イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ:第34話『ヴィダール立つ』感想

征くも戻るも地獄道、未来に向かって不穏さが降り積もる鉄華団絢爛絵巻、色んな人達の34話。
前回マッキーとオルガが『火星の王』という物語のゴールに調印したのを受けて、鉄華団やらアリアンロッドやらアドモス商会やら、色んな人達のリアクションを描く回でした。
あまりに大きすぎる未来を、世界全部が諸手を挙げて賛成……というアニメでもないわけで、調和の裏に不穏さあり、権益の奥に私情が絡み、一筋縄ではいかない感じ。
皮膚の下で虫がうねっているような不気味な予感が巧く出ていた話なんですが、ラストの幼妻LOVEなマクギリスが全て持っていった感じもある……ほんとキモチワルイな君は!!

というわけで、特定勢力・キャラクターに寄るのはではなく、横幅広めに群像を切り取っていく今回。
二期開始からこっち全体像を切り取るまとめ回が薄かった感じがしていたんですが、今回でいい具合に絵が見えてきた印象です。
前回『火星の王』という『あがり』を(幻影でも)見せておいて、今回そこにたどり着くまでの状況を整理してみせるのは、結構理にかなった構成だなと思います。

鉄華団は火星での栄光と地上での挫折を経て、マクギリスとの盟約を選択し、タカキが離脱。
上部組織であるテイワズはガキの暴走を危険視しつつも、利益優先で黙認状態。
名瀬の兄貴は弟分の自立を歓迎しつつ、将来起こりえる離反に対しタービンズとの義理優先の姿勢を見せる、と。
家族だ義理だ人情だと謳ってはいても、権益と面子次第でいつでも切り捨てるヤクザ経済の非常さを、再確認する流れでしたね。

今回は明確な障害役として二期から顔を出していた、ドノミコルスさんの描写が結構太くて、彼の行動理念も見えてきました。
建前としてはテイワズ本流代表、大人の理屈担当という感じだけど、アミタ姐さんへの慕情を消しきれず、横からかっさらった形の名瀬さんに恨み満点って塩梅か。
他人の恋路に横口挟むのはマナー違反だけれども、『女戦場に出して男の器量がなんぼのもんじゃい』という意見には、一応一理ある感じ。
タービンズも鉄火団同様、独特で閉鎖的な『家族』のロジックで動いてる組織なわけで、そこにツッコミ入れたドノミコルスさんは『判りやすい障害物』からちょっと踏み出し、陰影が付いたと思います。
……まぁ姐さんと名瀬さんは作中でも最強にきつく結ばれているので、横恋慕は不幸しか呼ばないと思うけどね……。

ヤクザ頂点会議が開催されたことで、薄々予感していた『テイワズVS鉄華団』という流れにも、物語的な筋道が付いてきました。
まー宇宙ヤクザ軸にしておいて、『義理と人情を秤にかけて、兄貴分と殺し合う展開』が来ないわけがないので、「笑って流してやれるのも、今回が最後だ」という名瀬さんの台詞も、来るべきものが来たってことか。
名瀬さんとしては、『家族』と見込んだ男が自分の手を離れてデカい野望に飛び込んだことが、嬉しくもあり危うくもあり、自分の生き方を曲げることも出来ず……ってところか。

名瀬とは別の形で『鉄華団』と関わっているクーデリアですが、『鉄華団』の家族主義とは距離を置きつつ、汚れている自分の手を深く認識しつつ、理想のために邁進していた。
キャラデザインや立ち位置から予測される『理想主義者のキレイなお嬢』という立ち位置を、一期序盤で早めに捨て去り、フミタンを殺すことで決定的な決別を果たした結果、クーデリアは独自性とバランスの良さを持った、面白い革命家になったと思う。
現実と理想をバランス良く見つめ、一歩ずつ前進するクーデリアを対置することで、鉄華団の危うさと速度が強調できる意味合いもあるんだろうなぁ……だからこそ、クーデリアが己の生き様として選んだのは『アドモス商会』であって『鉄華団』ではないわけだ。
真の『家族』として一緒に死ぬ相手をフミタンに定めつつも、鉄華団と親しい繋がりを維持しようと頑張っているお嬢、俺やっぱ好きだよ。

クーデリアやタカキもそうなんだけど、鉄華団の『家族』に入りきれないキャラをちゃんと描写することで、キチガイ理念で動いている主人公たちを過度に特権化せず、冷静に描写出来ているのは、オルフェンズのいいところだと思います。
慣熟訓練が終わる描写を入れることで、ラフタが明弘と名瀬の間で引き裂かれる準備もしっかり整ったしなぁ……。
これまでのエピソードが『一期を経て、別の段階に移行した鉄華団の現在』を描いていたの対し、前回と今回は『それを踏まえて、これから鉄華団が飛び込んでいく未来』を予感している感じですね。


タービンズテイワズといった形式上の『家族』ではなく、喜んで破滅に飛び込んでくれる真の『家族』鉄華団は、タカキもいなくなったしアットホームな感じ。
地上での戦闘を経てハッシュが三日月に懐き、新しい『家族』の可能性を見せていたけども、『部下が上司より先に死ぬ苦しさ』は何度も描写されているので、殺人マシーンがどう受け止めるか気になるところだ。
シノもチャドもオルガもタカキも、『自分が体を張ってさえいれば良かった時代』から『部下に死ねと命じなければ行けない時代』に飛び込んでいって、あるものはそれを受け止め、あるものは耐えきれず去っていったわけで、一種の通過儀礼なんだろうな、指揮官の苦渋。
まぁ超ドスゲェ才能に目覚めたハッシュが、地獄みたいな戦場でランボーさながらの大活躍で超生き残る可能性だってあるし、必ずしも死ぬわけじゃないよね!!

三日月が一度『家族』と認めたものには、自分の命を迷わず張れる(そして、それ以外の命の値段が紙のように安い)キャラだというのは、これまでの描写からも感じ取れる所。
忠犬ハッシュ公と言わんばかりの懐き方をしている部下を『家族』と認めるかどうかは今後次第だけども、名瀬さんが『俺はお前らの『家族』じゃねぇ』と突きつけた回で、新しい『家族』の芽生えを写すのは面白い画角だなと思う。
三日月の価値観は人間社会のそれというか、イヌ科の動物の群れに近いんだろうなぁ……動物的な生存しか許されていない社会に、ある意味最も適応した生命体。
マクギリスのいう『人間が人間として行きられる社会』の対局にいるわけだ。

発掘された三匹目の悪魔・ガンダムフラウロスが、鉄華団と『火星の王』にどういう未来を持ってくるかは、さっぱり見えない。
しかし色んな人が「まぁろくなことにはならないよね!!」と重ね重ね宣言しているので、視聴者もある程度の覚悟は決まってきている。
日常描写と絡めつつ、こういう予感をしっかり積み上げることではじめて、衝撃的な展開も刺さるわけで、ジワジワとフラウロス周りの描写を積んでいくのは大事だと思う。
その先に破滅が待っているとしても、だ。

『家族』といえば、オルガといい感じかと思ったステープルトンさんがおやっさんと交際していたのが発覚し、おめでとうと言えば良いのか、がっかりすれば良いのか、チャドと同じ表情になってしまった。
まぁ危ない橋渡りまくりのクソ童貞よりも、体臭キツくても包容力のある年上選ぶのは、考えてみれば当然か……これも新しい『家族』やな。
体臭という『自分らしさ』が、ステープルトンさんと(文字通り)交わることで変化する描写は、軽いくすぐりの中に『家族』の可能性を込めている描写で、結構好きです。
キチガイぐるぐる目で自殺領域に特攻したり、『家族』以外を切り捨てたりする以外にも、ちっとは生産的な可能性が『家族』にはあるんだよ、と告げてくれてる感じがした。
……まぁそういう『マトモ』な可能性を、現実の重たさと『家族』の狂気で引き倒していくのがこのアニメでもあるんだがな……マジ油断できねぇ。


一方腐れコロニーの反乱をすり潰すために出動した正義の軍隊アリアンロッドでは、ついにヴァダールの調整が完了しあの男が戦場に立った。
キマリスの一撃離脱戦術を更に磨き上げた感じの、蝶のように舞い鉢のように刺す闘い方は、ジュリエッタの言うとおり『綺麗』なものでした。
唯一の武器を抑えられて難儀した過去をちゃんと学習し、ハッタリ満点のブレード交換ギミックとか仕込んでいるところも良い。

己の行動理念を『復讐』と言い切る割には、生前の育ちの良い爽やかさを全面に出し、おそらくアイン=デバイスを搭載した愛機でまるでスポーツのように土人狩りを楽しむ姿には、根本的なカルマの薄さが匂っています。
そこら辺がジュリエッタを惹き付け、ラフタルや髭のおじさまのような『家族』になりえる存在としてヴィダールを認識させる足場になっているわけですが、やってることはクソ組織のクソ弾圧っていうことには変わりがないよね。
平等で俯瞰的な『正しい』視点を持ってしまったら、世界を変えるどころかまともに生きていくことも出来ないってのはこの作品のルールなわけで、最大限透明に見えるヴィダールもまた、『復讐』以外の歪みに捕らえられてるのでしょう。

初陣を華麗に飾って、ヴィダールさんも新しい家に馴染んだ感じですが、反面イオク様のポンコツっぷりはドンドン加速し、残念な存在に。
残念っぷりを散々笑ってマスコットとして愛着湧いたら、とんでもなく残忍な手段で命を刈り取られたカルタという例もあるので、異奥様の微笑ましい戦いも笑ってみてらんないですね。
このどこにも寄る辺がない感じは狙ってやっていると思うので、クズみたいな世界の『家族』がお互いの喉笛を狙う状況の中で、誰が生き残り誰が屍を晒すのか、期待して良いのか恐れれば良いのか、複雑なところです。


ほいでもって、お話の大きな極を握っているマクギリスは、生き残った元・親友の殺意を宇宙から浴びせられつつ、ニンフェットを己の膝で遊ばせていた。
アルミリアの幼い愛情に答えている姿には邪悪さと人間らしさが同時に香っていたが、あの時言っていた『人間が人間として生きられる社会』『ギャラルホルン創設当初の理念』『アルミリアへの愛情』というのがマクギリスの地金なのか、いまいち判断しかねるなぁ。
親友を裏切り、惚れてた幼馴染を生贄に捧げ、義父をぶっ殺してここまで進んできた男があの無防備な幸せの奥に、もう一枚何かを隠していました、と言われてもまぁ驚かんよね。
基本的にこの話、『家族』という呪いに縛られたキャラクターばっかり出てくる家族規範の話なんで、マクギリスの中でアルミリアが唯一『家族』となりうるなら、そこが地金なんだろうけど。

マッキーの語っていた『ギャラルホルン創設当初の理念』は、実はオルガが鉄華団を立ち上げた時の『俺達はネズミでも弾除けでもねぇ、人間だ』という叫びと通底している。
なればこそ、マクギリスがオルガと鉄華団を買いかぶる理由に今回納得がいくわけだが、それは同時に『組織も人間も、年月は理念を腐敗させる』という世界のルールを、鉄華団もまた回避し得ないことを意味している。
ギャラルホルンがどうしようもなく腐敗したように、鉄華団もそれを構成する少年たちも、時間と現実の蹉跌の中で変化し、あるいは劣化する運命から逃れようはない。
この作品においてあるのは変化だけであり、ネガティブな時間認識に基いて、成長や進化は幻想として退けられているのかもしれないなぁ。

全てが変化する中で時間を止めているように見える三日月と、その視線を背中に受けて時間を先に進めようと焦るオルガと、ギャラルホルンが生まれいでた黄金期に時間を戻そうとするマクギリス。
こういう三角形で見てみると、『火星の王』を廻る野望は、時間にまつわる理念の衝突だとも言える。
同仕様もなく腐敗していく現実の中で、黄金に輝くものを手に入れようと(もしくは取り戻そうと)願う男たちの焦点は、どうやったって戦場に合う。
なれば、嘘と真実の預言を権能とするフラウロスがオルガにどういう未来を持ってくるかは、今後の展開を支える要になるのだろう。
……死人に投げかけられた理想(もしくは呪い)に己を繋ぎ、過去の理想を現在に蘇らせようとするクーデリアの立場がどうなるんかね。


というわけで、色んな場所の色んな『家族』が、あるいは新しく生まれ直し、あるいはぶつかり合って軋むさまを、様々な予感含みで展開するエピソードでした。
タカキの決着を付け、地球編の後始末をした上で現状の地ならしをしっかりして、『火星の王』とアリアンロッドとの対決という導線を未来に引く。
シリーズ全体での仕事が結構明瞭で、見ごたえのある回だったと思います。

今回描写された野望や真心の果てに、腐敗していく現在の果てにどんな過去と未来を獲得するのか。
その道程の中で、どれだけの血が必要とされ、どれだけの理想が踏みにじられるのか。
不明瞭な明日に期待と不安が渦を巻き、興奮を静かに整える、いいお話だったと思います。
来週も楽しみですね。