イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

響け! ユーフォニアム2:第9話『ひびけ! ユーフォニアム』感想


タイトルを背負って展開する田中あすか攻略エピソード最終編、ユーフォニアム二期第9話です。
ついに運命の日が訪れ、沢山の人の希望を背負い、青春探偵・黄前久美子が最後の事件に挑む!
という感じで、隠されていたあすかの過去と真意が明らかになるエピソード。
これまで引っ張ってきた謎の複雑さにふさわしく、複雑な感情の色、それを引き立てる演出の技巧、揺れ動く人間関係を繊細に切り取った、非常にユーフォらしい勝負回でした。
久美子が感じている混乱や屈折を素直ではない演出で繊細に描いた後、主人公が言うべき(主人公にしか言えない)一言で決着を付け、たどり着いた真実の演奏を非常にストレートな演出で見せる起伏の付け方が、圧倒的に豊かでした。
たしかに、二人のユーフォニアム奏者が心をつなげる今回は、このタイトルでなければいけないだろうな。

というわけで、作品最大の難敵であり、様々なエピソードの奥で存在感を強調されてきた田中あすかを、一気に攻略する話となりました。
一番色濃く描かれているのは久美子とあすかの交流なんですが、それ以外にも中川の本心とか、部のマドンナ・中世古が隠している母なる暗黒とか、麗奈が滝先生の過去に触れる瞬間とか、いろんなものが切り取られています。
じっくりと見ていきましょう。

 

今回久美子は難敵を前にしてずっと混乱していて、落ち着かない足を執拗に捉える演出が、彼女の困惑を伝えてきます。
山田シリーズ演出の足好きは今に始まったことではないですが、足だけではなく手やガラスに反射した顔、目を描ききらない構図を駆使し、『目と目が通じ合う、万全完璧のコミュニケーション』を徹底的に避ける今回の演出は、あすかの真意を見つけきれない久美子の心情を、複雑に乱反射させます。
元々久美子は他人の気持ちを素直に受け止められる『良い子』ではけしてなく、対話シーンでは基本的に目が泳いでいる子なんですけども、今回はそれを通り越して『思いを伝える目』それ自体が描かれない。
それは彼女が背負っているもの、背負わされている期待の重たさに、彼女自身が押しつぶされそうな状況を表しているわけです。

画角もまた大混乱を続け、あすかに限らず今回の『対話』は基本的に『ふたり』が同じ画面に収まることが少ない、『ひとり』と『ひとり』のコミュニケーションになっています。
あすかが父との関係を告白し、久美子が最大の混乱に飛び込んだ時は天地上下の区別すら破綻し、滅茶苦茶に転倒したアヴァンギャルドな画面構成が乱舞します。
たまに『ふたり』が映ったかと思えば、天井に据え付けたカメラで上から切り取ってくる(しかもうって変わって長尺)わけで、とにかく今回は真っ当に向かい合うような対話が少ない。
そうやって飢餓感を煽ればこそ、あすかと久美子がお互いの気持を吐露しあい、まるで子供のように素直な表情で肩を並べる演奏シーン、『ふたり』が並んで話している構図がくると、強い安心を感じる。
それはそのまま久美子の、そしてあすかの気持ちが揺れ動き、安住の地を見つけるまでの旅路なわけで、ストーリーの起伏をこういう形で演出するのは、非常にこのアニメらしい高度な屈折だなぁと感じました。


世界を歪めてしまうほどに久美子が混乱するのには、色んな理由があります。
青春探偵として様々な難事件に分け入り解決してきた久美子に、仲間たちがかける期待。
あすかが追い込まれている愛憎の迷路を、近すぎる間合いで見てしまった当惑。
好きだから踏み込みたいのに、けして他人を立ち入らせないあすかの性格。
そして何より、先輩として奏者として仲間として、あすかの内面に踏み込みたいと願う久美子自身の気負い。
実際にあすかに対面するまでの時間は、そういう様々なものを確認していく時間でもあります。

あすかの代打を務める夏紀と話し合い、思いを確認して背中を押して貰うシーンは、後に特大の爆弾を落とす中世古登場の前奏であり、夏紀自身の『本心』を確認してわだかまりを減らしていくシーンでもあります。
あすかとの複雑な対話を予見するように、曇りガラスで『本心』を隠した対話が繰り広げられるわけですが、夏紀自身は素直に気持ちを伝えています。

『あすか先輩が帰ってきた方がいい』
『私は吹けなくてもいい』
夏紀の健気な『本心』を言葉通りに受け止めきれないのは、背負わされた重荷でいっぱいいっぱいの久美子なのであり、ここでの精神状態があすかの家で本題が切り出されるまでの、ぎこちない展開と繋がっています。

そういう久美子の混乱を受け止めるのは『特別』を共有する麗奈であり、主人公の魅力に引き付けられた先達として、黄前久美子の魅力が何であるか、しっかり説明してくれます。
『ぎゅって握って、引剥したくなる!』の時の近すぎる距離感は、セクシュアルな危うさがみっしりと満ちていて、『ああ、ユーフォだ』という感じでした。
美少女のひどく無防備な言葉と感情を、特等席で共有できる特権を黄前久美子は持っていて、このお話はそういう危うい震えで満ちています。
今回久美子は田中あすかの過去と告白を最前列で受け止めるわけですが、麗奈がその資格を説明することで、(久美子自身は納得市内にしても)後の展開をスムーズにする地ならしを果たしているわけです。

それと同時に麗奈自身の物語も先に進んでいて、滝先生の寝顔を間近で見て、鍵を通じて身体接触を果たし、久美子が隠そうと思っていた奥さんの写真をついに目にします。
無防備でパーソナルな領域に、土足で上がり込む』という意味では、こっちもあすかと久美子の関係を投射して展開されている感じですね。
惚れた男の指と触れ合った瞬間の恍惚も、このアニメらしい過剰さで表現されていましたが、そこに溺れる暇もなく、麗奈は滝先生の根源を目にし、真実に出会う。
今回のお話は久美子とあすかの話なので、滝先生を支配する死女を麗奈がどう思い、ここからどういう行動に出るかってのは次回以降に持ち越しですが、彼女の恋も否応なく次の段階に進んでいきました。
まぁ写真見て止まる慕情じゃないだろうし、どういう展開になるかなぁ……楽しみだ。


そして、中世古香織。
元々彼女が田中あすかに屈折しまくった感情を抱いているのは描写されていたわけですが、後輩と個人的な空間に入ろうとするのを後押しした後で押しとどめ、まるで母親のように甲斐甲斐しく靴紐を結ぶ姿には、濃厚すぎる情念が込められていました。
ただ靴紐を結んでいるだけなのに、あの圧力、あの緊迫感が滲んでくるのは、本当に凄い。
あすかが一番重荷に感じているだろう『身勝手な愛情で、上から束縛する母親』のロールモデルを、無自覚にか自覚的にか香織が演じ、中世古香織をどうにかして田中あすかの心に刻み込もうとあがいている様子が、あのやり取りからは強く感じ取れます。
その愛情の鎖を、何がどうあっても受け入れられないあすかの頑なさも。

あすかが本心を吐露する相手に選んだのは、三年間一緒にいた中世古や部長ではなく、他人に興味が薄い久美子でした。
復帰作戦の実行犯として久美子を選び、夏紀に伝言を頼み、栗まんじゅうでその後押しをしているのに、いざ『二人だけの空間』が実現しそうになると息せき切って滑り込んでくるところに、ロジックを超越した黒い情熱を強く感じます。
ソロパートのオーディションでは頭で納得した『上手い人が吹くべき』というロジックに従おうとしたのに、あすかの過去に触れる特権を目の前で久美子が掻っ攫いそうになると黙っていられないあたり、香織の優先順にがどこにあるのか、彼女が何を抱え込んでいたのかが伝わってくる行動でした。

そんな香織の愛情は、母があすかを縛り付けるのと同じ身勝手さに満ちていて、どうあってもあすかはそれを受け入れられない。
香織の過剰な愛情に距離を取りたいあすかの気持ちは、久美子と手すりを二重に挟んで向かい合う、階段のレイアウトからも見て取れます。
自分を愛する人は、自分を所有しようとするから嫌い。
自分に無関心な人は、自分を縛り付けないから好き。
本来自由に歩き回るための靴である『スニーカー』を鏡にして、なぜ香織ではあすかの本心を聞き出せなかったのか説明する手法は、このアニメらしい見事な隠微さに満ちていました。
……逆にいえば、距離を開けられても他人を引き寄せる引力が、田中あすかにはやっぱあるんだろうな。

香織が靴紐を結び合わせる(あすかにとっては縛り付ける)時、あすかの表情は描かれません。
行為に没頭している香織には自分自身が死角になるし、第三者として居合わせた久美子の慄きは描かれていても、久美子が見ているはずのあすかは影になって描かれない。
ここらへんは『目に喋らせない』という演出指針を踏襲したものですが、疎ましい愛情に一瞬見せた本音をあすかはあっという間に取り繕い、いつもの軽薄な笑顔で「香織は可愛いね」と語りかけます。
公衆の面前で母親に殴られても、冷静さを維持できてしまう少女にとっては、そうやって仮面を貼り直すのは『いつものこと』であり、一年前の騒動もそうやって乗り切ってきたのでしょう。
『自制心』というには、それはあまりにも痛ましい処世術な気もします。


こうして香織の情念を点描してから、あすかと久美子は『家』にたどり着きます。
それはこれまで匂わされつつ、けして描かれることがなかったあすかのプライベート、本心、過去であり、どれだけ強く願っても香織が踏み込めない聖域です。
家に上がった後あすかが裸足であること、全てを告白し終えた後河原に向かう時あすかがはいているのが『サンダル』(香織が結んでくれた『スニーカー』ではなく!)であることからも、彼女が素裸の自分を久美子にだけ預ける特別さは、よく伝わってきます。

あすかはユーフォを吹くことで、父親を取り戻していました。
突然送り届けられた楽器と手紙はある意味呪いであり束縛なのですが、あるかは『自分の好きなこと』『自分が唯一自分であり続ける時間』として、母親と対立しながらユーフォの演奏時間を作り、『父の送ってくれた手紙の似合う自分』を維持し続けようと藻掻く。
そこには、他人(筆頭は母親)の感情に煩わされることを嫌い、ひょうげた仮面で距離を作って生きていく田中あすかとはまた別の生き方が、じっとりと刻印されています。

『他人なんてどうでも良い』とうそぶきつつ、あすかは他人を蔑ろにするこれまでの行動を悔いていて、父の実像に再開するために全国大会を目指した行動を『私利私欲』と切り捨てます。
部活を離れざるをえなくなった状況を『バチが当たった』と表現している以上、あすかは他人の気持ちがわからないわけではなく、自己防衛のために分厚く自分を鎧い、自分を求める人達を遠ざけて生き延びてきた、普通の女の子だというのが見えます。
しかしその言葉を聞くことが許されたのは久美子だけであり、『ユーフォニアムの音色』を受け取る自分の感性だけを頼りに、久美子はあすかを肯定する。
『普通の女の子』でいることを許されなかった賢すぎる少女と、難しいことはよく分からない『普通の女の子』は、巨大な裂け目を目の前にしつつこの瞬間、『音楽』で繋がり合うのです。
母親に与えられなかった、父に問うても答えられなかった愛情の答えを受け取ることで、あすかはようやく重荷を下ろし、一度も見たことのない笑顔を見せます。

久美子は母と子、父と子の間にある複雑な感情を分析したり理解できるほど、頭の良いキャラクターではありません。
格式のある家に生まれ、一分の無駄もない自室(六法全書がある受験生の部屋!)に閉じ込められ、正座という束縛にも慣れ親しんでしまっているあすかと、姉と触れ合いすれ違うことを許され、幼さと乱雑さを残した部屋で寝起きし、正座をすれば足を痺れさせる久美子は、違う人間です。
でもそういう無知さと差異は、コミュニケーションする種族としての人間の必然なのであり、そういう裂け目を飛び越える『なにか』があって初めて、人は繋がる。
『なにか』は時には音楽であり、非常に曖昧な『ユーフォっぽい』外見であったりしますが、人が人を『特別』な存在として選ぶ時、その激情は時にロジックを飛び越える。

ただ自分の感情の赴くまま、ポロっと出た言葉が人の心を打つ不思議な特質を持っている子であり、このことは事前に麗奈が指摘していたとおりです。
今回もあすかの懺悔の中にある倫理観や弱さについて考えるよりも早く、音楽家として優れた耳が聞き分けたあすかの叫びを本能的に信じ、グダグダ理屈を垂れるよりも早く『好きです』と叫ぶ。
母を『あの人』、父を『進藤さん』と呼ぶしかないあすかには、その叫びが何よりも必要だったのでしょう。
おんなじように愛を叫んでも、受け止められるどころか距離を置かれる香織を配置することで、久美子の特別さがより際立つ作りになってるのは、ありえないほど優秀な残酷さだと思います。


『スニーカー』を脱ぎ捨て『サンダル』を履いたあすかが、久美子と川を見ながら(二期一話で、麗奈と花火を見た『特別』なシチュエーションのリフレイン)『ユーフォっぽくない』と自分を称した時、やっぱり父からの手紙は呪いなのではないかな、と僕は思いました。
接触を断られ、それでも己の生業を刻みつけるように父から送られてきたユーフォは、あすかにとっては『似合わない楽器』だった。
父の望むような『ユーフォが似合う』子供にも、母が願うような『ユーフォを弾かない』子供にもなれないあすかが、久美子に『なれるはずだった、もう一人の自分』の幻影を見ているのだとしたら、それは『なれるはずだった、理想の姉』を無意識に重ねながらあすかに惹き付けられた久美子の思いと、複雑な十字架で交わっているわけです。

失ってしまった過去の幻影を重ね合わせつつ、同時に今目の前にいる、唯一単独の『特別』な存在として相手を見つめること。
コミュニケーションに必然的に付きまとう裂け目に絶望せず、幻影もまた人間の実像だと受け入れながら、静かに隣り合うこと。
一期のユーフォニアムが麗奈との間に未来に繋がる『特別』を新しく積み上げていく物語だとしたら、二期のユーフォニアムはあすかの過去に何もわからないまま踏み込み、すれ違った位置のまま手を伸ばして『特別』を回収する、そんなお話なのかなと、二人を見ていて思いました。

あまりにも難しすぎて、複雑すぎて、頑なにすぎる田中あすかという人間を、久美子は理解できないままだと思います。
それでも隣り合って、同じ場所を見ながら同じ音を聞くことは出来る。
香織と階段を降りている時は『ふたり』を隔てていた境界線(≒手すり)は、ラストカットにおいては護岸ブロックの凹みと言うかたちで周囲を埋め尽くしてはいても、『ふたり』の間に割り込んではいないわけです。

それは青春の季節の儚い煌めきなのかもしれないし、理解し合えたと思いたい気持ちが引き寄せる儚い幻想なのかもしれない。
『母親を説得する』という他人が願った仕事を、久美子は欠片すら果たさないまま、今回の物語は終わっています。
それでも、あすかが必死に自分を守ってきた鎧を外し、過去と真実、罪悪感と傷ついた感情を久美子に見せたこと、それを久美子が受け止め同じ音楽を聞いたことは、意味のあることだと思います。
それが『特別』ではない中世古香織を後景に配置することでしか描けない、残忍な『特別』であることも引っくるめて、青春探偵・王前久美子はこれまでとおなじように、思春期の難事件に居合わせ、踏み込み、率直で正しい答えにたどり着いたのでしょう。
それはやっぱり、良いことだと思います。

少女たちが己の本心を交わらせ、美しい音と光景が展開された後、カメラは破られた、補修された手紙にクローズアップしていきます。
それを破ったであろう『母』の束縛(もしくは愛情)に、今回久美子が成し遂げた冒険が接触すらしていないことを指摘するかのようです。
でも、ようやく他人を『家』に上がらせ、『部屋』を見せ、『裸足』で向き合えた田中あすかが己を取り巻く世界と戦う時、今回の冒険は何らかの変化をもたらすと思います。
その変化が、久美子が代表する北宇治吹奏楽部に田中あすかが帰還するという結末ならば、こんなに嬉しいことはありません。


田中あすかという謎をめぐるドラマ、このアニメを長らく貫通していたミステリーは、シリーズタイトルを冠する今回で一つの結末にたどり着きました。
ぶっちゃけ人間感情の謎をめぐるドラマとしてはこれ以上のピークはなかなか考えづらくて、こっから先何を描くんだろうかという疑問はあります。
が、全国大会本番はまだ先だし、劇的な変化を迎えたあとの少女を活写する筆の巧さも、このアニメの得意技です。
一つのクライマックスを見事に弾き終えた後、聞こえてくる次の曲はどんな調べなのか。
ユーフォニアム終盤戦、非常に楽しみです。