イマワノキワ

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機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ:第38話『天使を狩る者』感想

かくして神話は終わり、人生が始まる。オルフェンズ第38話です。
三日月の右半身を犠牲にしたバルバドスの活躍によりハシュマルは倒され、状況の天秤は『火星の王』に有利な方向に少し傾く。
勝利により次々逃げ場は封じられ、人間らしい余裕を維持したものたちは死狂位の青年たちに置いてけぼりにされていく。
神代の戦いが終わってみたら、とても真っ当には生きれない人間の業がそこかしこで噴出し続けるのは、どうにもオルフェンズだなぁと思いました。

というわけで、これまでとは別格のバルバドスの戦いでハシュマルを屠って始まった今回。
四つん這いになったり素手で装甲を引き剥がしたり、濃厚な禍々しさを宿したアクションが、代償を伴う勝利を巧く印象づけていました。
これまで尋常な方法で埒が明かなかったハシュマルを見ていただけに、単騎で対等以上に暴れまわるバルバドスは頼もしくもあり、その為に支払う代償を考えると危うくもあり。
正気では進んでいけない鉄華団たちの獣道を際立たせる意味でも、良いアクションシーンだったと思います。

クリュセを守り、鉄華団の名前を上げたハシュマル狩りですが、三日月は半身の自由と未来を選択できる可能性を失い、オルガとテイワズ本家との関係は緊張感をはらんだものに。
鉄華団と運命共同体になったマクギリスも、今回の失点をテコにアリアンロッドを一気に引っ倒すというわけではなく、軽く罅は入れたかな、程度の扱いではあります。
MAとの戦いがこれまでの対人戦闘とは異なるスケール感にあふれていたからこそ、そして三日月の身体と未来を捧げたからこそ、何か大きなものが一気に動く期待を身勝手にかけてしまっていたのですが、たかだか神話の再現をした程度で鉄血世界の現実はひっくり返らない。

今までのお話を思い返せば当然ではあるんですが、ここ三話の大戦闘で一番都合のいい夢を見ていたのは、他ならない僕だったのでしょうね。
天使を殺せば、泥まみれのガキどもがまっとうに生きられる。
どれだけ血を流しても変わらない世界の重さを、伝説の再演で跳ね返せる。
キツい状況に耐えかねて、早いアガリを決め込みたかったのは、オルガだけではなかった、ということでしょう。


最下層から恵まれた人生を求める夢も、世界の腐敗を暴力で払底する野望も、早々簡単には叶わない。
熱く激しかったハシュマル狩りに比べ、あまりにもじっとりと冷たい人間と人間の対話を配置することで、生き急ぐものたちの焦りが強く強調されていたように思います。
今回の話はオルガや三日月、アトラやマクギリスといった『プレッシャーに押し出され、止まらず走る狂人』と、名瀬やクーデリア、石動といった『付いていきたいと願いつつも、その狂気に置いてけぼりにされる常人』との対比が、随所に埋め込まれていました。
キチガイキチガイにドン引きする常識人の間にある溝、それをしっかり描くことで、世界が天使狩りを受け止める手応えのなさと、そこで奪われてしまったもの、変わってしまったものの大きさがより強く見える構図という感じでしょうか。

ハシュマルにバルバドスが勝ったことは、タービンズでもギャラルホルンでも、組織全てをひっくり返しはしません。
全ては堅実な現実の延長線、長い人生すごろくの出目の一つでしかなく、それを地道に積み重ねることでしか世界は変わらない。
そういう当たり前の世界を受け入れ、あるいは諦めて一歩ずつまっとうな道を歩こうとしている側が、名瀬やクーデリア、石動といった『聞く側』の人々です。
彼らは(犯罪結社や軍といった組織暴力の力を借りつつも)焦らず、自分たちに出来る範囲のことを受け入れながら、『普通』に変化を積み重ね、己の目的を達成しようとする。
名瀬さんならタービンズの女、クーデリアなら各種慈善組織という風に、穏やかな歩みを可能にする魂の治療場所をちゃんと持っていて、そこに立ち返ることが出来る。

それは『語る側』の喪失を理解していないというわけではなく、クーデリアは己の存在証明に『フミタン・アドモス小学校』という名前をつけている。
フミタンが抱いた理想に操を捧げつつも、クーデリアはあくまで現実に打てる手を一手ずつ積み重ね、自分が理想とする人間像から自分を除外しないよう、己の理想に己が飲み込まれないよう注意深く、人生を歩いています。
良し悪しはともかく、そういう『まとも』な生き方を選んだ人たちが、この話の中には何人かいます。

しかし、そうは生きられない人たちもこのお話には沢山いて、それが今回は『語る側』に立っています。
バルバドスの凶猛な戦いに迷いを晴らされ、さらなる粛清に意欲を燃やすマクギリス。
野菜を育て、文字を学んでいた過去が奪われたことを『良かった』と思い返す三日月。
流してきた血のために、死んでいった友のために、今まさに友を犠牲にしているオルガ。
唐突に前世とかパなしながら、クーデリアに妊娠を迫るアトラ。
彼らは皆、支払った犠牲について語り、これから起こるだろう喪失について語り、それ故に引き返せない自分自身について語る。

一手ずつ積み重ねる『まとも』な人生に背中を向け、結論に飛びつくしか無い彼らの姿は、『聞く側』にとっては理解不能な寝言です。
しかし、丁寧にオルガと三日月の共犯関係を切り取る筆が、彼らの背中を押す風がどこから吹いているのか、何故彼らが立ち止まれないのかを、しっかり説明しもしている。
結末がどうなろうと、鉄華団はオルガの迷いと優しさを飲み込みながら終わりまで加速するしかなく、マクギリスは英雄への憧れを胸に支配体制に内部から戦いを挑むしか無い。

そういう生き方を選ぶ理由の一つとして、右半身が動かない三日月の痛ましい姿は、バルバドスの獣めいた戦いと同じように、良い描写でした。
ああいうものが生まれてしまった以上、引き返す道はないし、前に進むしか無い。
オルガが三日月に自分の殺人を肩代わりさせた時から、もしくはビスケットが死んだ時に立ち止まらなかった時から、鉄華団の心臓はそういうふうに脈を打つしかない。
そういう業を納得させるのに、『まとも』な生き方を自分から手放してしまった三日月の姿も、迷いつつもその手を取り、栄達と破滅が待つ『火星の王』への道へと進むしかないオルガの顔も、良い演出だったと思います。

そういうふうに納得しつつも、病葉とはいえ新しい命を育て、文字を学び、戦う以外の可能性を不器用につかもうとしていた三日月の姿を覚えている身としては、とにかくシンドかった。
このしんどさはそのまんま、オルガやアトラやクーデリアが感じる気持ちそのままだろうから、作品とキャラクターへのシンクロ率を上げるこれまた良い演出で、そういう巧さを認めつつもやっぱ、しんどかった。
偽造された神話の興奮が冷めてみると、その戦い故に三日月の可能性は大きくもぎ取られてしまって、彼と悪魔の契約をしたオルガ(つまり彼が牽引する鉄華団)の可能性もまた、一つの道にしかいかざるを得なかった。
それが痛切に胸に迫るのは、彼らが『まとも』に生きられたかもしれないという希望を、火星編での活躍やらMA戦での超絶バトルやらがなんと話に加速させていた、反動でもあるのでしょう。
巧妙であると同時に、性格の悪い話運びすぎて、ほんと巧くて凄いなぁと思います。


加速していく男たちの野望と狂気に対し、狂熱のこもった愛でかじりついているのがアトラ。
急に前世だの繁殖だの言い始めてびっくりしましたが、あの子娼館の出なわけで、どうやったら赤ん坊が出来るか知らないわけでもない。
一ヶ月間三日月の介護をやった以上、どれだけの未来が三日月から奪われたのか、切実に突きつけられる立場に置かれ、とにかく前に前に進んでいく鉄華団の空気の中で、不安と恐怖を共有できる人もいない。
その結果の暴発だと考えると、笑うに笑えない痛ましい行動すぎて、あれもしんどかったですね。

アトラは常に食事シーンと結びついていて、今回もクーデリアがもってきたシュークリームを共に口にするシーンが挟まる。
それはクーデリアが三日月とアトラに差し出している真心であり、けして無碍にはされないものなんだけども、その後のシーンでは水の入っていたカップが地面に散乱し、乱れた状況と精神を反映しています。
血なまぐさい戦場の中で、日常からのケアーを担当していたアトラがああも取り乱し、彼女の象徴だった『口に入れるもの』も位置を失っていく姿を見ると、逃げ道が失われている現状が強く感じられます。

もう一人の『まとも』担当の名瀬さんは、相変わらずオルガをよく見ている人であり、同時にタービンズという自分の『家族』最優先、それを守るためにあえて生き急がないスタイルはけして崩さない人でした。
シンドい人生すべてを飲み込んで、自分と自分の女を大事にしながら、より善い結末に向かって一歩ずつ歩いて行く。
なんでヤクザやってるのか分からないくらい、バランスの良いワーク・ライフ・バランスを見据えているのが名瀬であり、若いオルガが抱え込んでいる罪悪感と焦燥を見事に見抜けるのも、そういうタフさ故なんだろうなぁと思います。

『火星の王』を目指す過程で、『まとも』な人間の強さを背負った名瀬とオルガは決定的に道を違えそうな予感があるけども、どうなるかなぁ……。
一つ言えるのは、鉄華団タービンズ、2つの『家族』が天秤に乗った時、それぞれどちらを選ぶかは明確に答えが出ている、ということでしょうか。
ここら辺の描写を事前に埋め込んでいるのが、不安をさらに加速させるんだよなぁ……。


神話の戦いも、会議室に持ち込んでしまえばただの政争の道具。
三日月の未来を略奪した戦いはマクギリスサイドに点数1、アリアンロッドに失点1って感じで処理されていました。
イオク様がラフタルの庇護を失いかけて、焦った結果更なる崖に突っ込もうとしているのはまぁ、イオク様だからなぁ。
今回の扱いを見ていると、今後も話をかき回すスクリューとして、ドンドン失点重ねていくのでしょう……残酷だが、まぁそういう仕事だ頑張れイオク。

バルバドスの戦いに当てられたマクギリスと、『まとも』な感性をもっている石動の対比も面白かったですが、アリアンロッド内部にも『語る側』と『聞く側』の対比があって興味深い。
下層民から引っ張り上げられた恩を返そうと、ラフタルが望まないのにピーキーな機体を背負おうとするジュリエッタは、実はオルガと同根の存在なんだろうなぁ。
彼女の危うい愛情がどこに飛んで行くか、ちょっと気になるところです。
また格納庫でイチャコラ喧嘩してたヴィダールがそこにどう絡んでくるかが大事だとは思うけど、マッキーがちょっかいかけてくるのかなぁ。


というわけで、三週かけて楽しませてくれた神話の戦いが、案外現実の重たさを引っ切り返しはしない世界のルールを、みっしりと味わうお話でした。
その手応えのなさが、カルマに押されて生き急ぐものたちの逃げ場をさらに奪い、マトモな人生を生きられる人々との溝を深めていく。
今回確認された各々の道と、その間に広がっているギャップがどういう軋みを生んでくるかは、今後の展開を見守らなければいけないでしょう。

ただひとつ言えるのは、まぁ分かっていたことではあるんですが、お話は立ち止まることなく前に進んでいく、ということです。
いろんなものを轢き潰し、痛みに塗れながら、野望と青春と殺意に車輪は回り続ける。
元々そういう話だったし、そういう話として進んでいって、終わるのだろう。
そういうことを否応なく確認される、年内最終放送回でした。
しんどいけど面白いから、やっぱ離れられないよなぁ、オルフェンズ……。