イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

舟を編む:第10話『矜持』感想

長い道のりを一歩ずつ進んできた辞書編纂アニメもついにクライマックス! 最終決戦は24万字徹底校正ッ!! なラスト一個前。
ずーっと地味に進めてきたこのアニメにふさわしく、最後の山場も非常に地味かつハードなもので、そこで受けた傷を癒やすシーンもとってもじんわりという、つくづく自分を見失わない作品ですね。
最後の試練を乗り越えていく喜びも、松本先生に伸びてくる死の影も、同じように穏やかに描かれているのは、山あり谷ありの人生全体を作品が肯定しているから。
物語が世界に向かい合う姿勢をちゃんと確認して最終話に入れるのは、とても豊かなことだなと思います。

物語が終わる実感を手に入れるには、それなり以上の障害が必要ってわけで、地味なこのアニメに用意されたのはひたすら文字を追いかける、圧倒的に地味な作業。
魔王が復活するわけでも難病が発覚するわけでもないクライマックスは、馬締が改装していた過去のエピソードの流れをしっかり受け継いでいて、非常にこのアニメらしかったです。
無論、地味なだけではここまで視聴が続くわけもなく、人間の地道な芝居をしっかりアニメにする実力を活かし、合宿生活の匂いを届けてくる演出が活きていました。
ちょっと集中力が足らない感じのボウズのバイト君とか、終わったと早とちりして『やっ……!』って言っちゃう女の子とか、細やかで人間臭い芝居を丁寧に入れ込むことで、生っぽい手触りが生まれていたと思います。
地味な作業の地味なキツさをしっかり描くことで、『なんかキツそう』という圧力を視聴者に共有させて、それが開放された時の喜びも強く感じられるようになっているのは、作風を活かしていました。

バイト達があんま馴染んでない様子、そっから泊まり込みでじわじわと辞書編纂が染み渡っていく様子も、得意の地道で丁寧な描写力でしっかり描かれ、歯ごたえがありました。
声高で派手なセリフで変化を説明はしないけれども、じわじわ生まれる変化を生活描写の中に溶かし、視聴者の心に溶け込ませていく手腕は、相変わらずの冴えでした。
たったひとつの答えをズドンと与えるのではなく、クッションかけて視聴者に考えさせ、自分の答えに辿り着かせて納得させる仕上げは、個人的な好みにドンピシャなんですね、やっぱ。
読解力があればだいたい狙ったところに辿り着かせるヒントの出し方も巧妙で、考えられるのに不必要に悩まない、いい塩梅を維持していると思います。

最後が人海戦術になったのは非常によく考えられた構成で、元々人数少なく乗り切ってきた大渡海、そのまま進めていてはクライマックスに必要な興奮が弱く、薄くなってしまいます。
とにかく人数が必要な24万字総チェックを〆に据え付けることで、身内の数を自然と増やし、大渡海完成の興奮をみんなでセレブレイトすることが可能になる。
いかに地道に進めていくことが作品の魅力と言えど、成し遂げた勝利を派手に祝いたい瞬間というのはあるわけで、そんな希望に相応しい人数を動員する意味でも、チェック合宿は良い試練だった。


かかる圧力が地味ならそこからの開放も地味で、『家に帰って、嫁の飯を食う』という、あんまりにも小市民的な、しかしだからこそ真正なケアが描かれていました。
もともとこのアニメ、食事シーンがよく出てきて、生まれる絆とか、辛さを共有する地盤とか、色んな表現に活用されてきました。
時代がジャンプしてから、香具矢さんとイチャコラするシーンがあんまなかったので、夫婦でキャイキャイしてくれたのが嬉しくもあるし。
エピソードを積み重ねて作った文脈を最大限に活用し、馬締はなぜ地味でキツい仕事に向き合えるのか、しっかり確認させるのは、懐かしくもあり新鮮でもある、パワフルな見せ場だったと思います。
食事シーンが見せ場として機能するのも、作画のクオリティが説得力と共感に繋がり、物語的な仕事に納得できるからだろうなぁ……ほんと、カロリーの使い所を把握しているアニメだ。

合宿所の閉じた空気がいい感じに描写されていた分、あくまで部外者として換気をしてくれる西岡の気遣いも、よりありがたく感じられました。
新しい仲間と一緒に、深い海にじっくり潜っていく変人たちと、そんな彼らの港となり、外を繋ぐ西岡。
『立つ位置も性質も違えばこそ、自分には出来ない仕事を任せられる』という、これまた幾度も描かれた信念がちゃんと再確認されるのは、感慨深いものがあります。


合宿とは少し離れた所で、もう一つの山場……というか一つの必然として描かれるのが、松本先生の生病老死。
入院して少し小さくなった背中、空っぽの書斎と写真で『死』を描ききる語り口の抑揚は、やっぱこのアニメらしいなぁと。
辞書を完成させた生の喜びにしても、夕暮れのように必然的に迫る死にしても、ストイックに誠実に受け止め、画面に乗せていくのがこのアニメらしさなのでしょう。
香具矢とのデートでも印象的だった『観覧車』が書斎にあることが、馬締と松本先生の繋がりを思い起こさせて、憎い演出です。

今回は既にいなくなってしまったタケおばあさんを使って、人生の遠近法を描く演出が冴えていました。
タケおばあさんが残してくれた家の中で、生者である香具矢と馬締が食べ、語り、生きる。
死者と生者の間に受け継がれるものがしっかり描かれたからこそ、老人として死者の列に今加わろうとしている松本先生の行き先が、けして悪いものではないと感じることが出来る。
青年が大人になり、老人が死者に変わる時間の流れは様々な表情を持つけれども、それは全て穏やかで実りある人生の、一つの顔として祝福されている。
タケおばあさんと松本先生、馬締と香具矢を時間直線に整列させる今回のアングルは、この作品が人生を見る時の豊かな視線をそのまま反映していると、僕は思いました。
老化や寿命も引っくるめて、時間経過を肯定している感じがあるね、このアニメは。

そういう穏やかな見せ場だけではなく、作画が大暴れする幻想的なシーンもこのアニメの強みでして。
馬締の焦りを映して炸裂する爆発作画は凄まじいクオリティでして、地味な絵面に刺激を加える、良いスパイスでした。
無言で横っ面を張り飛ばすような、パワーのある作画を要所でぶっこんでくるからこそ、地味な話を飲み込めるって部分は、確実にあると思う。


というわけで、喜びも悲しみも幾歳月、流れる時間をまるごと見つめるエピソードでした。
起伏を付けにくい物語を誠実に、着実に描くことで、他の物語にはない感慨を着実に生み出す。
作中描かれる『辞書編纂』の魅力と同じ文法で、最後までトーンを統一して走りきれそうなのは、本当に強いと思います。

かくして最後の大波を乗り越え、編み上げられた船は世界に漕ぎ出していきます。
運命に出会った青年たちがついにたどり着いた景色に、どんな感慨があるのか。
このアニメは絶対にそれを伝えてくれるという確信が、強く僕の中にあります。
舟を編む、本当にいいアニメです。