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イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

プリパラ:第129話『み~んなにチャンス!? リベンジライブ!』感想

アニメ プリパラ

ありふれた日々の幸せの中で、終局へのカウントダウンが着実に進むプリパラ、今週は甘えん坊と新ユニット。
女神姉妹それぞれの家族関係を描きつつ、あじみ&コスモの特濃ダブルスについていけるメンバーをドタバタ探す、二本柱の展開でした。
どっちかと言えば女神がシリアス、ユニットがギャグという塩梅なんだけども、家族の話にも笑いがあり、コメディユニットにも見える『うっちゃりビッグバンズ』の底にあるプライドも大事に描く。
新年一発目にふさわしい、プリパラらしいお話だったと思います。

というわけで、そろそろ『赤ん坊に転生し、徹底的に優しくしてくれる小学六年生ママのもとで思う存分バブりたい』というジュリィのカルマにも、終りが見えてきた頃合い。
前々からお別れの気配は匂わせていたんですが、今回はとにかくどっしり、ママのぬくもりを求め続けるジュルルと、文句言いつつも全てに答え全てを与えるらぁらの姿を、丁寧に描いていました。
発育段階の追いかけ方とか、色々めんどくせー部分とか、ファンシーな設定にかかわらずジュルルの子育てはリアリティに気を配って描かれてきましたが、その集大成と言える今回もまた、母を求める赤子の『理由が一切ない感じ』がよく出ていて、太い描写でした。

これは次回予告と響き合って見えてくる部分なんですが、母子の関係は社会的に開かれてものであると同時に、個々人の関係に閉ざされた、非常に緊密で特別な関係でもあります。
ジュルルが今回、らぁらの温もりをとにかく求め続けるように、らぁらにとっても『我が子』であるジュルルは唯一無二、絶対不変の存在であり続ける。
世界がなんと言おうと、大人がどういう理屈をつけようと、赤ん坊はただ一人の『ママ』に抱いて欲しいと願い、母もまたただ一人の『我が子』の重みだからこそ、背負うことが出来る。

そのエゴイスティックで(だからこそ)強靭な関係性を絶対視するのではなく、常に開かれた場所に目を配りつつ、その唯一性に切り込んでいくのがプリパラというアニメでもあります。
らぁらとジュルルは(あらゆる親子関係がそうであるように)世界で唯一絶対の関係でありながら、『ママのママ』やみれい、そふぃといった身近な他者、スーパーセレブリティ3のような接点の少ない他者に取り囲まれ、開かれた場所の一部としても存在している。
『私が私である』『私達が私達である』という閉じたエゴイズム(もしくは個性)は、人間が人間であり続けるためにとても大事なものであり、同時に世界を巻き込んで破滅しかねない危うさもまた持っているというのは、大神田校長の暴走や、ファルルの死や、ひびきの独善を描いた過去を思い返しても見て取れる部分です。

いかにして強烈なエゴを導いていくか、個人らしさを維持したままより優しく、より強い芳香へと筋道を付けていくか考えた時、常に『みんな』であることがこのアニメの答えだった。
自分一人で世界を閉ざし、周囲の状況に目を配らなければ、人間は簡単にヤバい方向に突っ走ってしまう。
それを是正し、一緒に支え合いながらより豊かな結論に歩いていける可能性が『みんな』にはあるわけで、らぁらとジュルルの濃厚な特別性を切り取りつつも、その周辺から接触を続ける『みんな』の姿を描き忘れないのは、非常にプリパラらしいといえます。


同時に、『みんな』であることに飲み込まれ、規範や社会意識といった体温のない概念に『私』を消し去ってしまうことも、プリパラは望まない。
らぁらがジュルルのままであり、ジュルルがらぁらの娘であるという特別性(そういう言い方をしていいなら『奇跡』)は十分以上に価値のあるものであり、他者との接点を持ち空気を入れ替えながら、思う存分特別な『大好き』を交換しても良い関係として、猛烈に肯定されています。

『私』であることと、『みんな』であること。
人間を構成する2つの矛盾が実は矛盾ではなく、お互いを支え合う両輪であるということと、ではその諸相はどのような表情を持っているのかということ。
笑えるコメディとして、女児が憧れるきらびやかなアイドルストーリーとしての欲望に十分答えつつ、プリパラはずっと、様々な角度からそのことについて語り続けてきたわけで、今回の話しもまた、足場はそこにあります。
『みんな』のなかのらぁらとジュルルを描き、らぁらとジュルル二人が辿り着いた特別な関係をしっとり語る今回は、非常にプリパラらしかったと思います。


過去の描写との響き合いを考えると、今回のお話が『ジュルルが言葉を手に入れるまで』の物語だったのも、非常にプリパラらしいなぁと思います。
第100話あたりが一番わかり易いですが、『赤ん坊』であるジュルルは発育段階が未だ幼く、他者に自分の意志を伝える言語を持っていません。
それでもなお相手を理解しよう、理解してもらおうという意思を諦めなかったからこそ、らぁら達はここまでジュルルを育むことが出来たわけですが、そういう非言語の段階を足場にして、今回二人は共通の言語を手に入れる。

そこで伝えられたのは『大好き』というひどくシンプルで、同時に圧倒的に真実でもある言葉でした。
これまで約9ヶ月、吐いて暴れて出して食ってのドタバタ子育て喜劇をまとめ上げるとしたら、そらこの言葉しかないだろうないうパワーワードをきっちり使ってくるあたり、マジ強いなって感じですけども。
縁もゆかりもない赤ん坊を拾い上げ、献身的に世話をし守り、綺麗事だけじゃ済まない子育てに押しつぶされそうになりつつも、固形物を自力で食べ、母におぶわれるだけではなく自力で歩き、意味のある言語を獲得するまで育て上げてくれた『母』に最初に伝えるべき気持ちは、そら『大好き』でしょうよ、というね。

それは最初の発話であると同時に別れの挨拶でもあって、ジャニスの権利移譲の請求に対し『まだ』渡せないと答えたジュリィは、物語が終わることを強く認識している。
だからこそ、シンプルで力強い唯一の真実を、己の最初の言葉として、特別で唯一の『母』に伝えたのでしょう。
そういう魂のコアを見失わなければ、これから話がどう揺れ動こうとも不幸せな結末にはならないでしょうから、今回しっかり『大好き』とジュルルが言葉にし、らぁらがそれを受け止めたのは、非常に大事な描写だと思います。
相当荒れるだろうクライマックスを前にして、安心の足場をしっかり作って視聴者を事前につなぎとめておくのは、すげー大事だし重要ですね。


関係性のコアという意味では、ノンシュガーとジャニスもしっかり魂が帰還するべき場所を描写し、今後の展開を受け止める足場を作っていました。
『こうでなければならない』という規範意識に支配されたジャニスは、結局タクトを奪う方向に暴走してしまうのだけども、そのコアにはかつてノンシュガーを厳しく導き、優しく見守った暖かな気持ちがある。
ジャニスがそういう心を持っている人間だと分かっているから、ちりものんもペッパーも自分の都合を横において、『川に落ちたら大変だな』という仁愛を働かせ、自分の足でジャニスを探し、求める。
どれだけジャニスが自分を見失ったとしても、同じアイスを一緒に食べて、同じふうに笑い合える今回の(そしてこれまで積み重ねてきた)ノンシュガーのあり方に帰還しさえすれば、より幸せな歩みを取り戻せる。
人間の魂と関係性が持っている、強靭な可塑性みたいなものへの信頼感が、穏やかなノンシュガーの描写からは感じ取れました。

GP決勝に際して己を問い直した結果、ノンシュガーの子供たちは凄くタフで優しい存在になったな、と思います。
見つけたらすぐさま仲間に知らせるペッパーも良い描写だったんですが、自分の弱い気持ちを守るための意見高や建前を打ち捨てて、素直にジャニスが心配な気持ちを言葉にしたちりの姿が、特に印象的でした。
ちりとジャニスの間にある『母娘』は、ある意味後出しで出されたものなんですけども、ノンシュガーがユニットとして成長してく描写と巧く重ね合わせることで、非常に素直に飲み込める真心として、ちゃんと描かれてると思います。
こういう情の温度をじっくり積み重ねられるのは、一年単位で話を運ぶ女児アニ特有の部分かもしれんね。

モモのアイスがふたりとも好きってだけではなく、『大好き』という言葉を素直に伝えられるかという問題においても、ジャニスとジュルルは姉妹だなぁと思いました。
赤ん坊ではないジャニスは自分の気持ちを言葉には出来ず、言語を略奪されているジュルルが言葉にたどり着くヒネリ方が、プリパラらしいIQの高さだ。
ジャニスはもうしばらく、ドラマ全体を引っ張る悪役の仕事をやってくれなきゃならんので、まだちり達の『大好き』に答えることは出来ません。
お話がグランドフィナーレを迎えた時、今回描写された穏やかな気持に帰ってくるために、今回時間を使って描いたと僕は思っているので、ジャニスもいつか、自分の本当の気持に帰還できるといいなと思います。


いい話ばっかりやってるのもプリパラっぽくないので、合間合間にドロシーの毒舌とか挟みつつ、ドタバタ楽しい部分を担当するのが『うっちゃりビッグバンズ』。
とにかく強烈なあじみのキャラを最大限に暴発させつつ、その毒気に負けない強靭さを持ち、チームに所属せず、3Dモデルまで持っているちゃん子が3人目を埋める展開でした。
アイドルライブの既成概念を全てぶっ壊す、ハイクオリティなロック楽曲"愛ドルを取り戻せ!"もバッチリ決まり、激しく楽しい展開を作ってくれました。
とにかくあじみが自由すぎてうるせー曲なんだけど、オリジナリティと強さがある振り付け、ベースが良く鳴るカッコいい楽曲と、表現者としての『うっちゃりビッグバンズ』の強さに説得力が宿る、良いステージでした。
……AD時代から、ホント北斗ネタ好きな、このシリーズ。

メタ的な視点から見ると、主役以外で構成された『うっちゃりビッグバンズ』はまぁ負けるだろうユニットです。
しかし彼女たちもらぁらと同じように、特別で唯一の『私』らしさを持ったアイドルであり、原理として同じ土俵に立ち、プライドを持って戦う権利がある。
コストとカロリーのかかる新曲をしっかり準備し、話の本筋にはいない彼女たち『らしさ』をちゃんと表現してくれたのは、なんだか凄く嬉しかったです。
やっぱまぁ、『みんな』を扱う以上、題目だけではなく実際の表現の中で、他者を尊重していると示すのは非常に大事よ。

ちまちま画面を賑やかしていたあじみや、そふぃの姉として細かい出番があったコスモに比べると、第三の刺客であるちゃん子は、いまいち出番の少ないキャラです。
そういう『数』の薄さを補う十分なキャラの濃さ、『質』があればこその抜擢なんですが、今回ちゃん子は持ち前の豪腕を活かし、まるで主役のようにジャニスを追い返す。
あれは半分ギャグな描写ではあるんだけども、主役として選ばれたらぁらではなく、ちゃん子がちゃん子らしくプリパラを守ったあの描写が、僕は凄く好きです。
女神を偶然拾わなくても、お話に真ん中にいなくても、己を強く主張できる『自分らしさ』をみんなが持ってて、みんながプリパラを好きで守ろうとする。
今回のちゃん子は、『みんなトモダチ、みんなアイドル』というプリパラの題目を、凄く自然な形で背負ったなと思ったし、脇役がそういう大事な仕事をやること、やれることの意味は、凄く大きいなとも思います。

あと、ちゃん子が痩せるエピソードがそう言えばここまでなかったのは、すげープリパラっぽいな、とも思った。
ぶっちゃけコメディの中のデブキャラは痩せる・痩せないで一悶着作ってナンボ、って感じもあるわけですが、プリパラはちゃん子が太めの女の子であり、相撲が出来ることを『改善するべき問題点』とは認識しなかった。
それはプリパラを略奪しようとするジャニスを追い返し、ジャニス自身が自分の気持ちを裏切る一歩を阻む、パワフルな武器になる。
それと同時に、"Ready Smile!!"のガーリッシュで可愛らしい振り付けだって踊っちゃう。
そういう自由と個性を、自分の足で踏みにじるような安易な笑いを作らないだろうという信頼感に、しっかり答えてくれるキャラの使い方してんなと、今更ながら思いました。


というわけで、六組目の挑戦者を追いかけつつ、終りが見えてきた子育てをまとめ上げていく回でした。
本番前の繋ぎと言えばそうなんだけども、クライマックス前の足場づくりとして、各キャラクターの間で共有されているものの確認として、挑戦者のオリジナリティを思い切り投げつける挑戦状として、いい仕上がりでした。
こういう話数でこういう話ができるあたり、ホント三期は脂が乗っている。

繋がりを確認するのは、それを激しく揺さぶるためでもあり、ジュルルとらぁらの親子関係は来週激震しそうです。
かなり時間をかけて周到にムードを作ってきたので、どういうふうに爆発させるか非常に楽しみであります。
プリパラ三期もラスト1クール、冷静さと情熱と狂気で走り続けてきたシリーズをどう高みに押上げ、どうまとめるか。
目が離せませんね。