが持つ様々なアスペクトについて考え、迷い、答えを出すことで、スケート競技と自分自身にも答えを見つけることになります。
とにかくヴィクトルと勇利を真ん中に据えれば安定して深く掘れるし、その深さが幅広さも連れてくるという、骨の太い構成ですね。

これは第1話からじっくり進んでいることですが、今回勇利はヴィクトルを『憧れのスーパースター』『美の化身』として見上げる視線を維持したまま、つむじを触ることが出来る『等身大の人間』としても受け止めています。
ヴィクトルはコーチとして、一人間として真正面から勇利に向き合い、必要な距離感を探りながら踏み込んでいますが、最初勇利は自分の中の肥大化したヴィクトル像(それはスケートへの理想であり、肥大化した自意識でもある)の影に隠れ、彼を向かい入れることが出来ない。
内面を反映するように降る雨の中、(これも第1話から継続している演出ですが)ストイックに体をいじめる習慣は止まらず走り出し、その中でゆっくりと己の中に切り込んでいく。
情けなく震える弱い自分を否定することなく、そこから一歩一歩進みながら等身大の自分を捕まえ、『美の化身』の前にさらけ出すこと。
ヴィクトルという巨大な『美』に惑わされることなく、あるがままの『氷上の勇利』を見つけたからこそ、砂浜で二つの足跡が寄り添い一つの海を眺めるシーンでは、雲が晴れて光が差し込んでくるのでしょう。

肩を組み、一緒に風呂に入り、つむじを触ることが出来る身体としてのヴィクトルは、勇利の現在を変え、現在から繋がった過去も有益に変えていきます。
連絡ができなかった旧コーチには筋を通し、イマイチだった過去の曲はタイトルを背負うほどに成長し、自分を支えてくれた人々の思い出を肯定的に捉え直しもする。
それは勇利自身が勇気を持って前に進んだ結果であると同時に、コーチであり憧れであり、指を伸ばせば届く距離にいる一己の人間、一己の身体としてのヴィクトル・ニキフォロフが、背中を後押ししてくれた結果でもある。
今回は勇利が厳しいGPを戦い抜くための倫理的体力をつける回であると同時に、ヴィクトルと勇利の関係性を接近させ、遠巻きに見上げる『憧れ』では手に入れ得ない、身体的な温もりが魂を温めうる間合いに侵入させる回でもあるわけです。
なので、勇利は無防備に踏み込み、さらけ出すヴィクトルに戸惑いつつも、その真摯さを信頼し体重を預けるようになるわけです。
こういう関係性の変化がしっかりと描かれているからこそ、今回の話、落ち着きと満足感、不思議な高揚感が同居する名エピソードに仕上がったのでしょう。


ヴィクトルは勇利の内面を掘り下げるための足場として存在するだけではなく、一己の人格としてしっかりした描写が割り振られ、複雑な表情をしっかり見せてもいます。
直感的にか論理的にか、どちらにせよ『正解』をすぐさま見つけて、人間関係でもスケート表現でも的確に行動できる強靭な人格者。
猛烈なエゴイストであり、その身勝手さが自動的に世界を沸き立たせてしまう才覚の持ち主。
『美の化身』として高い位置に祀られることを良しとせず、かと言って人間に媚びるでもなく、自然体で勝生勇利と間合いを詰めてくる不思議な男。
チンポかくし芸で笑いを取ってくる、イケメンコメディアン。
どれも魅力的で面白い、好きになれるキャラクターです。
これまで底知れぬ実力と謎めいた魅力、スケートの頂点としてのエゴイズムが強調されていた分、今回は勇利の心に優しく踏み入ってくる繊細さ、他者を尊重できる柔らかな優しさが強くでていた印象ですね。

作品世界もキャラクターも、一面的な描き方をしない作品ではあるのですが、ヴィクトルは特にその複雑さを強調され描かれているように感じます。
この多面性があればこそ、そこに向かい合う勇利の多面性も強調され、例えば疲れ切ってガードが下がった時には神様にだって「あ”!?」と言ってしまうような闘争心も感じ取れる。
主人公の内面を映し、作品を先に進める原動力として『憧れ』を背負うためには、物語的な記号をただ強調するだけではなく、その役割を説得力を込めて引き受け、自然と受け入れられるようなドラマと物語が必要だ、ということかもしれません。
そういう難しい要求に、ヴィクトルの描写はよく答えていると僕は感じます。

ただ美しいものとして祭り上げるのではなく、その影にある『人間味』がヴィクトルの本質だと描くのでもなく、一見矛盾して見える『美』と『人間』が実は背中合わせに支え合って、ヴィクトル・ニキフォロフを際立たせているのだと教える筆の強さは、やっぱ凄いなと思います。
勇利がヴィクトルを見上げる視線はそのまま、フィギュアスケートという競技の崇高さを担保する足場になるので簡単には崩せないわけですが、しかし同時に彼は圧倒的に『人間』であり、カツ丼も食えばチンポも晒す。
そういう『人間』がやっているからこそ、フィギュアスケートの崇高さには体温が通い、非常に価値あるものとして受け止められるのでしょう。
ここら辺の描写のバランスの良さはとにかく驚くべきところで、ヴィクトルの圧倒的な『美』に萌え萌えしているうちに、作品全体のテーマやモチーフの意味合いまで自然に飲み込めてしまう、巧妙な物語的詐術ですね。
勇利がこれまでのイメージと違う『人間』ヴィクトルを受け入れつつも、自分をここまで引っ張ってくれた『憧れ』『神』としてのヴィクトルを第一に求める所とか、キャラの感情のうねりとテーマへの掘り下げが完全に同居してて、いいシーンだし凄まじくうまいなと感じました。


第1話から強調されているように、スケーターの勝利と敗北は孤独なものでありながら、それを取り巻く世界は優しく暖かく、価値のあるものです。
見守ってくれる両親は懐深く尊敬できる人物で、長谷津の街にはローカルな匂いと季節の光が満ちて、競技の最前線からリタイアした仲間も新しい家庭を手に入れている。
競技者の孤独は実は、その外側にある世界の優しさと美しさにしっかり支えられており、今回勇利が発見し直した自分というのは、唐突に出現したものではないわけです。
視聴者はこれまでの話を見る中で『このアニメの作品世界はこんなに綺麗で、温かいじゃあないか』という実感を得ているはずであり、今回勇利がゆっくりたどる遍歴は、アニメの外側から彼を見守る僕の感覚に、作中の勇利が辿り着くまでの物語といえるかもしれません。
モノローグを多用し、印象的な情景を効果的に使って勇利個人の内面に切り込みつつも、そこから切り離された世界を描き忘れないことは、『美と勝利』を追い求めるこの話が袋小路に入らない、大切な出口だと感じています。
まぁ何だ、今週も勝生ママンが可愛くてよかった……ホント好きあの人。

『外部』という意味では、コーチの存在意義が密やかに、しかし強靭に描かれていたのも面白いところです。
血を流しながら(これを強調するべく、血まみれのつま先が印象的にカット・インするのは見事)競技に挑む選手からは見えないものを見て、それを身体に焼き付ける存在としてのコーチ。
その方法論は様々で、ヴィクトルのように個人・勝生勇利にエロティックなまでに接近して暴き立てるものもいれば、ヤコフコーチのように峻厳に、しかし的確に指導する存在もいる。
彼らがいればこそ選手は己を掘り下げ新しい可能性を手に入れ、『美と勝利』に接近できるわけで、そんなコーチの様々な表情を切り取れるのも、試合と試合の谷間に位置する『静』の回ならでわでしょう。

今回一番目立っていた『外部』は、もしかするとユーリの新たなる力であるリリア・バラノフスカヤかもしれません。
ボリショイのプリマであり、前回勇利が勝利する源泉となった『女の力』をユーリに与える厳しい女神は、タフでハードな態度を崩さないまま、ユーリの可能性を開花させていきます。
考えてみれば、23歳の完成された身体よりも、未成熟・未分化な15歳の身体のほうが『女』を演じるには相応しいわけで、敗因を己のパワーに作り変えるリベンジの熱さもひっくるめて、非常に面白いライバル描写だと思いました。

最初はユーリを品定めしている感じだったのが、魂すら売る覚悟を見せつけられまっすぐに少年の瞳を見据え、ガッチリと握手をして信頼を示す一連の流れは、『この女……俺好きになれるかもしれん……』という感じだった。
ユーリの第一印象からの捻り方もそうなんだけども、キャラを印象づけた上で好きにさせる手管が巧いよなぁ、このアニメ。
勇利のライバルとして、独自の存在感を持ったスケーターとして、ユーリの存在感と好感度は非常に強いわけで、彼を支え強くする『他者』を怠けず配置し、濃厚で強力な描写を差し込んでくれるのは、非常にありがたいですね。
優子ちゃんといいミラさんといい、ユーリは女にモテるなぁ……勇利の周りは男ばっかりなのになぁ。


勝負と勝負の谷間の回として、直近で向かい合うだろうライバルを手際よく紹介し、今後行われる競技の説明もしっかりしていたのは、このアニメらしい巧さだと思いました。
スポーツモノは競技に流れる圧倒的に早くて濃厚な時間と、理性的に競技を解説する場面の時間が食い違ってしまい、説明シーンが浮くのが悩みどころなのですが、SDキャラを活用し『空気が変わる』ことを逆手に取った演出で楽しく見せるのは、非常に良いと思います。
『どうやっても場伸びすんだから、いっそ完全なコメディとして切り離して演出しちまえばいいじゃねぇか』というワリキリは、マジ正解だと思う。

それと並列して、ドラマの中に自然と新キャラを食い込ませ、存在感を出していく手際も鮮やかでした。
フリープログラムの中で自分と他者の距離感をつかむこの回で、『曲』は非常に大きな仕事をしているのですが、それをピチェットくんに媒介させることで、『なんだ、このキャラいいやつじゃん』と自然に思えるのは凄く良かったです。
直近のライバル南くんも顔を見せて、優しい人たちと激しく競い合う未来に期待が高まる、良い『タメ』回でもあったなぁ。
キャラやテーマを彫り込む『深さ』と、シリーズ全体の構成をよく見た『広さ』が同居していること、ポップで元気なサービスも忘れれないそつの無さが、このアニメのパワーの一つなんだろうな。


というわけで、全霊を込めて滑走している場面では描けないことにしっかりと向かい合った、落ち着いて熱い物語でした。
話的には勝負がない『タメ』に位置するのにこの満足度……やっぱすげぇや。
こういうダウナーな回でしっかり主役たちの内面に切り込み、問題を乗り越え姿勢を整えるドラマを作れたのは、この先展開する勝負への期待もグッと盛り上げてくれて、非常に良かったです。

周囲を見つめ、そこに映る自分を見つめ、姿勢を整えた先で待っているのは中四国九州選手権であり、年下の挑戦者・南健次郎くんです。
これまでは圧倒的なヴィクトルとオラオラなユーリに挟まれ、『日本人トップクラススケーター』としての勇利があまり強調されていなかったこともあって、下から見上げる立場の南くんがどういう角度から作品に切り込んでくるのか、非常に楽しみです。
来週もまた、『美』に己を捧げるものたちの詩を聴くことが出来る喜びに浸りつつ、ワクワクしながら待ちたいです。