イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

フリップフラッパーズ:第5話『ピュアエコー』感想

心の闇と光、青春の陰影が織りなすガールズ・ステンド・グラス、今週はイリュージョン様がみてる。
妖しげな寄宿舎に咲き乱れる百合の花と、顔のない亡霊、鳴らない12時の鐘、繰り返す毎日。
ホラーと少女小説をしっかりと組み合わせ、『現実』を模倣した『虚構』を見事に描ききるエピソードとなりました。
ココパピがイチャコラするシーンと同じくらい、ホラーなシーンがしっかり仕上がっていて、手抜きがないのは良いことだ。
怪談と百合とアクション合間に、教団サイドの事情もちゃんと挟み込んで、ストーリーの疑問点を説きつつ深める手際も見事でしたね。

というわけで、今回は"学校の怪談"と"マリア様がみてる"と"カリオストロの城"と"シャイニング"と"シンデレラ"と江戸川乱歩諸作品をあわせたような、不可思議な世界の冒険となりました。
元々閉鎖的な学園と怪談は相性が良く、マリみて原作でも幾つかストレンジ・テイストなお話があったりします。
ループ要素も取り込んで、どんどんと退廃の中に取り込まれていくココナとパピカを、逃げ場所を許さない結界の中の悪夢が見事に演出していました。

今回はピュアイリュージョンの危険性に二人が飲み込まれていく話でして、最初は世界の異常性を拒絶していた彼女たちが、『呼びかけに応え』『同じ衣装を着て』『同じ食事を取り』『生活の場所を共にする』という、民俗学的同化の手順をしっかり踏んで亡霊たちに取り込まれていくのが面白い。
百合と夜闇が支配する『学園』は閉鎖的で暖かく、「ごきげんよう」というリバイバルのじゅもんを唱えながら二人は、その暗くて温かい褥に飲み込まれていきます。
『学園』が彼女たちにとっての『現実』を模しているのも、そこに出口がないことも、異物として排除されるのではなく、呼びかけに応え同化していく今回の戦術と、巧く噛み合った舞台設定といえます。

永遠に繰り返す時間の中で、しかし二人の間の好意は蓄積され腐敗し、最初は二段ベッドの上下に分かれて寝ていたのが枕を同じくし、人差し指を啜る仕草もどんどんディープになっていく。
『学園』の閉鎖した永遠に同化していくに従い、彼女たちは元の制服が『欠片』を巡る闘争のための戦闘服であることをを忘れ、アモラルで狂った『幻想』のルールに飲み込まれていきます。
これに抵抗できているのが、『理性』側の主人公であるココナであり、『欲望』を体現するパピカは(フリップ・フラップ所属なのに)あっさり快楽に飲み込まれていくのがなかなか面白い。
パピカはココナを常に引っ張っているように見えて、その積極性は常に夢に食われる危うさと隣合わせなわけです。

同時にココナも『鐘がなる前に部屋に戻る』という規則には逆らわず、ループする世界に食われる犠牲者であり続ける危うさを披露してました。
パピカが快楽と夢に食い殺されるように、ココナは『何もない優等生』というセルフ・イメージを未だ超越できず、世界が押し付けてくる理不尽を跳ね返すだけのパワーを持っていないわけです。
抗うべき異物としてぶつかってくるのではなく、立ち向かう気力すら奪って同化してくる今回のピュアイリュージョンを抜けるためには、夢の甘さに流されない強い自己、『覚悟』が必要なわけです。


二人だけならばココナとパピカ一生百合百合して一線を越え、顔のない少女たちと同じ存在になっていたのだろうけども、いいタイミングでヤヤカが横槍を入れに来ます。
『覚悟が違う』『頭の作りが違う』とうそぶくだけあって、彼女は『学園』の制服を着ていてもお茶会には参加せず、エロい関係を蓄積する相手もいない。
時計塔の冒険の中で地の底に落下しても、双子はヤヤカを助けには来ず、『アモルファス』を回収するという目的最優先で走り抜ける『覚悟』を見せます。
それはつまり、夢に食い殺されない現実的思考を持った『大人』である、ということです。

ヤヤカは二人がベッドに入った最高のタイミングで登場するお邪魔虫であり、同時に二人に世界攻略のヒントを与え、崩壊する世界から救い出してくれる『他者』です。
優等生ココナのつまらない世界を変えてはくれないし、精一杯の強がりを込めて『降りろ』と示唆した手は払われてしまったけども、ヤヤカは完全に『覚悟』を決めて『他者』を見殺しに出来る存在(『悪しき大人』というべきか否かは、この作品での子供/大人の境界線が明確ではないので保留)ではないわけです。
たとえ届かなくても、すれ違って敵対しても友人とは殴り合えない、夢に入る資格を維持したままの『子供』でもあるヤヤカがいなければ、二人は『幻想』に食い殺されて消えていたわけで、ココナとパピカの百合百合を楽しむ回に見えて、実はヤヤカが代表する『他者』の重要性を強調していたと感じました。

今回のピュアイリュージョンはこれまでの『楽しい冒険』という側面よりは、『少女を食い殺す悪夢』という顔が強く出ていて、ヤヤカの『降りろ』という指示も無理筋ではないなと思えます。
考えてみれば第1話からしてみんな血塗れになっているし、『冒険』は容易に『悪夢』に変わりうるのですが、暗示していたものを表に出してきた、という感じかな。
そういう危険性が出てきたからこそ、パピカに手を引かれ巻き込まれるのではなく、自分の意志で『幻想』の危険に向かい合う決意をココナが見せたことには、大きな意味がある気がします。
森然として色のない『現実』に、流されるままの生活を送ってきたココナ。
彼女が何かを選び取り、決断することはつまり『覚悟』の顕れであり、ヤヤカが示した『悪夢』に立ち向かう強さそのものではなくても、そこに近づく大事な足場ではある。

このアニメが思春期の不安定さを不可思議な冒険に託して表現するジュブナイル・ファンタジーである以上、ココナが今回『覚悟』を示したのは、かなり重要だと僕は思います。


『子供』と『大人』の距離感はココナとヤヤカだけではなく、両手を繋いで見つめ合う関係のココナとパピカの間でもズレがあります。
ユクスキュル以外の宝物を持たないココナは、ヤヤカのあふれるイマジネーションを借りて、ただの棒を変身のフェティッシュとして『幻想』に持ち込む。
しかし借り物である棒は『幻想』と闘うための根拠として最初は機能せず、パピカが容易に成し遂げた『変身』を、ココナは初手でしくじります。
自分がただのつまらない女の子ではなく、お姫様にも戦士にも『変身』出来る存在だと思い込めるのは、世界の実相を知らない『子供』の特権……パピカの権利なのでしょう。

しかしココナの中にも当然『子供』はいて、落下による死を目前にしてただの棒は魔法の杖に変わり、彼女は『変身』に成功し、幼年期の終わりを告げる12時の鐘を鳴らす。
なんでも願いを叶えうる"アモルファス"を手にするためには、『幻想』を本気で信じ込める『子供』の特権が必須であり、フリップ・フラップの大人たちや教団の神官たちがピュアイリュージョンに入り込めないのも、それが大きな理由なのでしょう。
こうして見てみると、永遠に続くように思われる楽しい『冒険』が実は成長を妨げる檻でもあるのでしょう。(『冒険』を共有することで少女の関係は深まり、『大人』への階段を一歩ずつ登る作用があることは踏まえた上で)
一日の終りと始まりを告げる鐘の音がなることで世界が崩壊してしまう今回は、フリップフラッパーという作品全体の見立てなのかもしれません……ちょうどよく『現実≒学園』の似姿だしな、今回のピュアイリュージョン。


『子供』と『大人』、『無邪気』と『覚悟』、『性』と『死』、『幻想』と『現実』の間を行ったり来たりしつつも、ココナが少しずつ己を前に進め、積み重なるストーリーから何かを学び取っているこのお話。
追い求める"アモルファス"も固体と液体両方の形質を有する中間点なわけで、あらゆるものが不安定な両極の間をさまよいつつ、どこかにたどり着くのを待っているという、とてもオーソドックスな青春な物語でもあると思います。
そんな話の中で『他者』の存在意義を確認し、『冒険』が『悪夢』となる可能性を再確認できた今回は、『マリみてのホラーパロやりながら、可愛い女の子をキャイキャイさせたいんじゃああ』『高速落下する物体の中で、アツいアクション大暴れなんじゃああ』という欲望だけではなく、そういう『普通の話』としての背骨がしっかりあるエピソードだった気がします。

ヤヤカが仮面を外し、素顔を見せて『幻想』の中でもココナを助けてくれたことで、彼女の強がった態度の奥にある真心は、強く感じられました。
双子は相変わらず謎(なんで兄は女装してたんだろう……百合に埋め尽くされた墓所は、女子以外存在を許されない場所だからかな)ですが、話が進むに従ってボーっとした態度の奥にある感情も、また見えてくる気がします。
二人でいることの危うさ、『他者』の存在感。
これまで積み上げてきたオリジナルな魅力を損なうことなく、的確に彩りを深めてきているフリップフラッパーズ。
やぁっっぱおもしれぇな、このアニメはよ~!!