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イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ:第32話『友よ』感想

泥の中這いつくばる地虫には、ヒューマニティの光は差し込まない。
血反吐混じりの火星のワーク・ソング、第32話です。
ガモンが作り出した『無音の戦場』に躍らされるまま、運命共同体のはずのマクギリスと殺し合い、地獄を一緒に駆け抜けるはずの友をもぎ取られたタカキに送る、あまりにハードな通過儀礼となりました。
三日月が子供の頃に、火星の路上で果たした『童貞喪失』を経て、ようやくタカキも『鉄華団』になったわけですが、目の前に立ち塞がる壁を銃で殺すのがイニシエーションの組織がマトモなはずもなく。
誰もお天道さまに顔向けできないまま、『家族』のために生き、死に、殺しの修羅界の中でお話が展開しているのを、再確認する暗い話となりました。
第27-29話の火星編で新生鉄華団の成功を、第30-32話の地球編で失敗を切り取る形になりましたが、組織もその構成員も傷を受けてこっからどう転がすのか、気になるところです。

というわけで、第30話から続いた地球編も終わりました。
構成員に『家族』としての信頼を寄せつつ、生きるも死ぬも全てを鉄華団に預けるような狂信は全てを塗りつぶすわけでもなく、心を殺したまま殺人機械から抜け出せない少年も、私欲のために状況を利用した男も、皆死んでいく。
『家族』からはみ出してしまった男たちを生贄にして、タカキが『鉄華団』になるまでの苦い年代譜と見るには、どうにも後味が悪いお話になりました。

一期で積み重ねた物語を経て、鉄華団は大きくなりました。
一旗揚げて『俺達はネズミじゃねぇ、動物なんだ』と、薄汚れた世界に一発食らわせるオルガの野望は形になったように見えて、そこかしこに軋みを産んでいます。
直接姿を見せ、言葉をかけられる距離では、火星編のような綱渡りの出世も上手く行くわけですが、そこを離れた地球は付け入る隙だらけで、ガモンのような汚い大人が適切に状況を作れば、簡単に『無音』が生じてしまう。

タカキはアストンを失うこの戦いの中で、一度も陰謀の全体像を捉えることなく、ただ流されるままに状況を終結させられ、『家族』を装って『家族』を奪った裏切り者をぶっ殺し、邪魔するやつは皆殺しな鉄華団スタイルを自分のものにします。
前回『僕たちはただ流される』と呟いた状況は、空の上から鉄華団本体が落ちてきて、あれよあれよと戦況を変化させる今回も、タカキにとっては変わりません。
目を塞ぎ、耳を閉ざしたまま、既に終端に行き着いてしまっている三日月の言葉そのままに銃を預かり、『殺し』を選んだタカキ。
心を死人にして生き延びてきたアストンの『家族』になって生き方を変えることも、血で汚れた手で『家族』たる実妹を抱きしめることもできなかったタカキに待っているのは、『殺していいヤツ』を簡単に切り分けられるシビアな三日月主義と同化し、『鉄華団』になることだけでしょう。

マクギリスの言葉を『聞く必要はない』と切り捨て、目の前の状況を生き延びるだけで手一杯の彼にそういう選択肢しか用意できなかったことは、組織としての鉄華団の限界を如実に示しているように思います。
極端な血縁主義で生き延びる『鉄華団』には、根本的な想像力の欠如があるというのは、例えば一期第24話あたりで露骨に演出された要素なんですが、その犠牲になって立ちすくんでいたステープルトンさんは二期になって『家族』になることを選びました。
立ち止まる勇気と変革への知見を持っていたビスケットも死んでしまって、『鉄華団』の凶猛な孤立主義を是正するキャラクターがいないまま突き進んだ結果、ラディーチェという異物との対話のチャンネルは閉ざされ、沢山子供が死に、地球支部は瓦解寸前まで追い込まれる。
救いの天使のように降ってきた子供たちが状況を劇的に変えうるのは、身内を取られた激情ゆえですが、その熱量が同時に変化の可能性を閉ざし、今回の事件の原因も産んでいる。

二期火星編が成功の物語であったように、地球編は失敗の物語であり、そこで描写された鉄華団の欠落が非常に根本的なものだということは、タカキの末路(変化? 成長?)から強く感じ取れます。
火星編で武器となった『家族』の絆、後ろを振り返らない我武者羅さは、地球編ではラディーチェを疑えない愚鈍、立ち止まって周囲を見渡す余裕の無さ、結局『殺し』以外の解決法を持たない血生臭さに、そのまま直結している。
二期序盤のこの物語は、長所も短所もひっくるめた『今』の鉄華団をスケッチするものであり、たとえ主人公集団といえども、圧政と搾取があまりに重たくのしかかる『現実』の中で完全な存在ではないと、強く訴えかける物語だと感じました。


地球編を通して思ったのは、製作者は鉄華団を倫理的にも現実的にも卓越した存在として持ち上げるのではなく、彼らを取り巻く厳しい世界の中で一つの方法論を選び取った、客観的な存在として見ているな、ということです。
『家族』のために名前を消して汚れ仕事を請負い、志のために己の命を滅却して死んでいったガモンの姿は、問答無用に殺されるべき『敵』というよりは、立場を変え歪な形に育った『もう一つの鉄華団』に思えます。
無論使っている尺が違うので、『髭のおじさま』の死に涙を流すジュリエッタの姿には、異形の武器を奮って怒りのままに仇を殺す明弘ほど、胸に迫る迫力は感じません。
しかし鉄華団が流す涙と、その鉄華団路傍の石のように使い潰したガモンの行動原理の間に、そこまで質的な差異は挟み込まれていない。
どっちもクソみたいな世界の中で、目に見える範囲の『家族』のために『殺し』を選んで、やるべきこと(と己が思い込んだ妄執)を果たしていることには、変わりはないでしょう。

誰が『正しい』わけでもなく、誰が『間違っている』わけでもない。
一期序盤のクーデリアのように綺麗な理想を抱いたまま無力な存在には意味も価値もなく、死体の山を積み上げる実力行使以外で己が置かれた状況を変化させることが出来ない、泥と血に塗れたシビアな世界。
そういう場所において、キャラクターが取れる選択肢は非常に狭いものだし、早々簡単に世界は変わらない。
鉄華団』になったタカキも、『鉄華団』ではなく『ヒューマンデブリ』のまま、オルガが掲げた明日を生きる希望を信じることが出来ないまま死んでしまったアストンも、そういう世界のシビアさを裏打ちする結末にたどり着いた感じがあります。

それは『リアル』で嘘のない劇作姿勢を強めていきますが、同時にキャラクターが何かをなし得るという期待感を削いでいく、気の滅入る描写でもあります。
殺し合いの中で人間らしさを語るガモンの想像を上回るように、リベイクフルシティは怪物めいたフォルムで炎を背負い、人間がしちゃいけない死に方で『敵』を殺していく。
その時、『人間らしくありたい』というオルガ(と、それに惹きつけられ命をあずけるほどの狂信に至った鉄華団)の願いとは裏腹に、彼らは殺戮の怪物と化し、『殺してもいいヤツ』と『家族』を峻別し、耳を閉ざし目を塞いだまま走り続ける。
『殺し』以外に手段を持たない道程には常に、アストンのような犠牲が付きまとうし、次なる犠牲を出さないための構造的改革も、今のままでは期待できない。
どこにも出口がないまま、音のない戦争を走り続ける暗い未来を、地球支部が巻き込まれた事件からは感じ取ることが出来ます。

何らかの手段でそこを抜け出し、別の可能性を見せるのか。
はたまたこの方向性のまま走り続けて、破滅にしろ栄光にしろ、何らかの結末に辿り着いていくのか。
それはこれからの物語であり、文句のつけようのない『鉄華団』になってしまったタカキや、最高の『鉄華団』たる三日月には成れないと思い知らされたハッシュが今後どう描かれるかで、見えてくる部分なのでしょう。
未来を指し示すサイコロが一天地六、どちらを指し示すか安心させないためにも、『鉄華団』の想像力の無さと閉鎖性が泥沼を呼び込む地球編の敗北が必要だった、ということかもしれません。

(一応)文明国で都市と法に守られ、『殺し』もせずアニメも楽しめる立場にいる人間としては、血と泥に塗れたレールから抜け出して鉄華団が『どこか』に辿り着いてほしいものだと、僕は願っています。
『文句なしのハッピーエンドにたどり着かなければ、物語には価値がない』というわけではないですが、歪さや犠牲を描くのであれば、それが無為にはされず何らかの意味を持って芽吹く展開を、僕は欲しているわけです。
その上で、シビアな世界で生き抜くために『家族』を選んだ鉄華団(それは『死』を当然しすることで生き延びてきたアストンと、好対照の姿勢ですが)が否応なく背負ってしまう歪さを正直に表現した結果、都合の良さと決別していくのであれば、それはそれで良いかな、とも思います。
どっちに転ぶにしても、やりきってくれれればいいかな、と。


誰かの血に『殺してもいいヤツ』という値札を付け、誰かの血には『身内を殺された』だと涙する傲慢は、鉄華団の専売特許ではありません。
その傲慢があればこそ、未来の見えない『無音の戦場』でぎりぎり生き延びる力が湧いてくる現実は、タカキとアストンを描くことで強調されていた部分です。
マクギリスに敵対し地球編の状況を作ったアリアンロッドも、ガモンという『家族』を取られ、その痛みに苦しむシーンが挿入されていました。
そういう展開にするなら、もうちっとガモン絡みの過去を直接描写しても良かった気はしますが、ともあれアリアンロッドを『もう一つの鉄華団』として描く構図自体には、ある程度納得がいきます。

一期では余裕の表情で陰謀を操り、望む結果を得ていたマクギリスも、獣のようなランドマン・ロディの猛攻に『私も命を賭けている!』と叫んでいました。
森林地帯というセッティングを活かしたMS戦には迫力がありましたが、彼もまたシビアな現実の中でなりふり構わず、何かを選択し何かを切り捨てた『人間』だということが、地球の地獄に巻き込まれて見えてきた感じがあります。
親友を斬り、惚れた女も殺し、親を売ったマクギリスに命を預けるに足りる『家族』はいないわけですが、その孤独の強さだけではなく弱さを見せることも、地球編の狙いだったのかなぁ。

『家族』ではないが利益を共有し、ある程度以上の感情でつながっているという意味では、マクギリスとクーデリアは『鉄華団』から同じ距離にいる気がします。
チャドの活躍で永らえた蒔苗が鉄華団をどう遇するか、彼に合うために地球にやってきたクーデリアがどう対応するかも含めて、『鉄華団』を取り巻く他者の動向は気になるところです。
状況を作っていたガモンが死んで、調停者としてのマクギリスの株は落ちず、優秀な工作員(であり『家族』)を失ったアリアンロッドは失点1……って所かなぁ。

痛手を受けた地球支部は解散して火星に引き上げるとして、今回露呈した脆弱性をオルガは治す気があるのか(治せるのか)、気にせず進むのかが、個人的には一番気になるところです。
『家族』を繋ぐ狂信だけで走ると限界があると、具体的な事件が示してくれたわけだけども、それに対応するために足を止めて考え直すって選択肢は、三日月の視線に追い立てられてるオルガには無い気がする。(ブレーキ役になっただろう、ビスケットもいないし)
とすれば、世界中全てを『家族』の狂気で包み込めるくらい『鉄華団』が大きくなるか、欠陥を抱えたまま走り倒す(そしてクラッシュする)かが、取れる道なのかしら。
お話全体がどういう道に乗っているのか感じ取る意味でも、次回どういう選択がなされるかは、結構大事な気がしますね。


そんなわけで、『家族』と『子供』という鉄華団らしさ、その限界が形になったエピソードでした。
鉄華団』の旗は(当然)現実を完璧に包み込めるほど大きくなく、そこからこぼれたものはバッタバッタと死んでいくし、『家族』を殺しにかかる。
なら、『殺してもいいヤツ』を殺して、『家族』を守るという過去の(そして現在の)鉄華団スタイルをタカキが選び取り、三日月と同じ道に突き進んでいく結末は、納得行く重たさもあり、認めたくない虚しさもあり、なかなかに苦かったですね。

窮地をひっくり返し、名を響かせる劇的勝利の裏側で起きた、汚い大人に良いように転がされた失敗。
栄光と破滅、両方を前にした少年たちが、その先頭に立つオルガが何を選び、どこに進んでいくのか。
来週はお話全体の舵取りにとって、結構大事な話になるかなと思います。
シンドいけども楽しみで、楽しいと言って良いのか少し悩むけど、やっぱ来週を見たいと思える、なかなかに複雑なアニメですね、鉄血のオルフェンズ