イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ:第31話『無音の戦争』感想

青い地球は地獄の釜底、無明の闇を泥まみれでのたくる野犬たちの遠吠え、少年ロボット兵残酷絵巻31話めです。
怒涛のように状況が進んだ前回を受けて、外側に声を届けさせる手段も、外からの声を聞く手段も奪われた地球の鉄華団が、泥沼に腰まで浸かっているさまをじっくり見せる回でした。
無力さに焼き尽くされ、ただ目の前の殺し合いを生き延びるのが精一杯のまま、腐った大人の思惑に踊らされながら流され続けるタカキの藻掻きが、とにかく無様で痛ましい。
アストンも唯一の光明というわけではなく、ヒューマン・デブリ特有の絶望と虚無を斧に乗っけて振り回すだけで、全てがズレたまま状況は少年の手から離れ、流れていく。
オルガのカリスマが及ばない重力の井戸の底で、鉄華団が行き着いてしまった一つの結末をじっくり見せる、重たく苦いお話でした。

というわけで、ラスタルが仕掛けた電撃的謀略に全てを奪われ、ただ日々を活きるしかなくなった地球の鉄華団
その姿は物語が始まる前、弾除けとして便利に使われ、そこから這い出す手段も見いだせないままのたくっていた、かつての名前無き少年たちに良く似ています。
ガンダムという特権的なパワー、オルガというヴィジョンを持ったリーダー、クーデリアという運命の結節点との出会い。
これらが一堂に会する事で鉄華団は名前と誇りを低入れ、己の存在証明を世界に突き立てたわけですが、その足元は思いの外脆かった、というのが今回強調される部分でしょう。
出口を積極的に塞ぎ、ストレスをドライブさせることで、いい調子にサクセスしていると見えた主人公たちが実は過去から脱却できていない可能性を、痛切に叩きつける回だったと思います。

タカキの『俺達は流されていく』という独白が、エピソードの最初と最後を飾ることからも判るように、今回のお話は同じ場所を行ったり来たりする、出口のない物語です。
過去そこから抜け出すのに必要だったのは、暴力を持って体制をひっくり返す決意であり、ゴミクズにも人間の尊厳があると胸を張って吠える決意であり、それを下支えしてくれる大人の存在だったわけですが、それらは全て欠乏しているか、むしろ敵に回っています。

鉄華団という文化集団に魂を入れるオルガの言葉は届かないし、かつて死地を共にした『家族』の繋がりは、参入して日が浅いメンバーや自己評価が低すぎるヒューマンデブリには共有されていない。
窮地において自分たちを助けてくれ、『隊長』と上に見ているガモンは、救済者の仮面をかぶった極悪人で、この泥沼を仕組んだ張本人である。
そういう状況を俯瞰しようにも、オルガの側で経験を積み周囲を見渡す『大人の目線』を持っていたチャドは、『地球式のお優しい医療』に包まれて、目覚めることはない。
目の前の過酷な現実の中で命と魂をすり潰しつつ、少年たちは同じ場所をぐるぐる回り続け、時間は逆に回る。
これまでの成功の爽快感が、そのまま重苦しい閉塞感に繋がる、苦いエピソードでした。


『子供の中の大人』だったチャドが消し飛んで、中身が無いままに『大人』の立場に立たなければならなくなったタカキですが、一見それをアストンが支えているように見えます。
しかし『今日の果てに明日が待っている』という確信を持てるか、否かという人格の根本的な部分で、二人はどうしようもなくすれ違っている。
タカキは名有りの団員として、オルガのカリスマとヴィジョンによって生きる意味を与えられ、それに命をかけることを躊躇わないキャラクターだと思います。
その家族主義が、鉄華団という組織それ自体のアイデンティティにもなっているわけですが、ガモンを『隊長』と何気なく呼んでしまった団員にも、ヒューマンデブリ闘犬根性が全く抜けないアストンにも、そういう精神は共有されていないわけです。

チャドがいて、蒔苗がいて、戦争が起こっていない状況では精神のギャップはさして大きな問題ではなかったわけですが、こと状況が加速してみると、同じ未来を共有していない軋みは日々の激務以上にタカキを苛み、疲弊させていく。
今回タカキは激高しては落ち込み、逃げ場がない状況に押しつぶされていく『鬱病気質のヒステリー患者』みたいな動きをしていますが、その根本にはタカキ(に代表される、一期からの鉄華団メンバー)が共有していた認識が実は肥大化した鉄華団に浸透していない現実が、ずっしりと横たわっている印象を受けます。
ヒューマンデブリとして、全ての希望を捨てた殺人機械として行き続けることで自我を守ってきたアストンにとって、鉄華団での暮らしは魂を塗り替えるほど強力な経験ではなく、オルガは全てを預けるに足りる『家族』ではなかったのでしょう。
その生々しい不変は、オルガ個人が鉄華団のすべてを支え、引っ張る体制の限界を示してもいます。

高邁な理想を共有していればマシな人生送れるってわけではないことは、ギャラルホルンの腐った面々がよく教えてくれていますが、では今回示されたような袋小路に戻って、汚い大人に搾取されたまま生きていけば良いのか。
今回描写されたタカキの疲弊とアストンの虚無は、鉄華団という組織が抱えた歪を一身に受けた被害者であり、こうなってはいけないという悲惨な見本でもあります。
逆に言うと、こういう状況を生み出すためにビスケットを一期で殺しておいたってことでもあろうな……オルガ以上に言葉と知恵を持っていた彼が生きていれば、地球支部で独自に突破口も開けたもんな……。
しかしそれはあくまで亡いものねだり、地球にいる子供たちはこのままでは、ただ流されるままに死んでいくわけです。


そこで話を終えるのではなく、オルガに親しいものは未来への展望を捨てず、袋小路を打破する行動力も兼ね備えていると見せるのが、ある程度の成功を積み重ねた二期のオルフェンズなのでしょう。
閉塞した状況に置かれているのは同じでも、そこから強引に顔を上げさせ、未来の希望に目を向けさせる言葉を、(たとえオルガの受け売りでも)シノは持っていて、ロックアウトという物理的状況を打破する策も自前で用意できる。
シノが言っていたように、鉄華団は一歩間違えば過去に戻ってしまう危うい存在であると同時に、自分で未来を変えられる『昔の俺達じゃねぇ』暴力集団でもあるわけです。

善人気取った陰謀家の手からクソみたいな携行食料を手渡される地球の少年と、自分たちの船の中で、色と味のある飯を口にできる宇宙の少年。
『食』の部分でも二つの鉄華団は対比されていましたが、それと同じくらい『青い地球』を無邪気に眺め、『綺麗だね』と素直な感想を口にしているシーンが、どうにも無情でした。
一見青くて綺麗に見える星も、実際に落下してみれば火星と同じくらいに地獄であり、様々な支援を期待できない暗闇な分、もっとひどいかもしれない。
ラディーチェとガモンが情報遮断しているので気付けないのも当然ではあるんですが、こういう形で二つの鉄華団の間のギャップを強調してくるのは、なかなかエグいなぁと思いました。

次回予告の絵を見るだに、『昔の俺達じゃねぇ』と吠えたシノの策は閉塞をぶち破り、火星の『家族』はタカキたちを助けに行けそうではあります。
しかしだからといって、この状況を生み出した鉄華団の足元の弱さ、オルガ一人を先頭に押し立てて進む危うさが消えてなくなるわけではない。
死んでしまった命をどう扱うか含め、今回見えた組織のどん底とどう向かい合うかは、今後も長く尾を引くと思います。

とは言うものの、オルガという卓越した個人がいなければそもそも状況は変化していないだろうし、彼が鉄華団を良い方向に導いたからこそ、様々なギャップが表面化しもしているわけですが。
色んな場所に矛盾と断絶があり、それでもなお前に進んでいくか、はたまた現実に足を取られてすっ転ぶか。
ある程度組織が大きくなってもドンドン問題がでてきて、そこら辺を安易に確信できない話作りは、先が気になって良いもんだと思います。
ガキが死布はやっぱ、シンドいけどな……元々そういう話ではあんだけど、キツいもんはキツいわ。


子供たちが泥の中でもがく中、クソみたいな大人は物分りよく泥の海を眺め、適切に陰謀を配置していました。
ガモンの人心掌握術、泥沼を積極的に作っていく戦術眼はほんと優秀で、『とっとと死なねぇかなコイツ』と心底思えますな。
『騎兵隊だッ!』と言わんばかりのタイミングで登場し、タカキのピンチを救って鉄華団の点数稼ぐシーンはホントエグくて、タカキたちの主観ではなくあえて神の視点から物語を見せる手際の良さが、ヤダ味を加速させる良いシーンだった。
地球の子供たちは目隠しされたままおんなじ場所をグルグル回るのが仕事なので、ガモンはおろかラディーチェすら疑えてないもんなぁ……そしてそうなるようにキャラクターの性格やら能力やら状況やらを積んでおく意地の悪さ、素晴らしい。

ガモンは子供をイビるのが目標というわけではなく、この戦争を長期化させてマクギリスにダメージを与え、ラフタルに点数稼がせるのが狙い。
そういう意味でも『今日』しか見えていない子供たちと好対照ですが、んじゃあ『明日』が見えていれば尊敬できる存在なのかと言えば、そんなこたぁない。
過酷な『今日』を生き延びつつ、そこを超えた『明日』にどうたどり着くかという問いかけは、オルガやクーデリアというメインアクターだけでなく、わざわざ少年兵の血みどろ奮戦記をテーマとして選び取った作品全体にとって、大事な質問なんでしょう。
それに対して、邪悪とは言え一つの回答を出しているガモンはなかなか存在感があって、物語展開上優秀なキャラだと思います……早く死んでほしいけど。

そんなガモンに良いようにされているマクギリスですが、自ら前線に出て拉致を開ける選択肢を選びました。
一期終わった段階では完全大勝利で我が世の春!! みたいな印象を受けたマクギリスだけども、二期になって既存勢力の巻き返しと仲間の少なさがガンガンに効いてきて、すげーしんどそう。
今回の武力衝突の捌き方次第で、マクギリスの立場は強化もされ危うくもなると思うけど、鉄華団が横殴りをキメてきそうなこの状況をどう乗りこなし、あるいは足を取られるのか。
そういう部分も気になりますね。

お話の構成上、鉄華団に肩入れしてアニメを見てしまうわけで、少年たちの苦境に手を叩いているアリアンロッドの姿は、どうにも憎々しいものです。
『家族』という意味ではあちらさんも多分おんなじなんだけども、鉄華団の死は名無しでも悲しくて、それを自分たちの得点と喜ぶのは我慢ならんあたり、視聴者というのは勝手だ。
ジュリエッタがブーブー言いつつヴィダールと順当に仲良くなっていて、この絆を今後どう使っていくのかなぁと想像が膨らみますが、アリアンロッドが動くのもこの武力衝突が一段落ついてからかな。
仮面の下の人間性が透けて見えるヴィダールが、戦場でどういう素顔を晒すかという意味でも、次回以降が大事かな。


というわけで、タカキを主人公に鉄華団の脆さをじっくり描き、出口のないフラストレーションを高める回でした。
窮地に穴を開けるべく色々奮闘している鉄華団の仲間も描写されているんですが、救援のカタルシスの先に何があるかを考えると、単純には喜べない。
今回見せた袋小路は、宇宙ヤクザ成り上がりストーリーが必ず生み出す構造的不安であり、タカキやアストンだけではなく、物語全体が向かい合うべき課題なのだと思います。
状況が動くだろう次回、そこにどういう答えを刻み込んでくるのか。
楽しくもあり、気が重くもあり、やはり楽しみですね。