イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ユーリ!!! on ICE:第5話『顔まっ赤!!初戦だョ!中四国九州選手権大会』感想

23歳の美しきレボリューション、勝生勇利のスケート人生生き直し物語、競技開始のゴングが鳴る第5話です。
これまで『どん底から這い上がるもの』『勝利と美を追いかけるもの』として描かれてきた勇利が、いま競技者としてどこにいて、誰に追いかけられているかを掘り下げていく話でした。
世界最高の競技者であると同時に、世界で一番目の肥えた観客でもあるヴィクトルの面倒臭さもよく表現され、二人の頑固者がガツガツぶつかり合う火花が激しかったです。
純朴な眼差しで勇利を見上げる南くんの真っ向勝負も心地よく、ついに本番が始まったという興奮が高まる、良いエピソードでした。

というわけで、GPファイナリストを目標に据える勇利にとってはある意味『勝って当然』な中四国予選。
しかし追われるものには追われるものの不安があり、勝ちが約束された勝負もないわけで、今回の演技は練習よりも雑念やノイズの多い、ギクシャクしたものとして描かれます。
そういう不安定な状況でもきっちり勝ちきってしまう、日本トップの実力をここで確認しておくことで、これまでの4話で強調されてきた『足掻くもの』としてのイメージを薄めるのが、今回の話しの仕事の一つ……って感じですかね。

ヴィクトルを『追う主体』ではなく、『追われる客体』『憧れられる対象』として勇利を強調するべく、今回のヒロイン南くんがいます。
ムラのある演技を勇利が『昔の僕に似ている』と受け取ったように、南くんはヴィクトルに憧れスケートに情熱を燃やした過去の勇利そのままであり、第1話でヴィクトルが勇利に見せた拒絶を再演する所含めて、憧れの一方通行は綺麗に写し取られている。
ヴィクトルが勇利の『愛』を引き寄せるように、勇利もまた南くんの『愛』を誘引するだけの質量を持った、憧れのスケーター……『美の化身』なわけです。
勇利のピュアな愛情がこれまで見事に描かれてきたように、南くんの憧れもまた非常に鮮烈で可愛らしく、キャラを好きになれる描写でした。

しかし『追う主体』としての勇利が消えてなくなったわけではなく、『美の化身』に必要な余裕も風格も一切ないまま、勇利は乱れ、失敗し続ける。
ショートプログラムの段階では視野が極端に狭く、観客や南くんという『追いかけてくる側』ではなく、ヴィクトルという『追いかける対象』だけを見て演技しているのは、なかなか面白いところです。
ヴィクトルと出会うことで『愛に似た感情』に気づいた勇利ですが、ユーリとの対決の時には足りなかった利己的愛情、『エロス』が今回の開始時は過剰になっていて、『他人のモチベーションを上げる』利他的愛情、『アガペ』が欠損したところから、演技が始まるわけですね。
自分とヴィクトルだけが存在する狭い視野、肥大化した自意識を少し削って、完璧ではないけれども必死な、対戦相手を視野に入れた『これまでで一番楽しい演技』にたどり着く今回のお話は、『愛に似た感情』についての物語であり、『エロス』と『アガペ』の複雑な綱引きこそがこの作品の根源だということを再確認させてくれます。


ヴィクトルの言葉や南くんの『僕の愛を罵倒しないでください!』というメッセージを受け取るだけでは、勇利は己の意識を整えることが出来ません。
南くんが演技の中に込めた必死さ、溌剌とした可能性、観客を魅了する輝きを受け取った後、ユーリはバックヤードに下がり静かにストレッチをして、コンセントレートを高めていく。
『集中しなきゃ!』と言葉で考えている間は達成できない、整って深い戦闘意識は孤独の中で研ぎ澄まされ、競技者に相応しい姿勢は他者ではなく、自己と向き合うことで生まれるわけです。
他者がいなければ生まれ得ない『愛』こそが、"YURI ON ICE"という滑走の、勝生勇利のシーズンの、そして"ユーリ!!! on ICE"というアニメ作品自体のテーマなわけですが、だからといってこのお話は孤独な自己を切り捨てはしません。
最終的に競技者(そして多分人間)は『愛』を感じ取る自分に帰還し、暗闇の中で向かい合えばこそ、光に満ちた『愛』を正しく受け止め発露していくことが可能だということを、今回勇利が辿った迷い路は示しているように見えます。

『愛』との向かい合いに必要なストイックさだけではなく、一流アスリートとしての説得力という意味でも、寡黙に集中を作っていく勇利の姿は大事だと思います。
勇利はラストの記者会見で『一人で滑っている気になっていた』と過去を振り返りますが、『結局、スケートは一人で滑るんだ』という認識もまた、冷厳な事実だと思います。
そういう寂しさや厳しさを受け止める覚悟を、勇利は歓声あふれる華やかな場所から遠ざかりながら作り上げ、再び戦場に戻ってくる。
それは氷上の人生表現と向かい合うための儀礼であり、孤独な表現者と観客の『愛』が、矛盾を孕みつつ豊かに触れ合うために必要な土台を整えるメソッドです。
23歳の勝生勇利、西部一家のような『普通の幸せ』に背中を向け、青春のすべてをスケートに捧げた男は軟弱なだけではなく、そういうタフさをしっかり持っているわけです。

孤独なのはヴィクトルも同じで、エース復活に湧き上がり、圧倒的スコアで勝利した勇利の演技に、ヴィクトルはけして満足しない。
100点超えが当たり前、『美の化身』として世界で一番高い光景を見続けた男にとって、国内予選程度は『緒戦』でしかない部分もあるし、ミスだらけの滑走はGPファイナルを取る演技とは認められないのでしょう。
競技者が抱えているものを冷徹に見抜く目を持っているから、表面的な演技の奥にある動揺や雑念もしっかり見抜き、問題点を指摘できるという意味合いもあるかな。
この目線は勇利の『追いかけるもの』としての物語がまだ始まったばかりで、まだまだ改善・改良していく余地があるというヴィジョンを提示もするので、メタ的な意味合いでも大事な目線でしょう。
スケート競技の権化たるヴィクトルが厳しくダメ出しすることで、それを全てクリアするだろうGPファイナルに勝つ説得力を積み上げ、クライマックスの準備をしているわけです。

ヴィクトルと勇利は二人共、ホモセクシュアルな関係を匂わせるほどに強く惹かれ合いつつ、どこかドライというか、己を保って距離を創る関係を維持しています。
どれだけ憧れの存在から指示されても、勇利はジャンプの難易度を下げて安定感を増す方向に舵は切らないし、ヴィクトルもまた、勇利が氷上で捧げる『愛』を受け止めつつ、距離を置いて見下げる視線を維持している。
それは人生をスケートに捧げてきたタフな競技者として必要な冷徹さだろうし、そういう冷たさを共有していればこそ、彼らはコーチと繊手として、男と男として向かい合うことも出来る気がします。
そのような離れていくベクトルの視線と、どうしようもなく引き寄せられる引力の強さを同時に描くことで、キャラクターが持つ人間としての複雑さ、スケートという競技が必要とする人間力の強さもまた、丁寧に切り取られている感じがします。


抱き合ったり言い合ったり、見つめ合ったりリップを塗ったり、そんな仕草に赤面したり。
男と男の『恋』、ホモセクシュアルな表現を戦術的に取り込んでいるこのアニメですが、そこを踏まえつつ自分たちが何を描いているか、最後の記者会見でクリアに宣言したのは、僕には凄く好ましかったです。
性的接触にしか思えないディープな関係性には、しかしホモという看板は貼り付けられず、ただ『愛に似た感情』というしかない。
競技者を極限まで高め『美』に到達させる『愛に似た感情』は、どうやっても性的な接触に非常に近い場所にたどり着いてしまう。
勇利が言葉にしたのはおそらくそういうことで、それは同時に、ともすれば視聴者への媚、性選択という非常に危うく大切なものを玩具として弄ぶ傲慢にもつながってしまうエッジな表現の奥に、何が込められているかという表明でもある。
スタッフはあのシーンで、盤上この一手、勇利とヴィクトルの『愛に似た感情』は当然、性愛も含めて表現されなければいけないと、胸を張って声高に言い立てたのでしょう。

優子ちゃんとの関係を見ても、勇利は基本的にはヘテロセクシュアルな性傾向を持っていると思うのですが、ヴィクトルという圧倒的な『美』と向かい合う時、性自認含めた一般的な前提は全て崩れてしまう。
このアニメがこれまで積み上げてきた、見せかけだけで不安定な『勝生勇利』を解体し再構築し、スケートを通じて己を世界に問い直す物語である以上、性自認の揺らぎもまた、解体に必要な猛烈な一撃なんだと思います。
それがセックスを伴うものなのか、競技を通じた友情なのか、それともその区別を付ける必要が無いのか。
原初の力に満ちた混沌をまるごと飲み込むことで勇利が生まれ直している以上、勇利はTVを通じて己を宣言するあのシーンで、『愛』ではなく『愛に似た感情』の曖昧さを強調するしかない。
それは作品にとっても、キャラクターが作中受け取る実感にとっても、凄く誠実な言葉だったと、ぼくは思うのです。
勇利がヴィクトルから受け取る誘惑やよろめきに説得力を与える意味でも、ヴィクトルがセクシーで美しすぎる存在であり続けること、作画レベルがハイクオリティに維持されていることは、凄く大事なんだろうなぁ。

記者会見のシーンはヴィクトルへの名前がつけられない『愛』だけではなく、ヴィクトルと出会うことで変化した世界、捕らえ直した『愛』についても再定義していました。
コンセントレートを高めた後、南くんを視野に入れつつ意識せず、ヴィクトルと密着する姿を見ていても、勇利にとって世界はあくまでヴィクトル(が象徴する『美』『勝利』、スケート競技そのもの)で占められている。
でもヴィクトルへの狭く鋭い『愛≒エロス』に潜っていくことで、勇利の視界はより広くなり、家族の愛情や世界の美しさを再認識し、その思いがまた、スケート≒ヴィクトルへと向かい合う基板に変わる好循環も、そこにはあります。
その足場をしっかり踏みしめ飛び上がることで、勇利のスケートは名もなき観客のモチベーションを上げる『アガペ』を内包する、素晴らしい『美』へと紹介していく。
そういう幸福な共犯関係に勇利が自覚的で、全世界に問う資格のあるテーゼなのだという認識があの記者会見には詰まっていて、非常に良かったですね。

ここらへんの連動はまんま今回、南くんへの認識と対応に反映され、うねりのあるドラマとしてしっかり表現された部分でもあります。
作品の、そしてキャラクターのテーマをただセリフでまとめるのではなく、人間と人間の感情がぶつかり、生き方に迷い、たどり着いた高みを身体で表現する物語の分厚さがあることは、お話が伝えたいことを飲み込む上で、凄く大事な味付けでしょう。
南くんというチャーミングなキャラクターを上手く使って、テーマに物語的肉付けをしっかり行い、美味しく楽しく物語を消化できる構成になっていた今回は、ほんとによく出来たエピソードでした。


これまであまり描けなかった『追いかけられる客体』としての勇利に光を当て、そのプレッシャーと傲慢がどのように変化し、勝利にたどり着くかをしっかり描くエピソードとなりました。
結果だけ見ると『勝って当然』な前評判、そのままに終わってるんだけども、その過程には葛藤があり、成長があり、変化と決意がある。
それをしっかり受け止め、ここからはじまるGPに何を込め、作品全体が何を見据えているかを高らかに歌い上げるラストシーンも含め、充実感とクレバーさに満ちたエピソードでした。

南くんをチャーミングに描ききったことで、サブキャラクターの使い方、光らせ方が巧いこともわかったこのアニメ。
来週は中国GPを舞台に、褐色の爽やかボーイ・ピチェットくんが立ちふさがります。
世界最高峰の舞台で再び『追いかける主体』に立場を変える勇利が、どんな輝きを見せてくれるか。
ユーリ!!! on ICE、マジおもしれぇからマジ。