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イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

響け! ユーフォニアム2:第12話『さいごのコンクール』感想

アニメ 響け!ユーフォニアム

喜びも悲しみも幾歳月、全ての音が今ッ! ステージに集うッ!!
色々あったユーフォ2、音楽競技としてのクライマックスを名古屋で迎える第12話です。
とは言うものの、ステージ自体は結果も演出も大団円という感じではなく、ここまでたどり着いた道のりをじっくりと振り返る感じの、長いエピローグのようなお話でした。
僕はこのアニメ、相当前のめりになりながら見てきたので、色々面倒くさかった彼女たちの青春がどこにたどり着いたのか、徹底的な横幅の広さと表現力で描ききってくれる今回、凄く良かったです。
過去を振り返るだけではなく、新しい未来へ道を繋ぎ、語っていなかった最後のピースをしっかりハメる所までやりきってくれて、満足感で心を満たして最終話を迎えられそうです。


というわけで、久美子が触れ合った女たちの中でも一番最初で、一番大きくて、一番めんどくさい麗奈を最後に倒して、憂いなくステージに向かう今回。
女の描写ばっかりやってきた結果、秀一に報いる描写が薄めだった所を、まず埋めていきます。
久美子はまーた夜出歩いてイベントに遭遇してて、つくづくセガサターンのギャルゲー主人公みたいな体質してるなぁ……。

秀一と久美子の間合いは、麗奈やあすかともまた違っていて、家族でありつつ異性でもある、不思議な距離感を維持しています。
長い時間を共有してきたからこそ、部員の中で唯一麻美子の問題に踏み込んでくるし、家族相手の飾り気のない低音もスルッと出てくる。(ここら辺の差異を大事にした黒沢ともよの演技と、それを引き出した鶴岡さんの音響指導は、ユーフォがたくさん持っている武器の一つだと思います)
一期では葉月を壁役に恋の接近遭遇も描かれましたが、二期は女の相手をするのに忙しくて、そんなに目立つポジションではなかった秀一。
しかし彼もまた、麗奈やあすかや麻美子と同じように久美子の『特別』な存在であり、滝先生が教えた『死』の匂いのする終った恋愛とはまた別の、恋の予感を秘めた少年なわけです。

久美子と秀一は狭い腰掛けに隣り合って座り、間近な距離で心をドキドキさせる間柄ではない。
そういうのは麗奈の仕事であり、秀一は恥じらいを込めて、90度ズレたポジションで久美子と向かい合います。
しかしその距離感はとても近く、下の方にどっしり据え付けたカメラで下半身を切り取る時(山田シリーズ演出、今回はコンテです!)、二人の境界線が重なり合っているのがよく分かる。
久美子が暖かなココアで気持ちを落ち着ける瞬間を、共有する特権が秀一にはある。
久美子は秀一に交差しつつ重なり合う間合いを許しているし、秀一もまたその距離で戸惑いつつも、一歩踏み込もうとしています。

本番を前にした不安を共有しながら、秀一はイタリアンホワイトの髪留めを久美子に差し出す。
滝先生が永遠を誓ったその花の意味を、多分秀一は知らないのだけれども、贈り物に込められた思いは一緒であり、死んでしまった滝先生の奥さんとは異なり、受け取る久美子はまだ生きています。
二人の恋は(作中の尺で、その始まりに追いつくかどうかは別として)、静止したまま永遠になってしまった滝先生の恋とは別の、今まさに紡がれつつある音楽なわけです。
誠実で不器用な少年が差し出した『あなたを思い続けます』という思いを、久美子はふにゃっと苦笑したまま久美子らしく受け止めて、運命のステージを一緒に戦う権利をあげる。
ほんのワンカットですが、そういう気持ちのやり取りを抜け目なく切り取ってくる演出力は、やっぱこのアニメの強みだなと、つくづく感じました。

秀一の特別なポジションはお話の終わり際でも活きていて、姉の幻影と己の後悔を追いかけ駆け出した久美子に、秀一だけが微笑みかける。
『特別』な女たちが誰も知らない、久美子の家族史を共有していればこそ、秀一は最後の戦いに赴く久美子の背中を微笑みで祝福し、見守ることが出来る。
そういうアドバンテージを、最後の最後で秀一に許すこと。
姉と久美子がお互い面と向かって気持ちを伝え合える局面を作った少年に、ちゃんと報いること。
そういうことが出来るアニメを見てきたんだと確認する意味で、今回の週一の描写は凄く嬉しく、ありがたかったです。
今だから言いますけどね、僕はあの子のことが好きなんですよ。


秀一周りに関しては、これから始まるものについての積み上げでしたが、残りはほとんどがこれまで積み上げてきたものの確認だったと思います。
演奏シーンを飛ばして生まれた尺は、すっかり久美子になついたみぞれとか、部に向かいいれられた希美とか、タフさと信頼を手に入れた部長とか、ようやく仮面ではない笑みを浮かべラ得るようになったあすかとか、まるで心からの親友のように肩を寄せ合う中世古とか、部を高い場所に導き心からの敬意を集めるようになった滝先生とか、そういう描写に使われていました。
あすかが父を取り戻す瞬間、久美子と麻美子がようやくお互いの心を伝え合うシーンが描かれるのも、傷つき涙しながら歩いてきたこれまでの道のり、そのゴールにキャラクターをしっかり導く、良い報いだったと思います。
全体的に『収まる』ムードの話なんで、色彩も緊張感のある寒色を配し、穏やかで暖かい色味でまとめられていました。

演奏シーンを飛ばしたのは、一つには第5話圧巻の演奏シーン以上のものが、原理的に出てこないからだと思います。
あのシーンは作画力の惜しげもないつぎ込み方と、そのクオリティの高さが物語の興奮に的確に寄与している効率の良さ、両面から歴史に残るものだと思っています。
だからこそ、正攻法で勝ちきったあのシーン以上のものは早々出せないし、それを描くことは『勝利』をエピソードの真ん中に据えることです。
『銅賞』というシビアな現実が演奏に待っている以上、演奏シーンを叩きつけて期待感を煽るのは逆に不誠実であると考えたからこそ、演奏は飛ばしたんだと思います。

第5話でじっくりとバックヤードを描き、圧倒的な緊張感を画面に張り詰めさせていたのとは大きく異なり、今回は準備段階でかなり緩やかな気配が流れ、終わった後の敗北のダメージもそこまで強烈には描かれません。
それは主人公たちの敗北という結果を過剰に引きずらせない、冷静なテンションコントロールであると同時に、これまで追いかけてきた『コンクールは何のためにあるのか』という問に、一つの答えを出すためかな、と思いました。

『精一杯頑張ってきたことに意味があるのであって、トロフィーだけが宝物じゃない』
『結果にたどり着くまでの過程こそが輝いているのであり、結果がどうあれ、たどり着いた場所の意味は損なわれない』
言葉で言うのは簡単な題目ですが、その内側に様々な痛みやエゴのうねりがあるということは、このアニメが常に追いかけてきたことです。
頭で『後悔なくやりきるのが大事』と分かっていても、心が、体が納得してくれないからこそ、香織は再オーディションに挑み、久美子は涙を流しながら宇治の街を疾走し、中世古はあすかの靴紐を結び、あすかは父の曲を吹き続けた。
正しい道を歩むためには、正しくない悩みを自分の内側で、そしてそれを外側に叩きつけ他者に受け止めてもらいながら、分解し咀嚼するという非常に面倒くさい過程こそが、絶対に必要なわけです。
"響け! ユーフォニアム"が切り取ってきたのは、そういう戦いが許されている青春という季節そのものだし、正しい結論を心の底から納得し、己の一分として身につけるまでの物語でしょう。

これはあくまで僕個人の意見ですが、今回の演奏飛ばし、『逃げ』という感じはしませんでした。
あまりに面倒くさい青春のうねりを乗り越えて、『コンクール』が与えてくれる評価を追い求めたからこそたどり着ける、勝ち負けを超えた場所。
それを幾重にも折り重ねていくために、強い意志を持って描かなかった印象を受けたからです。

無論、あすかが最後に演説していたように、負けることは悔しいし、その思いを後輩たちが受け継ぐからこそ、北宇治は来年も真剣に戦えるのだと思います。
そういう部分をとても大事にしていたからこそ、第5話の緊張感は成立している。
その上で、勝ち負けの高みにたどり着いたからこそ見える、客観的な評価とは別の景色をもう一度語るために、こういう構成になったのだと感じました。
それはとても豊かで、自分たちがこれまで追いかけてきたものへの答えを迷いなく提出する、立派な姿勢だと思います。


というわけで、空いたスペースは二期の物語を随所で想起させる、声高ではないがゆえに豊かな描写で埋め尽くされています。
みぞれと希美が手に入れた場所を、南中敗北のトラウマと重なるバスシーンで追いかけたのは、非常に切れ味のある演出だと思いました。
アニメ内部の描写だと、あの二人はお互い同じくらいに思い合っている『引力』のある関係にも見えるけど、みぞれが重すぎ、希美が常識的な範囲でアンバランスなのよなぁ。
しかしまぁ、このアニメで思いが通じるということは、無条件にお互いを理解し合う受け入れ合う十全な関係ではけしてなく、どうやっても共有できない人間のカルマを認めた上で、それでも形になる真心を大事にしていくってことだったし。
だから、危うさを秘めた二人の関係、久美子の頑張りに引き寄せられるように近づいてくるみぞれの姿を祝福した今回の描写、僕はとても好きです。

麗奈は最後の最後でとんでもない爆弾をぶっこんできましたが、滝先生にはスルッとかわされてしまいました。
個人的には、行動の意味を理解した上で、『顧問と部員』という関係を壊さないよう、麗奈も自分も傷つかないよう、一歩後ろに下がった印象を受けました。
まぁあれだけの事情があると、到底もう一度恋する気にはなれないだろうし、チャンスがあるとしたら全国金賞取って一つの証を打ち立てたら、かなぁ……指導者人生が続く限り、全てのトロフィーを奥さんに捧げそうな感じもあるけどさ、滝先生。

一期は鬼軍曹というかサイボーグというか、冷たく人間味のない部分を強調されてきた滝先生ですが、お話が収まるこのタイミングで己の不安を明言し、人間であることを強く主張してきました。
音楽ロボット・滝昇の課題をクリアし、彼に認められることが、一期のドラマをかなり引っ張ってきたわけで、『認められているのか、不安です』という本心はこのタイミングでしか出せないよね。
二期は滝先生の体を満たす血潮と過去、愛情と呪いを丁寧に描いてくれたので、今回部員と顧問の物語に綺麗なオチがついたことには、満足感があります。
今だから言いますけどね、僕はあの人のことが好きなんですよ。


サイボーグから人間に戻ったという意味では、あすかも滝先生と似通ったルートを通りました。
世界に居場所のない孤独な子供として、自分を守るために貼り付けた笑顔も、久美子が捨て身で踏み込んだ結果なんとか剥がれ落ちて、三年トリオとしてワキャワキャやっておりました。
『部長も副部長も、もう終わり』というのは寂しい現実を再認識すると同時に、それを維持するために背負わなければいけなかった鎧を外し、香織や晴香が望んだような垣根のない関係を作れる、、ということでもあるのでしょう。
部活があればこそ出会えて、部活があればこそ踏み込めなかった三人が、まるで普通の女学生のように喫茶店に向かっていくシーンは、とても良かったです。

あすかの不在は小笠原部長を鍛え上げる試練としても機能したわけで、演奏前のビシっとした喝入れは、あの時彼女が見せた『あすかに頼らない私達になろう』という決意表明をしっかり受け取る、いいシーンでした。
自分から声掛けを希望するところが、凄く良い。
そういう強さを描いた上で、『お前は部活引退する時の魚住か。ビッグ・ハルか』とツッコみたくなる号泣っぷりがあるのも、彼女生来の美質である優しい人情家の顔がよく見てて、非常に良かった。
一期第7話で葵ちゃんが止めた時、泣きながら己の不甲斐なさを嘆いたシーンがあればこそ、今回の部長描写は感慨深かったですね。

そしてあすかは、ようやく父を取り戻す。
親子感動の対面とならないあたりが非常にユーフォらしい展開ですが、己を『ユーフォっぽくない』と称して、それでもユーフォに口づけし続けたあすかはあの言葉で、ようやく『ユーフォを続けてきてよかった』と思える。
それはユーフォニアムという楽器、吹奏楽という文化を祝福すると同時に、その言葉を言えるまで決死に生存し続けた田中あすか自身を、認めてあげる言葉だったんだと思います。

己を守るために、己を愛してくれない世界に見切りをつけ、冷淡さと小器用な笑顔で魂を装甲化しなければいけなかった田中あすかが、ようやく笑っていること。
そこまで自分を連れてきてくれた黄前久美子と、その事実を頑是無く喜び、共有してくれていること。
彼女が好きな僕にとって、それはとても有り難い終わり方でした。


そして、久美子は姉を取り戻す。
第10話では姉が去ったあとの空白にしか言えなかった『寂しいよ』という言葉を、ついに麻美子本人を前にして言葉にできる終わり方は、不器用な姉妹の決着として最高のものでした。
アバンが幸せだった黄金期の夢から始まり、姉との別れを示唆しつつ気持ちを伝えあって終わる輪唱の構造が、凄く良かったです。
ここで響かせるために、あえて10話段階では寂しさの残る決着にしてきたか……やられたなぁ……。

ラストカット、久美子と麻美子はお互い向き合いつつも、足元には明確な境界線が惹かれ、闇と光はどちらかに染まることなく共存しています。
それは、二人はもう同じ屋根の下で暮らすことはなく、久美子が思い出した美しい日々は絶対に帰ってこないという、否定しようのない真実が反映されたレイアウトです。
世界に望まれる優等生ではなく、己らしく後悔なく生きると決めた麻美子は、久美子から離れていく。
滝先生の奥さんと同じに、あすかにとっての両親がそうであるように、もしくはこれから卒業していく三年たちがそうであるように、別れは人間の世界にはあまりにありふれていて、永遠に変わらないものなど幻影の中にしかない。
しかし、いつか受け取った幻の暖かさがあればこそ人間は前に進めるし、その幻に愛情と感謝を持ち続けることが無意味だというシニカルさは、姉妹の再会と別れにはありません。

そうやって、揺蕩い流れていく時間の中で少女は一歩ずつ成長し、世界は絶え間なく姿を変えつつ、かけがえのない人生の岸に流れ着いていく。
輝ける連続性を捉え続けてきたアニメの一つの終わりとして、シビアな目を失わないまま変化と離別を祝福したあのシーンがラストに来るのは、必然的なものすら感じました。

僕は元々、このアニメには相当熱を入れて見させてもらってきたわけですが、二期第六話で久美子の原点に姉がいること、あすかへの執着が『かつて完璧だった姉』を追いかける行動であると見えた瞬間に、更に身を乗り出す様になりました。
久美子は性格悪くて不器用で、音楽を純粋にも不純にも強く愛している、好きになれる主人公だったわけですが、彼女の執着に黄前麻美子という名前と顔がついた瞬間、ようやく『久美子を掴んだ』という実感が、自分の中でこみ上げてきました。
それは一読者の身勝手な理解なんですが、同時に僕にとっては紛れもない実感であり、『この子は失ってしまった美しいものを追いかけて、ここまでの物語を走ってきたんだ。これからもまた、瞼からけし得ない姉との日々の残像を追いかけながら、様々な女と関係を作っていくんだ』と(自分の中で)理解が追いついた時から、より強く久美子を好きになれた。
そういう立場からすると、二期10話での切なく美しいすれ違いを経て、今回お互いの真実を伝え合える結末に至ったのは、『ユーフォ、マジありがとう……』としか言いようがねぇ。
ドラマとしての盛り上げに幻惑されず、あくまでそれもまた幻像でしかなく、人は別れていくのだという冷静な視点を維持してくれているところが、点数つけると二兆点って感じですね。

『銅賞』という結果に終わり、『特別』の証明を他人から与えられなかった時、久美子は泣いていません。(正確には、描写が飛ばされたので泣いたか泣いていないか、視聴者には判別がつかない)
そんな彼女の涙は、去っていく姉に追いつき、流れていく時間と別れの宿命を変えられないとしても、己の中の真実を言葉にし、受け取ってもらい、姉が伝えられなかった真実を言葉にしてもらった瞬間、眦から溢れる。
何を描き、何を描かないのかという技術的判断が、作品内部で何が描かれ、何を価値として語ってきたのかというテーマをしっかり裏打ちする、非常にユーフォらしい展開だったと思います。
様式は常に内実を損耗なく伝えきるためにあるし、様式を蔑ろにした内実は表現として機能しないよなぁ、やっぱ。


2クール26話、北宇治高校が目指して走ってきた物語に、一つの結末が与えられる物語でした。
『コンクールで勝つより、大事なものがある』
綺麗事の題目に心の底から頷けるのは、これまで積み上げてきた物語一つ一つがそのテーマを支えているから。
『コンクールで勝ちに言ったからこそ、大事なものを見つけられた』
そういう事実が生臭くならないのは、少女たちの青春が流す血潮を、嘘偽りなく全力で描いてくれたから。
このアニメが何故優れているのか、しっかりと思い返せるような、非常に優れた終わりだったと思います。

しかし! まだ終わってなーーーい!!
様々な物語がきれいな終りを迎えても、流れていく物語が新しい曲を連れてきて、物語は幾度も生まれ直すものだという再生への意識もまた、このアニメを貫通する思想でしょう。
響け! ユーフォニアムの最終話がどんな過去を、現在を、そこから伸びていく未来を描くのか。
非常に楽しみです。