イマワノキワ

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ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない:第36話『アナザーワン バイツァ・ダスト その2』感想


生と死が奇妙なダンスを踊る異能力サイコサスペンス、特殊OPでお送りする時空間ミステリな第36話。
時間と運命を支配する"バイツァ・ダスト"の凄まじさと、翻弄されつつ急激に成長する早人、その心をへし折らんと圧力をかけまくる吉良。
時間も作画力もたっぷり使い、ラスボスが手に入れた凶悪な能力を確認しつつ、そこからの脱出経路を探していくエピソードとなりました。

今回の主役はやはり早人で、永遠に繰り返される一時間に支配されつつも、諦めずに別の道を探し続ける決死の努力が、力強く描写されていました。
結果や経過をすっ飛ばして結末を手に入れてしまう"バイツァ・ダスト"も、その支配力に酔いしれてクソ以下のいい気絶頂モードを楽しむ吉良も非常にしんどいわけですが、スタンド能力を持たない早人が恐怖と無力感に涙しつつもけして諦めず、『悪』の企みを挫くために必死に戦っている姿が、見ている側に勇気を与えてくれもします。
やっぱジョジョは、『善』を飲み込もうと暴れまわる凶猛な『悪』と、『悪』に試されればこそ輝きを増していく『善』、両方で支えられている物語なのだな。


根暗で家に閉じこもっているように見えた早人は、吉良の秘密を知ってから急激に世界を広げ、様々な人の痛みを自分のものとして感じるようになります。
一番近い『他人』である母親を守るべく始まった彼の闘いは、"バイツァ・ダスト"の発動体になるという数奇な運命の結果、露伴ちゃんの死を何度も目の前で見せられる異常体験を引っ張ってきます。
悲痛さを高めるべく、自分が殺されたのとおなじ相手に、自分が命をかけて守った少年がぶっ殺される所を鈴美にきっちり見せているところが、冷静でホッとな演出だな。
『殺し』の恐怖を支配力として行使してきた吉良にとって、背後に立ってクソみたいな解説垂れ流しにするのは、犠牲者の気持ちをへし折り自分の力を確認する、殺人鬼の常套手段(モーダス・オペランディ)なんだと思います。

しかし早人は露伴ちゃんの死の痛みや無念に強く共感し、それを自分のものとして受け止めることで、むしろ『悪』との戦いに必要な決意を固めていく。
『こんなひどいことを、繰り返させちゃいけない』
『この街を、これ以上汚させてはいけない』
吉良がこれみよがしに押し付ける露伴ちゃんの死は、スタンド能力を持たない早人と、『非日常』の力で『日常』を守る戦士たちとの距離を、一気に縮める起爆剤になるわけです。


そこら辺が分かりやすく示されているのが仗助との出会いであり、そこで早人が見せた決意です。
あのシーンはいかにも気のいいあんちゃん風の仗助の声がすごく良いんですが、"バイツァ・ダスト"の凶悪なルールを、身をもって体験している早人は自分の鼻を折ってまで仗助の優しさを遠ざけようとする。
『己が傷つくこと、血を流すことを一切顧みない強さ』というのは、これまでの物語で何度も強調された戦士の資質であり、早人が仗助や承太郎の領域まで一気に駆け上がってきたことを、如実に示しています。
己の命を断って悲劇の連鎖を止めようとする『覚悟』は、その最先端に位置していると言えるでしょう。

仗助が『戦士』として非常に特殊なのは、その特質が『治す』能力として現れていることです。
『優しさと強さ』の発露として早人が流した鼻血を、"クレイジーダイヤモンド"はその能力で治し、なかったことにする。
これは『爆破して巻き戻す』という"バイツァ・ダスト"の能力、自分が掌中に収めたはずの運命に裏切られ、コーヒカップが砕けて己を傷つけるままにするしかなかった吉良と、全く反対の力です。
破壊することで巻き戻す殺人鬼と、治療することで巻き戻す守護者は能力も精神性も行動理念も綺麗に正反対で、まさに宿命のライバルなのだなぁと、アニメでまとまってみて感心してしまいました。

急速に高まっていく早人の『強さと優しさ』の源泉は、『ママを守る』という愛情です。
それは仗助がかけてくれた優しい声、"クレイジーダイヤモンド"の治癒能力とおなじ『優しい能力』なんですが、あまりに凶悪な吉良を前に、『守ることで止められないなら、殺すことで止めるしかない』という漆黒の殺意にも繋がったりする。
ジョジョが捉える『悪』は理想だけで解決できる生易しいものではないため、『善』は時にシビアでハードな割り切り……というか『覚悟』を必要とされます。
"クレイジーダイヤモンド"だって、『治す』だけではなく『壊す』ことだって出来るわけで。

では吉良と仗助や早人を分けているものはなにかといえば、自分の欲望に流されず、冷静になすべきことを見極める理性なのでしょう。
『コイツは殺さなきゃ止まらない』
『僕以外にやれるやつはいない』
今回早人は沢山の分析と決断を積み重ね、あっという間に『戦士』として成長していくわけですが、『殺し』まで視野に入れる『覚悟』の裏には責任感と愛情があり、だからこそ自分の痛みや弱さを乗り越えることが出来る。
それは吉良が己のエゴを制御しきれず、獲物をなぶり、精神を屈服させて力を確かめる誘惑に溺れてしまうのとは、極めて明瞭な対比をなしています。
この物語において、『善』と『悪』を分ける線はエゴを制御する倫理の前に引かれているわけです。


しかし『悪』が非常に強力で、生半な覚悟で相手取ることが出来ない難敵だということも、このお話を貫く強靭なルールです。
これまで数多の悪党たちを裁いてきた『正義』のスタンドは、『目に入れただけで発動する』という"バイツァ・ダスト"の超インチキスピードの前に為す術なく爆破されてしまうし、己を『殺し』敵を『殺す』早人の決意も、運命を引き寄せる邪悪さの前に結果にたどり着けない。
何度挑んでも簡単にはやられないタフさがあればこそ、乗り越えるべき障害、真実を試すリトマス試験紙として『悪』は説得力を持つわけで、憎たらしいほど吉良が強いことは、物語を軟弱にしないための大事な足場です。

考えてみると、ジョジョのラスボスは皆『過程をすっ飛ばし、結果だけを求める』キャラクターばかりです。
時空と運命を捻じ曲げ『結果』を引き寄せる"バイツァ・ダスト"の前に、早人の成長は一見無駄な努力に見えるわけですが、真実の『覚悟』を込めた正しい行動は、数奇な運命に導かれて必ず結果をもたらします。
それが無条件に『善』をもたらすわけではなく、時に犠牲を強いるあたりがジョジョのシビアさですが、そこで妥協しないからこそ描かれる戦いにぶ厚い凄みが出てくるんだろうなぁ。

今回はここ最近タメた作画力が一気に爆発し、"バイツァ・ダスト"と吉良に弄ばれ、精神をさいなまれる早人のキツさが、よく伝わってくる絵面になってました。
能力が発動して戦士たちが爆破され、絶叫とともに"キラー・クイーン"の特徴的な『目』に吸い込まれて時間が巻き戻る所とか、決意と絶望をしっかり刻み込んだ表情の作画とか、とても良かった。
『善』と『悪』を様々な領域で対比・対立させる物語的構図の巧さも当然大事なんですが、やっぱ気合の入った『絵』が持ってくる説得力こそが、アニメに血肉を宿す最大のパワーだなと思いました。

早人目線で物語が続くことで、吉良が母親を慰み者にしている性的な嫌悪感が、結構物語に寄与していることに気づきました。
『自分は、ちゃんと愛し合った両親から生まれたんだろうか?』という疑問を抱く小学生にとって、父親ぶっ殺して家に侵入してきたインベイダーが、母親とセクシュアルな行為で挑発してくるというのは、嫌悪と怒りが湧き上がるくっそムカつく行為です。
早人は『街』や『スタンド使いの戦士』への共感も覚えているけども、何よりもまず身近な『家』と『母』を守るために戦っているわけで、その気持を燃え上がらせるためにも、吉良がしのぶさんにやらしい事するのは大事な演出なのだろう。
性的所有権にしても、手に入れたパワーはとりあえず見せびらかし、他人を踏みつけにしないと納得できないあたり、吉良の腐ったマチズモは徹底してるなぁ……。


というわけで、圧倒的で絶望的な戦いの中、幼き戦士が覚醒していく様子も描かれるエピソードとなりました。
スタンドという『非日常』の力を持たない分、覚悟一本で藻掻き続ける早人の強さ、優しさ、尊さがよく強調されていて、手に汗握る展開でした。
話がクライマックスに差し掛かっているこのタイミングで、お話の舵取りをスタンド使いにだけ任せないところが、本当に凄いなぁと思う……一応、現代異能バトルに分類されるのにね。

とは言うものの、時を巻き戻し運命を蹂躙する"バイツァ・ダスト"の能力は、今回たっぷり描写されたように凶悪で絶大。
それに対抗するためには、スタンドという『非日常』のパワーを持つ仗助たちの助力が、絶対に必要です。
『治す』能力を持つスタンドをサブタイトルに名付けた次回、どのような反撃が描かれるのか。
非常に楽しみです。