イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アイカツスターズ!:第36話『虹の向こうへ』感想

そろそろ3クール目も折り返し、アイカツスターズ第36話です。
物語当初からはなしをひっぱってきた『あの力』に、一旦ケリをつけるエピソード……なんですが、個人的にはどうにも納得しきれない部分が残るお話となりました。
エピソード単体での感情の流れとか、キャラの動きには問題がないんだけども、シリーズ全体をまたいで、さらに言えば前作から継承したものとかを考えると、踏み込めなさが目立つというか。
『あの力』を用意することでスターズが何を描きたいのか、その終わりに来て見えなくなってしまったような、なんとも言い難いエピソードでした。


前回も長々愚痴たれましたが、『あの力』が物語的役割としても設定としても、非常に不鮮明なことが個人的には非常に引っかかっています。
起源をぼかしたり、作動しているロジックを曖昧にしている事自体は表現方法の一つだとしても、その曖昧さを押し流すだけの説得力やパワーが、『あの力』にまつわる描写には欠けていると思います。
『あの力』はゆめが思い悩み成長していく根本にある大きなものなのに、それがどんなものでどのような被害をもたらし、どんな悲しみが生まれどう乗り越えていくのか、説明されても心のなかにいまいち入ってこない。
そういう弱さを最後でひっくり返すかと思っていたんですが、語り口の調子は変わらないまま、お話の装置以上の感触を得られないまま、一応一区切り、という形になってしまいました。

物語中の試練というのは、キャラクターの魂が黄金であることを証明する試金石としてあります。
逆にいえば、試練が不鮮明であればそれに試されるキャラクターもまた、何が強みなのかはっきりと打ち出すことが出来ないまま、作品内部の事実として『試練を乗り越え、成長した』という形に収められてしまう。
『あの力』が作品内部で扱われる描写に僕は納得がいかなかったまま、事態はそれを乗り越える(というか否定する)ところまで来てしまって、では『あの力』を乗り越えたゆめは何が凄いのか、はっきりと実感できない感じでした。

『あの力』がどういうものなのか不鮮明なので、何故それを否定し乗り越えなければいけないのかもまた、僕にははっきりと見えない。
たとえ一言でも、明瞭に簡潔に、ゆめが『あの力』に頼っていけない論理(事態としては、小春との別れを十全にできなかった時点で十分圧があるのですが)を語ってくれていれば、ゆめの頑張りにも、その先にある成長にも、しっかり納得がいったと思います。
しかし、どうにも実体……というか物語内部の機能が不鮮明なまま、今回で『あの力』にまつわるエピソードには一区切りがつき、それで試されるゆめの成長にもまた、一つの区切りがつくようです。
作品が視聴者に届けたいものと、僕が作品から受け取っているものが、こと『あの力』においてはズレていて、そのズレがゆめというキャラクター、彼女が主人公として背負うスターズ全体に拡大してしまったような感覚を、正直覚えています。


何故『あの力』がこういう形になっているのか、制作の内側にいるわけではな一視聴者に内実はわからないし、推測するだけ無駄かもしれません。
その上で何となく思うのは、形と顔がある試練として神崎美月を便利に、強烈に使いすぎた前作とは違う形で、物語を展開させたかったのかな、ということです。
スターズは『アイカツを引き継ぎつつ、アイカツとは違うもの』を強く意識しているように僕には思えて、それはキャラクターの影の部分が濃くなっているとか、世界観の不都合さが強化されているとか、デザイナーやお仕事周りの描写を切って恋愛の要素を追加しているとか、色んな部分からも見て取れます。
主人公を試す試練と、導く先達を分離させ、あまりに強大な存在を生み出さないようキャラと設定を配置した結果、憧れの先輩であるひめは『あの力』に悩まされる同志になり、『あの力』は顔のない曖昧な不合理になったのではないかと、僕は考えています。

それはそれで誠実な継承の仕方ではあるんでしょうが、神崎美月が様々に軋みつつ物語を引っ張り盛り上げ、主人公を支え試した機能を、『あの力』の設定と描写が果たしているとは、僕には思えない。
変えること自体ではなく、変えた上で有効に機能させることこそが続編の難しさかと思いますが、『あの力』(とそれに伴う主人公・ゆめの描写)には、物語内部で望まれているだろう機能が、十分伴っていないようにみえるのです。
過剰にシェイプアップさせた結果、必要な部分も切り落としてしまった印象は、スターズ全体にかかっているものですが、『あの力』はその歪み(と言っていいなら)が一番強く出ている部分な気がします。

そこら辺の不明瞭さを補うために、顔と声と名前があるエピソードゲストがいるのでしょうが、ほたるさんは蓄積された『あの力』の不鮮明さを弾き飛ばすには、パワーの足らないキャラでした。
無論悪い人ではないし、独特の魅力のあるキャラだとは思うのですが、『あの力』のオリジンとかロジックとか、僕がほしいなと思ってくれるものを、補ってくれるわけではありませんでした。
個人的に求めていたのはまさにそこなので、彼女もまた物語内部での役割を十分果たしてくれていないように感じられて、惜しいなぁと思いました。
アイドルを止めて『花』という道を何故選んだのか、個別の説得力が描写されなかったのが、個人的には弱かったです。

今回これだけ(はっきり言ってしまえば)ガッカリしているのは、3クールという長い期間に渡りベールに包まれていた、『あの力』の真実が明らかになる、その物語を支える視点が変わるという勝手な期待感が、僕の中にあったからでしょう。
まぁ、見たいものが見れなかったから荒れているわけです。
しかしそういう身勝手さを認めた上で、結局解消されなかった『あの力』の不鮮明さが、主人公であるゆめ、彼女が背負う物語全体に伸びてしまっていると僕が感じているのは、僕の中の事実としてあります。
そういう不鮮明な装置で、なんとなくの物語をこれからも展開させていくアニメなのではないかという疑念が、僕の心のなかで明瞭な形になってしまってもいる。
それはネガティブなもので、Webを通じて他人様に公開するものではないのかもしれませんが、一応此処は僕の感想ブログで、僕の気持ちを書き連ねるために存在してもいると思うので、書いておこうと思いました。

スターズが持っている『普通さ』は武器だと思うんですが、それが仇になって凡庸な仕上がりになることも、無視できないくらいに多いと思います。
これまでお話のエンジンとなり、主人公と物語を引っ掻き回し引っ張ってきた『あの力』がこういう(一応の)オチで収まると、そういうキメの粗さをイレギュラーとして受け入れる余裕が、ちょっとなくなっていく。
今回たどり着いた(とされる)到達点(として描写されたもの)の先に、スターズが確かに見せてくれた青春の血潮がしっかり宿るのか、否か。
ちょっと見守りたいと思います。