読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

フリップフラッパーズ:第9話『ピュアミュート』感想

幻のような世界の中で痛みと涙だけが本物な残酷童話、傷だらけの第9話。
『ミミ』なる人物の幻影を追いかけるパピカとココナのすれ違いを一話使って追いかける……だけではなく、それを足場にしてヤヤカが本当の覚悟と居場所、願いにたどり着くお話でした。
急変していく世界の中で、それでも信じられる本当を一足先に見つけた少女は、守るべきものを抱え込んで傷ついていく。
ひどく残忍なお話だったと思います。

今回の話は、ピュアイリュージョンの奇想に少女たちと視聴者が飛び込んで『冒険』するという、これまでのフリフラから大きく舵を切り替えたお話です。
ピュアイリュージョン自体は非常にシンプルだし、第6話のようにその奥で何らかの真実と出会い、世界が変化するわけでもない。
非常にシンプルでストレートに、ヤヤカとパピカ、ヤヤカとココナの心の距離が変化し続ける、屈折の少ないエピソードだといえます。

お話としては二段階の変化を辿っていて、パピカが追いかける『ミミ』の幻想がヤヤカとの間に軋轢を生み、防護トラップ(として具体化された心理的障壁)を乗り越えることで本当の気持に築くまでのお話と、アスピオクレスに居場所を失いつつあるヤヤカが、ココナを傷つけることで自分の覚悟を証明しようとするお話に分かれています。
第8話から引き継いだ形になる前者が今回で完結しきらず、後者にしっかりとした答えが出るのは、なかなか面白いところです。

パピカがココナではなく『ミミ』を追いかけ続ける限り、ココナとパピカの間の溝は埋まらない構成になっていて、『冒険』を追いかける過程で枝葉と一旦切り捨てた細かい設定が一気に重要になってきたのは、ちょっと興味深いひっくり返しといえます。
『ミミ』についての真実を探ることは、そのままパピカの過去、フリップフラップとアスピオクレスの関係、『アモルファス』とピュアイリュージョンへの疑問……つまり世界設定そのものを掘り下げていくことに繋がります。
僕はこの話、あくまで少女二人の心の交流がメインになる物語だと思って見てきたわけですが、そういう感情のドラマを解決するためには、パピカと『ミミ』の関係を掘り下げなければいけないことが、今回非常にハッキリしたわけです。
前半あれだけのイマジネーションで視聴者を酩酊させておいて、このタイミングで非常に具体的な筋書きを丁寧に追いかけることを要求してくる切り返し方は、なかなかに意外、かつ鮮烈だといえます。
すでにパピカとココナが好きになり、このお話自体が深く突き刺さっている視聴者にとって、抽象から具象へと物語がシフトチェンジしたとしても、どうにかして付いていく以外に道は無いのですから。


今回パピカはいつものように、『ココナの全部が好き!』という真実にまっすぐ食らいつき、その思いを胸のエンジンに思いっきりぶち込んで行動することで、状況を改善していきます。
想いが結果を連れてくるという精神主義がココナの行動理念なんですが、その思い自体が『ミミ』という『幻想』によって揺らいでいるため、最終的には適切な結果を引き出せはしません。
『ココナを捕らえたトラップを解除する』という直近の難題は精神主義で解決できても、『ココナがパピカを心から信じる』というより大きく遠い目標は、燃料となる思い自体が歪められてしまっている以上、適切には達成できなくなってしまいました。
ここらへんのロジックがひっくり返るという意味でも、今回は大きな話の潮目なのだと思います。

一方ヤヤカは、これまで何度も強調してきた『覚悟』を全面に出して、『アモルファスを奪い、居場所を手に入れる』という目的に近づいていきます。
ピュアイリュージョンで何度向かい合っても、直接的に手は上げなかったヤヤカに向かい合い、思い出の檻を自らの手で砕きながら、ヤヤカはココナを殴り倒して目的を達成しようとする。
しかしついに目的が達成され『居場所』を手に入れるとなった瞬間、ヤヤカは拳を収めてココナを選び、双子に粛清されてしまいます。
パピカが問題を解決しつついちばん大事なものに迷った一方、ヤヤカは最後の最後で自分の気持ちに向き合い、真実を選び取った形になります。

ヤヤカがココナを閉じ込めたガラスの檻は、けして口にされることのなかった彼女の気持ちであり、ココナが本当に守りたかった居場所がどこなのか、無言で示す素晴らしい演出だといえます。
作品全体の潮目が変わっている影響はあのシーンにも及んでいて、精神の物質化であるピュアイリュージョンのルールが今回も延長しているのであれば、思い出のガラスが砕けてしまえば、ヤヤカの中の思い出や想いも消えてしまっていたでしょう。
しかし、自分の腕でいちばん大事なものを砕きながら、ヤヤカはココナの足(自分の足で、自分の『冒険』を前に勧めていくためのデバイス)には刃を入れられず、死を前にして『アモルファス』ではなくココナを守ることを選択しました。

第7話でココナとパピカが選び取った『外部から押し付けられた目的ではなく、自分たちが一番大事だと思うものを優先する』という行動に、この時ヤヤカは辿り着いているわけですが、それと同時にこれまで作品を支配していたルールも超越している。
物質化した精神が傷つき破壊されたとしても、ヤヤカの真心はけして傷つかず、周囲から強要された居場所ではなく、自分が本当に求めるものを守りきったのです。
それは本当に勇気のある行動で、真実の勝利といえるものです。
ココナが自分に夢中になるとか、恋の相手として自分を選ぶとかではなく、与えられた居場所を振り捨てて、本当にたどり着かなければいけない場所、守らなければいけない相手にたどり着くこと。
アスピオクレスによって仕組まれ、教団以外に居場所を持たなかった少女が己の真実を選び取り、ピュアイリュージョンのルールに打ち勝った瞬間、身体がどれだけ傷ついたとしても、ヤヤカは勝ったのです。
僕は、それを高く高く評価したい。


ヤヤカを取り巻く環境はひどく残酷です。
今回明らかになった記憶を見ると、ココナが胸を躍らせた『冒険』が実は、パピカよりも先にヤヤカによって与えられていたこと、それを発展させヤヤカに新しい喜びを与える機械が、教団によって奪われていたことがわかります。
『ぽっと出のポット野郎』がお運命の王子様のように現れて、ココナの世界を変えていく過程を僕らは見てきたわけだけど、それはヤヤカを主人公にしても達成可能な物語だった。
ただ、ヤヤカもココナも仕組まれた子供で、そのシステムの中でしか『居場所』を獲得できないと思い込んだヤヤカは、自分からココナの世界を変えていく『冒険』の切符を手放してしまったわけです。

それでも、ココナを偽り監視を続ければ、ココナの隣という『居場所』は得られたからこそ、彼女は『覚悟』を強調しながらピュアイリュージョンに潜り、言われるまま『アモルファス』を回収し続けました。
教団に居続けるためにはココナを傷つけなければいけなくなった時、足に埋まった『アモルファス』を取り出し、ココナが胸を躍らせる『冒険』の参加資格を奪わざるをえなくなった時、ヤヤカは矛盾に気づき、刃を止めた。
社会から強要される目的ではなく、己の内から湧き出る真実だけを信じて、『アモルファス』を投げ捨ててココナを抱きしめた。
それは、何度も言いますが、勝利なんです。
ヤヤカはピュアイリュージョンにも勝ったし、自分自身にも勝ったし、社会にも青春にも決断にも勇気にも、人生に必要なもの全てにあの瞬間勝った。
そして、『ミミの幻想』に惑わされるパピカとココナも、勇気ある少女のようにかならず勝つだろうと、傷ついたヤヤカの姿が力強く予言しているように、僕には思えます。

ピュアイリュージョンのルールを逆さまにしつつも、『台詞ではなく、画面に写っているもので語る』という演出のルールは生きていて、ヤヤカは自分の気持ちをココナには告げません。
何も言わないまま、ヤヤカとの思い出しか写っていない自分の気持ちを砕き、流せなかった涙をすり潰しながら、彼女の真実が本当はどこにあるのか、視聴者には痛いほどに判る。
それは、後の自己犠牲も引っくるめて、全てを行動と現象の中で表現する演出方針が貫かれているからこそ、深く刺さる演出だと思います。


今回は『いつものフリップフラッパーズ』が大きくひっくり返り、お話の方向性がぐるっとひっくり返るお話だったと思います。
物語を牽引してきたパピカの真っ直ぐな気持ちには、『ミミ』というノイズが交じる。
敵対者だったはずのヤヤカは、パピカとココナが一旦見つけたと思い込み、そして見失ってしまった真実の愛に辿り着いて、誇り高く負傷した。
この状況を解決するためには、ピュアイリュージョンという『幻想』ではなく、そのうらがにある組織と過去がどのように組み立てられてきたのかという『現実』に潜っていかねばなりません。

その時必要なものが何であるか、身を持って示してくれたヤヤカを、ヒダカが慌てふためきながらしっかり抱きかかえ、治療してくれたこと。
その描写が、ここから先のフリフラが進む先に嵐が待ち構えていたとしても、いちばん大事なものを見失うことはないと、保証してくれていたように、僕には思えました。
潮目を大きく変えたフリップフラッパーズがどこにたどり着くのか、心躍らせて待ちたいと思います。