イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

舟を編む:第11話『灯』感想

長き時間を飛び越えて青年は大人になリ、そしてまだ道は続く。
舟を編む、ついに最終話です。
どっしり構えて地道に進んできた物語に相応しく、松本先生の死をしっかりと受け止め、先生と作ってきた大渡海を世に出し、その先にある道のりを穏やかに見据える、堂々とした終わり方でした。
物語を綴る最後のチャンスを逃さず、流れていく時間の価値を松本先生と、荒木さんと、西岡と、香具矢さんと確認していく展開の確かさ、芝居の強さ。
最後の最後まで『らしさ』を貫き、自分たちの強みを使い切って終わった、いい最終回でした。

というわけで、大渡海もついに刷り上がり、馬締の長い青春に一つの区切りがつきました。
過ぎ去っていく時間に押し流されて、彼岸に去っていく人。
時間の荒波に鍛え上げられ、幸せを手に入れた人。
新たな潮流に乗って、同じ道を歩む仲間となった人。
この物語がとても大事に勧めてきた時の潮目をしっかり思い返し、どういうアニメだったのかじわりと思い返せるお話が最後にやってきて、本当に素晴らしかったです。

時間は様々なものを連れてきますが、今回一番大きな部分を占めているのは松本先生の死だと思います。
前回ラストカットで穏やかに示されていたように、大きな流れの避け得ない結末として、松本先生は大渡海の完成を見ることなく去っていく。
言葉を扱い、食事をとても大事に描いてきたアニメで、患部を摘出すればその両方を失う『食道がん』が死を運んでくるのは、なかなかに怜悧な表現だなと思ったりもします。
衰えながらも懸命に気持ちを伝え、真実を言葉にしようと戦う松本先生の姿を、麦人さんが圧巻の技術で演じてくれていました。

『死があればこそ、生も輝く』なんて題目を言うつもりはありませんが、生と死の循環、継承される思いというのは、大渡海と一緒に長い時間を泳いできたこのアニメが、とても大事にしてきたものです。
西岡が辞書編纂部を離れたように、もしくは馬締が恋を知って香具矢と夫婦になったように、そして松本先生が死んでいくように。
時の河は人の願いを飲み込みながらうねり、様々な幸せと別れを連れてきます。
それに抗い永遠を求めるのではなく、身を任せながら生まれる変化を尊び、変化の中の不変を誠実な思いに託す。
刷り上がった青く美しい大渡海を、松本先生に備えるシーンに込められているのは、そういう人の儚さと美しさなのでしょう。

松本先生との最後の対面で見た庭は、冬と死の厳しさを宿して白く淡い。
しかし迫り来る別れの気配を宿しつつも時は流れ、次第に温んでくる空気に誘われるように、春の気配が街に漂い出す。
それを見落とさず、やがて来る春を穏やかに慈しもうと語りかけてくれる香具矢の姿は、松本先生を静かに見守る奥さんと重なります。

先生が去った後、会社の中庭で遺言を見つめるシーンでは、乾坤一擲の美術がまさに炸裂し、死と静寂の季節を乗り越えて花開くピンク色の生が、豊かに主張しています。
春を超えれば夏があり、秋の気配を超えた後にはまた冬がやってくるでしょう。
大渡海を刷り上げた馬締の人生にも、生病老死の諸相が迫ってきて、複雑な陰りが必然的にのしかかる。
しかしそれは恐ろしいだけでも悲しいだけでもなく、一つの必然として受け止められる円環であり、繰り返す運命を前に諦観せずにすむ証もまた、人間は打ち立てることが出来るのでしょう。
それがこの作品では大渡海であり、辞書編纂は時間に流され、時間と共に暮す人間の存在証明としてあったのではないかと、松本先生の退場を見ながら思いました。


去る人もいれば残る人もいるわけで、西岡と香具矢という大事なパートナーとの時間は、しっかりと描かれていました。
男と女、友情と愛情、同志と夫婦。
繋がり方はそれぞれ違えどとても大切な彼らは、馬締が辞書編纂という運命と出会い、それに必死に向かい合った結果手に入れた、海を渡る仲間です。
このお話は彼らが出会い、気持ちを伝えあい、時に別れながらも隣り合う物語だったわけで、その果てにどんな関係を手に入れたのか、しっとりと見せてくれたのは極めてありがたかったです。

全てが終わった後、西岡と二人きりになる展開はあまりにヒロイン力高すぎて、『やっぱ西岡なんだよなぁ……』と言わざるを得なかった。
あの時代は僕らが馬締と西岡というキャラクター、彼らを主人公にするこのアニメ自体に強く惹き付けられる根本なわけで、たとえ時間は流れても僕らが見た灯火は蜃気楼などではなく、今この瞬間につながるかけがえのない青春なのだと確認してくれたのは、やっぱ凄く有り難い。
不器用で、もしくは軽薄で、しかし真摯で誠実な彼らが出会い、補い合ったからこそ、大渡海編纂という偉業は成し遂げられ、彼らもまたその出会いがあればこそ、今の彼らになっている。
松本先生を通じて時間と人間の関係を描いたように、二人を鏡にして変化と成長の価値を切り取ってくるアングルは、このアニメがずっと大事にしてきたものを最後の最後でもう一度、最高の角度から見せてくれる演出でした。

西岡は馬締と向かい合うだけではなく、松本先生の死に押し流されず、むしろ積み重ねてきた時間の重さを自分の言葉として使いこなす、孤独なタフさもしっかり見せてくれました。
元々粘り腰の交渉家としての強みが彼の持ち味だったわけですが、ショックを受けつつもそれを飲み込み、自分がたどり着いた場所でなすべきことに向かい合う姿は、時間が人を奪い去る悲しいだけの存在ではないと、強く主張していました。
言葉への適性のなさを嘆いていた西岡が、先生の言葉を引き継いでプレゼンをやりきり、人付き合いの下手さが目立っていた馬締が、主任として立派に記念パーティーを取り仕切る。
二人の青年が今でも自分らしさを守りつつ、苦手な部分を乗り越え変わっていった様子、先達から継承したものをしっかり描いてくれるのは、いい最終回すぎる……やっぱ物語のラストは、これまで何をやってきたのは総ざらいできる構成が良いよ、俺は。

西岡が時間の果てに手に入れたものを、じっくりと良い作画で見せてくれる家族の風景も最高でした。
溌溂と動き回り、表情を鞠のように弾ませる娘さんたちとのかけがえない時間が、非常にいきいきと描かれていて、『おめでとう、西岡』って感じだった。
子供のいる幸せを西岡で描きつつ、(香具矢の仕事とか色々引っくるめて、おそらくは意図的に)それとは別の幸せを手に入れた馬締と香具矢の姿も並列して描くの、ほんと素晴らしい。

最後の観覧車もそうなんですが、このアニメでは同じものを見つめるモチーフが多用されます。
西岡と一緒に見上げた月とか伝統とか原稿用紙とか、仲間なんだから共有されるものは当然あり、同じ風景を見ているからこそ頑張れる。
でも、それは全く同じ存在になるということではなくて、違うからこそ欠落を埋めあい、支え合える豊かさを、このアニメはとても大事にしてきたと思います。
二人の青年がたどり着いた、別々の、しかし各々文句のつけようもなく幸せな家庭のあり方もまた、そういう豊かな姿勢が込められた描写だったなぁ。


西岡とは違う形で馬締と出会い、人生をともに歩くことにした香具矢も、彼女らしい良さを最大限に発揮していました。
西岡がわりかし元気に、まっすぐに良いこと言うのに対し、香具矢はあくまで静かに穏やかに馬締を支え、時間を共有していて、『嫁はつえーわ』って感じだった。
松本先生の死を受け止めきれず、『人間が泣くときは、こういうふうに泣くんだッ!』と言わんばかりの作画力で男泣きする馬締を、じっと見守ってくれる間合いとか、マジ円熟だった。
香具矢が辛いときは馬締が同じように、穏やかに支えてくれていたんだろうなとまで想像できる描き方で、『地味で強力な作画力』という武器でイマジネーションを刺激してくる、このアニメらしい描写でした。

物語の最初に、寄る辺なく似合わない営業周りをして居場所のなかった馬締青年は、大渡海という己の証を世に出し、その過程でかけがえない仲間と出会い、それが終わった後も隣り合ってくれる人を手にいれました。
物語の最初のモノローグに戻りつつも、全く意味を変じたラストカットはまさに、馬締が長い航海の中で何を手に入れたのか、簡勁に伝えてくれる叙情性とパワーに満ちていた。
そういう終わりを成立させるためには、そこに至るまでの一段一段に説得力と体温を宿らせ、絵空事をまるで隣人の物語のように身近に感じさせる、一種の軌跡が必要でしょう。
このアニメを見終わって、しみじみと『ああ、いいアニメだった』と満足できることこそが、そういう奇跡をしっかり成し遂げた証明だと、僕は思います。

『辞書編纂』という馴染みのない地味な題材を、それ故の魅力に変えてしっかり料理したこと。
好感のもてる青年たちが、迷いつつ運命と出会い、絆を深め、伴侶を手に入れていく過程をみっしりと描いたこと。
仕事や友情、恋といった人生の問題に、地道に誠実に取り組むことで生まれる独特の食いごたえ。
題材の地味さで飽きさせないために動員した芝居の強さ、演出の細やかさを、アニメーションとしての独自性として活かしきったこと。
流れていく時間を美しく表現し、キャラクターが生きる世界を身近に感じさせてくれた美術。
話のアクセントとして、的確に導入される幻想的で的確な、ちょっと不思議な演出。
強いところのたくさんあるアニメでした。

集団としての辞書編纂部も、個性と自分の人生を背負ったキャラクター個人も非常に魅力的で、好きになれる奴らばかりでした。
彼らが挑むそれぞれの物語も、大渡海を世に問うために立ち向かう未知の、しかし魅力的な辞書編纂の問題も、丁寧かつ勢いのある描き方に支えられ、ぐいっと興味を惹かれました。
なんも特別なことは怒らない地味な話なのに、だからこそ『俺の仲間の話だ』と思えてしまうような、匂いと体温のあるアニメでした。
いいアニメでした。

選び取った題材と設定、キャラクターを活かすために、どういう表現を使ったら良いのか。
細かいところまで気を配った、非常に黒柳トシマサ的なアニメだったと思います。
舟を編む、いいアニメでした。
ありがとうございました。