イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ユーリ!! on ICE:第9話『勇利vsユーリ!おそロシア!!ロシア大会 フリースケーティング』感想

競技という山を登りきった後まで視野に入れる変則系スポーツアニメ、GPファイナル進出者が決まる第9話。
全体的に駆け足気味というか、これまでこのアニメが振り回した『ドラマの密度』という強みが少し薄れ、あくまで本命はGPファイナルという姿勢が見えるタメ回でした。
物語を牽引してきたヴィクトルと離れたからこそ、別の角度から切り込んでいくかと思っていたのですが、どうにも後半歩踏み込みが足らない感じがして、少し残念。
とは言え、アガペの真の意味を捉えつつあるユーリの優しさとか、ヴィクトルのいない世界でトップを担当するJJの自身に満ちた強さとか、引退を視野に入れた勇利の陰りとか、良い描写も沢山。
物語の最後、バルセロナでどんな爆発が起こるのか期待したくなるエピソードとなりました。

というわけで、何しろ人数が多いこのアニメ、競技で色々圧迫される中サラッと流されるキャラも出てきます。
GPロシア参加者で言えば、ネコラとスンギルは競技の描写も薄く、勇利との掛け合いも少なくて、キャラクターの地金が見えきる前に舞台から降りてしまったかな、という印象。
GP決勝でしのぎを削るキャラクター(ユーリ、JJ)の描写を積み上げることを優先して、意識してざっくり切ったのかなという感じもありますが、中国GPではサブキャラクターも少しの出番で濃厚に描けていたので、比べてしまうと残念かな、という感じです。

メインとサブのちょうど中間にいたのがクリスピーノ兄貴で、勇利と同じく『一緒にいすぎることが害悪にもなる』関係を妹と作りつつ、それをあまり共有しないまま、自分の中で納得し表現に乗せてきた滑走となりました。
滑走シーンにガッツリ時間を取られるので、あまり小器用にドラマを回す余裕が無いんでしょうが、それでも愛するものと距離を置く姿は勇利に似ていたので、そこから何かを感じるシーンが有ったほうが、各要素が有機的につながっている印象が強くなったと思います。
ロシアGPで自分の物語をコンパクトに終えるのは良いんだけど、それが今後も続く勇利の物語と巧く重ね合わせられていなくて、奥行きが見えない感じに仕上がっているのは残念かな。
お兄ちゃんの気持ち悪くも切ない所とか、ショックを受けつつテーマのある演技を仕上げてくる所とか、それでも気持ちをまとめきれない勇利にシステムの妙味で負ける所とか、色々好きなんだけどね。

残念といえば、勇利がヴィクトルと離れたことが特に発展の足場にはならず、ヤコフがメンターとして引っ張るわけでもなく、いわゆる『下げの展開』で終わってしまったのも、少し残念です。
このアニメは賑やかなサービスを沢山詰め込みつつ、テーマ性を骨太に入れ込み物語の骨格を強く展開するパワーがあると思っているので、ヴィクトルと『別離』したことがマイナスのみで語られ気味な今回は、踏み込みの不足を正直感じてしまった。
今回は最終決戦に向けてのタメというか、『二人でなければ頂点を目指せない』というルールを確認して、万全で望む最終戦に課題を残す感じであえて展開したというのは判るつもりなんですけどね。


しかしヴィクトルとの(『まるで告白みたいな』)濃厚な関係を、引退の可能性、永訣の未来に絡めつつ陰影豊かに描いてきたのは、情念があってとても良かったです。
勇利がスケート始めたての小学生ではなく、キャリアピークを迎えつつあるトップアスリートだということは、このアニメが始まったときからずっと続くオリジナリティであり、いわゆる『青春スポ根』の文法からこのアニメを遠ざける、大事な足場です。
ロシアという故地の風に一人で吹かれることで、ヴィクトルを独占する意味を身をもって痛感し、GP決勝とともに手を離す決心を密かに固める展開は、スケートの『神』に憧れ全てを捧げてきた男の人生が終わる切なさを巧く封じ込めて、味わいがありました。

愛すればこそその人がどれだけ愛されているか判るし、愛すればこそ永遠ではなく有限の繋がりを己に定める。
一人で心細い状況だからこそ、勇利が己の愛の矛盾に向かい合い、一つの決意を固めることが出来たというのは、たしかにあると思います。
それは孤独ゆえに彫り込めたドラマであり、『別離』を乗り越える派手目のドラマではないけれども、自分を見つめ直し真実に近づいていく、静謐な心の動きです。

その静けさを前景に於けばこそ、『別離』を克服しきれずギリギリの勝利しか手に入れなかった事実を、ヴィクトルと勇利が共有する空港のシーンは、どうにも切ない。
一見愛する二人が再び一つになった感動のシーンなんだけれども、勇利は引退と離別の決意をヴィクトルには告げないし、勇利を抱きしめるヴィクトルもまた、薄々感づいてはいるんだろうけども、目の前の勝利を掴み取るべく、遠い別れには言及しない。
言葉にするもの、二人で共有するものと、秘めて隠すもの、隠されてすれ違うものが同居する、なかなか奥行きのあるシーンでした。

孤独ゆえの内省というのは、先に待つGPファイナルについて勇利がどう感じているのか、勇利にとって『勝利』と『敗北』がどういう意味を持っているかを照らす意味でも、今回しか出来ない展開でした。
気弱な面が強調される勇利は案外獰猛で、トップアスリートに相応しい荒々しさを持っているってのはこれまでも描写されてきたわけですが、それを裏打ちするように、今回彼は誇りを持って『負けてもいいと思った試合は、一度もない』と宣言する。
それは日本NO1スケーターまで上り詰めた男のプライドであり、いつか胸を張って僕らに叫んでほしかった、プロ競技者・勝生勇利の本性なわけです。
ヴィクトルの不在により調子を崩し、GP進出が危うい状況が迫ったからこそ、彼はこれまでの戦いを自分がどう捉えているか真っ直ぐ見つめ直し、魂と肉体を削りながら戦うことの意味を己の中で再形成していく。
この話が男たちの感情のぶつかり合いと、美しく肉感的な官能の衝突だけではなく、己のすべてを競技に捧げた求道者たちの高貴さも描く以上、『勝つ』『負ける』ということに真摯な主人公の姿を確認できたのは、大きな収穫だったと思います。

決勝で勇利が金メダルを掴むことが出来るのか、計画しているとおり満足とともに競技人生を終えるかは、まだまだ判りません。
『引退』『ヴィクトルとの離別』を『勝負の行方』とは別軸のサスペンスとして配置することで、物語の緊張感を巧く持続させる劇作は巧妙だなぁと感じますが、その巧さに唸るよりも、俺の勝生勇利がどのようにスケート人生を滑りきり、スケート靴をリンクに奥にしてもまだ滑るにしても、悔いのない挑戦を達成できるかが、まず気になる。
悔いの残る結果となったロシアGP、乗り越えられなかったものは沢山あります。
語りきれなかったものも、沢山あるでしょう。
意図してか、意図せずか開いた『空白』を是非活用し、GP決勝ではヴィクトルと交わる勝木勇利の人生を完全燃焼させ、素晴らしい物語を紡いでほしいと願っています。


一方、もう一人のユーリは管理いい塩梅で自分の物語を積み上げ、それを主人公に分け与える優しさすら見せてくれました。
日本とロシアの食材が混ざり合う『カツ丼ピロシキ』が象徴するように、気づけばお互いを強くリスペクトしあい、競い合い、支え合うような関係になった二人のユーリ。
競技面でも、これまでのスタミナの無さを意識して乗り越え、後半にジャンプを寄せてくる挑戦的な内容を完遂して、一つ先のユーリ・プリセツスキーを見せてくれました。

ヴィクトル不在のロシアGPで、かつて負けた勇利の上を行く今回、ユーリのFSが"愛について"ではなく、リリアと共に切磋琢磨し仕上げた"ピアノ協奏曲 ロ短調 アレグロ・アパッショナート"なのは、なかなか象徴的です。
かつてはヴィクトルの背中を追いかけ日本まで来たユーリですが、温泉onICEに敗北し、新しい出会い、新しい可能性を磨き上げることで、このフリーを完成させました。
ヴィクトルとの絆である"愛について"も勿論、ユーリを構成する大事な要素なわけですが、ヴィクトル一人に拘泥し、ヴィクトルのコピーになることがユーリの幸福では、けしてない。
リリアとともに『プリマドンナとしての輝き』を磨き上げ、滑走の中に封じ込めたこの曲で勇利に勝ったことは、ユーリがヴィクトルから『別離』して手に入れたものが無意味ではないと、強く示したように感じます。

物語の中心としてヴィクトルの引力を配置し、例えばJJもそれに引き寄せられて滑っている様子を描写するのは、お話に統一性を持たせる大事な描写だと思います。
ヴィクトルが圧倒的な『美』であり続けるからこそ、このお話のキャラクターは統一した方向に走る速度を手に入れられているし、一つの堅牢な価値観軸が打ち立てられもする。
しかしそれだけが世界唯一の価値であると認めてしまえば、多様性は消失し、他者を認めるために必要な敬意は、目に見えなくなってしまう。
男と男が惹かれあう唯一無二の関係を非常に的確に描けていればこそ、この話はそれを絶対視し閉鎖していってしまう危険性と常に隣り合わせなわけですが、今回ユーリが見せた勝利は、成長や可能性に大きく開かれた世界を、閉じて濃厚で強靭な世界と並列して称揚することに、みごと成功しています。
ヴィクトルも素晴らしい存在だが、それ以外のすべての人もまた作品世界の中で生きていて、尊敬に値するのだと確認する意味で、『プリマドンナ』というリリアの個性がユーリに継承され、反骨精神と才能で開花した女性的な滑走は、凄く良いものだと感じました。

他者性への視線、『アガペ』への眼差しは競技が終わった後も続いていて、敗北に茫然自失とするライバルをユーリは襲撃し、おじいさんから預かった『カツ丼ピロシキ』を分け与えます。
それはただ、暖かい飯を持ってきてくれたという具体的事象ではなく、かつて『お前に食わせるピロシキはねぇ!』と尖っていた少年がどれだけの優しさを手に入れたかという証明であり、ユーリもまたヴィクトルと同じように、勇利を愛してくれているのだと示すアイコンなわけです。
ユーリにとっての『アガペ』がおじいさんとの思い出に集約されることは、第3話で明瞭に示されたわけですが、今回彼はそれに気づくだけではなく、それを勇利に分け与え、飢えを満たし、ともに喜びます。
ヴィクトルがユーリに与えた『アガペ』への問いかけはスケートリンクを飛び出し、ロシアの寒い路上で涙する戦友が、明日に向かうための力にまで拡大しているわけです。

勇利がヴィクトルと離れることで、逆に濃厚な二人の『エロス』を確認したように、ヴィクトル以外との関係性の中でユーリが何を育み、どう成長しているかがよく見えるロシアGPだったと思います。
今回ユーリが分け与えた『アガペ』が勇利にどんな影響を与え、ユーリの滑走に何をもたらすかも、無事突破なったGP決勝で描かれることでしょう。
15歳の不器用で優しい青年が、初めて挑む世界レベルの闘争の中で何を手に入れてくれるか、彼が好きなオッサンとしては凄く楽しみなのです。


というわけで、ロシアGP単体で物語の要素を完結させるというよりは、GP決勝に向けて要素を溜め込み、乗り越えるべき障害を強調する展開となりました。
ベネはたわんでこそ高く飛び跳ねるわけで、ココで悔いを残すのは悪くない選択だと思います。
勇利が凹んだ分、ユーリの成長と変化は非常に前向きにまとまっていたし、それでも追いつけないJJの強キャラオーラも、説得力を乗せて描けていたと思います。

一年前の敗北、ヴィクトルとの出会い、己と向かい合う鍛錬、敗北の悔しさ、勝利の喜び。
物語の全てを積み上げて到達したGPは、準備含めて三話で展開される感じです。
これまで一切描写のないカザフスタンの英雄、オタベックくんはどういう人物なのか。
綺羅星のようなライバルたちは、バルセロナにどのような人生を刻んでくるのか。
スケート人生の終わりを見つめる主人公は、滑走の果てにどんな決断をするのか。
いろんな期待がドンドン膨らんできて、凄く楽しみですね。