イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

プリパラ:第126話『メリー・グランプリ!』感想

ついに最後の神GP開催となったプリパラ、主役は遅れてやってくる!! な第126話。
約束された勝利のユニット・ノンシュガーが悪しき母性と戦うバックで、プリパラ中からかき集めたトンチキどもがライブをする回でした。
ジャニスとちりの関係性バトルが絵面的に地味すぎるので、ガンッガンライブを消化して温度を維持していく構成、結構好きです。
元々プリパラはポジティブな曲が多いので、BGMがちりの奮闘のエールになっていたり、迷いを表現するモチーフとして機能したり、演出としても面白い感じになってたな。

ジュルルをメインゲストに迎えて回してきた三期は、母親と娘の関係にかなりクローズアップして進んできました。
赤ん坊の外見なのに、ちりにネコババを強いるジャニスもまた母親……っていいたい所なんですが、どっちかというと『個性と自由の抑圧』の方が強い関係性だと思います。
プリパラはどんな形の個性でも、それが一般的には欠陥として受け止められるものでも、人それぞれ異なっている特性を否定せず、認め伸ばしていくことを是として進んできました。
レオナの性自認、ドロシーの毒舌、ガァルルの出自と能力、ひびきの高慢とトラウマ……キャラクターの『あるがまま』を周囲も自分自身も認め、受け入れるからこそ新しい可能性にたどり着いたエピソードで、プリパラの各話リストはいっぱいです。

ちりの意思を無視してタクト窃盗を強要するジャニスは、その実アイドルの個性を一切認めない超管理主義者です。
ちりの孤独につけ込むような甘言も、心の底からちりを案じて(それこそ、前作であるプリリズRLのべる母の名言『あなたのために言っているのよ?』のように)いるわけではなく、自分の目的を果たすための嘘なわけです。
ちりを褒める言葉の最後、いちばん大事なところに『従順さ』を乗っけてくるあたり、ジャニスがちり(というか人間)に何を求めているか、よく分かる気がします。

『私はあなたを愛してあげます、認めてあげます』というジャニスの誘いは、かなり見え見えの虚偽です。
しかし自己肯定感に薄く、祖母によって強い抑圧を受けて従順に生きてきたちりは、嘘だと感じつつもそう簡単にジャニスの肯定を切り捨てることが出来ない。
第120話で祖母へのコンプレックスを乗り越えたように見えますが、感動的な和解一発で吹き飛ぶほど、人格形成の歪みは軟弱ではない、ということなのでしょう。
ジャニスが言うように、『従順さ』も長年の経験から生成された、ある種の『個性』なのでしょう。
それは善性に満ちた前向きな『個性』と同じように、ちりのアイデンティティ、『私は私である』という感覚をしっかり支えていて、早々簡単には抜け出せない大切なものなわけです。


しかしプリパラにおける人間は生まれたままではないし、出会いと衝突の結果変化していく、可塑性に満ちた存在です。
ジャニスは第90話で初登場してから第113話で再登場するまでの、『過去』のちりに影響を及ぼし支配しているわけですが、それ以降(つまり僕達の目に触れるエピソード中)のちりには、ノンシュガーが強い影響を及ぼしています。
我を通し、ぶつかり合い、傷つけ合いながら、泣いたり笑ったりをともに楽しみ、『私はあなたを愛してあげます、認めてあげます』という感覚を共有できる『仲間』。
自己の欲望に任せてちりを支配しようとするジャニスと、閉じられた扉の外側からエールを送るノンシュガーは、ちりの『過去』と『現在』を握りしめて綱引きをしているのでしょう。

とは言うものの、ノンシュガーはジャニスとちりが共有する空間には踏み込まず、セコンドコーナーで応援し、待機し、疲労と傷を癒やす立場からはみ出しません。
周囲の支えがなければ『個性』を良い方向に導くことは出来ないけども、同時に『個性』をどう使うか決められるるのは最終的には自分ひとり。
ここら辺の線引もまた、プリパラでは徹底されてきた他者尊重のルールです。
ジャニスと向かい合い、はっきりNOという勇気と意思。
『従順さ』という『個性』に別れを告げ、なりたい自分に向かって一歩を踏み出す決断。
それはあくまでちり個人のものであり、のんやペッパーが肩代わりしてやれるものではないのです。(『はいははい、いいえはいいえ!』というペッパーのサバンナルールが、ちりの決断を猛烈に後押ししていることは、当然視野に入れつつも)

ジャニスとちり、ノンシュガーの間に引かれている線の更に奥に、アイドルの仲間たちや別の母親達の顔が見えます。
彼女たちは神GPという晴れ舞台で、思う存分『個性』を発揮し、(その結果人間やめてるのが何人かいますが)自分自身の幸せを追求し続けます。
それは端役や名前のないモブであろうと大切にされるべき、彼女たちの物語です。
だから、アイドルたちは自分たちのステージをちりのために遅延させることはなく、当然の権利と義務として『個性』を発露させる。

しかしそれと同時に、のんちゃんの姉であるらぁらはノンシュガーの出番を最後に回し、大神田校長と真中ひめかは幼子たちが来るのをずっと待っています。
ジャニスとちりの緊密な関係を、一番近い位置で直接支えるノンシュガー、それを見守る仲間や家族というように、今回のお話は同心円状に心配と支援が配置され、ちりが決断するのを信じて待つ構造になっているわけです。
神GPが一般に開放されたことで、うわキツなラブリーツイスターがプリパラに存在できる流れが生まれて、『子供を見守る子供』を『更に見守る大人』が無理なく描けているのは、状況活かした演出だなと思います。
戦う人を支える人、支える人を支える人が連鎖している感じが、校長とママンがいることでグッと強まってました。

人間は結局は一人で、だからこそ『自由』と『個性』は尊く、立ち上がる価値も十分にある。
しかし人間はあまりに弱くて、様々な人に支えられなければ、戦い続けることは出来ない。
今回ちりがジャニスと向かい合った戦いはコミカルで、小規模で、地味すぎるほどに地味な戦いではありますが、しかしだからといって無意味で無価値、ということではありません。
ちりが抑圧に対して初めて『NO』といい切れた勝利は、ちり個人の勝利であると同時に、ちりを支えたノンシュガーの、自分の『個性』を発露しつつ支える人を支えたアイドルたちの、勝利でもある。
今回ステージと密室を並走して展開させることで、少女を取り巻く真心の同心円がしっかりと描けたのではないでしょうか。


主軸としてはそんな感じなんですが、ジャニスとちりの親離れ(子離れの方はまだ先になりそうですが)は、らぁらとジュルルの関係にも伸びている問題だと思います。
第124話ラストで鮮烈に踏み込んだように、らぁらは『自分の望むがままの赤ん坊を、私はずっと所有していたいのかな?』と自問出来るほど、人格が成熟してきています。
無論、バカでも嘘はつかない主人公・真中らぁらの率直さと、己の欲望を隠してちりをほしいままにしているジャニスは正反対ではあるんですが、しかしだからこそ、『母』として『子』を所有してしまう危うさは無視できない。
話が進んでいく内に、らぁらの自問に答えが出る瞬間がかならず来ると思いますが、その時今回ちりが下した決断、それを生み出した同心円は話数を超えて響いてくる。
そんな予感があります。

ジュルルといえば、のんちゃんが何度も『ジュルル……じゃなくてジュリィ!』と言い直すのが興味深かったです。
思い返せば、のんちゃんはらぁらの次にジュルルの『母』となったわけで、姉がそうであるように、『赤ん坊のジュルル』と『女神ジュリィ』のギャップを巧く埋めきれていないのでしょう。
飲んだり出したり戻したりの日々を共有していればこそ、のんちゃんの心の中の『ジュルル』は、強大な存在感がある。
しかし対話対象であるジャニスにとってはあくまで『姉』、『ジュリィ』でしかないという所を踏まえて、彼女は『ジュルル……じゃなくてジュリィ!』と言い直すわけです。
自己の中のイメージと他者の中の経験、それが生み出す認識の間にギャップがあること。
それを埋めることが、コミィニケーションにおいては誠実だし必要な態度だと理解しているからこその行動で、つくづく賢い子供だなぁと思いました。

あとペッパーが最大級の親愛の表現として『舐める』ことをちりが認めるのは、色んな意味でプリパラらしいなぁと思った。
コミカルに描かれてますけど、あれ粘膜接触ですからねアンタ。(突然興奮する患者)
ペッパーは肉食獣の子供なので、『噛む』『味わう』という形で世界を認識してて、『舐める』『匂いをつける』という評価/コミュニケーションは彼女なりの『個性』なんだろうなぁ。
人間の世界ではそれは『不潔』な言語でしかなく、潔癖症のちりは当然のんちゃんだって『汚い』と認識してたんだけども、まぁ山あり谷ありいろいろあって、肉食獣の言語を解読/許容できるところまでノンシュガーはやってきたと。
理解されにくいけど、苦闘の末に流した涙を舐めるのは肉食獣なりの、群れの仲間へのケアーでもあると。
そういう意味合いでも、今回は『個性』の受容にまつわるエピソードで、プリパラはずっとそれについて語ってきたのだなぁとも思った。


というわけで、バーチャルとリアル、ステージと密室が並走するという特殊な形式を活かし、ちりの変化を描く回でした。
ちり個人の小さな勇気をじっくり描き、それを取り巻くノンシュガー、己を表現しつつも見守るアイドルたちも並走させて、奥行きのある描写を実現させていました。
こういう図式をコミカルに、ポップな軽みをもったまま楽しく描ききれてしまうのは、ホントプリパラ強い。

リアルで繋いだ絆で神GPも優勝! ……と行きたいところですが、ここでひと波乱用意するのもプリパライズム。
じっくり『勝つための説得力』を積んできたノンシュガーに、最後のブーストを加える意味でも、いいエピソードを期待したい所。
凸凹トリオは長い友情坂を登りきり、無事神コーデをゲットできるのか。
そして勝利の果てに、ウサチャの命は供犠台に捧げられるのか。
第四回神GP最終エントリー、非常に楽しみです。