イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ユーリ!!! on ICE:第11話『超超がんばらんば!! グランプリファイナルSP』感想

六人の英雄が氷の上に愛を、人生を、全てを描ききるアニメーション、ついにファイナル前編!! な第11話です。
ざっくりいうとフィギュア世界最高峰に登った六人が滑って、滑って、滑るだけの話なんですが、作画の圧力を最大限活かした競技表現と、機を見て挿入される適度な説明がバランスよく共存し、熱量とわかりやすさの共存した素晴らしいクライマックス直前となりました。
勝負の行方を最大限盛り上げるのは当然として、各キャラクターが何を背負って滑っているかが見える滑走作画、勝者だけではなく敗者にも誇りを与える構成、そしてあまりにも猛烈なヒキと、強いところしかない回でした。
こんなのやられちまったら、最終回は最大級の期待をかけるしかないし、多分このアニメはそれを裏切らない。
そういう予感が胸の中で高まり、弾けるようなエピソードでしたね。


というわけで、色々褒めたいところが山盛りなんですが、まずは"キング"JJ。
これまで四回転をバンバン飛んで優勝への天井を跳ね上げ、追う側に強いプレッシャーを掛けてきた最強の選手が、逆にプレッシャーに飲み込まれる形となりました。
最強の説得力をこれまでの滑走でしっかり積み上げてきたJJが犠牲になることで、GP決勝という場所が生半可ではないと解らせることが出来るし、優勝戦線から合法的に後退させることも出来るし、怜悧な目で見て上手い指し手だと思います。

しかし、JJは勇利を勝たせるお話の都合で負けたわけでは、けしてありません。
常に強気に胸を張り、ビッグマウスを叩きまくり勝ちまくり、有言実行・無敵常勝の王者として歩いてきた彼もまた、他の全てのキャラクターと同じように人間だった。
弱くて情けなくて、だからこそ胸を張って上を見ようと誓った、物語開始時の勇利と全く同じ男だった。
弱さが人間らしさだとか、負けるからこそ正しいとか、そういうことを言うつもりはありませんが、失敗してなお"キング"としての生き様を支えてくれる人々がいること、それに報いるべく青ざめながらJJポーズを決め"キング"を演じきったことは、JJの人間としての値打ちを跳ね上げるだけではなく、敗北にすら誇りと愛を宿せるフィギュアという競技の価値をも、グンと高めるものだったと思います。

JJのことを、僕は『イヤなやつ』だと思っていました。
リア充だし、いつでも無敵で弱いところなんてどこもないって顔してるし、態度がウザいし、成功者だし、色んなものへの愛(その一つとして、『神への愛』を表す十字の祈りをサラッと競技前に見せる演出、俺凄く好きです)に満ちているし、それをしっかり伝えて応えているし。
完璧な人生を完璧に送る、まさに『世界の王様』に相応しい男という側面が、これまでは強く出ていました。
そういう男に、視聴者(というか僕)はそんなに共感できないし、『うるせーけど面白いやつだな』と思いつつも同時に、『勇利の前に無敵顔で立ちふさがって、邪魔なやつだなぁ』という印象を感じ取っていた。

しかし、この作品に無謬の『神』がいないことは、話を折り返した後のヴィクトルの描き方を見ていれば即座にわかるところです。
『神』なき世界の頂点に君臨していた『王』もまた、弱さと必死に戦いながら周囲の期待と愛に応える、ただの人間だった。
JJの心に強い圧をかけた周囲の期待と愛情こそが、敗北に心折れそうになったJJに前を向かせる最高の支えだった。
これまでのイメージを逆手に取り、GP決勝の恐ろしさ、弱さと敗北のの中にある尊さをJJが体現する展開は、心地よい裏切りに満ちていました。
自己愛という『エロス』の領域に留まって戦っているように見えたJJは、実は他者からの『アガペ』に支えられ、それに応えるために戦っていて、だからこそ"キング"には許されない無様な敗北に叩きのめされてなお、立ち上がることが出来た。
これは『勝者』『強者』として描かれつつも、その硬い鎧の隙間から人間味をしっかり匂わせていたこれまでの描写があって初めて機能するものであり、勇利やヴィクトルだけを特別視するのではなく、物語を構築するすべての要素に敬意と愛を持って物語を積み上げる姿勢があって、初めて可能な快楽でしょう。


JJの描き方でもう一つ好きな場面があって、それはフィアンセが真っ先にJJコールをしてくれたシーンです。
世界の頂点から地獄に落ちたJJが、傷ついてなお"キング"を演じることが出来たのは、確実に彼女の支えがあってのことです。
そういうかけがえのない奇跡が、男女の恋の中にはある。

それと同じエピソードの中に、クリスの男性パートナーの描写がサラッと入ります。
それはピチットくんがヴィクトルと勇利の結婚を祝福したように、過剰な重みがない自然な語り口で展開される、ゲイ・セクシュアリティの描画です。
ヴィクトルと勇利のロマンスを見れば、このお話が男と男の恋愛と性愛にかなりのエネルギーを裂き、それが持つ強引な腕力で視聴者の心を引っ掴んだ側面があることは、けして否定できません。
このアニメにおいて、ホモは確かに大きなテーマなのです。

しかしそれは特権化も差別もされずに、当然のものとして世界にあって、JJが手に入れたヘテロセクシュアルな支えと同じように、クリスや勇利やヴィクトルを支えます。
(エグい言い回しになりますが)『腐女子を釣るための餌』としてだけセクシュアリティを弄んでいるのであれば、もっとホモを特権化し、世界に唯一の真実の愛の形として描き、ヘテロな愛を蔑することで価値を上げていく扱い方も、可能だったと思います。
しかし実際には、クリスのパートナーシップや、(ピチットくんが認識/誤解した)ヴィクトルと勇利の関係には明確な名前がつかず、しかしそこにあるものとして描かれる。
それらはJJが顔をあげるのに絶対に必要だった『未来の妻』からの声援と同じように尊いし、世界の頂点で滑りきる力を与えてくれる、大事な足場になります。

このアニメが『愛』についての物語だというのは、最初の対決が『エロス』と『アガペ』を巡って展開したことからも、その後織り上げられた有利とヴィクトルのロマンスを見ても、幼いユーリが一歩ずつ手に入れた愛を見ても、あらゆるシーンから感じ取れます。
同士愛、兄妹愛、師弟愛、成就しない愛、国家への愛、ファンへの愛、ファンからの愛、孤独な愛、言葉にならない愛、叩きつけられる愛、すれ違う愛。
様々なキャラクターが様々な愛を背負いながら、このアニメはGP決勝というクライマックスまで走り続けてきました。
そこには多様性を認める姿勢と、それぞれ異なる愛の形をしっかり見据える冷静な目が両立しています。

JJとフィアンセの関係、クリスとパートナーの関係を同じエピソードの中で、対等に切り取ってきた今回の描き方は、異性二人が、もしくは同性二人が惹かれ合い支え合うあらゆる形式を、あり得るものとして受け入れ、人間関係を扱う時絶対必要な敬意を疎かにしていないことを、ちゃんと証明してくれたように思うのです。
(作品が捉えるレンジが異なるので、『女と女』は描画範囲外ですが)、男と女、もしくは男と男が、それぞれの個性に合った形で選び取る『愛』がなければ、彼らは滑りきれない。
逆に言えば、世界最高峰の舞台で戦い切るための『愛』は、何か決まった形があるわけではなく、一人一人として尊い個性が選び取った個別の形で尊重され、発露するしかない。
そういうことを、クリスの回想とJJの不屈はしっかり語ってくれたと、僕は感じました。


様々な形の『愛』の一つとして、ユーリとヤコフ、リリアの擬似的な家族的描写が挟まってきたのも、彼らが好きな視聴者としてはとても嬉しいところでした。
勇利がヴィクトルと出会って見つけたように、ヴィクトルが勇利に手を引かれたように、まだ15歳の少年も色んな人に支えられ、愛されて、『美の権化』に相応しい実力をつけた。
それを『愛の入り口に立つ』という言葉で適切に表現しているところが、簡勁な言葉を選びきる、このアニメの理性的な強さだと思います。

ユーリは便所で泣いてる主人公をがなり倒すような『荒れた子供』として物語に登場し、その奥に激しさ以上の優しさを秘め、それを誰かに認めてもらいたがっている『寂しい子供』であることが、だんだんと見えてきました。
一番認めてほしかったヴィクトルは勇利に取られてしまったわけで、さてどうなるのかなと心配に見ていたわけですが、リリアが登場し、『プリマドンナとしてのユーリ・プリセツスキー』という強みを発見・強化した辺りで、彼の寂しさは帰るべき巣を手に入れた。
僕はそう思ったのです。

想像を遥かに超える演技を完ぺきにこなしたユーリを見るリリアとヤコフは、導いてきた才能がコーチの(もしくは大人の)想像力を凌駕する驚きに、目を見張ります。
それはユーリが世界記録を打ち立て、一年前のヴィクトルを追い抜いたからだけではなく、苦楽をともにし、プライベートな苦しみも共有しながら、『まるで親子のように』お互い支え合って進んできたからこそ生まれる喜びなのだと、僕は思いたい。
かつて夫婦であり、今は縁の切れたヤコフとリリアが、ユーリを挟んで同じ高みを見つめ合っていることは、この作品に溢れる『愛』の表現の中でも、見劣りしない素晴らしいものなのだと、僕は思いたい。
思えるだけの鮮烈さが、あの三人を切り取る描写の中にはしっかり存在していたと、僕は思うからです。

そんなユーリを見上げ追いかけてきたオタベックくんの滑走描写は、アスリート的な潔癖さと力強さに溢れた、非常にパワフルなものでした。
キャラクターが背負っているものや価値観を、アニメーションの中でしっかり伝え、グッと視聴者の心を掴むドラマ表現として滑走作画が機能しているのは、やっぱ強いですね。
カザフスタンからイメージされる遊牧騎馬民族の実直さ、孤高さがオタベックくんのキャラ付けには強く影響していると思うのですが、滑りの中でそれがよく見えました。
実質2話しか登場してないキャラなのに、強さも弱さも、誇りの在り処もちゃんと感じ取れるのは、圧倒的に上手いわな。

ピチットくんも溌溂とした爽やかさを存分に発揮し、点数には現れない表現力で観客を引き込む滑走をしていました。
『高得点のジャンプを組み込めない彼にも強みがある』という描写だし、『しかし採点競技としては、それだけでは勝ちきれない』という描写でもあって、厳しくも優しい滑走だったなと思います。
数字だけ見るとJJもピチットくんも『負け組』なんだけど、観客を圧倒し見せつける演技とは違う、観客を引き込む魅力をしっかり背負って滑っているところが、凄く好きです。
それは負け犬を慰めるためのお情けではけしてなく、ピチット・チュラノンがその身に宿した、彼一人の強さであり尊さなのでしょう。


そして我らが主人公・勝生勇利。
『どこにでもいる特別強化選手!』と己を卑下していた過去はもはやなく、ヴィクトルと観客を新たな驚きに巻き込み、己の可能性に挑戦するアスリートとして、胸を張って演技に向かっていました。
勇利も点数的には『負け』ているんですが、一年前のようにそこで目を閉じてしまうのではなく、ピチットくんの滑走をしっかり見つめて、それを立ち上がる糧に変えているところが、タフで優しくて良いなと思いました。
終わった後、滑りきれなかった自分自身に憤り、生優しさの欠片もない険しい表情、プロアスリートの顔にちゃんとなっていたのは、本当に良かった。

これまでの物語を無駄にせず、もう一度のチャンスに向けて気持ちを作った勇利はしかし、自分だけを見つめていないヴィクトルの横顔を再確認してしまう。
それは勇利がヴィクトルの手を引き、『神』の領域から『人間』の領域に引き入れたからこそ生まれた目線、20年間見つめてこなかった『2つのL』に満ちた世界であり、勇利だけがヴィクトルに挙げられるもの(あの金色のリングのように!)です。
しかしだからこそ、勇利はヴィクトルを自分が独占していてはいけないという思いを強くし、よりにもよってGP決勝最終日直前というタイミングで、別れを切り出す。
不器用であまりにも誠実なその姿は、僕がこれまで見守らせてもらった、愛すべき勝生勇利、そのまんまでした。

勇利が『美の化身』を見上げる視線と、ヴィクトルが『人間』への愛を獲得していく視線。
それがとんでもない熱量を秘めたものであると同時に、どうしようもなくすれ違っているということは、このアニメは何度も注意深く強調してきました。
今回のヒキはその延長線上にあるわけですが、彼らが惹かれ合う想いの強さ、それが生み出してきた奇跡を幾度も見せつけられてきた視聴者としては、すれ違いを乗り越えいつまでもそばに居てほしいと、思わず願ってしまう関係でもあります。
こういう『判るけども、判るわけにはいかない』ジレンマをボーボー心のなかに燃やされると、もう来週見届ける以外に道は無いわけで、視聴者をどうやって前のめりにさせるか、よく考えられてるなぁと思う。

ヴィクトルと勇利の関係は一種のシンデレラ・ストーリーとも取れて、『真実の愛はすべての障害を乗り越え、奇跡を引き寄せ、二人は永遠に幸せに暮らしました』と終わらせても良い、多くの人がそう望むお話だと思います。
しかしこの世界は、様々な『愛』で人々が繋がることの出来る優しい世界であると同時に、『愛』から目を背けて孤独に逃げ込めばいくらでも離れていける、厳しい世界でもあります。
永遠なんてどこにもないからこそ、負けたり傷ついたりする弱さを『愛』で支えて貰って、奇跡に向かって前に進む以外道がない、そういう作品世界をずっとこのアニメは描いてきた。
だから、愛し合う二人の気持ちがすれ違って最後の物語が始まるのは、サスペンスを盛り上げる冷静な計算であると同時に、世界とキャラクターが必然的にたどり着く運命の岸辺なのでしょう。

最初は便所で自分の弱さだけを見つめていた勇利が、ヴィクトルが見ている世界の広さ、ヴィクトルを必要とする人々の多さを前に、公益性を優先する選択に進もうとしている。
世界最強のナルシストとして世界中を喜ばせ、空疎にたどり着いてしまったヴィクトルは、自分の想像を超えていく勇利の魅力に夢中になり、それを通じて『愛と人生』を取り戻した。
こうして並べてみると、『個人と社会』を排他的関係においている勇利と、『個人があればこそ、社会は広がっていく』という境地にたどり着いたヴィクトルが、スケート競技とは別の(それと同時に競技に直結した)認識ですれ違っているのが分かります。
勇利も『俺が世界で一番、ヴィクトルを幸せにできるんだ! 世界で一番の愛は、何個あっても、どんな形でも良いんだ!』と開き直れれば、『ヴィクトルを独占している』という罪悪感を捨てて、未来に無限に広がる可能性に踏み出せるんだろうけども……あの子面倒くさいからなマジ。

そんなふうにすれ違う二人の愛と同じくらい、GP決勝の行方が超気になる点数構成になっていて、勝負論と感情のドラマ、2つのエンジンを怠けることなく酷使してきたこのアニメらしい状況だと思います。
傷ついたJJがどういうフリーを見せてくれるかも気になるし、クリスもピチットくんも凡庸な滑りはしないだろうし、オタベックくんのアスリート主義がどこまで通用するか、ユーリは頂点のプレッシャーを乗りこなせるかも見逃せない。
そして当然、公式ページで『最悪のコンディション』と書かれてしまった勝生勇利が自分のスケートを滑りきれるかも。
絶妙に逆転がありそうな、しかし点差は残酷でもありそうなポジション・滑走順に配置されてて、スポーツフィクションとしての盛り上げが超ウマいんだよな、今の状況。

涙あり笑いあり、たっぷりの愛ありで進んできた、スケートと才能と美と神様と人間のアニメも、来週ついに決着です。
色んなものがたっぷりと詰め込まれ、心をかき乱すドラマ、全てを賭けた熱戦が一週間後、必ず見れるでしょう。
一人の青年と一人の男の愛が、どういう形で収まるかも、しっかり見れるでしょう。
そういう信頼感を揺るぎないものにしてくれる、素晴らしいエピソードだったと思います。
ユーリ!!! on ICE最終回、めちゃくちゃ楽しみです。