イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ:第35話『目覚めし厄祭』感想

土塗れ血塗れの火星ネズミ成り上がり一代記、封印されし天使の軍勢が目覚める大転換な35話目。
これまで意図的にスポットを浴びせられてこなかった災厄戦の設定が一気に出てきて、地下から機械製の大怪獣が飛び出してくる展開に。
前半の泥臭いヤクザ力が嘘だったかのように、デカい設定と大破壊が押し寄せてくるラストでしたが、これまで小出しにされてきた設定が繋がるように新要素が出されたため、テイスト違うのに納得できちゃうのが凄い。
これまで『家族』の狭い世界で進んできた鉄華団の物語が、世界の成り立ちに直結するヒロイックな『敵』を前にしてどう変わるか。
色々気になってくる、変化の回でした。

これまであくまで背景として描かれてきた『厄祭戦』ですが、思い返せばガンダムはそこで活躍した超パワーであり、大人に嫉妬されるぐらい躍進した鉄華団の活躍も、300年前のおとぎ話があってのことです。
まぁ、火星ネズミやヒューマンデブリが人間扱いされないのも、腐敗しきった搾取構造が公然化しているのも、『厄祭戦』で人間が手にした勝利の上に積み上げられた結果なわけで、良くも悪くも話の根っこにある設定。
だったんですが、これまでこのアニメが描いてきたのは手で掴めて息が掛かる近い『現在』の話であり、世界がクソみたいになる原因となった『過去』には、ほとんど光を当ててきませんでした。
今回発掘兵器が起動し、凄いヤバいことになって新鮮に驚けたのも、意図的に物語の光を調整して、関係ない暗がりだと思わせた所からズドンと飛び出してきたからなのでしょう。
二期になって、マクギリスがしきりに『ギャラルホルン設立の英雄』アグニカ・カイエルに憧れる態度を見せていたのも、陰謀かという印象が強かった彼のイメージをロマンチストに塗り替えると同時に、話の力点が『過去』に飛ぶ展開の準備でもあったんでしょうね。

これまであまりにも人間らしい、欲と野望の血みどろ戦争ばかりを描いてきたので、神話の時代から蘇った無人機械は、作品のテイストから浮き上がって見えます。
しかし考え直してみると、阿頼耶識という特徴的な設定からして『人間と機械の境界』を飛び越えるものであり、『無慈悲に殺し、破壊する機械』になってしまったアインや、バルバドスに捧げた瞳でハシュマルの覚醒に反応していた三日月もまた、戦争のための自動機械に近い存在です。
人間が己のエゴを貫くために使ってきた武力が、実は機械の神を殺すための兵器だった。
今回出てきた設定は、非常に強く『人間』の物語だったこのアニメにそぐわないように見えて、実は『人間』と『機械』、『家族』と『殺してもいいヤツ』の境界線を揺るがし続けてきたこの作品の根本に、しっかり繋がっている気がします。

『よくわかんない発掘兵器』の仕様として認識されていた通信障害や対ビームコート、異常に頑丈なフレームなどのロボット描写が、『通信で使い魔を操る、人類絶滅用の自動兵器』を相手にするためだとわかったことで、突然の新展開がストンと飲み込めたのは、非常に良かったです。
ロボモノは『ロボット』という大きな嘘をつくために設定が一人走りをすることが多々あり、人間が泥臭い殺し合いをするには過剰な技術も『そういうもんかな』と思っていましたが、今回『本当の敵』が描写されたことで、かなりの部分がストンと納得できました
アクションシーンの見応えを作る設定の数々が、こうしてメインストーリーの隙間にピッチリと挟まる様子を見れるのは、なかなか得難い快楽だと思います。
『神様殺すために手に入れた悪魔の技術は、神様いなくなった後でも残って、人間同士で殺し合いを続けるために使われている』と見立てると、やっぱこのアニメはペシミスティックというか、人間の負のカルマを甘くは見てないなと再確認させられますね。

人間の卑近な争いを遥かに超えたハシュマルの脅威を強調するべく、発掘兵器周りの描写はほぼ完璧に災害パニックモノの文法で描かれていました。
使い魔である自律兵器が暴れるさまを事前に見せることで、『本体は一体、どんくらいヤバいんだろう』と想像させる描き方とか、味方サイドであるマクギリスはしっかり警戒して立ち回っているのに、功名に浮足立ったイオク様がいらんことして災厄を目覚めさせちゃう所とか、巧く別ジャンルの文法を借りていました。
これまでコンパクトなスケールで物語を続けていた分、モビルアーマーのスケールは物理的な面だけではなく、設定面・物語面でも大きく描かなければいけないわけで、そこら辺ちゃんとやってインパクトが有ったのは凄く良かったです。


そういうデカい話が覚醒する背後で、金を稼ぎ足の引っ張り合いをする小さな人間の姿も、しっかり描かれていました。
ドノミコスさんが情報をリークしなければ、マクギリスの火星行きをアリアンロッドが知ることもなく、イオク様がMSでやってきてハシュマルを刺激することもなかったわけで、ちっぽけな人間模様が巨大な破滅につながる様も、残酷なドミノのように小気味よく描かれていました。
イオク様が背後関係をちゃんと調査せず、ヤクザからの内部リークだと確認しないまま情報に上げている様子とか、器の小ささがよく見えて好きな演出でしたね。

『火星の王』を目指すべくマクギリスと手を組んだオルガの決断は、ヤクザの文法でいえば当然序列飛ばしであり、潰されるべき傲慢です。
『人間が、人間らしく』あるために寄り添った組織の中で、嫉心が足の引っ張り合いに繋がる様子は、テイワズにおけるオルガとドノミコス、ギャラルホルンにおけるマクギリスとラスタルで、強く響き合う部分です。
『敵の敵は味方』という繋がり方ではあるんですが、そういう利害を超えたカルマの共鳴みたいのが存在しているのは、なかなか興味深いところです。
まぁとんでもなくドエライことが起こったんで、宇宙ヤクザとスペース警察内部で足の引っ張り愛している余裕が残るか、一気に怪しくなりましたけどね……どーなんだろうな、マジ。

今を必死に生きるしかない鉄華団と、そこから少し離れた場所で大きなものを見ているクーデリアの対比も、なかなかに鮮烈でした。
教育の重要性を痛感し、身銭を切って明日に希望を繋いでいるクーデリアと、命を削って稼いだ対価の使い道もわからず、全てをクーデリアに預けてしまう鉄華団の『家族』には、やっぱ距離がある。
みんながみんな、血の泥に首まで浸かって明日も知らず、あっぷあっぷしてたんじゃ救いもクソもないんで、お嬢が鉄華団の浅はかさを嘆きつつ、手を差し伸べきれないのは大事なことだと思うんですけどね。
ココらへん踏み込みきれないのも、やっぱ『家族』から一歩離れているクーデリアの特殊性だよなぁ。

例え同じ地獄にはいないとしても、クーデリアがアトラや三日月を思う気持ち、三日月がクーデリアを信頼する心には、確かな繋がりがあります。
『金』という信頼をクーデリアに預ける描写もそうなんだけど、一期でも描かれた『教育』への接近が三日月の中で生きていて、『文字を読める』描写が入ったのが、少し暖かい感じがしました。
鉄華団の子どもたちに文字を教えてくれたフミタンのことも覚えていたけども、人間として扱われなかった三日月としては、最低限の尊厳として『名前』は大事なファクターなんかな。
……しかし『フミタン・アドモス小学校』か……自分の理想全てを載せた方舟に片っ端から名前をつけているあたり、ホントお嬢は、フミタンに操を捧げてるな……。


卑近な人間と、無情な機械の神。
もしくは、人間のエゴが絡み合う足の引っ張り合いと、あまりに巨大な破壊。
スケールの違う2つの物語が同時に進行し、奇妙な立体感が心地よく感じられるエピソードでした。
今まであえて触れなかった大きな話に飛び込んだのに、違和感より期待感のほうが強いのはやっぱ、背後に控えているものをひそかに、しかし周到に作品に埋め込んだ結果、地ならしが出来ていたからなんだろうなぁ。

300年前の神話から、目の前に立ち塞がる破滅へと姿を変えたモビルアーマー
人間と機械の中間点にいるハシュマルが、あまり人間的な野望を生きる人々の物語にどう絡むのか。
スケールが違う話をぶっ込んだ結果、どう化学反応してどういう方向に転がっていくのか、さっぱり先が読めません。
このワクワクをどう活かして物語を加速させていくのか、非常に楽しみです。